参禅記  悟りへの道を走る 見えない呼吸を抱きしめて 欠野アズ紗

目次

指示通り新幹線三原駅から呉線に乗り換える。二両連結の電車は空いていた。瀬戸内海に沿って走る車窓からの景色の美しさは格別であった。海がキラキラと光り輝く姿がダイアモンドに似ているのか、それともダイアモンドが、この海に似ているのかも知れない。或いは、人間の心が本来ダイアモンドの輝きをしているからだろうか。師走の光と波のセレナーデは今の私に優しすぎる。
今日から入門する参禅体験の厳しさに出会う前の絶景に、思わずうっとりしていた時、ふとそのようなことを思って一人微笑んでしまった。理想を掲げて生きている人なら、必ず反省し、追求し、努力している心の姿勢がある。それが哲学をしていることではなかろうか。又、それは芸術的でもあり、美的により高まりたいと願う人間の本来の存在の要求なのかも知れない。こうして私が人生してくる間に、いつの間にか魂の問題が浮上していて、或る種の決着を付けたいと願うようになっていた。かと言って宗教を求めるというものではなかった。自分のそのような気持ちに正直に従って、自分の奥底を本当に知ろうとして努力する、そのことが宗教と一致するのではないだろうかと思っている。与えられたり、思い込んだりするものは、又逆に失ってしまうものであり、変化するもので、本当のものではない。存在の本質、本当のもの、本来的なものを追求する、その真の方法を学びたくて、ここまで来てしまった。井上希道老師とのご縁は、全く偶然ではなく、自分でたぐり寄せた金の糸なのである。
正午「忠海」駅到着、井上老師とお弟子の幽雪師のお出迎えを受け少林窟道場へ向かう。この時の心は、超多忙な仕事から離れ、今迄、受講した事のない勉強会に参加させて頂く有難い気持ちで、別段怖くもなく不安もなく、暖かい出迎えの瞬間から、出来る限り一生懸命やらなければ、に集約されていた。
私の職業は税理士、経営コンサルタントである。十二月から三月下旬まで超繁忙期に突入する企業体の一人である。にも拘わらずご縁なのであろう、気が付けば今日(十二月二十二日)から二十九日迄、参禅修行に入ることとなった。仕事に対して何の後顧の憂いなく今の私があるのも、本当に信頼できる良き社員の皆が居てくれればこそで、私はこの幸運に限りない感謝をしている。合掌。
私の宝であるこの素晴らしい社員の方たちと真の人生をし、本当に幸せに生きたいと切に願っている。私の社員とは、仕事を中心にした家族なのだ。人生するパートナーとして、最も長時間を共有しているのだから当然であろう。
満五歳と満三歳の手の掛かる幼子をかかえながら、無我夢中で独学で税理士試験の受験勉強を始めたのが、つい昨日のように思われる。奇跡的に合格したが、女であるという事、手の掛かる二人の幼児の母親。たったこの二つの理由でどの会計事務所の面接も断わられた。私に残された、たった一つの道は、人間を知り自分を高める上で私の師ともいうべきかけがえのない二人の子供を育てながら、未経験のまま会計事務所開業であった。いきなり経営者だったのである。経営者であれば、誰よりも人一倍自己を磨かねばならない。求めれば必ずその縁との出会いがあると、今日のこの日に感謝をした。そしてそっと老師の背中に「どうぞよろしく御指導の程お願い致します。」と、自動車の中で手を合わせた。
玄関に入ってすぐ左手の三帖の部屋が与えられた。古い机が一つあり、窓はカーテンもなく、廊下側は障子戸。思わず「寒い!」と感じたが、すぐ忘れ、着物と袴を身につけた。忘れがちな着物、それに袴は、機能的ではない替りに実に自分をしっとりとさせてくれる。しずしずと歩き、奥の相見の間で修行の根本的なお話を聞く。
「自分の根底を知るには、自分を離し切らねばならない。離し切るとは、『今』しておることに成り切ることである。成り切るとは、そのものばかりになり、単一同化することである。要するに認識とか判断とかの、日常止むことなく動かしている知性的なものを用いず、いわゆる馬鹿になってやること。一口で言えば、素直にやること。しかし、染み着いたクセというものは、そう簡単に取れるものではない。だから油断しては修行にならぬ。その点を強調して言えば、自分を絶対に見失ってはならぬ。」
ほとんど常識的なことで、大変よく分かる。ただ、知的なもの、判断作用を止めよと言われるが、そのようなことが日常生活上に本当に出来るのだろうか。出来たとして、生活上支障は起らないのだろうか。知性的活動を鈍化させたなら、精神的負担は当然ながら軽減するだろうが、そのことは問題を解決しての救いではなく、無知化、無感覚化による負担なき精神状態を言うのではなかろうか。私には新しいことではないが、この点の問題意識が浮上して来た。
「禅修行を要約すれば、最も大切なものは、着眼である。修行の心得である。これが少しでも間違っていたら行き先が違うので目的地へは行けないぞ。次が実行である。一歩の歩みがなければ全く前進を得ることはない。その次が実行の継続である。継続は一体誰がするのじゃ。」
内容的には前半は我々企業家も常々口にしている事柄であり、目的を達成するためのいろはである。ところが最後の一言が私を慌てさせた。予測はしていたものの、意外に早く、深く突かれて、自分の内にあった論理が小さく見え始めた。
「自分自身ではないでしょうか。」
以前だったら確信的に言える解りきった事柄なのに、それさえも不確定な私となっていた。
「自分を迷わすのは何者じゃ。」
「自分だと思います。」
「では、自分を救うのは誰じゃ。」
「やはり自分だと思います。」
「その通り。では、迷ったり、救われたりするのは一体、何時じゃ。」
こうした心的状態を時間観点から扱った理論は耳にしたことが無かった。だからこそ一層新鮮に響き、強い説得力を以って伝わってわ来るが、全く別口の脳回路が必要であった。
「総ては自己から始まり、自己に尽きるということじゃ。尽きるとは、この一瞬に自由自在に生滅してこだわるもの、定着しているものが何もない、その心の本質を自覚した時、一切が無くなるのだ。つまりこれが自己超越であり悟りである。」
これである。私が絶対とする真実の世界は。これが本当だという実感につつまれた。師に全分を託す決心がつく。
「さて、具体的にどうすれば悟ることができるか。ここからが問題なのだ。いいですか、それは知識とか概念とかの観念現象の支配から脱却することであり、そうなるために、今の事実の世界と、観念現象の世界との明確な境をつけることである。
つまり「今」の事実に徹することである。
畢竟禅修行とは、徹することが目的であり結果でもあり、そうなるための方法でもある。徹するとは、その一事実だけに成り切ることである。
成り切るとは、同一化し単純化して全自己を忘れることである。
自己を忘れるとは、一瞬の本当の世界によって目覚めさせられることである。
目覚めさせられるとは、そのものによって解脱するということだ。
つまり過去と今との境をつけることで、このことは別の言い方をすれば、自他のヘダテを取るということだ。そのものに成り切るとはこのことである。このはっきりとした一大事の自覚が悟りである。
あれこれ思わず、ただ一呼吸に徹すればよい。ひたすら一息だけをしておればよい。命懸けでやれよ。それだけだ!」
と言われた。「過去と今との境を付けることと、自他のへだてを取る」こととが本質的に一つことであると言うお説法は、今のところ理解できない。初めから何もかも解る筈はないから、言われた通り一息を放さぬようにするしかなさそうである。
昼食におうどんを頂いたが、熱い鍋からの湯気が嬉しい。かけがえのない暖である。五人でおうどんを〈フーフーつるつる〉言わせながら頂くのだが、全く会話なし。まるでお通夜みたい。とても不思議に感じたが、この事の謎はすぐ解けた。食事が終わって廊下を二三歩ほど歩いた時、
「一歩一歩を大切にしなさい!」
と老師から厳しく注意を受けた。噂とおりさすがに厳しい、いやドスが利いていて恐ろしい。どこが、どのように抜けていたのか自分にはよく分からないが、注意力に欠けていたことぐらいなら分かる。注意し続ければいいのだと決心を新たにする。
午後一時~六時迄禅堂にて坐禅。あっという間の五時間であった。いつも勝手にしている一呼吸がこれほどに難しかったとは・・・。でも出来ないことではないから、やるだけだ。
夕食後七時半~九時迄禅堂に入る。寒さが一段と厳しい。
九時半就寝、寒さで着物を脱ぐ事が出来ずそのまま寝る事にした。〈ご免なさい〉

