解脱を求めて
縁
高等学校教師をしている私は当時四十才であった。たまたま写真部の顧問をしていたので、生徒と企画し又その監督指導する立場にあった。部員の中に我が師と成る方の娘さんが居て、合宿はその禅寺海蔵寺でさせてもらう事になり、私にとってこれが幸因縁となったのである。これはまた生徒達自身の発案計画であり合宿であることに一つの安心感があった。
出あい
私は宗教に関心が無いばかりか宗教の一部分性として、[純粋思考の出来ない人々を迷わせ狂わせてしまう反社会的な強い毒性作用]を持っている厄介な存在とさえ思っている、が坐禅はそういう点においてはこれまたそうとは思って居なかったのである。
小さな禅寺での夜、生徒達と共に生まれて初めての坐禅が始まった。真夏のこと、暑さと緊張感との中をくぐって線香の香りが漂い、ご本尊の前でうす明るく光っているローソクの輝きを見ると一層宗教的雰囲気を感じてくる。
宗教界にてはまだ若い年であろう四十三・四か五か、透き通るような黒衣の中に白衣が光る。自信に溢れ気迫に満ちた説法が、私の体を貫き、小さな私の心に新鮮な安らぎを与えてくれた、ほんの少し。といっても分らない部分も多かった。なにしろ我々が一般社会で意識し会話し理解する世界のものでないからである。特に記憶にある教えは、
「坐禅は坐禅である。単に座るだけに成り切ることである。坐禅の今に徹することであり、純粋そのものに目覚めることである。本来の様子であり真実である。真実を自覚して真実の人に成り、真実の目で見、真実の耳で聞き、真実の心で思う事は、これ悉く真実であって、虚なく、邪なく、裏表なく、むさぼりなく、愚痴なし。これ人の大道にして救いである、光明である。
正に古来より先人が命懸けで取り組んで来た所以である。最も価値あることであるからだ。知らなければ仕方がないが、今聞いて知ったからにはその人になるべく求めずば成るまい。やれよやれよ、命懸けでやれよ。たった今、たった一息に成り切って我れを忘れればよいのじゃ。」 和尚の禅に触れた。少なくともこの時そう思った。以前漠然と思っていた「禅は宗教一般とは違う」という考えがいよいよはっきりと確信を持つまでになった。しかしこんなことは取り立てて見る程の問題でもないと思った。
無我の体得は一息に成り切る、今に成り切る。そこが人間苦悩の元を破壊するキーポイントである。という方法論を得た今、とにかく自分なりに真剣に努力した。後になって分かった事だが、一般世間の意識で瞬間どんなに一生懸命すき無く努力したつもりでも、その程度の努力というものは大した事はないという事だ。この時はでも自分としては最大級の集中力と精度を以てしたのであるが、一息として純粋には出来なかった。
常に雑念があって絶えず心に波を起こしているからだ。この心がやたら時間を長く感じさせているのだろう。これは日常よくみる現象であり誰でもそうであって坐禅特有のものではないはずだ。
その他取り立てて感ずるところのものは無かったが、警策で打たれる前の不安や緊張感と、打たれた後の解放感、その一瞬の入れ違いの早さは印象的であった。それぞれの生徒の感じ取ったことは敢えて語り合うことはしなかった。個々に感じたことを言葉にし耳にしたりすることより、自分の厳粛な魂との出会いをそのまま静かにさせておき、それに自らが浸って入ることの方が余程意義深いことであると私が判断したからである。そして私自身、坐禅に関することも何もかも、無事生徒を帰宅させた時総て終った。
再び上山して
行事を沢山控えた夏休み、合宿の疲れも取り切らない内に次々行動しなければならぬ。数日後同僚の脇さんと共にお礼の挨拶に再び海蔵寺を訪れた。そのとき和尚と同じ座卓に同席されていた小積氏を紹介された。リンとした姿勢、歯切れの良い口調、みなぎった自信、そこから坐禅がいきなり走り出て来た。今まで出会った事のない爽やかな好人物である。
小積氏はつい最近禅を志し、和尚の厳しい指導を受けて、禅の入り口へたどり着いたばかりという。氏は自分の体験を熱心に話される。坐禅中の様々な経過、心の変革していく様子、初めて「純粋」なるものに出会った時の驚き、その素晴らしさと感動、無欲の安楽さ等、己を厳しくギリギリの修行をして到達した世界であることは容易に理解できた。とにかく何もかも初耳ものばかりで何れも驚きに価した。事実私は相当の心地よい緊張感を久々に味わっていたのだ。
「気が狂うかもしれないと思ったし、全然分からない世界に一人だけ入って行き、自分で自分が分からなくなって妄想に襲われ続けると恐ろしくなった、先生の[一息一息に成り切れ!]と言われた言葉だけが頼りで、それだけを信じて一生懸命やるより外なかった。二回倒産仕掛かったが、あの時の苦しみなど問題ではない、本当に辛かった・・・・」 と最も苦しい時期の気持ちをも聞かせてくれた。当然そうだろうと思った。坐禅がそんなにた易いものとは誰も思っては居ない筈である。氏は和尚の事を、先生と呼んで大変尊敬をし、言葉の一つ一つに師に対しての誠意が込められていて小気味よく感じた。単に先輩上司住職だからと言う社会的立場の格に対する一般的礼儀とは大きく異なり、真実心からにじみ出ている美しいものである。
禅とは人をこの様に美しくも高めてくれるものなのか。目の前に居る何の変哲もないこの若い和尚が、社会的に実力と自信を以てやっている大の男、しかも四十一、二の怖いもの知らずの中堅層を斯まで導き高めるとは正に脅威である。もし本当なら。
すでに私自身禅には好感と共鳴を抱くに至っていたので氏の言葉に大きく心を動かされた。逆に言うと、小積氏の熱意、そして体験からであろうほとばしり出る完全な論理、充分過ぎる迫力に依って遂に逃げる事は許されず、その場で参禅入門する決心をせざるを得なかったのである。人間誰でも心の片隅には不安や恐れを秘めていて、絶えず安心や自信を欲して居るのではないだろうか。その小心さがだから自分一人ではこのように歯切れ良く決心ができないのだ。氏は私に遣る気を起こしてくれたのだ。縁とは正しく計り難くして不思議なものである。
一九八三年八月十七日より二十四日迄と決心して山を下った。三度目の上山は地獄と極楽の待つ世界となるであろう。
心構え
和尚に申し渡された事は、
「レジャー禅ならそれなりの禅堂へ行け、ここへ来るなら私の言う通り命懸けで一日二十四時間ぶっ通しでやるように。」と引導を渡されていた。目的がはっきりしておる。その為の指導者である以上生温い筈がない。小積氏は「とにかく三日間は地獄で自分は一日中男泣きに泣いた、辛くて苦しくて嘘ででも誰かが死んだとか電報が早く来ないかと真剣に祈った・・・・」とも言っている。これらの事を聞かされている私は、耐えられるや否や当然不安になってくる。途中で逃げ出すような中途半な人間でありたくないし、望む以上は掴みたい。上山の日まで一週間ある間、その為に自己流ではあるが座る練習、長時間じっとしている練習をした。たぶん動かずにじっとしていることが、まだ経験したことがない色々な心的苦痛をともない、それに最も迷うのではないかと思ったからである。
一方目的の本命である、「心を一点において拡散させない」努力、すなわち「吐く息、吸う息の一瞬に集中して今を見夫なわない」訓練はちょっとやそっと努力してみたからといって何等のこつが手に入る物ではなかった。我流によるからで大切な要点を踏まえていないからだろうか。しかし一時間の坐禅が終った直後のすがすがしい落着きは理屈なしに良い気持ちであった。むしろ坐禅中よりすっきりしているのだ。何故だろう!
