参禅の記 安らぎ 嵩 和夫


目次

和尚をいじめてやるか

私には、今日までの生き方の上で、神仏といったものは無縁に等しいものであった。有るとしたら困った時や将来のこと等をお願いする時のみ、心の中で神頼みをし事をすましていた。また、仏様は仏事のときのみ手を合わせて、悲しみや死のおののきなどの思いに更けっていたぐらいだ。そんな己を別段何とも感じず毎日は神仏を思う事もなく過ごしていた。

しかし私は決して神仏を軽々しく見下したり否定したり粗末に思ったりしたことはなかった。私にとっての神様や仏様は、いつか将来携わることが有った場合、それは、私の魂の中に光を与え自分の総ての誠意を捧げるに値する出会いから始まるのだと、心の奥底に静かに思いを込めていた。
そんな私に、あるお寺の和尚に会うよう勧める友人小積さんがいた。小積さんは稀にみる純粋な人である。この町で名前も聞いたことのない小さなお寺の和尚に、心より敬服している口ぶりは少し滑稽にみえたが、彼のそういった純粋さと熱心さはいつも私の心を動かしてしまう。そしてこの度もまた、小積さんによって先ずそのお寺の世話人さんに会うことになってしまった。
「海蔵寺という檀家が六軒しかない小さいお寺が、今改修工事をしている。君も協力してくれ。」とのことで世話人の宮地さんと会った。「町内をまわっての寄付集め」の事である。そのための趣意書であろう和尚が書いた寄付の文面を見せてもらった。私が読める文字ではない。町内の人も半数以上は読めないだろうと思った。おおよそ見たこともない格式高いものである。毛筆で書かれていて、しかも崩し字がふんだんにあって、達筆すぎて私のような無教養者にはとても読めない。
宮地さんと小積さんに、夜九時頃より十二時過ぎまで、「寄付というものは相手に分かりやすく書いてお願いするものだ・・・」、また「お寺の和尚も世間を知らないものだ・・・」とあざけり笑った。その様な事を一方的に二人に話した。
私の話し方はいつも熱弁で、相手に有無をいわせる間を与える事なくむきになって語るので、二人はたじたじしていた。とうとう、
「明日、お寺へ行って和尚に今の調子で話をしてくれないか」と二人に頼まれ了解をしてしまった。
「明日は一つお寺の和尚をいじめてやりましょう。」と手ぐすねを引いた。

あつさり納得

和尚の前に、宮地さん、小積さんそして私と三人で座った。
なんと、すっきりした目の澄んだ和尚だった。今まで見たお寺の和尚と違って力強い何かを感じた。世間では見かけられない人であり、といって私が尻込みした訳でもない。昨日の調子の熱弁で和尚に、「世間とは寄付とは・・・」と説いたが、終始和尚は動ずることなくにこにこと私の話を聞いておられた。
今日まで私が一方的に熱弁を振るって話をした時は、相手はたじたじしたものだった。そんな己を実力だと思いそれが自分の自信となって相手を責め立てる感じにいつもなっていた。
和尚一言、
「嵩さん、総て縁なのですよ。どんなに分かるように説明しても、協力の気持ちの無い方には縁は始めから無いし、豊かな人格を備え物ごとに良かれと祈る暖かさがある方なら、このお寺が今どんな状態にあり、その為に何をお願いしているかは自ら通ずるものなのですよ。通ずる人だけで良いではないですか。
所詮縁の無い人にはどんなにしても縁は無いのですよ。それ以上のことをしようとすると、欲になり意地になり、仏法からはずれてしまう。それはしてはいけないのですよ。分かりますか?」
と静かに話された。その間二、三分もなかったと思う。
これ以上の説明を拝聴する必要は既に無かった。本当にそうだ、と心から感動的にさえ思ったからである。
「はい! 私、明日より喜んでお手伝いをさせて頂きます!」
と協力を約束した自分に少し驚いた。今までにない出来事であった。そればかりか、一本やられたといった敗北めいた気持ちがちっとも無く、むしろ自分の奥の待っていたものに気付いた何かがあって、軽くなった心が不思議であった。
改めて自分の頭の中まで見透かされているように感じ、和尚との出会いに何か大きくて強い因縁を感じた。そして殊更に一般の住職と区別しなければいけない人だと思い、和尚を改めて「方丈」と呼ぶことにした。

明日から坐禅します

それから一か月、自分の仕事を放り投げて朝早くから夜遅くまで、お寺の改修工事に協力した。毎日毎日方丈に接するごとに、私のぎこちない我見が少しずつ取り除かれて行くのを感じていた。うまくいえないが、なぜか方丈には構えなくても済むので気が楽であった。それが宗教の説法ではなく、世間の話、私の行動の中で真正に純粋に我見が溶けておっこちていった。幼時の頃の様に軽くなっていった。
しかし世間へ出て、他の人と接するとたちまち我見が出てしまう。こんな両極面を何時の間にか知らされて、それが日常なんと無く気になっていった。
「この方丈は他の人が持っていない何かがある」と思い、その後坐禅するまでの九か月間、我見を方丈にぶっつけるのである。その間、小積さん、永岡さん、十楽先生、脇先生と次々友人が坐禅をしていった。その人たちは会う度に「早く坐禅しろ」と勧めるのである。「毎日毎日が、楽に楽しくなるから・・・」という。しかし彼等と話をするが別に変わったところはないし別段優れているとも思わなかった。
変わったとすれば、聞き上手に成ったくらいと思った。私はそんな彼らと論争し勝敗を競って己を誇った。坐禅をしてない自分がその人たちに勝つことが何よりの楽しみだった。勝ったと思っていた。この時、単なる聞き上手と思っていたし、坐禅をしたってその程度かと、心の何処かであざけっていた。自分は坐弾などしなくたって彼等に決して負けない、とかいかぶっていた。

しかし、坐禅する一か月前頃、小積さんたちと話しているとなぜか心淋しいものを感じていた。自分とは全く別の何かを持っていて、如何にしても私の介入を許さないのである。いや、私の手の届かない所に居るような気がし、自分が遅れを取っているという感じがしてきた。ただの聞き上手ではない、自分がツッパリ回しているのを、(こいつに話したって通じっこないから放っておけ)と転がされているのではないだろうか? そんな気がしだしたら妙にわびしくなってしまった。

坐禅する一日前、お寺で方丈といつものように世間話をし我見をいつもの通りぶっつけていた。その時私は、今の仕事以外に弁当仕出しの営業を計画していた。その話を持ち出し、「商売とは何ぞや?」といって、方丈が知らない筈の世界を、自分に迷いがあるのに自信たっぷり正論のように話した。方丈はにこにこと聞いておられた。世間の事は方丈といえども分からない筈だという気持ちがあるからとうとうと語った。方丈は一言、
「出来ることならそんなことは辞めなさい。諸般の事情でどうしてもしなければならんのでしたら、迷わずひたすらやりなさい。君は一方のみを見てそこに信念を掛けているが、現実に入ってもう一方が見え始めて来ると、今の君程度では迷いを起こすから・・・・
その為には徹する力が必要です。その大切な急所だけでもつかんでからやりなさい。今からでも間に合う。今こそ坐禅をして心を治める方法を体得しておきなさい。」
「ハイ、明日より坐禅します。」
と答えていた。方丈も早いが私も早い。が、不思議な決断だった。
ようやく私も坐禅する時が来たかと思うと、何か吹っ切れたものがあった。坐禅して山門まで達した人たちからは、「レジャー禅ではなく、一日二十四時間ぶっ通しで坐禅三昧することは大変苦しい。こんなものはするものではなかったと途中で何度も思った・・・」という。彼等に出来て私に出来ないことはない。今からでも坐禅すれば皆と一緒になれると思うと、憤然と気力が湧いて来た。小積さんたちは、気候の良い時であったが、私は何十年ぶりの寒波が来たおりもおり、大寒の真っ最中に坐禅することになったのである。
一九八四年一月二十三日から一月二十九日まで。(人間は素直さが肝心だ)と、幾ら勧められても反発をして来た報いだとばかり、後で皆に大笑いされることになる。

どうぞいってらっしゃい

郷里に帰って四年過ぎた頃から地元にも慣れて仕事もどうにかあったし地域の世話、子供の関係の世話等も良くやった。自分の思ったことをお客さんであろうと、目上であろうと率直に話すものたから評価は半々ならば良い方だと思うし、仕事にしても世話にしても、やることはやるので、どうしようもない存在ではなかったかと思う。自分ながら、世間でもよくいわれるへ理屈やの邪魔者その者ではなかったかと感じる事がしばしばあった。
白状すると私のこうした一方的な在り方や性格を決して善しとしていたのではない。実に短兵急で時に攻撃的な部分には我ながらうんざりしていたが、それが分かっていても治すすべを知らない為にどうしようもなかった。一方世話をするとなると表面的ではなく、実に親身に本気にやれる自分がまたとても好きであった。こうした私の真意を汲んでくれる者の一人に小積さんがいた。
彼はいつも全面的に自分のいうことを正当として聞き入れてくれているものと、いつものように勝手に思い込んでいた。本音でいう私を高く買ってくれていた。しかし一方的なところや攻撃的なところや考えの甘いところに対しては、初から厳しい批判者であったことにしばらく気が付かなかった。常に自分のいうことが正当であると、とことん偏見固執していたのだ。

私は心が貧しいのか、とにかく人を暖かく容認するゆとりがなかった。相手の説に対し先ず鋭く批判を下し、否定し切り捨ててしまうのである。小積さんはそんな私を暖かく哀れを以て接してくれていたのだろう。時には、「嵩君は謙虚さと感謝の念がないから駄目だ! 神仏に心からぬかづいてしもベになれ!」と、不似合な説教もされた。
方丈は時々、「嵩さんは己の長所をもって相手の短所を切る、そして己の優位を誇り悦に入っている。精神的には子供じゃ、子供じゃ、ふぁっ、はっ、はっ、はっ!」あっけらかんとして方丈にそういわれると、冬の木枯の様に一変にわびしくなるのであった。何としても何時かは坐禅しなければと、以前より心のどこかではそう思っていた。

いよいよ坐禅をする時がきた。家に帰り妻に、
「明日から坐禅するよ。」といったら、いつもの調子で、
「どうぞいってらっしゃい。」とそっけない返事である。
結婚して以来、私は何事をするにも妻に結論を話すだけで、説得も了解も得ず行動して来たし、朝、家を出たら鉄砲玉で家に帰るまで行方不明の日々であったから、そっけない返事をされてもしかたないのではある。
仕事も所員に、「一週間ぐらい事務所には来ないので、何事があっても連絡して来ないように、また仕事の判断は君に任せる。」と申し渡した。

説法

方丈は今、同じ町にある少林窟道場で、師匠である照庵大智老尼に昼夜接して看病、修行しているのである。私の家から道場まで凡そ八百メートルぐらいあるだろうか。この町のほとんどの人は偉大な照庵大智老尼のことすら知らす、またこの由緒ある飯田欓隠禅師の禅風を正しく伝えておられる道場も共に知らない。