十二月二十三日

午前四時半起床。五時禅堂にて坐禅。五時きっかりに、耳元で「カッ、カッ、カッ」と木版が鳴る。精神構造がばらばらになりそうな堅くて鋭い音である。全身に何かが流れる。続いて下のお寺の鐘が鳴る。絶妙なタイミング。禅寺の心地よい緊迫感が、寒さと共に私をたたみ込んで行く。頑張るしかないのだ。寒くてお借りした手袋をしていても手がこごえそう。全く暖がとれないのです。自分の配慮不足を嘆く。
六時、下のお寺の本堂にて朝課。お経の文字をただひたすら声を出して追う。
七時、朝食。ご飯、海苔、つけもの、納豆、昆布、チリメンジャコ。美味しく頂いている時、突然老師から注意を受けた。
「欠野さん、無雑作に食べるのではなく、注意深く一噛みに徹しなさい。その時の真実はそれしかないのだから。知るべきものを離したら、知ることが出来なくなるじゃないか。」
ときびしく指摘された。
思わず〈はっ!〉とした。廊下の歩き方と一緒なのだ。ぎりぎりの現実である「今」という極限の不動の世界を見失うなということだが。実行こそ修行なのだと言い聞かせてはいるものの、現実の「今」に心し続けることの困難さを痛感。平素いかに散漫な自分かを思い知らされる。
八時半迄禅堂の掃除。無我夢中であった。そこから得た実感は何もなかったが、無いことのさわやかさを味わえた。
午前中四時間、午後から五時間禅堂にて坐禅。途中足の痛みで意識が散漫となったが、普段から毎日、瞑想をしていたからであろうか、坐禅は私にとっては苦ではなかった。只、雑念の中に瞑想のマントラが出てくる。このマントラを切って切って切りまくる作業が難しかった。呼吸になりきり、なりきり、一呼吸を丁寧にする。早くなったり、遅くなったり、呼吸がどこかに行ってしまったり、途中雑念と遊んでしまったり。「ひたすら今ばかり」が難しい。難しいと言うのは自分が整っていないからであり、静に思うところに心が居ることが出来ないからである。だから修行にきているのだ。これがちゃんとできるほど整理が付いていたなら、自分が自分に迷わされるようなことなど絶対にない筈である。いずれにせよ自分を決着付けることしかない。
「一瞬へ集中せよ。ただ、一呼吸のみに注意を向けよ。」と散漫しようとするクセに懸命に抵抗して叫び続ける。
〈出来た、出来た〉と喜ぶと、もう迷路。その繰り返しが面白い。私は変なのか。こんな単純なことに面白さを感じている。夕食後、老師が語られた。
「今日の坐禅で、貴女が極限的に乱れるのを楽しみにしていたが、もう貴女は既にそれを超えている。そして完全に貴女自身が悟りへの道を歩いている」と。
いつの頃からか私はそのことに気付いていた。最も大きな気付きともいうべき衝撃は四年前に起こった。
私の心が突然爆発したように感じ、一切がけし飛んで無くなってしまったとんでもない体験である。その時、私は大阪市内の渋滞の交差点、車のハンドルを握っていた。意味も解らず、突然の事だし〈これは何だ!〉。でも信号が変われば運転しなければならない。もう運転どころではない。涙が滝のように流れ、〈すべてが愛、拘るものなど無い!〉と無意識の教えを頂いた。〈あれ、あれ、悩みは何処へ行ってしまったの、どこにもないわ〉。その時、大きな悩み事をかかえていたのだが、一瞬にして消えてしまっていた。〈愛、感謝〉に変わってしまった。それ以来、悩みがなくなってしまったのである。悩みの意味がわかれば、もうそれは悩みではなく、私の悩みは「愛と感謝」に変わったのである。こんな素晴らしい授かりものが他にあろうか。誰から教わった訳ではない。故に、いずれここのところを、はっきり解らせてくれる師と出会うであろうと信じていた。その師が井上老師だったのである。
「欠野さん、ただひたすら一呼吸を続けなさい。」
語らいの時間は、あっと言う間に二時間経過していた。その日、布団に入ってから先程老師に誓った言葉、〈命懸けで修行させて頂きます〉を何回も何回もつぶやいた。つぶやきながらも呼吸に注意を向けている私の寝姿がそこにあった。