家内や二人の子供がとても奇妙な面持ちで自分を見ていたのが印象的であった。それもそうであろうと思った。そのように素直に同情出来る自分と対照的に、彼らには私の内面の様子を伺い知ることはほとほと無理であろうと思われるので、如何に私に批判的であろうとも、何の気にもならないのである。幸い不真面目にからかったり妨害したりということは一切無かったし、むしろ自己の内面闘争である坐禅の姿に、みなぎる何かしら近寄りがたい静かだが激しいものを感じていたようである。
本格的に
八月十七日(水)十三時。海蔵寺の存在、和尚の存在、ただ[道]のためにありかつ[道の指導]の為におられる。正に自分はこの禅寺へ真正面から本来の存在目的そのものに向かって上山して来たのだ。自然身が引き締まる。いつもと何等変った様子も無く、和尚のいつもの座卓でお茶を頂く。暑いのに暑くもなく、静けさもなく、騒がしさもなく、不明の抵抗があるでもなく、あるものは目的に向かうあの不思議な緊張感だけである。他に坐禅されている人も無く、まさしく一対一の坐禅が始まろうとしている。いつもの口調で和尚が実際の坐禅の心構えや方法を説かれる。眼光を私の目に合わせ、熱勢あふるる法話であった。
「坐禅は悟りが目的である。悟りとは心の束縛を取って大自在を得、真実に活動して大満足がなければ人生の価値はない。束縛とは自我である。理屈である。過去一切の概念観念が、常に瞬間の今の見聞覚知意に即取り付いて、本当の今現実存在の真相をめちゃめちゃにしているのだ。今即それらが取り付くので今のみになって取り付く間を与えないことだ。坐禅とは簡単に言えば、本当の今に目覚めることである。悟りである。坐禅の悟りは坐禅である。身も心も放ち忘れて只坐禅する時、坐禅の全分となりその物となり一切の余物なき事を自覚する。
その為の修行である。目的である。目的なき修行は塩に辛味無く砂糖に甘味なきがごとく、そういう生活をしていると言うに過ぎない。自らの諸悪の根元を如何ともする力が備わらないため冥より出でて冥に入る、これでは何の修行ぞや。何の仏法ぞや。
兎に角先ずは自己を済度しなければならぬ。今その事だけになって、余念の無い一心を守り切ることだ。本当にそのものに徹し切る努力が修行である。・・・・座っても立っても歩いても寝ても、今その事のみの一心一念を離さず、百分の一秒の密度で只在ることが修行である。一呼吸本当にできれば、次の一呼吸、又一呼吸、只一呼吸のみに成って行ける。それだけ拡散が治り、今やっていることのみに単純に只在るようになる。
理屈が取れて今と親しくなると自ずから分かるものがあるし、元来そのものは束縛の無い世界だから自ずから安楽になる。一呼吸を本当にやるだけだ。呼吸の今、今の呼吸即一切で在ることが明白に成って来る。足が痛くなったら替えよ、それでもどうにもならなくなったらあぐらでもよい、眠気がどうしても取れなけば寝るがよい、心を解決付ける為に中心を最大限重要視せよ、求道心強ければ怠慢心は自ずから無く、必要な眠りが取れたら忽ち目が覚める、要は努力心じゃ!・・・・やれよ、やれよ! 本当にやれよ!・・・・」
こんなに至れり尽くせりに指導してくれていたのだ。そのまま深く信じてそのまま実行すれば何人も本来の道に入れると言うことを知ったのはずっと後の事であった。正師であるかぎり、常に我々に最短距離をして最高にいたらしむる道を授けてくれているのである。
しかし本当の事、正信すること自体既に大変困難な事で、むしろ不可能とさえ思われる。私自体全面信頼を置き、少しの抵抗も持たず、自分の考えを入れず、全面を受入れて和尚の言われるままにあったつもりであるが、現実この時はほんの一部しか聞いてはいなかったし受入れてもいなかったし分かってもいなかったのである。分かったと思っていた総ての理解は、あることに於いては方向が違い、あることに於いては浅過ぎて届いておらず、あることに於いては全くの誤解であったりした。
要するに全部今までの既成概念に因る自己の勝手な解釈でしかなく、ただ言葉としてしか自分には作用していなかったのである。これはとんでもない事であった。しかし何も分からないというものはどうしようもなく、それで総てであったと言うしかない。
「今これ以上説くことは無い、さて禅堂に入りますかな。後は先生の努力しかないですぞ。」先生と言われているのは私が単に教師であるからに過ぎない。和尚は若くてもそうでなくても教育者に対しては、必ず社会的尊称をされていて教育を余程重要視している様が処々に感じられる。それにしても和尚に先生と言われると、自分が教育者であることの自覚を迫られ、如何なる不注意も怠慢も許されないと思うのである。この和尚のこと、案外それらも意図しているかも。
本来なら私が先生と呼ぶべき立場なのだが、和尚の方から一方的におかまいなしに使われるので私の方が言えなくなってしまった。もし私が使うと同僚のごとく一般社会に和尚を落としてしまうことになり、誰もが出来ない心の指導者に対して失礼の極みとなる。それは私にとっては許されるものではない。私はだから「和尚」と呼ぶことにしている。私には和尚で総てなのだ。このような私の心が見抜けぬ和尚でもなし、十分通じていると確信している。もっとふさわしい呼び方があった時には素直にそれに改まるだろう。和尚の着物と袴を指示に従って着付けると、いよいよ身が引き締まる。邪念欲心怠慢など世俗の心は全く無い。
禅堂へ
和尚の禅道場はこの近くの別の所に在ると聞く。この海蔵寺の禅堂は別棟のお薬師堂である。一般信仰そのものである。
「たまにはお参りの人が来られるが、失礼のないようにして全く意を使わず、ひたすら今を見失わないよう懸命に努力するように。」との言葉を残して和尚は消えた。
ほっとしたような、突き放されたような空白の時が訪れた。すぐには気が乗らず、畳の上に横になったり歩いたりして既に自分が何かを失っていて、次に何かが起こるのを待っているようであった。列車に乗って発車を待っている具合に少し似ている。三十分もぶらぶらしていると無意味に時を過ごしていることで、何だかいよいよ落着かなくなってきた。発車しないので気掛かりになってきたあれだ。
ようやく為すべき事に向かって動き出した。自分は坐禅するために上山してこのお堂に入ったのであるから、その瞬間より即坐禅するのが当然であり本来であるのに、三十分もの無意味な時を送り、その事に因って生ずる心的圧力を起爆剤にしなければ目的の行動が取れなかったのである。このような自己である限り、人生を本心で堂々と歩める訳がない。心に大きなガタがあるからだろうと思うとようやく本真剣にやる気が出て来た。
なんて鈍い俺なのだ。こわごわと一本の線香を供え、お薬師様の真正面へ教わったとうりに座りこむ。
ひたすら今に
最初は喉を通過する息に注意を注いでいたが、その方法には和尚が賛成されなかったのを思い出して、ただ息をしつつある事実だけに注意を置いて呼吸をするようにした。
一瞬への集中はなかなか出来るものではない。いつの間にやらとんでもない方へ思いが飛んで行って、それも可なり経てからそのことに気が付く始末である。そして、「今に戻らねば、呼吸に集中しなければ」と思い努力して呼吸に戻す、ところが又すぐに何処かへ行ってしまう。ひたすらこの操り返しである。
とにかく意志や願望や決心判断教養など、万物の霊長として価値づけするこれらの要素が、直接には何の力もなく助けにもならぬのである。一生懸命努力しているのにも拘らず、瞬時として呼吸にじっとして居てくれない。この事実は準備段階の訓練でよく知っていた。「どうせ初めは誰だってこんなものに違いない」と相場を付けていたので、、べつに落胆したり滅入ったりは少しも無かったが。
こうして第一日目は工夫の要領をも得ないまま過ぎてしまったのである。
夜何度も目が覚めて熟睡出来なかった。
苦しい戦い
二日目が始まった。朝四時、和尚が言っていた通りやる気充分な時、睡眠中においてもちゃんと緊張が保たれていて何事もないのに起き、しかも強烈な意志を注がなくてもさらりと坐禅に入っていた。心からそうなっているから他に要求も無く、そうある事しか何も無かったのだろう。まことに楽に早朝より[今への追及]が始まった。
昨日のごとく取り留めのない雑念に振り回される。少し異なっている事と言えばやや落着いた事である。ところが気持ちが静まるに連れて心に生ずるさまざまな雑念が、今ままでより一層鮮明に迫って来て息つく間もなく私を責め立てる。何しろ出て来ると言う程度のものでなく雑念の中にどんぶりつかっているといった具合である。それらは総て私を誘惑し、その雑念の舟に乗せて遠くへ誘拐しようとする煩悩である。そしてその煩悩は瞬時として休息する気配も無く、千変万化しあの手この手で迫って来る。
しかし私には分かっているのだ。姿は常に変化して出て来ても、その元はたった一つ、この[今]、この一息に、本当に成っていないからだと言うことが。本当の[今]に成らない限り、その間隙である一秒の数百分の一を突いて出現し続け、ひと粒の煩悩でも出てしまったら次々と問題を起こす、いや、ひと粒が容易に出られる程の今現実体から離れているならば、私たちは永遠に現実体の本当の生命の様子、人生の大動脈をついに一生知ることなしに終ってしまうであろう。
煩悩に心を取られてしまうか、本当の今、今本当の自己を確立させるかの戦いが私の今の修行であるような気がひしひしとしてくる。この強烈な雑念は私を殺すことだってしかねないのだ。
「今に在る努力が修行である。」といった和尚の言葉が常に響き続けてくれたので本当に助かったのである。
