少林窟道場 第四世 照庵大智老尼 略年譜

明治三五年

一月二三日出生。

大正四年

三月 小学校卒業。

大正六年

三月二七日 広島進徳女学校技芸専攻科卒業。
四月 高等技芸入学。
十一月 中途退学。

大正八年

夏末頃 心臓脚気発症。それより常に心臓の鼓動に脅かされる。「死んだら何処へ行くのか。心はどうなるのか」それのみの明け暮れとなる。

大正十二年

八月 出家を志し 発心寺に入る。一カ月足らずで病のため下山。(21歳)

大正十四年

一月 西宮 海清寺の南天棒に参禅。夜を徹し、我を忘れて坐り切る。(23歳)
五月二一日 父・自照居士 島田軍吉死去。

大正十五年

八月 欓隠老師の口添えで井上義光老師と結婚。

昭和二年

七月から九月にかけて、死線を越える。

昭和三年

十一月 「智禅尼もやった。熱烈掬すべし。悪辣の鉗鎚を下して居る。早晩ブチ抜くに違いない」(欓隠老師、「女人禅」昭和四年一月号)。これより転た悟れば転た捨てよの一点張、気が付いては捨て、気が付いては捨てて、只管のブッ通しを促される。(26歳)

昭和六年

三月七日 埼玉県秩父郡下吉田町東陽寺住職飯田欓隠老師に就いて得度。大智と改名す。再び死線を越える。(29歳)

昭和十二年

九月二十日 欓隠老師遷化。悲歎やる方なく、師に殉ぜんことを願う。ひそかに思えらく此の死をも辞せざる心を、今一度大法の為に尽くすべしと。それより只管の錬り返しに、昼夜間断なく、たまたま食事中箸を置く一刹那に大悟す。師の遷化後旬日を出でざりき。(35歳)

昭和四三年

六月十五日 義光老師遷化により少林窟四世となる。

昭和五九年

二月二五日 遷化。世寿八十三。