朝の九時頃その少林窟道場に出向いた。勝運寺の真裏、山の谷間にあるので国道の近くにもかかわらず神秘的である。寒さも作用し心引き締まる思いで風流な小さな門をくぐった。決心の中に未知への構えが在りー層闘志を覚えた。こんな時私はおじけるどころか、むしろ新鮮な挑戦欲、批判精神へと駆り立てられる。早速方丈から禅の心得を聞く。
「寒いから暖かくして座りなさい。
目的の為に最大の熱意をもって当たれば、他の小事や俗事には心を煩わされなくなる。最高の目的の為には一切を捨ててかかることが肝要である。早い話が、身も心も忘れてその事に徹して行くのだ。我を忘れてこそ、その物と真に親しくなり、その物によって三昧ならしめられるのである。三昧とは雑物の無い純粋その物の世界であり無我である。仏の境界であり悟りである。
これが仏教の生命であって、これが無ければ電球に電気無きが如く光を発することは出来ぬ。形や道理だけの仏教や坐禅は本当に人類の救いにはならない。
仏の教えは、真実に目覚める事によって煩悩の元を解決するものである。
煩悩の元は無明である。無明とは明るくない、はっきり分からないということだ。
自分の心が自分にはっきりしていないから、知恵を頼りに想像し理論的に筋を付けて真理だと勝手に思ってしまっているのだ。是を煩悩といい、その人を凡夫という。
解決がついていない今の心をひとまず迷いや苦しみの生みの親として扱うのだ。
なぜそうしなければいかんかというと、見聞覚知の総てを迷いの心、真相が見て取れない心で扱う大きな癖、つまり我見に成ってしまっているからだよ。これが無明なのだ。
坐禅の目的は仏の教えに従い、仏が授けようとされた真理の世界を体得することにある。即ち自分で付けてしまった心の癖、我見、無明を解いて解脱することにある。無明を照して明かにすることである。つまり我見を陶冶することである。そのための修行である。
修行はいつするのだ? 今しか無いであろう! 今、ここに明日があるか? 今、昨日があるか?
有ったら出してみよ! どこまでも今しかないのじゃ。
煩悩によって迷うのはいつだ? 一瞬先でも無く一瞬後でも無い、今の一瞬の出来事だぞ。念を運んで起こった心は全部無明からであり癖からであり我見である。
我見と本来との境を明確にすると無明が無くなるのじゃ。これが解脱じゃ。成り切って我見が破れた世界である。
解脱するのはいつだ? もちろん今しかない!
この今が無明であれば十万億土の無限の煩悩となり迷いとなる、けれどもこの今「ただ」見聞覚知のままに有る時は既に本来の世界であり仏の家である。ここが着眼の急所である。大自然に目覚めるのであるから、自己を運んで事をしてはならないのだ。「今、ただ、縁に成り切る」。この努力だけを一心不乱にする。その外は一切どんなこともしてはならないぞ!
この外は修行ではないからだ。
何も考えず「ただ」坐禅し、疲れたら「ただ」寝なさい。
歩く時は一歩、一歩、成り切って「ただ」歩きなさい。隙を与えると即雑念のとりこになって事実の法を見失ってしまうから、歩行が歩行にならないぞ。心が実なら歩行も実である。今が実である時、これを如法という。一歩一歩「ただ」歩行ばかりになればよい。満身の歩行である。
我見、心の癖は忽然として今瞬時に生ずる。生じたものをどうにかしようとしたりすると二重の苦しみを引き起こしてしまう。出て来る元に着目しなければ間に合わぬ根本的な道理があるのだ。
分かるか! つまり今に目覚めるのだから、今一瞬をなおざりにしたら知るべき真理が無くなる。永遠に解脱する事が出来ないということだ。
絶対に今を離してはならぬ。目覚めるとは徹することだ。今に徹するべく努力するのだ。
簡単にいえば、今の一息に成り切りなさい。入息、出息を見守り切りなさい。雑念が出たら速やかに発見して直に呼吸に帰りなさい。純の純の、真の真の、その物ずばりの一呼吸が出来るようになると「ただ」の真価が分かって来る。これが総ての中心である。
永遠の今であり不変の生命よ。命懸けで今一瞬を離さぬように、一息に執着し切りなさい。
寝起きはこの部屋で。
食事は私が用意しておくから、顔を洗うことも、風呂に入ることも私の許可が出るまでは一切してはならない。菩提心、菩提心。頑張ってやりなさい。」
何とも大変な事だ。早い話が、「何も考えず今、一呼吸だけになれば良いこということか。そんな事が本当に出来るのか?

寒冷地獄

さてと、いままで坐禅はお寺などで真似はしてきたけれど、本格的な坐禅はしていない。せめて坐禅の形、方法を教えてくれなければ・・・・とにかく何の手ほどきもないまま「レジャー褝ではないので死にもの狂いでしなさい。」とは前に聞いていた。それだけいって方丈は消えた。
(私の事だからどうにかなるさ、一週間もすれば方丈が皆と同じようにしてくれる。信じていわれるようにしよう。)と思った。

それにしても寒い、寒冷地獄ではないか!
「寒さに成り切れ」といわれてもどうすればよいのだ! 禅堂に毛布三枚ほど持って入った。服装は下はズボン下にハカマ、上はシャツ、セーター二枚その上に着物を着ていた。座って腰に毛布二枚重ねにして一枚は頭から被った。毛布ダルマになって正坐した。
まあ寒いこと寒いこと! 震えてどうにもならない。こんな中で一週間も坐禅しないといけないのかと思ったけれど今ここで逃げたら小積さんたちに笑われてしまう。意地でもやりとげてみせると、何度も心に思い込ませた。

「一呼吸に注意しよう。」
少なくとも雑念に振り回されぬようにと努力するのであるが、考える癖が付いていてとにかく、アッと思う間もなく呼吸から居なくなっているのである。
「これではいかん。」と意志力と注意力を増大させて取り組む、その度に気を取り戻どそうと動くので毛布が落ちる。寒さの為ほっておけない。またそれをかぶる。このきりのない事を何十編となく繰り返す。
瞬間でしかない一呼吸の間でさえ、その事に心がじっとしていないのである。短い闘いの連続。とても大変な事である。
拍子木が鳴った。昼食である。
「や―れ、や―れ。」
「食事は一箸一箸ただ食べなさい。」と方丈はいう。
食べなさいといっても御飯は麦飯でおかずは塩ジャケにつくだ煮と煮つけ物である。今までが我がままであったのかあまり食事が進まない。
(ずっと後の話だがこの時の食事について、ひどい食事だった、とつい本音を吐いたら、方丈に「もったい無いことをいうバチ当たりめが!」と一喝された。君に告げる、食べ事の不平は絶対に思わぬこと。感謝と丸反対であり心の豊かさと正反対であるから、修行の程度の低さを現したことになる。その一喝は今でも心臓にこたえている程だ。)

うぬぼれ禅

昼からは毛布二枚追加し五枚で体を包んで坐禅した。包んでしまうと寒さはどうにかしのぐことが出来たが、すぐ毛布が落ちてしまうのでまた寒い。これには閉口した。
坐禅して皆は何を得たのであろうか。
「出て来る雑念に相手になるな」と方丈はいうけれど、寒さが気になり毛布で体を包むことがやっとであるし、相手にならないとはどんなことなのか? さっぱり分からない。何をどうしてよいのか、片時も雑念は鎮まってくれない中でとまどいとあせりが増大されて行く。
寒さがしのげてくると周りの状態が分かって来た。風の音、鳥の声、車の音色々聞こえて来る。
(あれだけの風の音だ、外は寒いだろうな)(あの方向から入って来るな)カラスの鳴く声は(バカー、バカー)とか(アホー、アホー)とかいっているように聞こえたりする。車の音は、あの音は大型とか小型、上りだとか下りだとか、救急車の音が聞こえて来ると(誰がけがをしたのであろうか?)とか煩悩は絶えず脳裏を駆けずり回る。
小積さんは、猫の鳴く声に悩まされたといっていた。永岡さんは、タイコの音に悩まされたといっていた。
一生懸命に考えた。なぜ悩まされたのであろうか。日常の中の気配で物を想像したり、音で感じたりすることは当たり前ではないか。却ってその勘が当たっているほど素晴らしいと評価されるではないか。煩悩とは何か? ピポーピポーは救急車で、カァーカァーはカラスである。絶対に。
(明らかに違うのにそう思っていた。)仕事の事、家族の事、それ以外に何も脳裏に浮かばない。外の事を考えようとしても何も浮かんで来ない。
「アッ! これだ何も浮かんで来ない!
何だ、こんな簡単な事が出来なかったのか!
皆一週間も苦しんだというが何という鈍感な連中なんだ。やっぱり俺は違う、坐禅なんてたわい無いことよ!」そう思うと皆が小さく見え、自分は得意になった。

山のようなトラの前で

早速禅堂を出て部屋に戻り、方丈の所在を聞けば海蔵寺に帰っておられるとの事。出会うべくすぐ着がえて玄関を出掛かると方丈が帰って来られた。
「分かりました! 禅が分かりました! 無が分かりました!」と得意にいった。(後で方丈いわく、目はドーベルマンのように野獣的で、口からは血がしたたって得息高慢の絶頂だったとか。何と恥かしいことを。)

揃って部屋に入り方丈は私の目の前に座るや否や、
「スズメはチュンチュン、しかしカァーカァーは何ぞ!」今更何をいうのかと思ったらそんな事か。
「はい、カラスです。」あほらしい事を聞く和尚だ。
「違う。」そんな馬鹿な・・・?
「カァーカァーがカラスなら、カァーカァーという私はカラスか? しかしスズメは古来よりきちっとチュンチュンと鳴き、カァーカァーとは鳴かぬぞ。
禅が分かった、無が分かったという者が、たかがこのぐらいの事が分からぬとはいわさぬぞ!」
軽々しく禅が分かった、無が分かったなどと口はばったい事をいったことにゾーッとする程後悔した。方丈の顔にはいつもの無邪気な表情はどこにもなかった。人生この方これほど真剣にしかもすごみをおびて迫られた事も無かった。方丈の追及は更に度を増して行った。
「歩くとは何ぞや! はっきりいって見ろ!」
私はただただ分かっていない自分を自覚し、返答の余地は全く無かった。再三再四、
「さぁ言え! 禅が分かって歩くとは何かが分からぬ筈はない!」と厳しく迫られて、私はひたすら「分かりません!」を繰り返すばかりであった。
方丈の顔を見るどころか、山のようなトラかオオカミの前でおろつくばかりだ。私はいよいよ小さくなり許しを願うためにうなだれて首を左右に振り「分かりません!」を繰り返した。後悔と恐怖、そして容認を求めていたが次第に頭は混乱していくのだ。涙と鼻水でたぶんくちゃくちゃな顔であったろう。私はどうすることも出来ず「分かりません!」のあい間あい間にワァーワァー泣いていた。

余ほどすさまじかったに違いない。ずっと奥の部屋から、老尼の看護をされていた方丈の母上が驚いて様子を見に来られた。
「老尼が、学人にあまり手荒なことをしたらいかんぞ、お前注意して来い! といわれて来た。何事かと思ったよ!」といって引き返された。が既に私は首ったまをひっとらまえられて、二つ三つひっぱたかれた後であった。
「この高慢ちき者めが、命懸けで座ってからものをいうのだ、分かったか !命懸けで坐禅しろ!」
といって奥へ消えた。

雑念と呼吸のはざま

何か急に物のけが落ちて静まりが始まった。大変安らいだ心地になり感情が治まった感じがする。
だが肝心なことは何だかさっぱり分からない。すぐ禅堂へ入った。
小積さんたちが得たものは何であろうか?
よしこれからだ。皆に出来て私に出来ない事はない。命懸けで座るのだ!
と再度心に決めて一呼吸に入った。

夕闇がとても印象的であった。禅堂の上を一声するどく鳴き去ったのは時期はずれのはぐれ百舌鳥か? 凍りつく静けさの中で心だけが、坐禅を組むと自分の孤独な心だけが取り留めも無く騒ぎ続けるのだ。
「寝る時は電気毛布に前もってスイッチを入れておいたら暖かく寝れるぞ」といってくれた。
禅堂での夜、座っていて寒さがいよいよ厳しくなる。周りは音までも凍りつき静かになったけど私の頭の中は例の通り、車の音は上り下りし、大型小型が走り回る。電車の音は何時何分の上りだとか下りだとかの想像が駆けずり回る。昼間のあの勢いは蔭も形も無い。
方丈は「どうしても寝たくなったら寝て良い」といっていたな。よし今日は早く寝るか、また明日がある。
(方丈のいわれる、寝たくなったら寝ても良いというのは、勝手気ままにやって良いというのでは決して無い。この時大げさにいえば命懸けの決心であった。楽をした方が得で苦しい事をするのは損だ、などとは全く思っていなかった。方丈はその後の事をいわれているのである。「眠気半分の我慢大会は時間と体力の無駄遣い」ということと「火の玉に成った時怠慢で寝る者は居ない」ということと「禅堂にこだわり、坐禅の形にとらわれても駄目だ」ということである。)
寝床に入ると先程スイッチを入れた電気毛布が暖かくなっていて、冷え切った体にはこの上もない潤いであった。修行とは厳しいものだと心に決めていたし、こんな潤いの中で寝られるとは思いもしなかった。方丈の心配りがすごく感じられ、心に騒ぎなく気持ちよく寝ることが出来た。
私は特別な寒さの中の、特例の修行者であろうか。もったいない事だ。

初めての朝、六時過ぎに目が覚めた。まだ真っ暗だ。気持ち良くぐっすり寝られたのでやるき充分である。寒さ? そんなものクソくらえだ!
便所へ用を足しに行く。入り口に「・・・ただ放尿すべし」と書かれている。
何の事であろう? 昨日も便所に来たけれど気にならなかった。心がいつもどこかへ行っていたのだろう。今朝は違う。部屋の黒板や書き物にも「ただ」という言葉が良く書かれている。方丈の話の中にも「ただしなさい」という言葉が多い。
「歩く時は一歩一歩、ただ歩きなさい、余念の余地の無いように。」
「呼吸は一息一息、ただしなさい、呼吸ばかりに成り切りなさい。」
「音はただ聞きなさい、音に成り切ることです。」
「ただ」って一体なんだろう?
ようやく自分と少林窟道場の状態が心で感じられるようになり余裕が出て来た。静まった証拠であろうか。何と無しに一つ一つが把握出来るようになってきた感じがする。坐禅は毛布にくるまってする。昨日のように寒さが気になって、やれやれといった投げやりの状態ではなく、やってやる、ぜひとも会得してやる、との心構えに変っていた。今までのやる気はうすっぺらなもの、幼稚なものであったことがよく分かる。いよいよ本真剣になれそうな気がして来た。