決定的な何か一言をしっかり胸に以ていて、それによってとんでもない所に誘拐されている自己を発見し引き戻す。それを発見する手がかりを持たないで雑念を切ることは殆ど出来ないのではないかとさえ思う。本当の現実の為に、今出て来る煩悩と今戦い切ることに因って、現実の本当の一息即ち今生まれたばかりの純粋な自己を体得することが出来るのであるとすれば、この戦いは何としても煩悩の誘惑に負ける訳にゆかないのだ。
「煩悩との戦いは断じて退いてはならぬ。絶対に勝たねば坐禅する意味が無い。今に成り切ればよい。今は永遠なのだ。永遠に今しか無いが故に、今に目覚めることは、今一瞬後の過去と一瞬先の未来とを産む本当にある現実の今を明白にすることである。
心が明白に成らないとは、過去と現実との境が定まっていないからだ。今、今、今、前後裁断で活動し続けているのが我々の心である。活動自体はそうであっても記憶や思い込みなどがひっついていて、本来のものとは全く別ものなのに、その区別が付かないためにもつれているのだ。
本来心は、もつれても迷ってもいない明明白白自由自在に活動して、しかもその一切に拘わる余地も無く、今のみの上に作用しているのだ。ところが記憶作用によって執着心が生じ、瞬時が混濁して煩悩と化してくるのである。
前後裁断している今に体達することは、煩悩が煩悩でなくなり、本来の自由自在の働きとなり、光明となり、救いとなり、畢境その人を仏と言うのである。」
と程良く和尚が現れては私を強く励ましてくれる。一瞬一瞬に全力を注ぎ寸暇無く雑念から解放の為に今を守っている私は、これが今の自分のぎりぎりありったけの努力なのか。もっと何とかならないのか! と自分を叱咤するのだが・・・・
それにしてもこれらの雑念を全く退け切るということは難中の難でありとてつもないことである。大変な大事業だ。本当に心からくじけそうになり逃げ出したいと何十回思ったことか。
一瞬の継続ということが斯も困難であったとは夢にも知らなかったことだ。和尚がそのつど工夫の仕方に付いて様々な助言をしてくれるのであるが、こちらが一向に進歩していないせいであろう何を言おうとしているのか最初は全く理解出来なかった。しかし全体余程落着いて来たのであろう自分の動作が可なり見届けられるようになっている。奥さんの心のこもった三度の食事を頂くにしても、言葉にならない生命の糧の重みが感じられ、次第に心静かに深く味わえるようになって来ているのだ。
トイレは本堂の棟の片隅にあって、どうしても部屋と廊下を通らねばならない。一歩一歩明確に且つ余念の入る余地を与えないように動作しているつもりなのに、
「足元が抜けとる! 今の百倍注意せよ!」と一喝される。成る程、言われた瞬間全体注意を注いで自分の今の様子を点検してみると、更に集中の余地があるのである。この同じ事を同じ所で何十回注意された事か。言われてようやく分かることで、これで精一杯と自分で思っていても、焦点そのものがまだ浅くそして拡散しているので、今の現実体からずれているのである。和尚は私の歩く姿を一見してそれを看破するのだ。しゃくではあるが、しかしこれは自分ではどうすることも出来るものではない。
もし出来るとすれば超人的冷静さと集中力と持続力によるものだ。私には到底不可能なことである。師を必要とする理由の一つであろう。それどころか体を動かしての工夫となると、例え歩くことの様な単純動作であっても、工夫の焦点をどこに置いたら良いのか迷ってしまうのだ。どういうことかと言うと、体を動かすということは視覚するところのものが動き足が動き手が動くということである。すると「そのものに成り切れ」と言われているが故に、動く今、一歩の今は静止の坐禅の時の呼吸に成り切るのとは異なり、「今即動くもの」となってしまい、幾つもが皆動くので、どれに成り切ろうかという具合なのである。
でも今の自分の状態ではこのような枝葉末節に取り付いてでも、本気になって苦心しなれけばその先へは一歩も進み得ないと思うのだ。
急所が分からないというものはどうにもならないことで、座っていようが立っていようが歩いていようが横になっていようが、今即一心には何等の拘わりがないということがつかめない。だから何もかも師の教えを頼りに進むより仕方がないのだ。「歩く時は一歩のみ、本気に歩け。余念の入る余地なく成り切って歩け」の教えを、「どうあったらそう成れるのか」と、自分の一歩一歩自体に参究し続ける事しか方法は無いのである。
今でこそ、この様に語れるのであるが、当時においては出て来る雑念と、一歩の事実のみに只在ろうとする正念との戦い、只そのことのみである。せめて遥か彼方へ誘い出されまいと、念が転んで延長して行くのを防ぐのが精一杯なのである。
トイレに在っても心の中心を何処に置こうかと探す。何かへとにかく意識を集中しておかなければ立ちどころに何処かへ行ってしまうからだ。見つつある物、或いは出しつつある排尿感、或いは手先、或いは不動の両足、この何れかに心を縛りつけ離さぬようにして今現実を現実たらしめようと努力するのである。これをしなかったら忽ち心は拡散し現実を無視して居なくなってしまうのだ。それをそのままにしていたら何を修行していると言えるのか、煩悩のままでしかない。とんでもないことだ。
修行とは真たらしむる努力であり、本来に復帰する努力である。元来真であり本来であるならば、その光に満ち溢れ、自信ある行為から堂々と手柄を譲り、悠々とその時その場の縁に成り切って、努力と運命のままに淡々として豊かに居れる筈である。ところが現実の我々の心はというと、内より吹出して来る無限の誘惑のためにこれら本来の姿は何一つ得られることはない。取りも直さず、現実の真相、本来の現実を妨害している誘惑の根源があるからだ。だとしたら、この侭で良い、などと言って今の参究つまり修行を放棄してしまう事は永久に救われない事を意味することになる。
今は確かに今であっても、現実は確かに現実であっても、それがそれであるべく今の確かな現実と自分と合致してその境目が無くなり、常に前後の無い本当の瞬間の連続でなければ本来では無い筈である。
何としてもこの自分の心が勝手に飛び出し飛び回り、中心を掻き乱して止まない癖がある限り、拡散は止むことは無いし本来が見える筈は無いのである。どうしてもそやつらは収め切らねばならない代物なのだ。
かくの如くにして信を高め勇を挙して努力したにも拘らず、やや落着いた程度にして遂に二日目も過ぎ去ってしまった。努力が足りないのか着眼が甘いのか、はたまた縁が薄いのか、体はきしみあちこちは痛む。もう私は精も魂も尽き果てて心中限り無く空しく、哀れも極限に達し涙も耐え切れずして噴き出るように流れるのだ。この涙、将来どんな姿に成って現れて来るのだろうか?
赤ん坊のしぐさ
眠ったような眠ってないような、そんな気持ちが行き交ううちに体が動き坐禅に入る。やや白み始め、電気無しでも気にならない。線香のあの小さな光が結構思っていたより大きいなと思う。もう帰りたい気持ちで一杯である、がそれより先に出て来る雑念の方が余りにも強烈に意識に昇る。当座これが問題になり気になる。
逃げ帰る事を考えるのは未だ早い! たかがたった三日目ではないか! これくらいの事で逃げ出すようでは一体何が出来ると言うのだ! これからこれから! と、新たなる決心を振るい起こし気を入れた。かつてない覚悟である。それがなぜか思ったより切り捨てが楽に出来るし呼吸に帰り易いのだ。これが三日目の始まりであった。決心が良かったのだ。
呼吸に関して言えば、かなり明白に一呼吸を見守ることができる様な気がする。昨日和尚が「吸い始めて、そして次第に吸い込み、吸い込み切った時、その呼吸はもう終ったのであるから、その事実をはっきり確認して一切の雑念をも丸めてすっかり捨て尽くせ。捨ててさっぱりした何も無い心で静かに[只]吐き、吐きつくし、[只]吸い、吸い切り、これを一心不乱に徹底的にやり切るのだ! 雑念が出たら早く発見し、これで雑念を切り捨てては[今]に成り切るのだ!」と教えられたことを思い出した。
百分の一秒をも見逃すものか! と気を充実させる。そして注意深く、恐る恐る静かに、
吸う 吐く 吸う 吐く ・・ ・・何と! 自然な無抵抗の呼吸が出来るではないか! 何と楽なことよ! 雑念の走り出ては消えていくのがスクリーンを見るように、離れた所から無関心に見れるのだ。出ていてもそれらに拘らず、心を呼吸に任せて置くことが少し出来るのだ! ほんの少しだが、一点に本当に集中しておれるのだ。一般に言う集中とは全く違い「心のない一心」とでも言うか、何だか重大なポイントを発見した様な気がする。
どの位坐禅していたろうか、呼吸に任せて置ける分だけ念が転んで行かなくなった。それだけ戦う必要が無くなった為苦しみが大幅に減少したのだ。
例によって和尚がぬーっと現れた。思わず身が引き締まる。自分の何処を見られているのか分からぬし、私を突き透している何かがあって薄気味悪い存在なのである。
いきなり私の前に至近距離で座り込み、やおら、
「歩くとは何か?」と尋ねる。そんな事は分かり切ったことではないか。
「歩くとは前へ進むことです。」
「違う。」 あれ?
「足を入れ違いに進むことです。」
「違う。」 何故だ?
「目的に向かって進むこと。」
「違う。」 一体何が聞きたいのだ?
「無です。」
「違う! 理屈ばかり言うな! 生まれてこのかたずっと歩いて来て、歩くとは何かが分からんのか! 歩くとは何だ!」と大声で更に詰め寄られ、目の前で不敵な眼光が槍のように突き刺さる。頭は益々混乱し、当惑し、言葉を失い、何を言って良いのか分からなくなってしまった。生まれて初めてだ。
「頭で分かる世界ではない。考えても無駄だ。頭を切り捨てろ!」ちゅうちょする私は思考すら失いまごまごするばかりである。するといきなり頓に平手打ちが飛んで来た。
バシッ!