十二月二十四日

午前四時半起床、五時禅堂へ。今日は殊の外寒い。零下何度であろうか。木版のあの音が「ただ」静かに聞ける。昨日とどうしてこんなに違うのかしら。寂静とした坐禅。しかし、多少の雑念と呼吸との力くらべは相変わらず。
朝食後、八時~十二時禅堂ヘ。足の痛みの対策をする事にした。痛んで我慢するのではなく座布団三枚の上に丸いクッションを乗せ椅子感覚でしばらく坐禅をする事にした。どのような坐り方でもよいと指示されていたことがあって、救いであった。どれ程か具合がいい。一息がかなり楽になり、はっきりしてきたように思う。
昼食はご飯とシチューであった。
「欠野さん、味はどうですか」と、突然老師の質問を受けた。
「とても美味しいです」
「そんな事は聞いておらん。味はどうですか」
「シチューとご飯の味です」
「味はどうですか」
「・・・」
「考えをこねまわすな。味はどうか」
「今の味です」
もう頭の中は真白。その間食べられない。
「素直に食べたらどうか」。と大声で言われて席を立ってしまわれた。
「・・・」
厳しい。何が何だか・・・厳しい。味は味なのだ。今の味はと聞かれても、ただ、食べるしかない。観念でとらえる癖、〈ええい! どこかへ消えろ!〉。悔し紛れに絶句する。一心に、ただ食べたら良かったのである。つまり理屈なく食べる。観念を入れずに食べる。気付いた時は既に遅し。自分の思いに流され、さいなまされて、それも今のところ尽きることなしの状態である。
三時、〈食堂に来なさい〉の柏木の音に、坐禅が逃げないように、一歩一歩、注意を注いで食堂へ。この注意と努力が禅の修行だと言われる。始めた頃と比較すると問題にならない。あんなに難しかった自分の一歩の歩みが、師の指示通りに努力しているうちに、いつしか自分のものになっている。実感として特別のものがある訳ではないが、それだけ感情が深く収まり、平穏になっている。一口で言う落ち着きであっても、質的には伝えることが出来ない程、それはそれは気持ちよく安定した世界である。本当に不思議である。いつの間にこのようになってしまったのか。
何と! おやつだ。ケーキと紅茶。更に不思議な世界がそこに起こったのだ。ケーキを見た一瞬、何もかもが消し飛んで無くなってしまった。「空」の体験である。師には叱られるだろうが、私は悟った、と思った。恐れ多い不遜な言葉になってしまったけれども、それ程、明快で手応えの大きな実感であった。何の思いや感情も無い。純粋な私があり、どうしたことか、目の前の総てが同様に純粋な存在となっていた。紅茶を口に運ぶ手も、ケーキを取る手も、丸で手に絶対の意志があるように、自由に、勝手にその働きがあるのだ。私がしているのでもなく、私が味わっているのでもなく、ただ限りなく確かに、その瞬間的存在として輝いているのだ。この気付きは総てを一新させていた。とてもどころか最高に新鮮なのである。生まれて始めて本当にケーキを味わった。呼吸法もこれだと思った。思いという世界から解き放たれた事実だけの呼吸の世界が、私を確信させ安心させ、どことなく感激さえしていた。
すぐに禅堂へ入る。すっかり呼吸が楽になった。雑念は文句なくバサバサ切ることが出来る。我ながら〈すごい!〉と思った。不思議なことが続いて起こった。実はこの時から坐禅が味わいとなり面白くなったのである。
夕方六時、夜の戸張が降りた頃、禅堂の中は暗さと共に急に寒くなる。その事を実感し、同時に意識を若干動かした途端、又々、大きな衝撃が起こった。世間で大袈裟に言う悟り、それも二度目の悟りであった。もちろん釈尊や祖師の悟りとは思っていないけれども、とにかく私にとって別世界へ生まれたことに於いて悟りであった。しかし、師はこれを悟りとは言われない。当然そうであろうけれども。
『生きている』故に呼吸している。これは常識的にも科学的にも当然である。正しいことである。しかし、この論理は意識の世界に過ぎず、観念とか概念とかの想像の世界にすぎないことがよく分かるのだ。今、私に開かれた世界というものは、そのようなゴタゴタした理屈の迷いはなく、「ただ呼吸であり、一息一息が躍動している。ただそれだけ」なのだ。それ自体が躍動している。それ自体が生きているという実感に迫られた。何だろうか、この世界は?
『生きている』事の素晴しさというものは、とかく感情的なもの、感激的なものが多い。この時の質とか量的なものとかは本人の感じ方によって計られるしかない。私の言う「生きている素晴らしさ」とは、心の整理が付いて出現した、ありのままの確かな存在によってもたらされる充足感、いや、そのような感情さえもない透明な存在感である。しかし、決してこの事に有頂天になってはならない。師が「よし!」と言われるまでは本当ではないから。
とにかく、老師に報告にあがる。老師と対面し報告が進むにつれて、尊さと感謝の念が込み上げ、泣きくずれてしまった。嬉し泣きである。
「いずれにしても貴女の努力の結果ですよ。今がはっきりし始めているのですから、スキを作らぬように、一つ一つから注意を抜かぬように。それくらいの心境など、すぐに乱れてしまいますよ。喜ぶなんてとんでもない! これからが本当の修行なのですぞ!」
ときつい注意を授かる。でも、極めて静かに私の心に浸透して来る言葉にならない大きなものがある。師の存在の大きさを実感した刹那、老師の大切なテーブルに、私の涙がポタポタと落ちた。
「今日はクリスマスイブも兼ねて貴女のお祝いと、更なる努力のための激励をしましょう」
と言って下さった。中間慰労だそうである。老師はこうなる私を既に解っていらしたのだ。こんな私の努力を讃えて下さり、一番風呂を頂いた。尤も入山して始めて許されたお風呂であったから、有難さもまた格別なのであろう。体にかけるお湯の音、湯船にそっとつかるこの感覚、何もかもが生きている。
〈感動!〉湯船の静寂の中で感動はひとしお。幸せそのものであった。このお風呂は、お弟子さんの幽雪さんが心を込めて立てて下さったものである。幽雪さんは京大理学部出身で、レーザー光線の研究者であったとか。無情を感じて退職し、ご自分であちこちへ坐禅修行に出かけていたところ、あの「坐禅はこうするのだ」という一冊の本に出会い、六年前、老師に人生を託して出家をされたのだそうである。意気込みが凄い。本当に頭が下がった。
夕食後、禅堂へ。恐らく今年一番の寒さであろう。寒いというものではなかった。坐禅はますます深く、単調に純粋になっていく。坐禅に味が出て来て、更に楽しくなっている。