工夫の手がかり

座る。車の音、電車の音、風の音、木立ちの触合う音、人の気配、目を閉じれば明かりで変化する絵模様などに色々な思いが自然に起きる。こんな心の状態は今まで当たり前で過ごして来た。我々の日常これこそ自然で最も確かな事実だと思っていた。方丈はいわれる。
「見るもの聞くもの、つまり見聞覚知に一々とらわれてついて回るのが自我(妄想)だから、出て来たら即切り捨てて、見る時は見るばかり、聞く時はただ聞く、これが本質よ。そう努力するのが修行よ。
執着はその物と離れて観念で認めるところから起こる。一体なら既にその物であるから認める用がないし執着の動機が無い。この確かな消息を体得するのが禅の目的である。総てそれ自体、真実であって法でないものは無いと、真にホゾ落ちするのだ。
そのことが分からない以上、分かるようにしなければいつまで経っても迷い続ける事になる。
そこで一旦出て来る総ての念を[迷っているもの]としてはっきりした真実の世界と区別しておかなければ指針が立たぬ。
そうしておかないとここでよく味噌くそ混同してしまうのだ。[ただある]努力をしなければいけないが、その外の努力は目的違いの計らいだからしてはいけない。ここが自力だの他力だのと分れる所である。今、自分上に展開されている事を、念を加えずただそのまま自然置していく。その努力だけである。どこにも自己を運んで修行する必要は無いのである。
今、自分上のままに今させられて自分を忘れておれば良い。つまり、大自然のままにあって、一切何もしてはならない、いや、すぐ自分を運んでする癖がこびれ付いているから何もしない努力が必要なのだ。
なぜかというと、既にその物はその物で全分であり、迷う事も悟る事も出来ないからである。本来、手が就かぬ。いや、手を就ける必要が全く無いからだ。何かを加えたら自然の真理が汚され法を殺してしまう。
ここに、修行する事が既に迷いである、という道理も生まれてくる。そういう法を説く者が出て来るから区別しておく必要が有る訳だ。修行しなくてこのままで良い、という事になって修行の余地を失ってしまうと救われなくなる。法はそうであっても、人はそれでは済まされない。例えそれで良いといわれても当人は良い訳が無い。
法には前後も上下も迷いも何も無いが人には有る。
前後も上下も秩序としてちゃんと使い分けて、しかもその一切に拘わらないのが仏法である。自己を破る事である。心眼を得るまでははっきり目的に向かって努力していく修行ということを忘れてはならぬ。
だから事実以外は総て妄想として切り捨て、一刻も早く今に帰るのだ。
修行とは念が転んで取り留めもなく空想して行く癖[煩悩、自我]を破り、本来に目覚める法である。努力である。畢境菩提心である。」

いわれている事はいつも聞いてる事だから半分は分かる。(しかし・・・・だが・・・?)と素直に聞き入れていないで反論を心の何処かで用意している。一方的に聞いているだけでは自分の存在感が無くなったような惨めな感じがするからだろうか。日常こんなことを考えたって人には迷惑も掛けないのだから良いのではないか、と考えながら座る。でも方丈を信じなければいけない。そんな繰り返しを何度もした。する度に同じ結論しかない事も分かっているのに何かがいいたい気持ちがある。が、今はそれどころではない筈なのに。大変な現実の問題があるのだから。
とにかく、「全身一呼吸になれ。」といわれたのだからそうするしかない。
「ただ一呼吸のみ。」といい聞かし、いい聞かしする。自分の一呼吸がしっかりと見届けられぬ自分。そのわずかな瞬時すら見守り通す注意力、集中力、信念、意志力が無い。驚くほど注意散漫な自分である。いや、皆ではあるまいかとも思ったりする。
確かに心とは、自分とは、迷いとは今の一瞬の問題のようだ。「迷うのも今の一瞬」の出来事であり、それを「救うのも今の一瞬」である事が遠くにぼんやりと見え始めた。
「こいつだ!」
夕食の時、過去の禅僧が大悟した時の話をしてくれる。方丈の熱気もであるが自分の中に或る符合してひらめいたものがあった。俄かに反論の気持ちが消えて方丈の言葉がストレートに響いてくる。不思議な事に自分の耳が透き通ってき始めると、方丈の言葉が直接私の心を鎮めていく。ぎすぎすした気持ちが方丈に吸い込まれ解かされていくようだ。落ち着きかけていた心が俄かに一本にまとまって、しかも充実した気力が沸いてきた。
なぜか自分でも今に徹しさえしたら、今に成り切りさえしたら悟りが得られるような気持ちになった。この散漫が治り、自己から解放されたら、宇宙の実体の様な大きなものに直面しそうな気がしてきた。そこは勿論想像を絶する素晴らしい世界のような気がして、気持ちが明るくなった。
透き通った方丈の目が恐さから救いの光に思えて、それからは方丈と目が合うだけで雑念が治るから不思議だ。素直に真剣に聞くこと、その事が心の道を開いて行くのだろうか。

夕食後の坐禅は気分も整い、明快な充実感が坐禅を楽にしてくれた。底からかなり落ち着いてきたことが分かる。勿論私なりに努力した。そして一つの方法を発見した。
車の音が聞こえそれに執れたら頭を振ったり大きな息をしたりする。こうすると雑念が確かにふっ切れる事を知ったのだ。また考え事が出てその事に気付いたらすぐそれをすると、どんな念をもこの方法で切り捨て払い除けられるのだ。そして「今、呼吸に帰る」事が出来るようになった。
ようやく修行に手が届き始めたのだ。今までは何が何だかさっぱり分からず、めくらめっぽう暗中模索でしかなかったし、あの繰り返しだったら勝手に出没して止まない念をどうすることも出来ないままであろう。
雑念が切り捨てられるようになると、音と視覚から連想される雑念がはっきり自覚出来るようになっていた。出るのはすさまじいばかりだ。だから切っても切っても限りがない。いつ果てるとも分からない雑念との戦いは、うんざりするがここで止める訳には行かない。全く自己との戦い以外の何物でも無い。

自分の雑念が良く見えるように成った事で、益々雑念が増えた感じがする。根気が続かなくなったらどうなるだろうか? これ以上雑念が増えて来たら押しつぶされて、理性のたずなが取れなく成ってしまうのではないだろうかと、こんな不安すらして来る。
どうやら連想する癖は、今一呼吸のその事実に深くとらわれることによってのみ、その癖を破るしか無いと思い始めた。一呼吸にしがみついているのに、それでも雑念は私を引きちぎって雑念の暗闇へ突落とす。
しかし、その事を発見する時間が少し早く成ったので、がむしゃらに一呼吸に帰る。
またすぐに突き落とされる。
何が何でも一呼吸に帰る。
また連れ出される。
一呼吸に帰る。
これをひるまず実行して行けば、雑念にこれ以上苦しめられることはない、といい聞かせて努力する。これが今の自分の精―杯の冷静さである。進歩といえば、この一つだけの操り返しにまで漕ぎ着けたことであろうか?

十一時過ぎに寝床に入った。環境を観察する事も忘れていた。体が冷え切っているので電気毛布の温もりが気持ちが良い。何も考える間も無く眠りに就いたようであった。

「ただ」とは「今」とは

三日目を迎えた。禅堂での坐禅は全く昨日の繰り返しである。
ああ分からない!
「ただ呼吸せよ。」と方丈はいわれるが、呼吸は生きている間は皆しているではないか。始めっから呼吸してない者などいないではないか。わざとしなくてもしているのに、それを「ただせよ。」といわれると、雑念は切り捨てることは出来るが、方丈のいわれる事は疑問として考えてしまう。
「ただ」とは何だろう?
午後疲れたので控え室で寝転んでいると、そこに方丈かこられて「寝坐禅」を教えてくれた。
「立っていようが坐禅していようが横になっていようが、今一瞬の心には変わったことはない。今一呼吸は一つだ。余念の入る余地を与えす寝たまま今の一呼吸をただやれ。雑念の真っただ中に有る時は、この中心を離してしまうと修行にならんぞ。」そしてまた、
「夜寝る時、寝坐禅をしてそのまま自然に寝ると朝まで坐禅のままでいられる」といわれる。早速実行しようと思った。
電気毛布の温もりの中で気持ち良く寝られるのは、ただ方丈の気配りと思っていたが、「坐禅は寝ていても、いついかなる時もしなさい。今、ただ在ることが禅である。その努力が修行である。」との大変大事な教えであったことを始めて知った。気配りの優しさの中に強烈な示唆があったのだ。
レジャー禅では無いというのは目的と方法が根本的に違うからだという事がようやく分かった。そう考えると歩く時の一歩一歩にも、便所の用足しにも気を抜くことが出来ない。少林窟道場の中では気の抜く暇など無い訳になる。この事であったか。
今までは、だったら禅堂の時だけの修行しかしていなかったことになる。
こんな事で何が一生懸命だ! 何が命懸けだ!
訳が分からず、一枚奥の方からひどく激するものがあり、自分が恥ずかしくなった。
今はいつでもどこでも今だったのだ。そういえば永岡さんが、「今に成り切れ、瞬間瞬間のみになれ。」と、私にくどくどいっていたのを思い出した。小積さんと永岡さんは、このことを私にしつこくいっていたのだ。その時は(何とくだらんへ理屈をいっている連中だな、それがどうしたというのだ。)とそう思って聞いていた。今にして思えば皆極めて重大な要点を教えようとしていた事がようやく分かった。そうであったか。自分がつまらなかったので要点が全然分からなかったのだ。大事な中心を聞かずに反駁の機を伺ってばかりいたようである。
それはともかく、一呼吸とは一日二十四時間ということであったか。
これが方丈の真意であろう。二十四時間といえば何となく長い。その内の一呼吸なら取るに足らないが、無限の呼吸だと思ってしまうと自然に気が抜ける。それを極度に濃縮して「一呼吸」といい切って教えてくれたのだろう。
「それが今か。確かに今は一呼吸しかない。
二十四時間も一呼吸の今しかないぞ。
しかし、ただとは一体なんだ?」

雑念を無視することが出来る

禅堂から出た。不思議なほど目の前が鮮明になり心が楽になった感じがする。一つ一つの動作が今までに無い落着きでやれるし、自分の動作が自分にはっきり見える。
ドアに手を伸ばす。
ゆっくり静かに押す。
ドアが開き、午後三時の明るい景邑が次第に広がって行く。
一足、また一足、と出て身を回してまたドアに手を伸ばす。
静かに閉める。
特別何にもしているのではない。いつもの事をいつもの様にしているだけであるが、それが今までとはがぜん違うのである。なにが違うとうまくいえないが、心が余り逃げずに自分の動きに付いて行ける。散漫が少し治って来て心が一変に軽くなった。そしたら自分の今している事が何でも無い事柄である筈なのに動きが輝いている様に感じ出したのだ。
内心ではこの先き一体どうなって行くのかと、隠せない不安があったので心から嬉しくなった。
歩く。
便所で用を足す。
呼吸をする。
何となく集中出来るように成っている。気合いが入ると体まで軽くなり疲れないのである。ただの気合いだろうか? それだけではなさそうである。昨日と比べると集中しておれるだけ心が乱れない。雑念を発見し呼吸に戻そうとすると雑念は自然に切り捨てられているではないか!
坐禅が面白く成っている。こんなに苦しいものを興味深く面白く感ずるなんて変だ。
とにかくあの目茶苦茶に出て来て自分を振り回していた雑念が、少し柔らかくなっている様に思える。出ないというのでは決して無い。大変よく出ることは以前と変わり無く出るのだけれども、それを楽に切る事が出来る。
少しだけ一点に心がおれる為に、けたたましく遠く行かなくなり、連れ出されてもすぐにそのことが分かるようになった。ほとんど瞬時に呼吸に戻れるのだ。
今までは、「あっ、また雑念に振り回されていた。一呼吸に帰らねば、その為には一呼吸に集中しなければならない。一呼吸をしなければ」といった手間が全くいらなくなっていた。
方丈は、「それだけ心のもつれが解けているのだ。」といわれる。
雑念は夢と同じように全く勝手自由にポッポ、ポッポ後と先なしに出没する。方丈が「心の癖」というがまさしく悪い癖だ。
一呼吸が今の一点に静まって来てこの事が始めて分かった。そして勝手に出るそれらを無視してコロンと放って置くことが一瞬でも出来るようになった。
どうやら背伸びすると指が触れる事の出来る位置まで来た感じで三日目が終った。

カァーカァーはなにか

四日目が始まった。
今朝は不思議なほどさらっと坐禅に就くことが出来た。何でもないのにその事が充実した落ち着きに感じた。かなり深く呼吸に集中出来る。努力する急所がはっきりしたようだ。
気が付いて時計を見たら、もう十時を過ぎていた。食後何程も経っていない筈なのに、ほんの三、四十分かと思う程だった。