「歩くとは何か!」と更に大声で詰め寄られた時、頭が空白に成ってしまったのだ。自分が自分で無くなり、まるで空中に浮かび、無重力無抵抗に成ってしまった。心の力が抜けた瞬間我が身がとても軽くなり、思わず立って歩いた。半ば無意識の様でもあった。行為した瞬間、[行き着く所はこれしか無い]のだと思った。
「ようやく分かったか! それが歩くと言うことだ。今まで口で並べ立てた事は総て自分で作った虚像、早く言えば理屈なんだ。皆そう言った迷いの世界から総てを見ているので、たったこの一事実も分からんのだ。これ以上の真実は無いだろう。事実の前には理屈は何の役にも立たんだろう。事実に我見があるかどうじゃ! ここが今の入り口じゃ!」和尚の一言一言が、今まで自分をもつれさせていた心の大きな癖をさらさらと溶かし落として行くのが感じられた。続いて、
「座るとは何か?」たった今、事実とはこれだ、と分かったところなので、理屈なしに単純にそのものの事実で示せば良いと思って、そのまま「ストン」と座った。
「理屈さえ無かったらそのままだし、それが当然だし何でも無いことだろう、とにかくそれしか無いのだ。」と言われた途端目の前が一変に明るくなった。そしてその言葉がまことに深く「そうだ」とうなずけた。つい先程から妙に無邪気に成った自分を、まるで[赤ん坊のしぐさ]だなと思った。
「事実そのものが今であるから、本来の今に目覚めるためには自分の思いを入れず、ただ今の事実だけであれば良い。つまり事実を事実たらしめて行くことが今を今たらしめていることなのだ。本当に今に成って我を忘れて行く修行である。煩悩の根を切り尽すと言っても良い。本当に忘れ切って無我に体逹した時、無我そのものが無我を教えてくれるのである。即ち煩悩の無い悟りの世界である。ここを仏の世界と言うのじゃ。この一瞬の本当の様子なのじゃ。それを体得し明らかにした人を仏とも覚者とも言う。・・・・たったこの一瞬が凡夫にし仏の世界を十万億土の迷いの彼方にもするし、またこの一瞬に目覚めるべき努力をする時、十万億土は一瞬に集約されて無くなり仏と最も近くに在って仏の光に照され救われる一瞬でもあるのだよ。・・・・」
和尚の厳かな説法は、正にこれが本当の「釈迦の教えそのものであり、本当に人を根底から救い切る事の出来る真の宗教である」と確信し、改めて今和尚を我が師として最大の尊敬を抱かずにはおられなかった。小積氏の心が今手に取るように分かる。実に有り難いことだ。真実の今が、こんなに手元にあり近くにあって、「理屈や分別や勝手なイメージさえ無ければ悉くその物ずばり」であった事が分かるのだ。あの情けない惨めな敗北感は、安心感、充実感、そして訳も無い歓喜に変っていた。
修行の要点が分かった今、自然に落着き、一歩一歩の歩みもまことに明快で純粋なのだ。思わず腹の中から笑いが出てきて、和尚と訳も無く大笑いしてしまった。
「うわっはっはっはっはっはっ!」小積氏を思い出して電話をしたら、
「今がわかりましたか。」と待って居たかの様に氏の方から言われ、
「はい、分かりました! うわっはっはっはっはっ!」と又笑いが気持ち良く出てしまった。そこで始めて行動を許された。と言っても部屋の掃除である。何と安らいだ自分、心地良い自分、と思っていた途端、
「何の為に掃除をしようと思うのか?」と来た。和尚の質問は根本があって、説明や判断では絶対に通してくれないということが分かっていたので、理屈無く素直に、
「奇麗にするためです。」
「そうだ。では、掃除を始めたら、掃除をしようとか奇麗にしようとか思いながらするか?」
「いえ、思いません。」
「何故だ。」 一瞬つまったが、
「掃除をするばかりだから。」
「その通り。しようと思うのはする前の事で、その事に向かわせるエネルギーであり目的や願望の段階なのだ。実際はそれをするだけだ。実行しただけ理想が達成されているので、その上しようと思う必要が全く無いからだ。皆瞬間の境が付いていないから、理想が念の行為と体の行為とがあるのにその区別がつかんのだ。つまり時間が違うにも拘らずごちゃごちゃになっていてどちらもはっきりしないのだ。・・・・
では掃除をすると言うことはどう言う事か?」
持っていたほうきで掃いた。自分でも不思議なくらい、これしか無い、という事実に動かされてそうした。何の分別もいらなかったしその世界の事では無かった。
「宜しい。ここ何掃きしたら掃き終るか?」素直である事、事実である事、観念で捕らえない事と言うふうにすぐに急所を見失わないように努力した。分からなかった。小首を傾げていぶかしげに笑った。
突然平手打ちを再び食らった。手の早い和尚だ。予測数値を申し立てても同じ事だ。どうしようもない、今と言う事にキーポイントがあるに違い無いと思っても差し向きつながって来る物が無かったのだ、そうまだ考えていた。
「掃くのは何時だ。」
「今です。」
「今は何掃き出来るか。」
「一掃きです。」 あっ! わかった! 数値に引っ掛かっていたため、[全体今ばかりの連続でしか無い]というこんな重大なことに気が付かなかったのだ! これでは分かりよう筈が無いのである。 今とは今という点なのだ! 何も無い一点なのだ! 前後のない一点が今なのだ! ここが着眼の急所に違いない。これを見失わなければ雑念や煩悩に取り付かれる余分なものは無い筈だ。
そうだ、今だ! どうあっても今一掃きしか有りようが無い!
「本当にあるのは一掃きだけだ、一拭きだけだ、一掃き一拭きに成り切れば良い。」と言って立ち去った。今一瞬一瞬の一点が生きてきらきら輝いている自分、いや、自分などという限りある固まり物はどこにも無い。
ただ一掃き、実に純粋で大きな働きだ。宇宙と直結していると言う実惑がするではないか。いや宇宙と言うものはこの一つ一つがすでにそうである。思い込んでいる見方、これが我見なのだ。この我見と言う限りを無くせば皆宇宙なのだ。
ゆっくり確かに掃いた。かなりの時間であった筈なのにほんのわずかな時でしかない。
おもむろに雑巾を絞り、左から右、右から左・・・・
たった一拭き。ただ一拭き。
何とも言えないすがすがしさ。終わってふと自分を振り返ってみると、心中何もした形跡が無いではないか。和尚が、
「ただ空の働きだ。」と言ったが、これが本物だとは少しも思わぬけれど、前後の無い今そのものの活動は何にも無い、「空とはこれらの事であろう」と確信めいた気持ちが沸いた。
祝杯
道具を収め、手を洗ってふと沖を眺めた。
あっ! 何という美しい世界なのだ! これが今まで四十年間見て来た世界なのか!
有りの侭とはこんなに美しい世界だったのか! 小積氏が、
「純粋に成ると、有りの侭が輝いて見える。本来これなんだ。」と言っていたが、いやー本当だったのだ! 見ていても今まではその物ずばりを見ていなかったのだ。目に有るものが実に親密なのだ。見る物その物ばかりで、名前や理屈の入る余地が無い。さらっとした爽やかさの極地だ。見るばかり、只それだけだからだろう。
左向いて右向いて・・・・見るものが総て引っ掛かりなしに目に自由自在にちゃんと在る。意識の存在以前なのだ。私たちの機能全体が初めからそのまま既にそうだったという事が、今は道理ではあるがはっきり分かった。だから和尚が言われるように、「理屈の余地が始めから無いから、今、只在ることが宇宙総ぐみの真実」であろう。それが今、自分に集約され、自分に於いて作用しているのだ。
今とは何と大きくて自由なのだろう!
