欓文老師の逸話

伊牟田欓文老師いう方がお弟子で、この人は本当に欓隠老師の印可を得た人でね、その方がおられてそこへもよく参禅した。欓隠老師が、出て来られないようになってから、欓文老師も私の見性の様子なんかも証明して「よしッ」と言っておられたけれども、欓隠老師よりも先に亡くなってしまった。あのお方は惜しい人だったし、欓隠老師と違って静かな人でね「何ですかァ」というような調子なんです。ところがそれが芯があるものだから始末がつかないのです。そういう立派な人です。

一例をあげると欓文老師が秋田の禅会へ行かれた。まだ女学校か何かに勤めておられた頃か。羊羹色の服を着て手提げかなんかを下げて会場へ行ったんでしょう。迎えに来るほうは欓隠老師のお弟子で講師として来るのだから、どんなにして来るかと思って迎えに出ていた、が。そんな姿ですから見向きもしなかったでしょう、誰も。それで帰って来たらいるんでしょう。「何だ、先刻のあれか」という事で、欓隠老師のところへ参禅しているような老獪な居士ばっかりでしょう。だから「何だ、あんなの、やっちまえ」という訳で、いきなり一番先頭に立った者が行って、今の欓隠老師がやるような調子で居士の方が「ぴしゃーツ」とぶんなぐってかかって来た。そしたら欓文老師が「えーえ、昔もそんな人がたくさんありましてね。それがどうしました」と言ってね、それでもういっぺんに皆、参っちゃったという話がある。

大抵そういうような芸をやる事でね、「よし禅をやっている」ように思う、そういうところに全く違いのあるという事がはっきりしている、それが大切なところです。

               井上義衍老師著 『禅もう迷うことはない!』より抜粋