この時、車の音、風の音、鳥の声、窓から見える小枝の揺れ、目に見えるもの聞こえるものが、雑念妄想は出たり入ったりしているのにあるがままであった。
これが自然か! 
ああ不思議。チュチュ(鳥のさえずりの声)。ブォーブォー(車の音)。カァーカァー(カラスの鳴き声)自分と関係無く単なる音として聞ける。禅堂の様子にも心がとらわれない。呼吸の中に何もかも消えていくではないか!
何度も何度も思いを出しては試みたが、それを離すとたちどころに消えて何にも無いのだ。呼吸をしているそのことがはっきりしていて、心が何処かへ行く気配が無い。心が無闇に連続して行かないのだ。

耳に音、ただ音。何事も無く、何の意味も無く。ただそれだけだった。
寒いということも意識せずに座る事が出来るように成っていた。寒さが無いという事とは全然違うのだ。ただ気にしなくて気楽に震えて済んでいるのだ。
食事も一箸一箸静かに食べられるではないか。
御飯を食べる。おかずを食べる。お茶を飲む。
意識は際立ってはっきりしているのだが、何と無しに夢の中にいるように無抵抗なのである。さらっとして本当に楽なのだ。
これが[今]か!
これが[ただ]か!
その時、頭上で[カァー、カァー]と音がした。静かだった。その外に何にも感ずる物は無かった。確かにそれは[カァー、カァー]だけであった。それがカラスであっても馬であっても関係無く[カァーカァー]であった。
無意識に今の感覚の世界を束縛していたのが、方丈のよくいわれる我見だったのだ!
それから開放されて聞くと文句なくありのままの[カァーカァー]であった。

今を徹底離すな

雑念から解放されたほんの少しの間、目を閉じても何のイメージも浮かばない一時がある。この安らぎというものは生まれてこの方味わった事がない。
「今」とはこの連続なのか?
だとしたら悟りの世界の偉大さは充分理解できる。とにかくこのまま「空白の今」であれば自我から離れているので自我を破ることが確かに出来そうだ。
いやいや、これしきの事ぐらいではもう有頂天になって方丈の所へなんか行かんぞ!
坐禅の坐の字も分からない私がこのような事をいうては、また方丈に叱られると思うのたが、
「徹底今に集中せよ、二十四時間寸暇なく、じっと今のなすべき事に意識を集中せよ。念を働かせずに念を集中せよ。」とあっさりはっきりといってもらったほうがより適切だとつくづく思った。この外の事を色々してみても、一呼吸がしっかり出来ないようだったら理屈から開放する糸口は見つからないだろうと思うのだが・・・・
集中し切って行くと自然にそのことに一心一体になって、考える以前に事がすんでいる。始めからその事だけしかないのだから「集中せよ」でいいのだ。心が今に落ち着いて来ると自然が自然に見えるようになる。

私たちが普通「意識する」とか「集中する」とかいうと二重にも三重にも思いを重ねるように思ってしまう。ところが方丈は、
「立派な考えや結論を導き出す事では無く、ただその事実を事実の側から知らしめられる事実。これをその物の消息という。事実に生まれるとはこの事であり、成り切って自己が無いことの自覚である。これを[悟り]という。本当の只管である。
その為に今を見過ごし、空滑りして自分で暗闇にしている心の癖を引き裂く為に、ただその為に癖の逆方向に一旦は努力する必要がある。
何としても今の一瞬から浮き上がる癖、念を用いてあれこれ詮索する癖を逆に今一瞬の事実に成り切って、余念無く在る。ただそのことの注意であり努力である・・・」
といわれた方丈の言葉が理屈なしに分かるように成っていた。

結局は「今」に心が居られるようになって、初めて雑念を無視することが出来ると思った。それまではとてもとても雑念を無視して取合わないなんて無理な話である。

次第に「今」というものがはっきりし始めた感じがして寝るのが欲しいとさえ思う。やっと落ち着いた今、あんなに考えさせられた「今」「ただ」が嘘のように治り、分かってなくても何だか安心した感じがする。

生きている今

五日目の朝の事、坐禅していると道場の裏の方から、
「嵩さん、火にあたりに来なさい。」と方丈の声がする。出ると方丈がドラム缶でたき火をされていた。回りの片付けをされていたらしい。
一歩を放さずに近付くことが出来た。まるで自分がロボットである。心が無いのだ。
「ここへ来てあたりなさい。」私は無言で方丈の隣に立った。
「可成り手元が明らかになっていますね。今を本当に体得するだけですよ。だから今を無視したり考えの世界に入ったりした瞬間から真実の世界が手の届かぬものになってしまう。全て始めから今に厳然としてある。
今は原因結果そのもので始めも終りもない、全てが既にそうなのだ。
目において色や形が現成している。何故かと問うても本来すでにそうであってそれを人間的に理解や考えで分別して見たところでそれがそうであることの説明に過ぎない。
言葉や思い方の説明を求め、それで分かった積もりでいるところに根本的な間違いがある。考える力や判断や感情が悪いといっているのではない。これは人間の大切な道具であるから十分に使わなければ役に立たないが、その事がはっきりしていないから迷いが迷いを生むので、修行の今は一旦それらを切り離さなければいけない。でなければ心そのものの様子がいつまでも分からないのだ。
しかし総ての作用は固定性が無く、縁に応じてただそう成っているだけである。しかも一瞬一瞬為した行為は業として決して消える事は無く、また訂正する事も出来ない。知恵や知識の世界ではなく因縁性のものだから、心を空っぽにしてそのもののみに成らなければ、様々な業を引き起こして迷いを深めて行くばかりだ。
本来の道具が元々空である事を知って使う時、初めて自由に扱う事が出来るし、業がそのまま光明となり救いとなるのである。
禅は無自性を体得して迷いを根本から解決するために必要なのだ。この上無い尊い世界である。だから無上道といわれ一大事因縁といわれている所以である。
総て無自性であるから、自分の無自性を体得すれば一切が治る。つまり自分の空なる事を先ず自覚するまで坐禅するのだ。そのために、人間的計らい事を一切辞めなければ大自然の様子[因縁無自性空]が分からぬ。
大自然に帰りその上で働くものは全て大自然の道からであり、善悪を越え是非を越えた唯我独尊宇宙総ぐるみの働きである。
これを大道といい、無上道ともいう。
これが仏法である、仏性である。
この大自然に目覚めるためには自我を殺さねばならぬ、殺すとは超越することなのだ。成り切った消息である。心の本性を知ることだ。元々自我の拘わる世界ではない事がはっきりする。
ほら! どうもしなくても音が、色々の音がちゃんと有るでしよう。音自体すでにそれで始まりそのままで終っている様子がよく分かる筈だ。何一つ人間的な思いとはかかわりはないだろう。理由も条件もなくいきなり縁に触れたらそれに(今は音)成っている。それ以外の総てのものは(意識や念、感情など)真相を暗ましている邪魔物として捨てなければいけない。無視して取合わぬ事だ。それがようやく出来るように成ったところだよ。
目にしてもそうだ。目自体すでに大自然そのもので、ふれた物に現成している。そして何れにも染らない、だから何時でも何にでも目に触れた物に成る。見たままが自分の世界だ。それを殊更に隔てて殺してしまっているので衆生といわれ凡夫といわれるのだ。自我で色々分別好き嫌いを付けてみたところで、結果を動かす事は絶対に出来ない。
自我を殺すには自然のままに任せてゆくのだ。ただ行為するのだ。
それをどこまでも練って行くと、自ずから自我がとれて本来が現成して来る。
聞く時にはただ聞く。我を忘れてただ聞くばかり、その事を[音になる]という。本当にそのものに成って我を忘れて行く修行である。煩悩の元を切りつくすという事である。
本当にそのものに徹して我を忘れ切った時、無我そのものが無我を教えてくれるのである。すなわち前後がひっついていて煩悩に成っていたものが、今その物ばかりとなって前後際断した時から煩悩は光の菩提と成るのである。
それを体得するのが禅の目的である。体得したその人を仏とも覚者ともいう。
要は今じゃ。一瞬の体得じゃ。理屈の無い世界が仏道よ。」

淡々と自分に話してくれる方丈の一言一言が、ますます自分を透き通らせてくれた。そして今の心を見せ付けているように殆どが分かった。私の受取方はやはりそれでよかったのだ。何としても本当の今に徹するだけだ。いよいよ決心が付き確信が沸いてきた。方丈は、
「ただ聞くのだ。」といってドラム缶を蹴った。そして、
「これなんぞ!」全く私は何のためらいもなくドラム缶を蹴った。音がした。他に何事もなかった。
「即坐禅しなさい。」と命令が下った。一礼をして振り向くと、視界から方丈が消えた。一歩しかなかった。

本道へ

禅堂に入った。今までにない呼吸が始まった。
吐く、吸う、が深く出来る。呼吸を時間で表すなら一秒の十分の一、いや百分の一ぐらいに刻んで念を入れて呼吸をした。それが出来る、とても深く出来るのだ。どんなに頑張っても出来なかったのに・・・・
更に不思議なことは、窓から見える小枝が揺れているのに止っているのと同じに見えることだ。いや、動いていて動いていない。いや、動く動かないではない、そのままただ見れるのだ。それが方丈のいわれる本来の自然の姿であろうか。
あぁ、本当に今だけだ!
これが今だ!
今とは何てすがすがしく心地良いのだろう。
過去がない。何もない。
これでは修行するといっても何もすることが無いではないか。
今までの私は理屈の中で生き、我見で皆に接し迷惑をかけていたことが戦慄となって現われた。坐禅しながら自責の思いに涙が出て止らない。
心が透き通ってきたら、目や耳がそのまま心になっていると言った方が適切な感じだ。
経行(きんひん)をしてみた。一歩一歩が完ぺきに把握出来ていて、全身ただ一歩。きっちり身と心が一体になっている。ついに一点の余念を入れることなく禅堂を一周していた。
ご本尊様に線香を捧げた。
自然に合掌し頭が下がった。実にさわやかだった。これが本当の真心だと思った。
禅堂から出ると方丈が居られた。ただ無言で頭が下がり涙が出て止らない。ただ、ただ「有難うございます。」と唱えた。私は何の報告もしていないのに方丈は静かに、
「これは悟りへの本道ですよ。でもこんなものはすぐ無くなりますよ。感情悟りというもので本物ではないから・・・・坐禅しなさい、坐禅しなさい、菩提心、菩提心。」といわれた。
ようやく皆の件間入りが出来たと思ったら、安心と同時に嬉しくなってきた。これからこれから。

法友の情

洗顔の許可がようやく出た。自分の行動がいちいち明白であり、その動きが自分でない、ただ自然なのだ。一つ一つの行為がこんなに価値あるものとは知らなかった。落ち着き切った感じがする。
安らかにただ坐禅が出来る。あれこれの雑念は出るのだが、全く放置する事が出来た。
ただ坐禅とはこの事だったのか。方丈や小積さん永岡さん方と論争したり抵抗したりした過去の自分が滑稽な程愚かに思えて仕方がなかった。初めから戦争にも何もそんなどろどろした問題が生じるような世界ではないからだ。これでは相手にされない訳だ。ようやく皆の気持ちが分かるように成った。有難いことだ。
夕方、少々疲れが出て「寝坐褝」に入った。布団の中で一呼吸をただ素直にしているだけだ。目を開いているので天井がある。天井に何もかも吸い取られてひたすら天井になっているのだ。夕食後もそうした。すでに何時間もそうしていた。

凍りついている大地に足音がする。一歩一歩を確実に成り切って近付いてくる。実に暖かい音だ。以前の自分にはとても考えられないことだ。歩いている人の心が見える。その人が「今ばかり」になってとても大切に時を過ごしているのが丸見えだった。その人は禅堂へ入って行った。
また一人。やがてその人方が部屋へ入って来られた。懐かしい顔であった。二人は小積さんと広島の永岡さんだった。どうりで歩き方が違うと思った。二人の顔が見えるなり私は嬉しさの為涙が出て止らなかった。方丈の心づかいであった。小積さんは私の手を取って、
「嵩君、よかった! よかった!」といって泣いてくれた。私も感無量の涙であった。
私に[今]が分かったら皆が集って入門式のお祝いをしようという事のようであった。永岡さんは私の為にわざわざ広島から駆け付けて来られたと聞き、心から恐縮してしまった。
「おめでとう! 嵩君お祝いだ。」といってお酒を持って来てくれていた。とてもうまい酒であった。私同様まるで飲めない筈の小積さんが上機嫌で少し飲んでいた。
方丈を囲んでの法話と祝宴の会は夜遅くまで続き禅談に花咲いた。言葉によって理解する分かり方と違い、皆今の事、自分の事であるから、分かることの手間がいらない。だから話しが早い。人の話にあんなに心騒いで聞いていたのが、今は不思議にも淡々とそこに無言で居るだけだった。話の中にちっとも入って居なかった。それていてすっぽり皆の中に居た。
語る用も無く理解する無駄も無く・・・・とにかく何とも表現の方法がない。
窓は蒸気で曇り、一筋二筋と滴った跡が風情を添えていた。
この時、ずっと奥の間には老尼が無心の旅立ちをされようとして居られた事をも忘れていた。その現実を直視した時、ハッとした途端心からざんげしていた。