呼吸をしてみた。 吸う 吐く 吸う 吐く ・・
何ちゅう事か! あれほど一呼吸が長く、重く、得体の知れない代物だったものが! 只、一呼吸の事実があるだけではないか! 今の事実が分からなかったばっかりにあれほど苦しんだのか! 呼吸でも、掃いても、拭いても、歩いても、何もない今の一点で作用している限り総て一つ事だと言う事だ。それが今、私の上に現実として展開しているのだ! 何やら痛快に成って来た。とそこへ小積氏がずかずか入って未られた。お酒が二本手にあった。思わず二人は手をついて挨拶した。
「お目出とうございます。」と言ってくれた。
「有難うございます。」と心から出た。私に構えが無くなったためか、小積氏にひどく親近感を抱き、何よりの友として彼の来訪がとても嬉しかった。この道の人は格別なのだと、自分の純度が少し良くなった今、人への心が嘗て無い大きく豊かであることに気がついた。今まで思っていた真心とは問題にならない純粋なのだ。心から感謝が出来る。実に豊かな心地だ。本当に自分は頑張って良かったと思った。
そこへ我が師、和尚が入って来られ、続いて奥様が盆にグラスを乗せて来られた。奥様が、
「お目出とうございます。」と本当に丁寧に御挨拶され、私は感謝の気持ちで一杯だった。
「有難うございます。お蔭様で本当に有難うございます。」とお礼を申し上げた。人々の顔がこんなに美しく晴れやかに見えたことは無かった。と又笑いが込み上げて来て、だれ笑うともなくとうとう皆で痛快に大笑いしてしまった。
「うわっ! はっ! はっ! はっ! はっ!」 コップの祝い酒であったが、こんなに素晴らしい祝福は無かった。四人はまぶしい太陽を尻目に、しばし法談に更けった。何と奥様もちゃんと会得されて居るではないか。道理で普通では無いと思った。その事が不思議に分かるのだ。だから皆の心が通々なのには驚いた。
「ようやく山門の入り口に到達したに過ぎない。皆目修行の方法も分からなかったのがはっきりしたと言う程度だ。」又
「ここまで来るのも実は大変なのだ。へたをすると四十年、五十年やっても来れないんだ。」とも言われた。例え入り口程度であるとしても、私には大げさに言えば天と地との差にさえ思える程素晴らしいのだ。和尚に巡りあえなかったならば、到底ここまですら来ることは出来ないと思った。とにかく一人でこれを得る事はとても無理である。と言うのは、私もそうであったが自分は自分が一番良く知っているものと皆思っているものだ。ところが、いざ一歩自分の奥に入ってみると、そこはもう自分の世界なんかではなく、果てしない心のジャングル地帯なのだ。
元に引き返す事は簡単な事だが、向こう岸の本来の自己の世界に抜け出ることは全く不可能と言ったら良いだろう。迷路が余りに多過ぎるし暗過ぎるからだ。本当は手造りの虚像や思い込みを自分だと思っているに過ぎない。そうした妄想が十万億土をも作っているのだ。とにかく正師という地図と明かりが無い限りとても不可能なことだと思った。「師から見ると、今何処に立っているか、何に迷っているか、どちらを向いているか、どうすれば良い」か、など丸見えに違いない。だから斯くも適切な指導が可能なのだ。それにしても考えて見るに、果たして和尚程の明快適切な禅の指導が出来る人が居るだろうか。
和尚は私が浮かれて今を見失うことを注意してか
「この程度の心境は何の力にもならない。心の波が静まったぐらいだし、濁れが沈んだだけだ。世俗の縁に触れたら忽ち波立つし、すぐ濁れてしまうぞ。しかしこれは正路であり、確かな方法であり入り口だから、ここからが本当の修行が始まるのだ。気を絶対に抜いてはならぬ。努力じゃ、努力じゃ、菩提心、菩提心。」と聞いては時が惜しい。皆も適当に去った。静けさ充分。心中変り無し。
今の一点が少々はっきりしているので、深くそのものに成ることが出来る。余念が急に入りにくく成って来た。出ることは出るのであるが、出ない間がある。その間は全く何もない。今に戻ることがとても簡単になり、出た余念にすぐ気が付く、それだけで本来の自然な心に戻っているのであろう。
今朝までのあの様子とは雲泥の差である。午後庭の掃除をさせてもらった。只一掃き、何て事は無い只それだけなのだ。「動いているという者が無い」のだから不思議だ。実に心地良い。
こうして「無邪気な赤ん坊のしぐさ」にまで達し、「念の無用なる世界」に辿りつくことが出来て三日目も暮れた。和尚に心から感謝して安らかに眠りに就くことが出来たのだ。
その物がその物を教えてくれる
爽快に目が覚めた。四時である。即坐禅に入った。幾らかの時が経った頃、突然目の前の物と更に親密になり、一体同一化したと言うか又一つの引っ掛かりが消し飛んだ。それは瞬間の出来事で、それがかなり大きな変化であったため、到底無視出来なかったのだ。特別な感動と言ったようなものは無かったが、一段と軽くなり、更に実在感を増した。坐禅もさりげなくころっと出来るし、奥様が毎日用意して下さる麦茶を飲んでも、瞬間瞬間の事実、一瞬一瞬の実在感の大きいこと。
心の固まりと言うか、認める癖と言うか、そのような余分な気持ちが消え去った途端、それだけ自分が明らかになり楽になるという事がとてもよく解かるのだ。
「何かが起こるからその時はすぐ来るように。」と言われていたし、とてもじっとしておれなかったので、初めて本堂を越えて和尚の座卓に赴いた。どうしても聞いてもらいたかったのだ。いきなり言おうかどうしようかと思った途端、和尚が、
「何かありましたか?」と聞いてくれた。今朝感じた侭を話した。すると和尚は机の上をノックして、
「これは何だ?」と聞かれた。私の手が自然に出て同じようにノックしていた。そして
「これです。」と答えた。和尚は問髪を入れずコップを取上げて
「これは何だ!」と。今の空っぽの所に居ると、こうした和尚の質問の要点を何故かとても良く分からせて呉れるのである。と言うことは「事実を事実と知ることであり、その物をその物と知ること」に外ならない。又このことはこうも言えるのである、「その物がその物を教えてくれる」、と言うことなのだ。詰り、早い話が、知識や感情の外に出る事、或いはそれを一度殺す、と言っても良いのではないか。自我の向うへ抜け出るとはこの事に違いない。そうしなければ本来には復帰出来ないのでその物は分からない筈なのだ。和尚は只その事を悟らしめようとしているのであり、その確認をしてくれているのであろう。和尚のしている全分、我々がやっている「全分悉くそれがそれで在る」から、それを「在るが侭にちゃんと見ておれば良い」ことになる。
そうするためには何と言っても「心の拡散を防ぎ、雑念の誘惑から脱出」しなければならない。「今の一点に集中」し切らねばならない。そしてそれが「自然に出来、自然の目で自然が見られるように成らねば本来は見えぬ。」
「益々楽に成ったろう。」と言われる。本当に楽に成った。この先は分からぬが、今に限って言うなら何も無いと言うしか無い。充実そのものである。落ち付いた程度のものではない。別世界である。和尚も心無しか嬉しそうにみえる。
今の仏法は何か
「風呂に入ろう。」と、唐突に言う。言われるままに何日振りかで入る。湯舟は二人しか入れなくても風呂場は大きいので存分に洗えるのだ。突然
「今の仏法は何だ!」と来た。いつもそうであるが出し抜けである。久しぶりでいい気分にもなろうと言うものだが、全く油断のならない和尚である。お互い自分の背中をごしごしやっていた時である。手を止めるでもなく、
「これです。」と言うと、
「何故だ!」と追い打ちを掛けて来る。
「これがこれだからです。これしか無いからです。」と言いながら尚もごしごしやっている。しかし、「その物がその物を教えてくれている」とは全然考えてもいなかったことなのだ。「その物に成ればみな分かる」と言うことだ。知識や判断はその物を対象にする、ここで既に「その物と離れてしまっている」事にどうしても気が付かないのだ。根源的な食い違いと言ってもいい。和尚の言われる「へだて」であり「我見の起こる所」であろう。つまり認識した時には既にその物を更に人為化した後なのである。初めから虚像化して進んでいる、と言うことになる。「人為しなければそれがそのまま根源であり、その物自体」であろう。だから「その物はその物に教えて貰うしか無いのだ。成り切るだけなのだ。」その為の修行であるから、そうなれ得るように一切の人為的な感情であるとか、知性による判断とか認識などの働き以前に、つまり「只在るように努力すれば良い」、と言う事であろう。
「そのまま、そのまま。理屈の無い世界が仏法なのだよ。仏とは理屈から離れて完全自己解放、自己確立したほどけた人を言うだけだ。その入り口が見える所まで来ているから、本腰を入れてどこまでも今を熟させねばならぬ。そうしないと理屈の束縛の無い仏の世界に入れぬ。」とのこと。
その道理が分かったに過ぎない自分である。道理の要らないという道理が分かった自分である。師匠と一緒に入って何とも痛快であった。
やおら和尚が意味ありげに正面に来た。片手を出し、
「分かるか?」と言ってひっくり返して甲の方にする。こうなると雑念が収り今の一点で見る力、聞く力が無い限り、心が騒ぎ理屈が先き走って絶対納得のいく見解や見方は得られないのである。何が何やら皆目見当が付かない筈なのだ。色々な理屈が次々と出て来て決して収まらないものだ。昨日だったらきっとそうだ。
要はそれを根元的に整理することであり、理屈を越えることである。純粋に成ることであり無色透明に成ることである。そうなるきっかけを与えてくれているのだ。その為の修行なのだ。
答えるのにもう何等の言葉も必要無かった。和尚は又、
「そのまま、そのまま、只じゃ、只じゃ。」と言って私をいよいよ静めてくれた。言ってみれば師匠と丸裸で向い合っての好修行であった。風呂から出ても暫くは汗が噴き出て来る。半ば裸姿でいつもの座卓に和尚と座り扇風機に当たる。おもむろに出されるお茶、その師のしぐさが丸で自分そのものとして見えるのだ。