十二月二十五日

午前五時、禅堂ヘ。ただひたすら坐禅。後から入ってこられた老師が、腰に毛布をまいて下さって、そっと後ろでささやかれた。「呼吸への注意を途中で止めないように」。〈えっ! どうして解るのだろう!〉。師の深さを又々凄いと感じた。
朝課の折り、「欠野さん、歩くとはどういう事ですか」。ただ素直に歩いた。やっと合格と言うか、何でもないことと言うか、当たり前のことなのに、言葉に翻弄されている時はこんな自然なことさえ迷いの世界となってしまう。老師が言われる「知性による想像力と概念の拘りから起こる」理屈である。今、理屈と事実との境が鮮明に解るようになっていた。理屈がなければ事実しかないのは当然である。
老師曰く、「要するに、何故一瞬への注意が絶対不可欠かと言うと、すぐに理論化したり言葉に置き換えて、観念の虚像の世界にする心の癖を取ることにあるからだ。見たら見たものに捕らわれるのも、視感覚によって知識や認識が即発的に反応する、言うなれば、対立的反射作用的に固定化した癖によるものだ。これが自我の本である」と師は淡々と語られる。又、
「その知識や情報、言葉の意味する概念は、総て過去の存在でありデジタル化したものに過ぎない」とも言われた。
「過去を持ち出して、今の現実を意識化して捕らえようとするのであるから、全く顛倒夢想の世界、妄想でしかない」と言われた説法は思わずぎくりとした。そう理解すると「空」と言うことも「無」と言うことも皆うなづけるのだが、一方では我々の平素の精神活動が無意義に思え、何だか空しさを感じたからだ。でも、
「真実を体得するのですぞ。今を見失ってはならぬ。一瞬、一呼吸のみ。解りましたか!」。決定的瞬間の駄目押しであったし、今まで、誰からも聞くことができなかった凄い法話に感動した。
坐禅中、悟りがどんどん出てくる。こうなると坐禅が楽しくて楽しくて仕方がない。人生最高の楽しみに感じられる程である。
物事には始まりがあるから終わりがある。
終わりがあるから始まりがある。しかし、一瞬一瞬が始まりであり、同時に過去化し終わっている。
知るのだ、更に、この真実の深さを。明らかにするのだ、この本来の真理を。
目は私を見るのだ、自分を見るのだ。瞬間の心を見るのだ。
障子や壁の中にいる。そんな事あるか。でも、事実として、見ればその物と一体化した親しさがあるので、その様に言うしかない。
息を吐くということは自分を捨てて捨てて無くし切ることだ。そこに真実がある。吸うとは自分を捨てて捨てて空気ばかりになることだ。そこに真実がある。
世の中で偉い人といわれている程、エゴのかたまりが多い。今、心に持っている総てを捨てなさい。一気に救われますよと言いたい。
耳は真実を聞くためにある。真実を聞く耳でなければ、皆、真実が真実でなくなる。自分を捨てよ。
人生は天候のように、晴れの日、曇の日、雨、雪といろいろあるが、どんな時でも〈おしっこしたい〉(この時、丁度お手洗いに行きたくなったのです)と事実を有りのままに私に教えてくれる。それがそのまま真実であり、真実ながら終わって消失して何もない世界へと流転する。大きな人生ではないか。