[無]の動き

六日目にしてようやく作務が許された。
「禅堂と部屋を雑巾がけしなさい。」とのことであった。禅堂の畳を拭くのだが、水があまりにも冷たいため手の感覚がしびれて[ただ雑巾がけ]が出来ない。
(とにかくこの冬は凍結による水道管の破裂が市内全域に起こり、生活に支障をきたしたほどの、かつて覚えのない冷え込みであった。)その水道の水だけあって、名柄付きの冷たさは物に挟まれた時と同じ激痛となって伝わって来る。
そんな激しい冷たさなので、「ああ冷たい! ああ冷たい!」と思いながら、口の中に両手を入れんばかりに息を吐きかけ吐きかけ雑巾がけをしていた。しかし不思議に気持ちは静まり切っていた。
そんな時、何気なく或事に気付いた。
「思わなくても現実どうしたって冷たいし、それ以外の何事でもない。」と思った。はっきり理屈も感情もない事実である事を直覚したと思った。方丈のいわれる[元来」とは、冷たい事実の外に意識で冷たいと思う、そんなものも無い[その物だけ]の様子がはっきり理解出来た。
昨日から色々に起こって来る気付きはとにかく皆一つ事のように感じる。
「ここだ!」と思った。
自分の中に激しく閃光が走った。思わなくてもただ「冷たい!」それしかない。それが何でもない事なのに、とてつもない出来事なのだ。心がビシッと決って来た。何度もそのことを確かめて見た。
「ああ冷たい!」と殊更に思ってみた。思いは思いで確かにある。でも手の冷たさも確かであり、両者の作用は別々で全然かかわっていないことを知った。
「これが前後際断か!」と思った。
思わなくて冷たさだけの自分は、むしろ冷たさを味わう余裕と成っている。冷たいばかりなのだ。とにかく冷たさがとてもひどいのに「ただ冷たい」ままである。でも手は千切れんばかりに痛い。しかしこの冷たさは体の弱い人だったら心臓に応えるだろう。
何だかジンと「ただの心」の手応えがする。心が急に温まった。何と表現したら良いであろうか!
感動、感激の様なものだがそれとも違う、感情的なものではなく確信めいた奥底の強烈なものだ。

そこへ方丈がヤカンを持って現れ、「嵩さん、水が冷たいでしょう。」といって湯をバケツに注いでくれた。
「ジョジョジョジョ」と放物線を描いて落ちて行く。その時湯気の中から奏でるバケツの音が実に実に生きているのだ。続けて雑巾がけをする。
「あ、あ、あ、・・・・!」今が更にはっきりした。
手の感覚が戻ってくると雑巾がけに躍らされている!
雑巾がけ三昧に自然に成っている!
何も思うことが無くなっている!
何もかも雑巾がけの中に治ってしまっているのだ!
感覚をそのままにして、無視とも容認とも放置とも表現出来るようなそんな心の状態であった。
これは自然そのものだ! 激しく動いているにも拘らず心はちっとも動いていない。
「無の動き」とはこれか!
方丈の言葉からすれば、このままの「今ばかりが本当の修行」であろう。こいつは上等だ!
無視するというのは、平凡ないい方になるが本当に素直という事、そんなことである。
「成り切る」なんて大層大変な事の様に思っていたのが、理屈や余分な感情さえ無かったら、「成り切る」のではなく、もう「それだけ、本来そう成っている」事実の世界なのだということが分かってきた。方丈のいわれる通りこれを続行して、「我を忘れ、成りきり切った」ならば、完全事実の世界に目覚め、感情や念の連続性、粘着性が解けて煩悩に成らなくなるという論理は全くうなずく以外には無い。

坐禅は確かに想像する事の出来ないとてつもない偉大な世界だったのだ!
その世界が急速に分かり始めてきた。信じる手立てが見えてきたといった方が良いかも知れない。もう「悟りの世界」がある事の確信は十分で、疑う未熟さを卒業することが出来た。

大悟の人

夕方「風呂を沸かして入りなさい。」と方丈がいわれたので、昔ながらの五右衛門風呂を手早に洗っていた。
「今が抜けているぞ! 何をしよるか!」と遠くから大きい声で叱られた。見ていたって分からない人の心を、二部屋も三部屋もそれ以上離れた所から私の心を方丈は見ているのだ! 「ぎょっ!」とした。
叱られてみて、ただ洗っていないのが分かった。「はっ!」として手元に戻り洗い三昧になる。やっているその事から心が離れていたのだ。どうも今の私は「努力とは注意力なり」でやらねばだめだ。
とにかく心身が至って軽いので、ついスイスイ気分になり上滑りしてしまう。頭で分かっただけのものは実力が裏打ちされていないからさっぱり役にたたぬ。すぐに幽霊に成ってフワッと何処かへ行ってしまう。
だからここで修行しているのではないか! だったら今の一瞬をもっともっと注意深く真剣に努力しなければいかんぞ! と自分を励ます。
久しぶりに風呂が沸いたので[照庵大智老尼]が風呂にお入りになるそうである。私はその時は寝床に入って「寝坐褝」をしていた。坐禅の形ではなく、体を横にして静かに一呼吸だけをして心を放ち、深い深い落ち着きに浸っていた。すっかり心身がリラックスしていて、さしむき安らぎに没頭している様であった。
始めにもこの「寝坐禅」を教わったが、心の定まりがないためむしろイライラさえして坐禅どころではなかった。つまり、一心にやれないのだ。肝心な中心をつかまえさえしたら体位がどうであれ心の治めがつくから寝ていてもちゃんと坐禅が出来る。又この要点を見つけていなかったら本当にどうしようもない。その場合、師を信じ切って素直に吸うたり吐いたりを一心にするしかないのである。

[照庵大智老尼]は残りわずかな寿命と聞く。現在も血圧が二百二十以上有るという。私が坐禅する二週間前にも発作を起こして救急車で運ばれたがすぐに帰って来られた。また四年前、癌で手術した後、何の恐れを感じられる事無く看護婦とにこやかに接し無心に堂々としていたので、看護婦さんが「恐くないですか?」と驚いていたと聞く。
先輩のある方が病院へ老尼を見舞われた時の様子を、「アイタタタ・・・、正男さんワシはがんじゃわい、アイタタタ・・・」とその時の老尼のケロッとさわやかな仕種を何度も実演して見せてくれた。ちっとも驚くものも心騒ぐものも無いのだ。出来るならば私もそう成りたい。この程度の努力ではとても無理だとは思うのだけれど、やるだけやってみる事だ。

老尼は衣服を脱がれる間もにこやかに話をされ、方丈をたしなめたり褒めたり・・・・実にさわやかに脱いでおられた。
「元光さんや、気持ちが良いのう。」といって風呂に入っておられる。付き添いの妹さんは血圧を心配しているらしい。
「お姉さん! 血圧が二百二十以上もあるのよ、また脳の血管が裂けて死にでもしたらどうするの!」と必死の忠告であった。すると、
「バカだなお前は。ワシが自分の死ぬことを心配しとらんのに、お前がワシの死ぬ事を心配せんで良い。これで死んだら目出度いこっちゃ、そのまま湯棺じゃないか。そんなことだから何時までも悟れんのよ、ええか! 人の死ぬることを心配する前に、お前達自分の心眼を早く開け!
元光さんや、ワシが風呂に入るのは何日振りかのう・・・」

世間では考えられないことである。姿は見えぬが[照庵大智老尼]は健康そのものに感じた。死を何とも感じていないし恐れていない、そのまま成るようになって行く自然の流れに総てを預けて淡々とされて居るようであった。今、そのこだわりの無い在るが侭の世界に堂々と居られるという事が私にも大変よく分かるのだ。今までにも方丈より[照庵大智老尼]のお話は色々聞いているが、私が直に体験した事はこれが初めてであり最後であった。

「これが大悟の人だ!」と思った。この事が「生死事大」のことかと思い、心に深く感じ入り恐れ入ったのであった。
(必死の看護も空しく、その二十八日後、昭和五十九年二月二十五日、八十三才にしてまさに泰然自若として姿を消された。方丈は[義光老師]そして今[照庵大智老尼]に二十二年ほとんどぴったり参禅し修行を続けられたのだ。)

動中の工夫は甘くない

七日目を迎えた。
「坐禅三昧の工夫とは身も心も何もせずに、ただ、座ること」であると知ってからは、何もどうする必要もないのだ。いや、却って何かしていたから坐禅が坐禅に成れなんだのだ。
「何もしてはいけない」のだという事がどうしても分からなかった。ここが一番の急所であった。修行する事は「一生懸命何かをする事」だと思い込んでいるし、「何かに向かって行く事」とばかり思っていた。それが全く違っていた。ここは一山越えなければ絶対に分からんだろうと思う。
修行とは、
今その事に何も思いが入る余地なしに、本当にただ一生懸命。
ただ、素直に丸出しに成る。
一つことに一心不乱。
雑念が出たら直に離す。
ただそれだけだと、私は今そう言い切れる。
でも今の私の状態は、油断していると直に雑念が出る。それに釣られて、その事から、心が離れどこかへ直に消える。方丈はその理由を説いてくれた。
「本当にそのものに徹して我を忘れ切っていないから、自我、心の癖が根本にしっかり生きているからだ。早い話が前後際断していないので念が瞬間に輝かないのだよ。過去のあらゆる概念と直にからみ合ってああとか、こうとか始まりシメシが付かんのだ。前後際断の念は無念でありこれが念の本来なのだが、自己がある限り我見であって総て煩悩であり苦しみの種まきでしかないのだ。
だから徹底成り切って意識以前に立ち戻る事だよ。今に徹すれば良いだけだ。菩提心、菩提心。」と。
とにかく成り切ってなくて妄想しているのだ。いち早くそれを発見して「今、その事」の本来に戻す。随分とそれが楽に出来るようになった。
雑巾がけは風呂の湯でしたので手に心をそっくり映すことが出来たが、食事の後片付けの時、水道の水の流れにそって茶碗を洗っていたら、
「今が抜けとる!」とまたまた大声が飛んで来た。
どうも努力が甘い。瞬間瞬間をスキ無く動作することは容易ではない。がもう何のためらいも手段もなく即、今に戻ることが出来るのだけれども継続さす力が弱い。いつの間にやら事実を意識で捕らえて理屈が加わっている事が多い。指導者なしでこの身についた癖を破る程今を守るという事は至難の技である。
方丈の注意は「今、している事のみ、成り切っているかどうか? 理屈に遊んでいないかどうか?」のみであり、私も本来のそれを求めているので叱られる度に気合いが入る。
急所がはっきりしたお陰で修行の効率がぐんと良くなったし楽になった。もう難行苦行ではない。むしろ楽しみとなっている。ますます心身が軽くなる。

午後四時を過ぎた頃庭の掃き掃除をする。ホウキになり、ただ一掃き一掃き。
なんともいえないすがすがしく掃除が出来るのが不思議であり気持ちが良い。
注意をし努力をすればきっちりスキなく出来るのだ!
今までの私であったら一つ一つの動作に心を取られ、雑念煩悩が浮かび損得とかやれやれとか効率良くとか何時終るとか思いながらしたものだ。
「ただ、一心」にやると一動作一動作でけりがつき、それがまたひどく明白である。だから余念の入る余地が無いのだろう。緊張の中の連続のようではあるが体は軽く疲れない。
そういえば、方丈は「今がただ、ただ出来るようになれば疲れも違う。」といっていたのを思い出した。自然になるとおのずから無理をしなくなるのだろうか。
あっという間に一日が終った。心が空っぽなのだ。

夕方、入門して一週間経ったので下山のお許しをお願いした。方丈が、
「用事が無ければ明日も座って帰りなさい。よく練って帰らないと地獄が待っていますよ。」
先輩たちも下山するや、即地獄が待っていたといっていた。明日は日曜日だし別に急ぐ用事も無いので坐禅させて頂くことにした。
もう坐禅の時間が長いとか窮屈とか何も考える事もなく、ただ「無の世界、空っぽの世界」を楽しんでいるようであった。
「只管打坐とは無味乾燥にして無限の静けさ」だ。それでもチラチラ雑念は出ては消えている。方丈は「染みついた心の癖、凡情つまり我見」だと教えてくれた。不用に出て来るものは全部我見だといわわる。また、
「これが有る間は陶冶しなければいけない。修行のゆるがせに出来ないところだ。有れば念として必ず執り付くし、それが無ければ問題は起こら無い。執り付くとたちまち十万億土の災を自らが招く事になる。
静まって法理が分かった今の程度では、実社会に出てからの心の魔をぶち切る力にはとてもならない。このチラチラの無い今の今を守る努力が今の修行である。
つまり煩悩、雑念、自我に相手にならない道、執り付かない方法は今の事実に徹する事、陶酔する事、事実に全意識を忘れ切ること、そのものに徹して自己を取られ我を忘れて行く事である。
いつも空の人体実験が修行である。要するに空っぽで縁のみにただ有れば良い。本当にそう成った時それが結果である。縁と自己と一体になって本当に我を忘れた時、意識の根本が切れて前後際断の今、今、本当の今の本来を自覚して、迷いと明かになった世界との涯際がはっきりするから迷えなくなるのだ。その禄は名月水中に浮かぶ・・・」と。
要するところ「今に成り切る」しかない。と方丈の口癖が移ってきた。