あれ! 自他一如とはこのように同化して区別の無い事を言うたのか! 少なくても過去においてこの様に相手そのものに自分が成ったと感じたことがない。平和だ。実に平和だ。自他共に存在しつつ自他がない。今は有難いと思う余地さえない。
和尚も無い。と、お茶を頂いている自分が、知らずしてお茶の作法に準じているかのように、きちんと両手で頂いているではないか。その様な心得など微塵もない私がである。そして何の努力もしないのに・・・
何と心が美しく成って来ると、所作までが自然に美しく立派になってしまうのか。ずっと心ばかり見つめて来て、身体を思った事が無かったが、そう言えば話し方から立ち振るまい総てに渡って注意が届いていて、姿勢が全体良くなっている。さっき風呂で見た自分の顔がとてもすっきりしており、お笑いだが少し崇高に見えたのだ。小積氏がさり気なくいつもそうしてお茶を頂いていたのはこの働きだったのか。又「そう成る。」と言っていたことを思い出した。本当にそうなのだ。
私の後に同僚の脇さんが座るのであるが、やはり「この心境に達してからは、気が付いてみたら、きちんと両手でお茶を頂き、食事も美しく頂いていた。そして物事の順序、関係、位置、それらの様子が考えもしないのにはっきり見える。」と言っていた。何だか作法の中心はこの一事に在り、と言いたい。
何のわだかまりもなく立ってトイレにいく。猫の額ほどの裏庭がある。そこに幾つもの落ち葉が在った。今まではそれは汚れた庭、汚している物でしか在り得なかった。今は落ち葉が汚している物ではなかったし、必要な物でもなかったし不必要な物でもなかった。あの自然の枯れた古談な色、個性に富んだ一葉一葉の姿形、無雑作な配列、
なんて美しいのだ! なんて絶対なのだろう! これ以上の美、これ以上の真実、これ以上の自然はこの瞬間には必要なかった。手を伸ばせば届くほど山が迫っていて、あれこれの雑木が勝手放題に延び垂れ下がったりして一つ一つそのものでしか持っていない違いの面白味がこぼれる程ぎっしりではないか! 和尚はこの偉大な大自然を一人じめしていたのだ。何とかご挨拶をしておかねば。
まだ座卓にいる和尚の元へ小便も忘れて飛んで行った。
「和尚! わび、さびが良く分かりました。あんまり何でも無さ過ぎるので、坐禅せん者には分からんし味わえませんぞ、これは! わっはっはっは!」何とも痛快になり例の笑いと化した。
「趣味を持たねば退屈したり、自分を持て余したり、時を過ごすのにいつも何かを必要とするような粗末な年の取り方をしていると人生は空しいのだ。この瞬間既に充分。わびとかさびとか色々言葉はあるが、その時その場の出会いであり、それが既に充分なる味わいだ。足りないものもなく、あり過ぎるものも無い、いっぱいいっぱいで何時も丁度良いのだ。作るものでも求めるものでもない。さっぱりとした心の作用と言うことなのだよ。しかし暑いな! これ風流ならざるところも又風流。暑い、暑い、どうじゃ、分かるか!」暑いは暑いばかり。外に何もない。それをそれとして満喫する。相手にしたり二念三念を働かせたりの作為が無ければ、心は常に平安に違いない。それなりを満喫すれば絶対価値と成り、その変化の味わいを風流と言われたものか、そうに違いない。
楽は落とし穴
その内に何故か本堂の前の砂庭にとても風情を感じ掃き目を付けたくなった。ホウキを握って東から西へ、西から東へとすたすた歩いていたら、突然和尚に
「足元が抜けとる!」と怒鳴られた。
「只掃いています!」即私は答えた。すると
「何を言っとるか! 安楽さに腰を掛けてそれを味わっとるではないか! 一瞬は味わっとる暇などない! 掃く時は掃くばかり! 徹底徹し切らねば本当の世界には生まれられぬ! わかったか、この怠慢者めが!」私は大変な勘違いをしていた事に気が付いた。初めあの辛く苦しい一息、それは何も分からなかった故で、少しでも分かってくると足掛かりが出来、修行が急に本格的になり進みだす。
いよいよちゃんと出来るように成る。だから分かっただけ楽に成り、むしろ楽な修行に成るのが自然だと思っていた。それは違うと言うことなのだ。つまり、この程度を本当の楽な世界と思ったり救われた世界などと言うこと自体、自分勝手な虚像であり、そういう「妄想の世界を作り出す我見が生々しく生きている徴」なのだ。だから根本的には何も救われてはいないのである。必ず心は乱れ元の苦しい世界となることを和尚は教えてくれたのだ。実に有難いことであった。
「現実今やっているその事のみに成り切り成り切りして我を忘れ切らねばいかん。楽になったらそれだけ鋭く今に徹していくのだ!」
「今」しかないということが分かっているのに、やはりいつの間にやら安楽さが怠慢になり「一瞬に本当に在る」ことを怠っていたのだ。何度も耳にタコが出来る程言われてきた。
「修行は、ただ今に成り切ること。修行の始めも、途中も、終りも、只今のみ。
初めは[今]が何だか分からぬ。仕方がないから[今]を求めて雑念拡散を切っては[今]に返ろうと努力する。雑念を切る力が備わるとそれが出て来ても放任して置くことが出来るようになる。そのことは即連れ出され難くなる。つまり拡散が収って来る。深い落着きと思えば良い。
その内に念の出て来る一瞬、消える一瞬が分かって来ると、ここが今だなとうなずける。ここに居れば雑念を出さないことも放任しておくことも出来る急所だと言うことの確信が生まれる。ここで初めて確かな修行が出来るようになる。心としてのすがた形を現さない人間生まれたばかりのところだ。既成概念も無ければ自我もない凡俗性も何も無いところだ。ここを[只管]という。[ひたすら]と言うことだし、[只]とも言う。[その事のみ。]ようやく少しずつでもそれが出来るようになって来たので、努力はそのまま楽に成って行く。それはそれとして[只管]をどこまでも練らねばならぬ。
これが[只管工夫]である。即ち[只管打坐、只管活動]である。
[只管の正念を間断なく相続して行く、只管の万里一条鉄]これが大変なのだ。雑念の元が生きて居るからだ。だから努力を怠るとすぐに拡散し雑念に落ちて行ってしまうのだ。常に今、そのことばかりに成り切り成り切りしていくと、本当にそのものばかりになって我を忘れて来る。無我の世界に近づいたのだ。
本当にそのものに徹して我を忘れ切った時、外の刺激に因って大きく目覚める。夢から覚めた明解な証であり、迷いとのはっきりした[境]が付いたのだ。本当に今に目覚めた世界であり、迷いが溶けた瞬間である。瞬間ばかりであるから前後に拘わらなくなって、煩悩が煩悩で無くなるのだ。ここを一先ず[悟り]と言う。
恐ろしいのは、[悟りでも持ったら構えになりそれだけ本来と隔たる]ということだ。結局は自由底の分は無い、本当のものでは無いと言う事だ。この悟りをも捨てて本来の今ばかりに生まれ切らねば本当の悟りではないのだ。そのためにますます努力心を起こして尚も[目覚めた今、只管をどこまでも只管たらしめ、今で今を破り、只管で只管を越え]て行かねばならない。この[悟後の修行が大切]なのだ。何もない[只管が破れた時、日常の総てが本当の無我の現成となり悟りそのものとなる。これを大悟という。]
勿論破れた明確な大自覚は一大事因縁であり、その大自覚は天地を驚かしむ。生死の無い永遠の今の世界なのだ。無上であり最尊である。天上天下唯我独尊、釈尊の大悟と同事同性にて釈尊の内容であり、本来の人と言う。」
どちらにせよ、どこまでも今に徹するしかない。禅は、わびとか、さびとかの世界に留ってはならないと言うことだ。目的を単純一本化し求道心を強くしなければ、色々初めて出会う素晴らしい世界に足元をさらわれてしまう。その事に気付かず、大きな方向違いをしてしまうだろう。
師匠が居なかったとしたら、とても大変な苦労と回り道をしてしまい、いや、到底煩悩より脱出することは出来ないだろうし、救われることは不可能なことだ。恐らく得たりと思うところ、十中八九は煩悩の手作り物であり、迷いの計らい事でしかあり得ないのだ。
一喝のお陰で、掃き終わってみるとある種の感情的なものは整理がついていた。まことにほっとした。すぐに禅堂に入った。今が逃げてはいなかったが依然として雑念は出る。
人が見える
調子が出かかったころ、同僚の脇さんが来る。陣中見舞いか様子伺いか。彼は頻りに坐禅に就いて質問する。私もそうであった様に、自分の座標すら分からない時に、幾ら内面の様子を詳細に聞かされても、総て形而上の事でしかなく言葉でしかない。むしろ坐禅を概念化し、それに囚われ毒される危険性の方が余ほど大きい。私が言うことは一言。
「幾ら聞いても分からないし、又語れるものでもない。やればとにかく自分がはっきりして楽なことこの上も無いよ。只本当に坐禅するしかない。」彼の心の様子がとても良く見えたのは正に不思議な眼力であった。それが又手に取るように、しかも三段論法的理解とは丸で違うのだから驚きである。和尚に言うと、
「別段な事では無いではないか、自分を良く知れば自分が人としての全分を備えている以上、人たる要素は悉く分からねば嘘だ。だから自分を知ると言うことは、その侭人を知るという事なのだ。人を知るためには、先ず自分を根本的に知らねば駄目だと言うことだ。」と。まさしくその通りであった。このことは後に生徒と接する上で最も大きな力になり潤いになって行くのである。この時私は、脇さんが本当に坐禅することを祈った。正しく彼はしたのだ。
和尚はこの十倍も百倍も、いや縁に触れる物悉く見抜くとしたら、それはもう宇宙大と言わねばならぬ。本来そうでなければ三界の大導師とは言えない筈である。しかし和尚自らは、「未解決の一点が残って居る。」と、隠さず吐露されておる。この事も法に純粋であることを意味し、内なる大自信をも意味しているのではなかろうか。和尚がこの上得心したら大変な事になりそうだ。愉快、愉快!