窓から見える、竹の緑、何と美しいのだろう。あの竹も人間が作ったものではない。自然である。欠野アズ紗も自然のもの、自然がすべて必要なものを与えて下さり役割を教えてくれる。
欠野アズ紗さん、税理士の勉強を始めた時のように、いつも無でいなさい。今のように。
空の雲、刻一刻と変わる。人生も同じ。雲がここに居たいと一部置いていくだろうか。
人間は執着が付きまとう。自分の身の回りの、社会的な地位から役割から権力から学歴から、お金から持ち物から学説から理屈から、何から何まで総てを条件化し力として意識にプリントしてしまう。意識にプリントされた情報は、無意識で判断作用に組み込まれて働く。見苦しい様であるが、私もまだゝゝその一人である。この事が見えて、自分で自分がおぞましくなってきたから頑張るしかない。この様に、私を開き高めて下さったこの老師に出会えたことの幸運を、今更ながら本当に良かったと感謝するのである。

坐禅の内容というか密度が高まると、今、何をなすべきかが全身に漲ってくる。只、ひたすら一呼吸の連続。悟りが次から次からあるのだが、それを即消滅させて、只ひたすら息を吸い、息を吐く。確かにそれがそのまま、それであることが真実だと分からせてもらった。
人間はすべて平等に呼吸を与えられ、与えられたままに意識するしないには関係なく使い切って死んでいく。一番の幸せは呼吸である。一番の幸せは一歩の歩みである。一番の幸せは飲むこと食べることが出来ること自体である。大・小便である。なのに、多くの人は他に一番の幸せを求めている。すでに最高の幸せを持っているではないか。この重大な世界に気付くことから真実が始まることを知らない。ここに来て、確かな修行を教えられたことに改めて感謝した。
総てを即消滅させて呼吸に入る。次第に深くなり存在がただひたすら呼吸している感じ。
人はお金や物が欲しくて執着する。お金で呼吸は絶対買えない。
ただ吸って吐いて、吸って吐いて、真実が真実に任せ、真実のままにただある。始まって、それが即終わっている。終わったまま、それが始まっているのだ。この不変な世界に気付いて初めて真の安らぎを感じ幸せを知る。人も植物も空気と一体、そう、空気だ、空気だ。何もない。あるものは一切ない。現象的にあるものも実体はない。因縁の寄せ集めだとある。般若心経の世界だった。その事に気付いた時、又々その場で泣きくずれてしまった。私は泣き虫ではなかったのに、心が大きくめくれる度に心の自由さと感動と驚きと、そう、感謝で泣いてしまう。
夕食の時、来客が三名がいらしていた。私は悟りを開いた僧侶の気分で、一切空の世界を大切に守る事に必死である。只食べることに。悟った時、決して有頂天になったらいけない。スキを与えてはいけない。この時、スキを与えよと言われても私には出来ない。いや、一切空の世界にスキがあるとか無いとかがある筈がない。私の悟りは、正しく言えば「悟りへの確かな道」を悟ったと言うものであろう。それでさえも私をこのように確固たらしめ、迷いを越えさせてくれる程、正しいということがどれ程に有り難いものか。
来客にも挨拶せず、只、食事を頂いた。この一大事から比べたら、いや皆その一大事究明のために、稀有なるこの師を探し当ててやって来た人ばかりではないか。その事以外は総て皆無駄事であり、娑婆事に過ぎない。どうでもいい事なのだ。終わってお茶が欲しいと思った時、老師の声が飛び込んできた。
「欠野さん、気が外に向いている。これからが本当の修行ではないか。大切な道から心を離してはならぬ。バカ者めが!」と叱責されてしまった。〈何故わかるのだろう。鋭くて厳しい師だ〉。
「典座」(てんぞ)と言って、古来より大事な一点に目覚められた人が台所に立つそうである。故に後片付けは昨日からすべて私の役割になった。ただひたすらお茶椀を洗う。これも面白い。楽しい。何故ならば、心がそれた時、その事が明確に解るし、そうさせた無用の念が即除去が出来るという大変大切な生きた修行が出来るからである。失敗しお茶碗を割ったりする時は、大抵抜けている時である。
老師いわく「欠野さん、せっかく修行が順調なのですから、二十九日に帰るのは惜しい。三十一日の夜中の坐禅を体験して元旦に帰りなさい。」
私も老師の有り難いご提案に即賛成した。二日には来客があるため、帰らねばならないが、この豊かな世界から見たら、お正月だからどうのという気持ちはさらさらなかった。