パッと動く

八日目、下山の日が来た。
中心が定まって来て坐禅、作務の区別無く一心に出来る。「中心とは自分の見方や感じ方も何も無いただの心という事である。この活動が宇宙である。これを空という。」方丈のいわれる「ただの心」に近いものだと思う。或いは「空っぽの心」でも同じだと思う。つくづくこのままの気持ちで居られたら良いと思う。自分の中で何にも嫌な事とかの問題が無いから、文句なしに天下泰平であるし、みなぎる充実感は自信となっている。
今は何を見てもそれに釣られての雑念煩悩がわかない。見るままである。何もかも新鮮なのだ。しかし全く関係の無い雑念がやっぱり隙を付いて出て来る。という事は本当の今に目覚めるのは容易な事ではないということであろう。
景色は特に新鮮に感じた。今までは見えていなかった、皆そういっていたが本当にそうである。

方丈の師、老尼はあれ以来日々体力が落ち、方丈の言葉の端々にすでに来る日の様子が窺える。そんな老尼の休まれている隣の部屋の腰壁を取り除き、往来を自在にするべく方丈が思案をしていた。
私にしてみればこんな簡単な事は、ここでいう一箸の飯を食うより簡単なことだ。私は一級建築士で見ただけでその構造が分かるし、どうすれば即様変わりするかは見て聞けば自動的にこうすればよいと出てしまう。
「方丈、切る物。」といった時には私の手が出て受け取るばかりだ。
「有る有る。」といいながら横に走ったかと思うと数秒後に私の手にノコがあった。
受け取った時には片足は腰敷居にあり手はもう動いて、予測どうりに施工されていた。パッと蹴ると大きな音と上煙りをあげて往来を自在にした。同じ様にもう一つ。
その時、あの老尼がいらっしゃることを思い出し、大変失礼な事をしたと考えもなく騒々しい自分を恥じた。あの老尼は何もいってはおられない。
私は何時もこうした事にぶつかった時はハタと悩む。騒々しいといわれ、考えが無いといわれ常識が無いといわれる事で・・・
今は違う。私がしなくても方丈がやっていた。しかも構造を知らない(?)方丈は手間がかかる。それだけ騒々しい。今はうるさくても十分か二十分だ。その後は皆が極めて便利になる。一刻も早く方丈の希望するごとく進めるだけだという深い決心があったので迷うものはなかった。私の中に喜びすらあって何等の引っ掛かるものはなかった。
方丈はスコップと一輪車を持って来てすでに作業にかかっていた。私の方も終った。
「方丈、何処へ捨てるのですか?」
「階段の下へずっと広げて。」
「雨が降って水を吸ったらどろどろになりますよ。」
「後の事は私が対処する、今はあそこを通路にして老尼のお部屋を静寂にしたいだけだ。」今は方丈の師に対する心が分かるだけに私は方丈の神経のように自然に動く。
アッという間に作業が終った。部屋は寒中開けっぴろげであり、見ると部屋は土ぼこり、そう思った時には電気掃除機を手にしていた。とにかく思う事なしに体が勝手に自由に動いて行く。
(不思議にも掃除機があったのだ。あの薄暗い食堂、戦後そのままの台所、そして風呂、布団はコチコチ、修行道場はどこでもこのように不便で不潔で前近代的なのだろうと思っていたので、性能の良い掃除機があったのが不思議なくらいだった。あれから二年近くたった今、あの不潔な台所、食堂、風呂場はおろか、禅堂、陰寮北のあの薄暗い廊下、部屋、蒲団に枕等が一変した。もう誰が来ても薄気味悪いとは思わないだろう。)
それはそれ、今は体が自由に心地好く動いてあっさり終わった。

方丈が事に当たるとやたらさっさと動かれる。まるで権威も立場もへったくれもなくさっと動かれるのが不思議だった。禅者なら何事にも動ぜず泰然自若、石のごとくあることこそ本当の禅者だと思っていた。実際は何も動いては居ないということが分かってその縁に対応する素早さと心の透明度と感度の良さに遅まきながら感服したのだ。
私は方丈に決して行動力とスピードでは今以て劣らぬと思っているのだが。

下山

方丈に深々と頭を下げ満身でお礼を申し上げた。この動作一つを見ても以前の私の仕種では無かった。はにかみも何も無い真実の自分の姿であった。玄関を出た所で方丈の最後の法話を聞いた。
「坐禅はそれをしたから価値があるのではない。
今そのものが法であり自我がないことを常に実証していなければ禅ではない。つまり今自我なく空気のごとくただ縁に応じて、ただあることが禅であり、仏道なのだ。如法にあるということだ。その努力をしなければ坐禅したことにはならぬ。どこまでも菩提心、今の一条鉄であればよい。今、今だけだよ、すでに今よ。一歩で帰りなさい。一歩がすでに家よ。家がそのまま道場よ。菩提心だけですよ。よく頑張りました。奥さんによろしく。」
不思議な軽やか気分、別世界を見ているような新鮮さで一歩を歩く。
家に帰る。
「ただいま。」
玄関に妻子供三人が迎えに出て来る。私の顔を見て不思議そうな目付きである。私は無言でほほえんだ。静かな心である。一人一人の様子がよく見える。不思議だ。
私が変り無く元気であったのを見て皆安心した様子で迎えてくれた。
留守の様子を聞いてみれば何十年来の寒波であったとかで、私をとても案じてくれていた。改めて家庭の暖かみを味わった。しかし今一つピンと来ないものがある。それは中心もなく限りなく騒がしいことである。自分のこの深い静けさがこれではいつまで保てるか時間の問題のように思えて、ほんの少し家族がうっとうしく感じた。

誤った着眼

私は何のためらいもなく弁当仕出しの商売を開業することにした。この件に就いては方丈は「お金に追われ、人に追われ、時間に追われる」という道理を説き、私を思ってくれて反対された。それは坐禅する前であった。
私はいささかの自信と決断力を得ることが出来、総ての段取を持っていたので、人の意見忠告一切聞かず思った通りに進めた。他に心を動かされず一直線に進む事が、今になり切っている事だと思っていた。それが[日常禅の工夫]だと思っていた。もう夢中である。夢中であることが満身であり今であると信じていた。

二月二十五日、老尼が亡くなられた。方丈の心中いかに。開店を目前にして。
合掌

二月二十八日店はオープンした。店も忙しく朝早くから夜遅くまで睡眠五時間ぐらいしかとらないで働いた。
私は元来体力もあり健康そのものであったし、働く、動くで暇もなくそのことが満身であり、今だと信じ日々を送り、修行の気持ちは自分を昂揚させて行った。パートさんには、「今一生懸命働きなさい、一息一息一生懸命すると人生楽しいし面白いですよ。」また働き振りを見てはその動作、考え方に坐禅の経験を通して説法をした。妻子供にまで事ある毎に説法した。知らぬ問に相手構わずやっていた。
方丈が時々店に来てはパートさんたちの個々の様子を教えてくれるので、その言葉を引用してまた説法していた。何時の間にか他人に法を語るのが巧くなり、自分の説法を悦に入っていった。誰も知らない立派なことが偉そうにいえるので、面白いし気持ちがいいと感じていたのだ。

七月三日、父が亡くなった。看病の時、また説法した。
七月十日、私のこんな行動、言動に妻子も限界に来ていたのであろう。小学一年生の娘は子供の純粋な心では無く私を疑っているようにも感じられたが、妻は葬式、店の仕事、育児の事等も重なって疲労しきっていた事も気付かぬほどだった。とうとう妻がいった。
「貴方は気違いです! 何の為に坐禅したのですか! 私別れさせていただきます!」
いきなりハンマーで頭をたたかかれたようであった。信じ尊敬すらされて居ると思い込んでいたからだ。私の肝心な事は通じて居なかったどころか、自分は毒ガスをまき散らしていたのだった。
パートさんに家庭の事情を話して妻を一週間休ませた。でも弁当仕出し商売は待った無しなので店は続けねばならなかった。自分だけが我慢すれば良いと思いまたそれが我見を捨てることだと思い込んでいた。
方丈からは事あるごとに法話を聞きもしたし「坐禅しなさい。」と聞くが、法我見をより振りまいていったのだ。どうした事か、信ずる師の言葉すらあの時のように純粋に自分の中に入って来ないのだ。これではいかん。何とかしなくてはとあせりだした。

困ったことに人にいって聞かす事が得意になりー生懸命で、自分の修行はちっとも真剣に成れないのだ。大変苦しい日々となり、あの静けさはどうしたものかと自分なりに工夫するのたが・・・・。シャバ地獄の言業どおりであった。
坐禅仲間より日常の工夫の方法を聞き日々実行する。車に乗っている時はラジオ等も聞かないで、ただ運転し、また人の話はただ聞くように心掛け、寝る時は何も考えずに寝るように、また今日のあったことを整理して寝た。そんな工夫を[日常禅]と思い込み日々過ごした。日常無我夢中が工夫三昧だと思い込んで、今を切り捨てて、我見で時を過ごした。こんな巨大な我見を工夫三昧と信じ思い込んでいた。悲しい事であった。
海蔵寺へは毎日上がり、心の安らぎを求めるのであるが、方丈の前でどうも落ち着きが浅い。すっかり世俗の心に戻ってしまったのだろうか?

他道場見参

七月の中頃、方丈と京都の褝道場にお伴として連れて行って頂くことになった。その日は少林窟道場の法友と食事を共にし酒を酌み交わし、夜遅くまで禅義に話が終始した。
明くる日、私は由緒ある禅堂で坐禅させて頂いた。またたく間に「今の今」を取り戻していた。
日曜日であったので参禅者が十五名居た。私より皆年輩の参褝者で何十年も坐禅されている人も居るらしい。しかし、私から見ても今に着眼し、今を知っている者は誰―人として居なかった。(専門道場がこれでいいのか・・・?)にわかに不信感が走った。
今を無視した禅が何処にある!
指導者は何を教えているのであろうか?
方丈がある禅者を捕まえて問答を始めた。
「貴方は、雑念が出たらどの様にしますか?」と。禅者は、
「雑念が出たら別の事を考えて打ち消します。」と答えた。
参禅仲間でも古参の方らしく答え方も堂々としていたが、方丈は、
「ハイ。」といって、何もいわずに引き下がった。
正師の居ないという事は、禅の本質「今」が分からないまま坐禅のまね事をしている事に過ぎない。「これば大変なことだ!」と気の毒に成り、教えて上げたいと思った。皆真剣なのでレジャー褝でないだけに余計気の毒だった。私は改めて方丈の素晴らしさを目の前で見せられ、私は猛反省をした。
私の坐禅は日常持て遊んでいた。こんな時自分だったら相手の言葉にすぐからみ付き、自分の知っている限りの講釈をしたに違いない。気になりいいたくてならないのだ。それでなくても私は講釈たれで、こんな場合まっしぐらに話し始めてしまう癖がある。

方丈はただ、「はい」で我見はどこにも無かった。禅は仏の世界、宇宙の真理である。その禅を、私の我見の中に取り入れて居たことに気が付いた。我見は取り外さなければいけないのだ。
「帰ったら真剣に坐禅するぞ!」と心に誓った。

私はかつての純粋な自分を取り戻していた。同時にいさぎの良い奮発心がむらむらと沸いて来て、我が道場へ早く帰りたくなって来た。
方丈は「ご挨拶だけしておいとましよう。」と独り言のようにつぶやかれて出て行った。だったら私もと少し経ってご挨拶すべく後を追うように出向いた。
方丈はいかめしく構えている指導者の八十を越しているだろう老師の前にて、至近距離で何やらやり取りの始まったところへ顔を出した。
「しまった!」と感じた。
その至近距離は相手を絶体絶命に追い込む方丈独特の姿勢であったからだ。何かを悟して帰ろうとされていたに違いないのだ。方丈は私の顔を見て老師の前から身を引かれた。ご高齢の老師は何やらひどく落ち着かぬ様子で方丈のあいさつを受けられていた。
花川大先輩、片野林太郎先生に見送られて私たちは新幹線の人となった。車中方丈に習って、私も静かに「何も無い今」を練った。車中の禅修行は初てだったが、ただの一人になれるし外に何にも無かった。何かが整理出来た大きな旅であった。

初心に帰る

旅から帰ると仕事に追われて、あの心境はまたまた見失い息苦しい日々になってしまった。坐禅する時間が取れない。いや取ろうとしていない。訳の分からぬ日常の工夫で満足していたのではないが、好しと妥協していた。それは努力していない姿に外ならなかった。決心して無理やりに坐禅の時間を取る事にした。

私の後、小積さんの店の社員が何人か方丈の元で坐褝をした。その中の一人、西谷さんが毎日、三原から車を飛ばし早朝海蔵寺で一時間坐禅をしている。日々向上しているのが良く分かる。私も自宅で坐禅する回数をふやすことにした。坐禅して行くと日常の工夫に大変抜かりの有ることを感じて来た。車に乗って一心に運転する。禅堂で坐禅しているのとどこかが違う。何かが違う。もう一度初心に帰って坐禅するしかない。即禅堂に通い始めた。
そうか! 工夫をしている積もりに成っているだけだ。呼吸三昧に成っていない。真剣にやっていない。努力が鈍いのだ。坐禅を全てに優先させる以外に無い。やはり禅堂での坐禅が一番良い、と気が付いた。
近いので少林窟道場に早朝出向く。方丈以外に他に誰か坐りに来ている気配だ。毎日のように来ている。道を求めるものは常に一人孤独の修行を進めているのだ。怠慢は怠慢の結果しかない。当たり前だ。ところが乱れていくとこんな当たり前の事すら分からなくなっているのである。
本当の自分を求めるとしたらどうする。
本音で自分に向かって追求するしがないではないか!