その夜は、只手に触れる感触の事実に魅せられ、それらの明らかな深い存在感の侭に、何の気持ちも無く私は夜通し触って回り確認して歩いた。念と関わりのない事実を。何か名前を付けてみたい、接触禅とでも言おう。とにかくそこらの物総てに触れて歩いた。それらが悉く違う物であるにも拘らず皆な一つなのである。この様な非論理的な言い方は矛盾だらけとして排斥されるであろうけれども、「言葉の外、概念の外の事実」を語ろうとすれば、どうしてもこうなるのである。
多分本来から言うと、瞬間その物しかなく、前後が無いので一々絶対なのである。何もない今の一点に在る事は、一元絶対性であり比較の余地は無く、在るとか無いとかの二元的比較は無く問題では無いのである。いわんや感覚作用のみに徹している時には比較などする分別心二次的な事には拘らないと言うのが道理であろう。
夜の二時か三時か、とうとう忠海の町を歩き回り走り回った。不思議にも私一人ではなかった。自分が無くなると自分だけではないとても豊かな広がりなのだ。人の居ない夜の町は造花のような美しさとあやしさがある。
今が逃げる
とにかく恐ろしい程頭はさえ渡り静まり切っている。労働もしないし頭も使わないので疲労感も全くない。(これから先の幾日間は不思議にも眠気なるものは起こらなかったのだ。)修行の為にはこのくらい有難いことはない。
「ただの今の一点」を見失わなければ決定的に静かで豊かである。これが雑念を寄せつけぬ唯一の方法であろう。その為には、見失わぬ努力が当然必要である。その事は注意力であり緊張感であるから修行の原則としてこれを保っていなければならぬ。それをしなければ修行には成らず目的は勿論達成する事は出来ない、という事になる。何となれば、煩悩を引き起こす本元が心の根本を牛耳っているからだと言ってよい。
一方から言うと、何もないただの一点で行為する[只在る]ことは総て禅であるということである。何時の間にか朝を迎える。白け行く東の空は穏やかであった。静まり切った砂庭を掃く。砂にくっきり目が立つ。それは素晴らしく感動的なドラマと言って良い筈なのに、鮮かな実在感が総てで感激と言ったような余分な気持ちは何もない。いよいよ静かなのだ。
五日目の夜明けはこうして砂庭の大地で迎えた。たちまち日の出と同時に強烈な暑さだ。あれから我が禅堂の掃除をして来たわけだが、とりわけ今日は早く手がけてしまった。
雑念はまだまだ退散する気配は無い。でもそれに付いて舞うことはとんと少なくなった。出てもそれらと何も交錯しないので瞬時に消え去って行く。出るのはまさしく過去の癖だ。地下の雑木の根だ。これが枯れ切らねば本来の自由は無いだろう。根本的にほって置けばその時が来る筈である。待つのではなくその時節があると言うことだ。有意義にして空しくただ時を過ごす。
午後和尚の親しい人が来られ、例の座卓に同席した。
「何のお仕事ですか? 先生ですか、近ごろは何というても先生のような公務員が一番いいですわ、倒産の心配も無いですし、月給は幾らですか? ボーナスは幾らですか? 家族は何人ですか? 奥さんはどうされとりますか? 奥さんも地方公務員でお勤めで月給はどれくらいですか? 儲かり過ぎてこまるでしょう。・・・・? 坐禅すると儲かりますか?・・・・?」初めは声が声で無かった。ただ聞いていて終っていたものが次第にそれらが声に成り、意味を持ち始めて、それが感情を抱きだしてきて、いつの間にやら言葉を選択して答える様になってしまった。答えても答えてもその次へと問い掛けて来る。「全く意味の無い他人の事をあれこれ聞いてどうあるというのか、うっとうしい失礼な御仁だ」と思い始めるや、たちまち静けさが崩れ途端に心が騒ぎ始めた。
原因はその人とただ世俗の話をしただけなのに。?
法の話は心を落ち着け、凡俗の話は心を掻き乱す。乱れると今がするすると手の中から抜け落ちて行くのがたまらなく苦しいのだ。このままだと「平常心」が到底守り切れなくなるが困ったなと迷っていると、有り難や和尚が、「先生、あちらへいらっしゃい、これ以上ここに居たら具合が悪い。」と助け舟を出してくれた。成るほどこれは余程注意しなければ大変なことになる。後で和尚が言われるのに、
「道の人は道を達成する為に縁を選ばねばいけない。道の為に必要な縁、良い縁を求め、道を妨げ迷わす縁は勇気と決断を以て避けねばいけない。縁とは人と物である。情に溺れたり体裁に囚われると今が曇り道が見えなくなる。」つまり一方的に中座するを失礼だと言う一般社会とは大きく異なり、道の人は道のみを見て人を見ないというのである。その人が何と思うても修行中は世俗なはからいをするな、修行に不都合な時、処、位であるなら、一刻も早くそういう縁から脱却するのが修行者の心得だと言うのである。これは私が社会に戻る上で是非とも心に明記しておかねばならぬことだ。
言われてすぐに坐禅に入ったのであるが、何故か「何も無い今」が定まりにくくあの静けさが無いのだ。暫く努力したがなかなからちがあかぬ、時の無駄だとすぐ和尚の元に走った。忽ち和尚は、
「天井を向いて寝て体の隅々の力を抜き、そして心を柔らかくして無抵抗のままじっと天井を見よ。」と命ぜられた。一時間か二時間か、出来るだけ忠実に実行した。無意識の呼吸、開け放った目に天井がある。丸で天井が呼吸しているのだ。自分なるものなどどこにもない。ただ何となくこの事実があるだけだ。先刻の乱れは嘘だったのか!
「和尚、分かった! 分かりましたぞ!」私は嬉しさの余り和尚を探し廻った。汗を流すべく風呂場に居た。
「和尚! 分かりました!」と言って思わず風呂場に駆け込んだ。心境の総てを話した。
私の修行は大変良かったと思う。それはすぐさま師匠に何もかも話し点検を受け、その都度深い法話を貰いそして和尚独特の次元アップ勇気づけを貰って進んだことだ。
「結局本当に今ただあるだけだ。今が深まって行くだけ鮮明に成り楽に成って行くのだよ。乱れたのはもう過去のこと、今は今でしか無い。要は捨てる力だ。それがそのまま今を守る力に成るのだ。つまらんことを心に持ち込むからよ。持込まねば捨てる用はいらぬじゃ。初めっから乱れはせぬぞ。かっはっはっはっ!」
和尚は私の身も心も天井に預けさせ呼吸させて、何も無い今の一点に戻させ乱れを取ろうとの方便を使ったのだろう。それにしても手際の好いことよ。
その明くる日、和尚の許可を得て小積氏を尋ねた。一歩を確かめて歩いて難無く彼に遭うことが出来た。遭いたいと思って来たが遭ったらそれで終った。が部屋に通されて彼と相対して何程もたたぬ内に、今がだんだん曇り始め消え始めて行くのだ。
「あっ! あっ! 今が無くなる! 乱れる! もう帰る。」と言って何はともあれ飛んで帰り、早々に禅堂に駆け込んだ。なんて様だ! これが世間だったのか! 大変なところだ。
その夜坐禅してついに眠らず。
家族との再会
「とにかく山門の入り口でしかない。悟りへの本通りではある。誤っては成らないのは、絶対にパスポートでは無いということだ。つまり修行の本道に出ただけのことで、徹し切る努力が無ければすぐ元の木阿弥である。なんとなれば、今は今でしかない。今の心境も今だけの心境に過ぎない。時の流れと共に心境も又流れ去る。無常にして何者にも固着しない今だから自由なのだ。常に汚れの無い真新しい不変の世界なのだ。ここに生まれ出る為には、そのための本道を突き当たるまで努力しなければ達することは有り得ない。どこに居ても今いつも自分であるから、今を正念(只管)にあらしめ、かつ継続すれば必ず救われる。」と。
小積氏や永岡氏(小積氏のすぐ後に入門された私のすぐの兄弟子)の話では、この寺から外へ出て三十分もすると今の正念が抜けると脅かされていた。私はそのことはまぎれもなく本当だと実感していたので、後の時間はそのための猛訓練をした。特に視覚と聴覚、見ること聞くことが一番心を取られるので、町に出てはただ見る、ただ聞く訓練にかけた。それによって自分流のコントロ―ル法をある程度得ることが出来たように思う。このように言うと特別な要点でもありそうな気がするが、結局は引き出されぬようにすることしか無い。そして念が出たら一瞬の内に捨てることである。要するに素直にその時その場に成り切ることでしか無い。
かくして、いよいよ帰る時が来た。やや夕方近く、家内と二人の子供たちが車で訪れた。子供たちが、「とてもすっきりしたみたい」と、私を評した。 さわやかな出会いであった。
私に掛かりっ切りで指導してくれた和尚、この海蔵寺を独占しての修行であった。地獄と極楽の交差するお寺、まさしく爽快に下山することが出来るのは和尚のお陰であり奥さんのお陰である。本当に喜んでいるのも和尚ではないだろうか。
