参禅者紹介

小積忠生(こづみ・ただお)参禅記
龍顕(りゅうけん)居士。1983年5月、海蔵寺にて参禅。この人の参禅によって少林窟の新しい扉が開かれました。強烈な説得力をもって多くの人を禅に誘いました。

永岡 淳(ながおか・じゅん)参禅記
玉千(ぎょくせん)居士。1983年6月、海蔵寺にて参禅。参禅入門に当たってのその強烈な覚悟。「今」に対する徹底的な執着。鮮やかな「今」の気付き。洒脱な語り口に参禅者への含蓄ある示唆が盛り込まれています。

十楽久則(じゅうらく・ひさのり)参禅記
哲承(てつじょう)居士。1983年8月、海蔵寺にて参禅。この人の参禅記に触発されてこの時期の諸先輩方が次々に参禅記を書かれました。禅のことなど何も知らなかった高校教師が老師の指導によって、明晰に心の大変革を遂げて行く様子が活き活きと記されています。

嵩 和夫(だけ・かずお)参禅記
大徹(だいてつ)居士。1984年1月、少林窟道場にて参禅。唯一「破門」を経験した貴重な記録。そのブルドーザーの如き強烈な個性が老師と激突し、粉砕され「今」の静寂に気付く感動の参禅記。

西谷 治(にしたに・おさむ)参禅記
啓拙(けいせつ)居士。1985年6月、海蔵寺にて参禅。直角居士ともあだ名された程の一直線。その真面目さと激しい気性が禅に触れた時、発狂寸前の混乱を経て絶大な自信力を伴って「今」の世界に目覚めて行きます。

玉桂 巴 参禅記
1986年9月、少林窟道場にて参禅。数少ない女性の参禅記。激しい悲しみの果てに辿り着いた坐禅の道。その心の変革の様子が参禅前の様子から克明に綴られています。参禅最後の夜に到達した心境は見性一歩手前の際どいものでした。

友松立雪(ともまつ・りゅうせつ)参禅記
立雪(りゅうせつ)居士。1990年10月、少林窟道場にて参禅。実験科学者として巨大な科学的知性を引っ提げて禅に切り込む。禅堂に響き渡るあがきにも似た前代未聞の経行が即今底への感動的な突破口となった。徹底的な追究により知性の限界地点が明晰に浮き彫りにされ、禅の世界が逆照射される。極めて完成度の高い参禅の手引書である。

小山 徹(こやま・とおる)参禅記
1991年5月、少林窟道場にて参禅。バグワンの弟子にして誠心誠意をもって精神世界を探究し続け、少林窟の門を叩くに至る。穏やかな語りの中で現代の探究者の陥りやすい危険な誤謬が摘出されます。

欠野アズ紗(かけの・あずさ)参禅記
1995年12月、少林窟道場にて参禅。女性企業家として多忙を極めた女史が禅と出会い、それまで温めて来た思想を一気に花開かせた記録。短期間に連続した三回の参禅の様子がまとめられています。これは、たま出版から単行本として刊行されました。

北紺正人(きたこん・まさと)参禅記
1996年8月、経営者として心身共に消耗し切りノイローゼ寸前での参禅。夢の中を漂うような、現実から遊離した精神状態から急速に目覚めて行く。その劇的な回復の過程が淡々と簡潔に記録されている。一歩間違うと大変な事態を招くが、それ故、老師の手腕が光る。

野宮章平(のみや・しょうへい)参禅記
1997年8月、少林窟道場にて参禅。異色の参禅記。少林窟の存在を知り、参禅に至るまでの半年間の記録を含め、メモ風に書き留められた記録。その膨大な読書量と共に、真摯極まりない探究者の姿が浮き彫りにされています。精神世界を彷徨う現代の知識人を如実に物語る貴重な参禅記です。