方丈の若い門下生と時折海蔵寺で出会う事がある。話によると中学生の頃、盛んに座っていたと聞く、素晴らしい青年たちである。ひどく方丈と親しい間柄のように見受けられるが、最も方丈が重きを置き大切にしておられる「求道心」が全く見受けられない。
道の師を求めて訪れているのではなかった。それでも方丈は青年たちを大切にされているが、自分の向上のために師を求めて来たのではない。ただ親しさの顔つなぎ程度であろう。過去にいかなる事が有ったとしても、それにかかわっている限り今は死んでいる。だからいたずらに時を費やしていた。首根っ子を捕まえて揺すぶるレベルではないので、方丈は耐えて縁の熟するのを待っているようであった。もったい無いことではあるが、これが方丈のいわれる時節因縁なのだろう。
つい最近までそんな自分であったから、余計にそれが目に立つ。自分が見えるようになる程師の心が伝わって来る。

これなんぞ

道場より出ると俗世間の真っただ中、我見と工夫との入れ違いに私は苦しんだ。ある日、方丈と一緒に少林窟道場に上がって行きかけた折り、
「嵩さん、せめて道場へ足を向ける時には、先ず謹み深くしなさい。そして尊厳を侵す罪の感を抱きなさい。そうすれば自ら心身が引き締まり俗念が消失して道念健固になる。折角その域に達していながら日々道眼を失っていくのは法の悲しむところだ。
本真剣にただ一歩で歩きなさい。宜しいかな!」
といってじろりとにらまれた。
日常もがいていたので、一万ボルトの電流が体の中でショートし、一瞬足がすくみ意識が消えた。あの単純さ、あの純粋さが感覚にも足にもピッタリ現れた。すっきりして軽やかな深みに包まれたまま道場へ上がった。何をするとも無く、ただ方丈に付いて回っていた。方丈は私など全く意識に無く昼食の支度に掛かられた。
私は方丈の鮮やかな包丁さばきに見入っているばかりだった。すぐそばでボケーと突っ立って居る時だった。突然、
「これ何ぞ!」と包丁を私の前に突き出した。
ハッ! と我に帰った時、方丈の手より包丁をもぎ取って方丈の切りかけをどんどん切って行きなべに入れ・・・・箸を並べ・・・・皿を並べ・・・・どんどん体が動く。
「動作に動作されて行き、そのものに任せて死ね!」
といわれたのを思い出して「これだ!」と思った。以前の調子に戻れて嬉しかった。
方丈は私が勝手に動くのをボケーと見ているだけだった。それから少林窟道場がより一層近くなり深くなり日常の工夫が楽になった。
ふと日常生活の中で行動を決めつけていた自分を自覚した。食事その片付け、ふとん等家内がするべきと思っていたが自然に体が動き、それらの仕事にも自然に協力するようになっていた。既成概念で行動を決めつけていたのだ。我見が少しずつ取れて消え、日常が段々と楽に成って行く。
しかし私の我見は実に厄介だ。ちょっとやそっとで片付く代物ではなさそうである。というのも、自分の癖が分からないし、日常生活のやり方などは、それがどんな様子であるかをじっと確かめる前に瞬間に出ている。癖も我見も雑念も発動してしまっているから、気が付いた時には何もかも遅いのである。大抵の人は皆そうだろうとも思う。
ともかく、おぼつかないながらも確かにその事が分り始めた事は嬉しい。

正法は聞くほど良い

方丈がいわれるのに、
「道念が強くなると俗念が弱まり、我が弱くなって道が現れてくる。即ち道とは日常全般総てで自我が本質的に無い事をいう。本当の有りのままだからその物のその場に、ただせしめられて行くだけだ。これが只管活動である。
これを如法ともいう。自我の無い様子である。心身一如、自他不二これを禅というだけである。
坐褝はその中心である。根本である。坐禅の時、坐禅に坐禅させられて行くのだ。坐禅ばかりになる。坐禅ばかりの時、坐禅の今の事実に突き当たる。つまり坐褝を通して坐禅の外に何も無い事を確かに自覚させられていくのだ。これを「縁より悟入する」という。三昧の消息である。
自分で色々に考えたり思ったりして、「今そのもの」を抜きにし心を使って何かに向かって追及していた事が総て無駄事であった、それが迷いであった、坐禅と何のかかわりも無かったと気付く。坐禅そのものが既に今であったと自覚出来てからは、求める目標としての坐禅ではなくなり、既に得られた結果としての坐禅となる。ここで因果同時であることを知る。坐禅が坐禅であるときが仏である。
急に心が収るのもここからだ。頭や気持ちで求めたり探したり色々していた事が、根本的に間違っていた事に気付き、ちゃんとした今の事実に着眼が落ち着くからだ。
ただ坐禅すれば良い。ただ一呼吸すれば良い。ただ歩けば良い。ただ見れば良い。ただ聞けば良いのだ。
修行は如何にすれば良いのか、と改めて着眼と方法を思索検討してみるが良い。
本来の世界、大自然に目覚めるとは心を究める事である。心眼を開くことである。今である、既に今それである。見るそれである、聞くそれである。
この上どうしたら良いかと工夫するのが菩提心である。要するところ余念の余地無く、工夫の余地無く、今に徹しその物に同化し、この心身を滅し忘れて行くのが修行である。今に徹した時、即万法と現成する。悟りである、ネハンである。仏法が現前したときである。
万法は無自性の一法である。一法に徹する時、法も自己も無く悟りもネハンも無く、無の眼耳鼻舌身意と成り無の色声香味触法と成る。
これが仏法である。仏性とも無自性ともいう。自我の無い大自然の様子である。
花は紅にあらざる底、柳は緑にあらざる底の境界に達し、ここで初めて花は紅と現成せしめ、柳は緑と脱体せしむる自由底の力が備わるのだ。
大燈国師云く、「五条京下の橋の上、往き来の人を深山木に見よ」、天桂禅師云く、「・・・・往き来の人をそのままに見よ」と。いずれに大自由底の力在りや深く思うべしである。只管工夫の結果である。只管で只管を破って始めて真の境界となると。これ我が師義光老大師・自在天大智老尼の消息である。
分かったか!」

法話は常に心を開いてくれる。聞いているだけで何かが取れて何かが分かって行く。また今日ほど深く自分に響いた事もなかった。いつもながら方丈の法話は凄い。この事が心の目となっている気がする。この連続だったら本当に救われているのに・・・・
「世間の事柄というものは道理や理屈から成り立っているものでなく、人間の方が各々都合の良い道理や理屈を付けて個人的価値付け位置付けをしているに過ぎない。個人の理屈付けが多くなり利害が絡まって来ると、何が本当やらいえなくなり分からなくなり混乱する。立場を越えた大きな目で見る事が出来なかったら総て自分の世界でしか見れないのだから、我見のぶっつけ合いは戦争が付きものとなる。」
有難い事にここも分かるようになった。また、
「総ての事柄は善悪以前の事実であり因縁であることを皆が先ず知ると、自ずから定まる道がある。ここに心の目となる宗教の必要性があり、修行の大切さがある。正しい宗教は個人的な視野から大極絶大の視野で物事を見る力を与えてくれる。」
ともいわれる。自分を越えれば当然そう成る筈である。
「本当の宗教は不変の真理であるし、完全な安らぎを総ての人にもたらせるものである。そのためにそこへ至る方法が確かでなければならないし、その本質は仏法僧の三宝によって伝えられるものである。言葉では無く、架空なものを求めるのでは無く、また思い方や考え方でも無い。
我々のこの日常生活自体が真理であるという確信を持たせてくれる教えでなければ、宗教が現実離れし特別なものとして空想的な世界となってしまう。つまり誇大妄想の極といわねば成らない事になる。
本来無限でありながら小さなこだわりや勝手に価値づけして汚すことを止めれば、即無限であり、真理であり、平等であると同時に個々別々で他を侵さない大自然の事実が戒であり法である。この絶対確信が悟りである。自己超越である。現実に今生きているこの事実以外に宇宙の生きた真理を見つけ出す道はどこにも無いのだ。この一大事因縁の確かな気付きが禅の命脈である。これが仏道であり真の宗教である。」と。

「道理や知識として分かっただけでは力にも味にもならない、真実の世界ではないということだ。
今は無限であり始めも無く終わりもない、いちいちが侵す事が出来ない法である。これを万法という。縁の無限性普遍性に立っていうとこうなる。縁が無限に有るということは心もまた無限に姿形を変えるということである。
ということは本来自由であり無偏であり固定していないということだ。定まりがないが故に自性がない。この固定性の無い事と、縁次第で何にでも成って行く自由性を[空]といい、物の実体とすべきものがないので因縁無自性空ともいう。これを体得するのが坐禅の目的である。解脱である。
修行とは真理を体得する事に依って迷いから救われ、不変の安らぎを得るのが目的である。そしてそれは、仏の慈悲としてこの素晴らしい世界を分かち与え目覚めさせねばならないのだ。
こうした全人類的願望の上に立ち、総ての人々を幸せにするために、私たちが先ず修行してその力を備えなければならない。
願望だけ在っても渡す舟が無かったり橋が無かったり、在っても泥舟だったり腐った橋だったなら役に立たないばかりか危険窮まりない事なのである。修行はだから本当にやらなければ本来の目的を達成することは在り得ないのだ。」

禅と師

とにかく「今」この単純な世界の体得こそ本物というべきだと思う。そこはもう敵味方のない完全平和で、一体化した心の世界が確かにある。私は今、声を大にしてはっきりそういえる。方丈は、
「これが無我の力であり、光明の世界であり、神の世界、仏の国」といっておられた。「念の解決」が付いた安らぎの世界こそ私たち人間の究極の世界であろう。それは師の指導無しではとても得られる世界ではない。
書物では最も肝心な事が分からないために見誤る。こちらに見る力も無いであろうし書く人に本当の力がなければ中心抜きの理屈だから、実際には指南書としての価値は無い。むしろ理屈づけの邪路に陥れる悪癖がおまけに付いている筈だ。
「禅は坐ったこと、経験をいうのでは決して無い。今が完全に自分のものにならなければ何の力にもならないし人間(自分)の念を始末し救う方法すら分かり得ない。」ともいわれる。
本来の坐禅をしようと願うならば、必ずその道の正師に付かなければ絶対に無駄になる。正師であれば空間的、時間的な大きな条件を必ず超越させてくれるし最短距離を歩ませてくれる。離れていても求道心さえあれば導いてくれる力がある。
「ここに心の無限性、一元性があって確かに以心伝心、同じ物を同じ目で見ることの出来る唯一絶対な世界がある。」といわれたことが、とにかくこんな私にも理解出来るようになったのだから。
正師の指導をしっかり頂けば、なんとか自分の生活の中で工夫修行していける。後はどうしたって本人の努力だけである。歩く時、運転する時、食事の時、テレビを見る時等、時には近くのお寺、山や川、公園のベンチで自分自身の仏を磨く事に法悦を味合える。そして仕事その物に成り切り成り切りする確かな方法を教えて貰えるから。これら調子の良い時は最高である。
つまり正しい修行法はそのまま万事に通じるし、時と所にかかわらない世界に導いてくれるので、どこでもよいことになる。だから先ず正師を求める事が第一である。