本当に心からお礼を申し述べて山を辞した。和尚と別れるや、私は新たなる環境の中で即、今を失わない努力を始めた。興味深気な家族に多少の気を使いながらではあったが、目に映る車窓の景色、新鮮で輝いているその様子は、今はやはり私だけのものでしか有り得ないなと、此に至っては家族も無縁なのだと思った。別に孤独感のようなものは無かった。むしろ明確に個々の存在が浮き上がり、尊くさえ感じた。
久し振りの我が家である。何もかも前と同じであるのに新たな出会いなのだ。以前のごとく軽々しく冗談を飛ばしての感情の交流は無かった、と言うよりそのような心が無かったのだ。明らかに家族との気持ちにずれを感じ、彼らも又父親は別の気持ちなのだと思っているのだ。悲しいことにこんなに隔てのない家族思い、そしてそれが心からなのに、それを表し伝えようとすると、彼らの中心のない感情のるつぼの中に入らねばならないことだ。そうするということは今を失うことであり、心を拡散させて苦しむことになる。
そうはさせじと頑張ったのだが、押し寄せる感情の波は少しずつ私を侵食して行く。何日も睡眠らしいものは取っていないにも拘らず、早朝より目覚める。家族の中に在って一人だけの時、ここぞとばかり座る、とあの新鮮な今がちゃんと在る。嬉しくなってすぐに和尚に電話した。和尚は私がすっかり「今」を見失ったかと思っていたらしい。いきなり、
「地獄の感想はどうか?」ときた。とんでもない! その事を話したらとても喜んでくれた。
その後
私のすぐ後、脇さんが座った。同じように何も無い今の一点を見つけ、話の通じる仲間を得てとても心丈夫であった。夏休みも終り職場に通う、その道中の景色が何とも美しくひどく幸せな気分である。それに運転がとても楽で、先輩方に聞いてみたが同様であった。
こう成って分かることであるが、余ほど要らぬ神経を使い浪費していたのだ。最小限の注意が却ってゆとりある安全運転に成ろうとは誰も分かるまい。考えてみると、静まった心だけでも外界の諸条件を的確に把握出来ていると言うことは容易に理解出来ることだ。この力は後の公私の生活全体に大変な影響を与えてくれるのである。
初めて教壇に立った時、どの生徒も大変いとおしく、それぞれの個性の侭に無抵抗に受入れられるのである。心の片隅に常にあった不安や心配恐れという手作りの虚像がないため、一人一人の様子がとても良く見えて一層ゆとりと自信になっていた。皆平等に接しているのである。遠慮もなくすぱすぱ語が言えるので、生徒との距離も無くなり、今は生徒が良く相談に来てくれるのだ。それもこれも坐禅に因る「何もない今の力」なのである。
しかし実力不足のため大勢の人との交わりでしょっちゅう「無念の念」を見失うのであるが、何としても守らねばならない。そのために職員室から教室へ、教室から職員室へ、或いはトイレ等にとにかく歩く時は全分を掛けて一歩だけを守って只歩く。始めは知らなかったのだが生徒たちは私の歩調に合わせて「おいっちに、おいっちに・・・・」とやって調子を取ってくれるのである。それはそれ、私は只一歩のみである。今もってそれをしてくれる。愉快愉快。
今はそんなにしなくても逃がさなく成ったのだが、初めのころは同僚達と雑談することを避けようとして不必要に寄せ付け無いように、今を守るため、全身に力を込めて背中で呼吸をした。殺気をみなぎらせての呼吸である。
また、適当な倉庫で今もって坐禅するのであるが、時に脇さんに先を越される事もある。そんな時、お互いの修行を妨げないように別の第二道場へ行ってするのである。こんな出会いはひそかなる勇気付けとなり大いにプラスとなっている。良き仲間の存在を有り難いと思うのはこんな時である。又ある時は職員室の自分の机の上で坐禅を組んだ。まさに気違い沙汰であった。そして時には雑念から脱出するために胃袋に穴が開くのではないかとさえ思う程の苦痛を伴う。満身の格闘である。和尚は、
「ストレスを最大にして命懸けでやれ。最大の集中力とは最大のストレスなのだよ。どぎつく言えば命懸けで[今]をまもるのだ。そうして行くと速く今に帰り即はっきりとし楽になるぞ。」と。まさにその通りであった。
「仏通寺が近いのだから、あの聖地へ行ってよく座りなさい。」とも指示されていたので間をみて行ったりした。そこの雲水さんが数名庭を掃いていたが、あれで修行に成っているのか少々疑問であり少し気の毒に思えてきた。ホウキに成ることを知らないからだ。仕方が無い。
しかし今は違う。今は私はいつも静かに今におれるのだ。どこにあっても、誰と会っても心を乱すことはほとんど無いのだ。そして何事にも一心不乱になれるし自分が当然ながらすっきりしているのだ。勿論和尚の元へは何度も通い、会って顔を見て、話を聞いて帰る、ただそれだけで整理がつくのである。道場へもしばしば坐禅をしに通っている。これからもそれを怠る訳にはいかないのだ。
もう始めてから二年が過ぎた。思えば大変な向上だとつくづく座る以前の自分を思う。有難いことに存分に法を説いてくれる和尚、知らん間に色々な言葉も覚えてしまった。そして嬉しいのはその後幾人もの入門者が出て既に十人は越えている。一週間だ。やれば誰でもやれるということだ。ただずっと続けて居るか居ないかが問題なのだ。そこでそのまま投げ出したら単なる経験のみで終ってしまう事になる。心の大切さを深く自覚し、深く追求する事により本当の力に成って行くという事を知るべきである。
今を今たらしめ、事実を事実たらしめる事が禅である以上、それから離れることはむしろ不自然なのだが。
修行にとって必要欠くべからざる事として思うことは、何と言っても「努力心」である。「一瞬の継続」である。それを具体化させ間違いなく、しかも最短距離を教え導いてくれる「正師を探す」ことであろう。これはしかし難中の難であろうと思われる。そしてどこまでも「正しく聞き取る」ことであり「全分を信ずる」ことであろう。さすれば絶対に救われると断言できるのだ。
一九八五年十月一日 記
追語
我々和尚の門下が偶然にも度々出会う。修行のことから境界のことから話は弾む。
その時皆が同じ事を考えたことがある。人の修行のあり方を聞かせてもらうことが随分参考になり励みになることは一様であった。そこでそれぞれの手記を書くことになったのだが、はたまた皆で語った事が大いなる参考に成ったのである。
和尚の法話はしょっちゅう聞いているので、皆同じだと思うし、ある程度迄は真意を汚すことなくいけると言う自信から、書き留めたものをざっと点検して頂いたに過ぎない。我々はこの何十倍もの法話を聞いているので、それらを参考の為に書くとしたら、かなりのものになり大変なのと、それに多くを聞いたとしても本当に坐禅しない限り意味が無いので私はこれくらいに留めた。法話の一つを書き加えるとしたら、
「説法は一言で良い。[本当に今に成り切り切ったらそれで御仕舞いだ。]このことをいきなり信じて実行しさえすればそれが一番速いのだ。[坐禅は只座れば良い。]本当にすることはこれしかないのだから、その努力をすれば良いのだ。その外に多くを説くのは、信じる力のない人には余分な手続きとして先ず分からせる、すると信じられる道が開けるのだ。信を起こせしめる為にすぎない。」又
「道を尊ぶと言うことは先輩や古人を尊び慕うことでもある。道を重く思う人でなければ重い法は得られぬ。法を重くし己見に関わらない、秩序を重んじ総てを軽々しくしない人を法の人と言う」と。
「ストレスを最大にしてみよ云々」と言うくだりは、何も殊更に今の無念の事実に向かって余分な意識を集中せよと言われたのではない。書留方に少し不備があるため、真意を受取損ねる嫌いがある。これには前後がある。つまり生活上雑多な事柄の中に我々は居る。ようやく着眼がはっきりした位の力では只単々と自分を空にして今ばかりに成っておれず、つい向こうに付いて回り振り回されてしまう。よく乱れる。雑念化しないようにと今への努力をしているにも拘らずそうなってしまうのだ。事柄に依っては長く尾を引き、なかなか切れず捨てられずでとても苦しむ。
この事に対する現実的局所法を説いてくれたのである。何時も空気のように只あれれば問題は無い。しかし問題、いわば雑念が大きく起こった場合はこれら批判的に成らず、直ちにこれを実践し、明快な今にする事の方が道であり、そうするための早道を説かれたものである。
不思議なことにこんな自分の所へ人生相談に来る人が出てきた。自分が一生懸命に努力している時は極めて明快且つ分かり易く説けるのであるが、抜けている時はもたもたして相手にぴったり行かないのだ。自分が抜けていると相手の心が見えないからだろう。そんな時自分の非力を知り、深く恥じ入り、努力せよ努力せよと自分を励ますこの頃である。
一九八六年五月五日 記
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