十二月二十七日

午前四時半起床。やっと暖房のない生活に慣れた。六時からは本堂でお勤めとなるので、霜柱の立つ道を〈サク、サク〉と踏みしめて降りて行く。本堂へ向う道は可成りの下り坂。いつも空は満天の星空。あと四十分すると夜が明けるとは思えない。禅寺の本堂はやけにさっぱりしていて、厳しさがこの上なく自然である。全員(五名~十名、日によって違う)、一点の澱みの無い方々が心から祖師の御示しの経典を読む。難しく慣れない言葉が沢山あっても、心が純になる程に、私はその意味する深い世界の尊さに身も心も潤って行く。讃美歌も感動的で美しい。しかし、禅の読経は単調で無表情で、その上厳粛である。それは、一人々々の発する一つぶづつの声が、決断とも自然ともとれるどっしりとしたものだから。多分、お腹のどん底で研ぎ澄まされているからであろう。それが、がらんとしたお堂に、ゆっくりと、荘厳に玲瓏として流れれば、魂に深く響く重厚なのも道理である。浄化された私との出会いは、ますます解放的安定となり、何もない無限大化へと向上する。
厳かな朝課は、五体投地の礼拝を三遍、厳かに繰り返して静に終わる。電燈を消した堂内は洞窟さながら。しーんとしたお堂、しーんとした心は、暗闇に燦然と輝くダイヤモンド。一段と静々と歩く。柱に打ち当たらぬためにも、ダイヤモンドを落とさぬためにも。
本堂から外へ出ると、かすかに瀬戸内海が見え、夜明けの静けさを漂わせている。薄暗い山影をバックに見る禅寺は山の様に不透明で重々しい。鳥の声さえしない参道の下駄の足音は、言いようの無い深遠な音である。いつ聞いても心に染み渡るものだ。坂の途中で老師が待っておられた。これは何かあると思った瞬間、
「欠野さん、ここまで何歩ありましたか」
「・・・」
「何歩でここまで歩いて来ましたか」
〈しまった〉と思った時はもう遅い。一足が抜けていた。心がどこかへ行っていたと言うことである。それは雑念の世界に陥っていたということだ。抜けた自分が解った時は、即一歩に返っている。
「ここまで何歩ありましたか」。又もやするどく問うてくる。
「一歩です」と声を出す。意識で自分の歩を捕らえていて、実地そのものではなかったからこうした言葉が飛出してしまうのだ。又、〈しまった〉と思い、すぐ足を一歩出した。意表をつくやり方に度肝を抜かれる。すぐにその事が解り、体がそう反応していたことは、やはりそこまで向上していたということか。でも、おそかりし。師は、私の反応に無反応であった。それは間違ってはいないというお示しでもあり、「違う」が反って来なかったことが嬉しさとなっていた。