正師といえども人間である。超越された方という人はよく体裁を構わず世間離れをし、ある一部分だけを見て批判してしまうと、「なんだ、偉くも何ともない、ただの変わり者ではないか。」と思ってしまったりするから法を見る力というかそれが分かるというか、因縁の様なものもあるように思う。そんな師に出会うことは大変なことだと今更ながら思う。
私にとって禅はまさしく私を活性化させてくれている。
「雑念に踊らなくなればなる程単純化し必然的に手元が明白になってくる。」と方丈にいわれていた事がなぜか今ごろになって味わえだした。気が付いてみると先祖や神仏を素直に崇めている自分があった。仏壇も御墓も整い、何事かには家族でお参りをするのでこの面の功徳も大きい。
おかしなことに礼儀作法を知らない自分なのに、そこそこに様になっている気がする。礼儀の中心的な心得とは自分が単純になり純真になることなのだろう。ずっしりと自信が備わって来ているのも、こうした内側から大切な道を教えてくれるものが確かにある。
何としても今だ。
一瞬の努力の連続だ。
並大抵のことではないがそれしかない。
禅とは今だ。今が法であり、真理である。
今とは、ただ、ただ。
見るそれであり、聞くそれである。
自我の起こりようのない大宇宙であり、それが今である。
自分の生活全体そっくり道であり、今である。
今の現実そのものから連想した虚像、思いの中に居るから今が分からない。
それを破るのが修行である。
本当に今に成り切るしかない。
それはたった今しか成り切る時はない。
今であり、もともと今である。どうしようもない。
我を忘れてただ、ただ、今在るより他にない。一息のみである。
人類一人一人に合掌する。
皆真理の人である。道の人である。
真にそのことだけを知って貰いたくて祈りを込めて合掌する。
本当の平和はそこにある。
ただである。
今である。
仏である。
私たち自身である。
みんなそうである。

今、二月十二日、少林窟道場に東京の友貞さんが九日より頑張って坐禅して居られる。会社ぐるみでハワイ旅行だが、時が欲しいからとその間忠海まで来て坐禅している。求道心とは菩提心とは、そういう努力だと心より敬服している。彼の心境は私には到底見えない。今への深さが私にはうかがい知ることが出来ないからだ。それだけ私より自我が無くなっていることだし法が深いということだ。
西谷さんも、朝こちらに来て座っている。私たちも座っている。
少林窟道場の庭も春が近い。
今は風寒し。

追記

破門

大変立派な事をいってあれから一年九カ月が過ぎていた。私にとっては決して忘れる事が出来ないし、語るも恥かしい辛い事件が起こった。ある意味では大変危険な事であり、禅の断面として気を付けなければいけない実例ともいえるので、ざんげとして記しておきたい。
勿論方丈より書くべく指示を受けたからである。
学校は新入生を迎え、桜は人を誘って酔わしめていた。春の実感が気持ちよい。ある夜私はいつもの様に道場に方丈と居た。たまたまそこへ小学校のP・T・A会長になって欲しいという依頼の電話が入った。
方丈は、「これ以上君が忙しくなったら君が駄目になる。それに君の様な純粋論が通じる人ばかりなら、君は物事を遂行していく能力に富んでいるから大いに発展するだろう、しかし大半は君の批判者だ。そういう人たちを君は理論や意気込みで押切ったりするようになるだろうから、次元の低い始末の悪い問題が生まれていろいろ厄介になるから辞めなさいよ。」と即座にいわれた。一旦は断った。が、又その催促があった。そして承けた。「だったら小積さんに副を承けて貰いなさい。君の本当の理解者は彼をおいていないから。」小積さんは、「それは一大事だ。」といって承けてくれて発足した。一年で退かざるを得なくなって終わった。

今にして思うと、それほど皆に受け入れられていなかった自分、何時の間にか高慢になり得意の絶頂にあったことが今になって恥かしくそれを思う。私のこの実力を総ての人が認めた。歴代の会長とは能力が違う。とそんなつっぱった気持ちはさらさらないのに、ままそんな意味の言葉がほとばしっていたらしい。それが反映して批判はつのるばかりとなった。いい加減うんざりしていたし生活の手抜きも限度に来ていたので手が切れて良かったのだが、嫌われて退くのは如何にも醜態感がした。プールも体育倉庫も砂のタイムトンネルも自転車ならぬ一輪車も一年間の成果であったが、私の個性の前に父兄からはほとんど評価されなかった。
恐ろしいもので、自分ではそうは思っていなかったのだが自信が高じた高慢は退いても取れなかった。巨大な法我見だったのである。私としては単なる自信であった。物事がはっきり見えるからそれを明快に示唆し、分からぬ理屈をいう者を無視して進んだからである。

ある月のある日、海蔵寺ヘ上がった。若い二人の客が居られた。方丈はお茶を振舞いながら法話と世間の道理とを織なして語られていた。聞いている私は、「お言葉ですが方丈!」と口を挿みだした。方丈のいわれていた事が幼稚にみえ、自分の方が道理として優れているものとその時思った。私はとうとうと喋った。方丈はただ黙って居られた。二人が帰った後、
「道理がどんなに立派でも、前段階が分かっていない者にそれを語っても何の事だが分からんのだよ。私はその人と深いところで話し合っている。私のところへみえた客は私の客だから・・・」
といわれた。こんな事をいわれるのはとても恥かしい事なのに、自分のいった事を認めていない事に不満な気持ちがあった。こんな事がその後も何度となくあった。人ともよく衝突して議論した。久々の同級生の会が催されて、飲み会に入って盛り上がった頃、一人の男に顔面をしたたか殴られて長く痛んだ。殴られた事を方丈に告げたら、
「いい大人が大人を殴るという事は大変な事だ。それも人前でやるということは、相手にとってもそれだけの理由があればこそ大人気ない事を敢えてしたのだ。普通ではそんなことは出来るものではないよ。君はそうは思わなくても人の心を無視して傷付けていたのではないか? これを機にしかと反省しなければいかんな。」
痛い頬を抱えながら、「殴ってみたかったんでしょう。」といったまま自分にはとんと覚えがなかったし、方丈の言葉も反省の動機にはならなかった。
頬の痛みが治った頃、原稿の版下作りを手伝っていた時、こんなやり方は効率が悪いとか時間が掛かるとかこうしたらもっと合理的だとか方丈にいった。
「嵩さん、たかがこんな単純な切って貼る動作は、どんなにしてみたところで大した方法は無いのだよ。それより注意力と慣れが一番早いんだよ。」その方丈の言葉に又ひっかかり、
「線がはっきり引いてある台紙の上に貼れば簡単でしょう。そうでしょう。」といった。方丈は、
「嵩さん、私はこれをずっとしてきているんだ。十年も。その結果をいっているんだよ。曲らないための定規線ならそのための専用のがあるじゃないか。台紙をわざわざ作っても、どうしたって切って貼るだけだ。そのまた台紙を所定のところへきっちり貼らねばならんだろう。却って手間なんだよ。」私は又理屈をいった。方丈は、
「ベテランがいうのだから、素直に心静かにいわれた方法でやるのが修行だろう! そうすベきではないのか!」それでも未だ理屈をいった、
「修行はそうですが、台紙へ貼った方が効率は良いですよ!」
とうとう方丈は直に台紙を印刷してくれた。成る程、決して効率的ではなかった。
それから何日も経たない内に同じ様な事を手伝っていた時、
「坐禅の目的は何か?」と突然聞かれた。もたもたと理屈をいった途端、「びしゃ!」とひっぱたかれた。振向きざまの方丈の平手はよく効いた。
「それみろ! 肝心な原点を見失っているから今がめちゃめちゃになっているじゃないか! 只素直にやりなさい、理屈ばっかりいっとらないで! そんな事では坐禅にならんだろうが!」と大変きつく戒められた。勿論突然な事で私は動転してしまった。
それから大変な事になって行った。本当に自分にはさほどとは気付かなかった今までの事も含めて私の言動が方丈の耳に次々に入って行った。方丈は、
「坐禅をして高慢になり人の心を傷つけ回るとは修行者ではない! 自分を何様だと思っとるのか! 仏法を汚す外道めが!」と遂に心臓がズタズタになるまで叱られるに至った。電話で叱られ、仲間の前で叱られ、寺でも道場でも出合えばこっぴどく叱られた。私は抑え切れずその度に男泣きに泣いてしまった。それでも方丈は許してはくれなかった。
「私は忙しいのだ! 今は幼児教育などしている暇はない! 破門だ! 君の参禅記は出さぬ。法を誤解され坐禅を誤解される言動の者は道の人ではないからだ! 死んだつもりで生まれ変わって来い!」
その時、方丈の門下の参禅記を出すべく準備をしていた。勿論自分のも出る事になっていて、総ての準備は整っていたが、見事な本になった中には矢張り私のは抹殺されていた。
とうとう自ら破局を招いてしまった。仲間からも突き離され全く取り合ってもらえなかった。
「道場で坐禅だけはさせて下さい、お願いします!」と両手を突き泣いてお願いした。
「何をいっておるか、嵩さんは少林窟の門下であり私たちの法の大事な仲間だ。大きな法我見が災いしているのでそれが取れるまで外れてもらうだけだ。大いに坐り早く道の人になって下さいよ。」
と快く承諾して下さり励ましてもくれた。暖かい一筋の光明は深い挫折に勇気と努力を与えてくれた。秋から始まって一冬中あのわびしい禅堂で毎晩一人頑張ることが出来た。他の法友が明るく歓談しているのを尻目に一人無視されて頑張る事は大変辛かった。

深く静まって来た時、石の様に冷えていた心は暖かくそして弾力を持ち始めていた。それはそのまま自分を冷静に見る事が出来た。自信を失った時の反省は耐え難く惨めであった。「こんな自分ではやり切れない、法友からも疎外されていく自分を何とかしなければ」とせっぱ詰まった感じで懸命に坐禅した。過去の自分の言動を認めざるを得ないし、そんな言動をする自分が不安で呪いたくさえなって来たからだ。
しかし、私にしてみれば成り行きによったとは言え、こうした反省の機を与えられた事は幸福であった。方丈が無理やりに治してやろうとして与えてくれた大きな挫折感は、ただただ方丈の思いやりである。私に、もしこれほどの挫折を授からなかったらとてもこんな決定的な反省には及ばなかったであろう。寒々しい禅堂で、私は生涯に幾度も無いであろうほどの男泣きを幾晩もした。なぜかこの禅堂は私に恥かしげもなく優しく泣かせてくれるのである。

心境のことでは度々海蔵寺へ上がっては法を聞いた。法のことになると以前の通り丁寧に説いて下さり激励をし希望をもたせてくれた。方丈の言葉は勿論の事、あらゆる対人関係でとにかく静に黙って相手の話しを最後まで聞きっぱなしが出来るようになっていた。会合などでも一言も発しないで終わる事がしばしばであった。安らかである。ぎらぎらした自分の坐禅で得た自信は、自信であっても我見であり武器であった。このことに全く気付かなかった事は、我見と自信との重なり具合が余りに一致していたからであろうし、自信を殊更に持っていたためにそれ自体が我見となっていたのではないかと深く反省している。

次第に方丈は以前の法友の中へ戻してくれた。漸く大人のゆとりというか、皆の脈拍で言葉をかわす事が出来るようになっていた。この事がどうしても分からなかった。修行の気持ちを失わない事と同じ様に、修行者は何時も心安らかに居ることが肝心だと痛感した。分かったことや知ったことを持ってしまうと、つい自信になりいいたくなり、人の言葉とすぐに比較して、結局は上下を競う事になってしまう。基本的には何時も心騒がしかった事になる。この様な自信は決して持つものではない。知ることが禅では決してないということを身を以て体験した。

方丈のいわれる通り、人の言葉は人の言葉であってそれに釣られて振り回される事はあってはならない。ただ聞いて心静かに淡々として居れば一番道に叶っていることになる。
「君は誰もしていない破門を体験をしたのだから、皆の良い参考になるものが有るはずだ。書きなさい。」といわれ、改めて自分の参禅記を読み返して見た。ただただ恥かしくて、あんな程度でよくもあんな立派な事をいったものだとあきれてしまった。最後まで読むのに何と苦痛であったことか。しかし、自分の心の遍歴としてこの恥かしさに耐えて行かなければならないと思っている。
破門という形しか私の救いようが無かったであろうその手段の実行は、方丈の厳しい慈悲が有ったればこそである。
「方丈、よくもこんな私を見捨てないで導いて下さいました。あれが無かったら自分はここまで謙虚にはなれなかったと思います。有難うございました。」と合掌したら、
「泥多ければ仏大なりと私も大智老尼によくいわれた。」と久しぶりに方丈のあの無邪気な微笑みを浮かべられて師を偲んでおられたのを見た。その時方丈が本当に喜んでくれているのを知り、また一入静かに心で泣いた。本当に嬉しかった。
ざんげで結ぶ言い方を知らない。只、今の気持ちで努力することしかないので、日常禅を中心に大いに努力して本当の世界に目覚めたい。
また、方丈の手厳しい指導を仰ぎながら・・・・

昭和六十二年十月二十七日記

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