上での朝課が終わり、朝食迄の時間、老師のお部屋で法話を拝聴するべく押し掛ける。とそこには、はっとする師の姿があった。床の間へ飾られているお師匠様の写真に向って、朝課で見るあの崇高な礼拝をされていた。そこには明らかに師のお師匠様がいらっしゃるのだ。姿が有ろうが無かろうが、生存のままの畏敬が有る。心によって不変性を現実のものにしておられる姿を目の当たりにして、私もついて礼拝した。いや、せざるを得なかったのだ。真の宗教とは、真実の心から始る、と言う私の宗教観を確信した。机に向われると、すぐに玉露を入れて下さる。茶わんに最後の一滴(ひとしずく)を振る。何回も何回も振る。思わず微笑みが出た。何の心も無かった。
「面白いでしょう。修行が進んでいますね」。と言われた。老師は一体私のどこを見ておられるのだろうか。この様な時、笑う動機などは無い筈だし、今の私は全く無心で何の感情も心も持ち合せていないのだから、観察される私などは無い筈だ。ただ微笑んだだけである。なのに、その様に言われると、当たっているだけに不思議なことである。
私は、ただ老師がしておられるその行為が、恰も私がやっていると思えるほど直接的感じに、その不思議さに思わず微笑んだだけだ。以前ならば驚くはずのものだった。もしかしたら、微笑んだその原因を見抜いておられたのだ。私がそこら当たりまで向上してきたので、老師の方から先手で試されたのかもしれない。どちらでもいいが、とにかく怖いほど鋭く私の内側を見抜いて居られることは間違いない。
「心のヘダテが取れると、自他一如の様子がよく解るでしょう。空の働きですよ。つまり、空と空の出会いだから本来が自他不二なのだよ。そなたも、今それを感じたでしょうが。自分がしているほど実感していたではないか、今。これが一体同化の様子だ。それが味わえるところまで来たのですね。
心の霧を捨て切ったら、この有りのままの純粋な世界に誰もが目覚めるのだよ。そのための修行だぞ! 益々頑張るように!」おまけにぎょろりと睨む。とてもよく解るし、法話を耳にする度に鮮度が上がり確信が深まっていく。
「ヘダテ(自我)があると総てと対立、衝突する。禅の修行とはこのヘダテを取るだけですぞ」。この言葉は始め理解できなかった。苦しい坐禅の修行が、たったヘダテを取るだけのためにするという説法に深味が感じられなかったからである。今は違う。本当にそうだから何の疑問も起こらないし、お聞きしているだけで、深くそして高まっていくのを実感する。つまり抵抗や疑問や批判なしに率直に素直に聞ける時、師の法話によっていきなり魂が浄化されている。これが即ちへだてが無い状態であろう。師と私との心が直結している状態にある。だとすると、へだてを取ることが目的であると同時に、へだてが無い状態こそ、性格や個性を越えて最も効率的に精神活動が出来る最善の様子であり、手段としても最高であることを知った。確かに無心とは素直の極であり、決着の着いた瞬間の働きであり、前後が無い「今」ばかりのことである。こんな事まで理解が出来るなんて、へだてが無くなるとは大変な世界が開けると言うことらしい。
今度は私から真剣に、「老師、一切空の世界でした」と報告する。報告するまでもなく、老師は既に私の様子を解っていらっしゃった。
「その通り。でも、いいですか。そのことが解っただけでは力になりませんよ。空の体得、即ち一度徹底死に切らねば得られぬものがあるのですよ」と言いつつぎょろりと睨む。とんでもない一つが、老師の生きのよいこの目すら何とも無くなってしまっていることだ。無知性でも鈍化でもない。只素直に、ありのままに見る力が備って、結果的に自分の中で問題化しないだけである。常の精神活動がどれほど自己破壊を続けているが解り、参禅の有難さを本当に思う。知性の届かない速度で起こるのだから、迷い出したらどうしようも無い訳である。
その時、突然これからの私に、或る重大な使命を与えられた。今その使命を話すわけには行かないが、あまりにも私にとっては大きな使命に、その場で泣きくずれてしまった。老師に泣きながらお聞きした。
「どうやってやるのですか?」
「貴女なら出来るでしょう」
いとも簡単な答えであった。私のことであれば、私がやるしかない。キリキリとやる気が湧出する。泣いているどころではない。
朝食後の禅堂の掃除は畳の目一つ一つに注意を抜くことなく、淡々とやった。きっとこれからの掃除はどんな掃除であろうと、今のこの気持を大切にするだろう。掃除がこれほどの幸せを感じさせてくれるとは! へだての無い功徳無量を深く味わった。
九時半、禅堂に入り線香に火をつけた瞬間〈はっ!〉とした。線香の煙がただ上がる。煙自体ゆらゆら揺れながら空中に消えていく。煙が上がるのは当然で、その事に何も思いを致したこともない。今、私が目にしている禅堂の一筋の煙は、明らかに自然から与えられた自然の意志があり、その存在に人格さえ感じている。つまり生きている。煙が生きて動いている。確かに生きている。線香は煙をどんどん出し、空気と一体化していく。消えるとそこにはただ灰がある。不思議なのは、そこに残っている灰さえ、そうあるべくして自然体でそこにそのようにただあることの存在の重みである。終わってあるのではないのだ。
畳の上で坐禅をしている。畳がいくら努力したところで人間にはなれない。人間も畳になりたいと努力しても畳にはなれない。畳は畳としての存在であり、人間は人間としての存在なのである。始めから「ただ」そうあることが真理だったのだ。私たちの宇宙は始めから真理の世界なのである。人間の勝手な思いによって、その事で人間が迷い、又その事で苦しんでいるだけだったのだ。
空気は気体である。気を抜くと体の体型がくずれるので気のエネルギーが出ていってしまう。いつ、どんな時でも気を抜いてはいけない。私の体から出ていった気のエネルギーを一ケ所に止(とど)めておくのは容易ではない。人は気が変わりやすい。故に易き交わりの中に入ってはいけない。と言うのは、気が抜かれ放題になってしまうからだ。
昼食後、老師曰く。
「欠野さん、雑念と呼吸は五割ずつ位ですかな」。いつもと調子の違う変な問い。
「・・・」
「雑念より呼吸の方が長いですよね。いかなる雑念もスパスパ切れますよね」。とにかく変な感じであった。
「ハイ」、と返事をしたものの、これは何かあると思った。
何かあると思ったら案の定、昼からの坐禅は雑念ばかりだ。老師が意味していたものはこれだったのか! これはどうしたことだ! 逃げるとそこに待ち構えている。雑念に会わないように曲がりくねって逃げても必ずそこにいる。切ろうにも切りようがない。切り捨てた時にはもうそこに雑念が居るからだ。どうにもならなくなってしまった。しまいには吐く息を天井に。それも雑念が待ち構えていて、ダメ! とうとう音を上げた。この時ほど辛い事はなかったが、気分的には余裕があった。別の手段によって煙に巻いてやろうとばかり、三時半に台所でお湯を一杯頂いた。
気分が変わり、勝負は我に有りとばかり禅堂へ。いやはや、先程よりはるかに大軍の雑念である。呼吸の道すべてに雑念が待ち構えて居るわ、居るわ。私が音を上げたと言っても、退却などを意味しているものではない。心のどこかに、しっかり自信の様な底力があって、この私に決定的ダメージを与えることはもう出来ない。
夕方の五時頃、とうとうこれも超越したように思えた。ところが、「一切空なり」と言っても、現実はこれほど雑念、想念の世界が潜んでいて、貴女はまだまだ、その程度の悟りですよ。その位で何の力になるのですか。これからが大変なのに、と言う高い存在の私が居て、現実の私は訳が解らなくなり、又々泣いてしまった。私はここへ来て何遍泣いたのかしら。雑念の中に出てくるのも、私のこれからの使命の一部で、理想への思いとその大変さにあった。何ということか、もう私にしか解らない世界の中での号泣。使命をいやという程、たたき込まれ涙がとまらない。しかし、この様にすがすがしく端的に泣ける事の心地好さは、やはり禅の世界の「ただ」だからだろうか。少林窟道場だからだろうか。

いきなり禅堂にパッと明りがついた。またもや「はっ!」とした。目を閉じていたら明りがついても見えない。無明の世界に居るのと同じだ。私たちは平素、これと全く同じ様に心の目を暗くしているので、本当の世界、美しいこの世界が見えないだけだ。その大切なことが体に鮮明に走ったのだ。見えたかの如く、平素の考えでこの無限大の世界を云々しても、解決が着く筈がないし見えるはずがない。これでは問題が絶えないではないか。光が与えられたなら、光は公平に照し出してくれる。心の目があるなら、総てを見る事が出来る。その光を私に与えられたら、光を正しく使いたい。素直に、謙虚に。
『菩提心』とは、道を求める向上心であり努力心である。それを実行すれば必ず結果が出る。それに向かって最大限の努力をしたいと思う。素直に謙虚に『菩提心』で極めたい。人間の究極的境地とは、この『菩提心』であろう。地獄へ行っても『菩提心』一つでやれば極楽だと師は言われる。それも信じれるし力が湧いてくる。
老師、どうぞよろしくお願いします。私は『菩提心』の塊となりましたから!

十二月二十八日

午前五時、禅堂ヘ入り坐禅。楽しいはずの坐禅が、いきなり怒りに変わった。禅堂では禅堂でのマナーがあろう。あまりにも当り前の事である。守って当り前の事だから腹が立つ。溜め息ばかりつくのであるなら、この禅堂へ入るな! 加えて禅堂を出たり入ったり、外を走り回る足音に、〈いい加減にしたらどうなのよ〉と、とっ捕まえて殴ってやろうかなと思うくらいだから凄い。S君の坐禅全般の無神経さが、自分の清らかな存在を乱される思いがしたからだ。普段の私には、全くない感情が出てきて止まらないのには少々呆れてしまった。まあ、でもS君は今日下山される人。もうしばらく我慢しよう。きっと、私に与えられた厳しい修行なのであろう、と懸命に感謝の気持に変える。
夕食の折、S君は下山を中止した由を聞かされる。今まで荒れ狂ったS君は、それなりに内面の真摯な理由があってしたことで、遂にここで言う大切な着眼の一点(何も無い自然の様子)に気が着いたから、帰るどころではなくなったと言う。それは大変良かった。何よりである。そのS君に老師は懇々と説教された。
私は思わず言ってしまった。「帰られるのを中止されて修行を続けられるのだったら、禅堂に入る最低限のマナーを守りなさい。久し振りに怒りを覚えましたよ!」と言うと老師いわく、「欠野さん、今、その感情がありますか?」そう言われて、すぐに自分の心を照してみたら何もなかった。それは不思議な不思議な爽やかさだ。
「無いでしょう。奇麗さっぱり嘘の様に切れて無いでしょう。貴女の怒りは私憤ではなく『法』ですよ。その人のため、皆のために法が言わせ、法がそうさせたのですよ。法は個人のものではないから、貴女が怒ったのではない。貴女に何も無いから、法が叫んだだけのことじゃ」。その怒りも法だったのである。

十二月二十九日

昨日、S君に怒りを覚えた事を改めて思い出してみた。〈昨夜の事、本当にあったの?〉と思う程、見事に切れている。「絶対に許せないと!」と思った筈なのに、私の心の中には全く残っていない。驚くべき不思議な力だ。爽やか、爽やか。前後際断、まさに『法』のあらわれであろうか。私は喜怒哀楽を使いながら、その感情に捕らわれていないのである。これこそ誰もが欲している自己確立の様子であろう。

私は自ら経営者として、また経営コンサルタントとして、健全性を最も重要視している。企業体としての経営の健康管理は、経営者の基本的理念から始まる。とにかく企業は利潤追求を合法的手段で行なっていくのであるが、利潤を上げることだけからいうなら合法的収奪と言ってもいい。理念を上げれば、生活者に文明の光をより多く供給することだとも言える。理念の基本が、共に人生をし、共に社会を構成し、共に地球と言う自然の恵の中で生活し、共に世界を経営しているのだという分身的観点というか世界観からのものなのか、単なる対象としての購入者消費者観点なのかで、経営の質が決定的に異なってくる。
こんにちここで開かれつつある魂の尊さから思うに、経営に携わる人は自らの魂を浄化することが最も早く企業の人格化・人格向上を得ることができるし、その事の大切さをひしと思う。企業家が一人の人間としての健全な心を失うと、本人にとっても、社会にとっても、そこで働く社員にとっても、たちまち健全な状態ではなくなってしまう。優れた経営者が超過密スケジュールをこなしていく中で、見えないほどの小さな傲慢という草花の種が、知らぬ間に大きくなってやがて挫折され、消えて行かれる。その姿をどれ程多くの方々が見ているであろうか。何故、もっと自分自身の内側を大切にしないのであろうか。
ですから企業家は常に本質の追求をすることに於いては哲学をもたねばならないし、美しい社会作りを目指すことに於いては芸術的プランナーであり設計者でなければならない。又、生活者のニーズには理念の欠落が多いので、欲しいのか必要なのかを将来世代的にも長期的展望にたって生産供給を考える点に於いては、社会的政治家であり、欲望の自律を促す面からすれば教育的宗教的な高い識見が必要である。
結局優しく暖かい人柄と深い哲理にもとずいて、果敢に決断し実行する信念と、総てを大切に慈しめ得る完成度の高い人間を目指すことではなかろうか。自らを深め高めようとする向上心こそ、最も優れた内在的師に既に遭遇していると言える。会社の経営も自分の人生の生き方も、又社員の意識作りも、この本質の処が必要絶対条件なのである。その条件を健全に整えることを基本理念としていけば、結果は自然に訪れるように宇宙の掟がなっている。だから、後は感謝と思い遣りと信頼をありったけ振る舞っておればいいということになる。

午前中、老師と語った。今、老師は世界の教育問題の根源に深い示唆を与えておられる。総ての問題は精神性の頽廃と位置付けて、とにかく生まれた赤ちゃんが、親と言葉と環境と、生命誕生から進化の過程で獲得して潜在しているDNA情報等によって、次第に人間として形成していく精神の本質的構造のメカニズムを明らかにしておられる。これこそ学者とは追求の異なる手法によって到達した世界であろう。生きた人間を立体的に理解する、この人間本質論を携えて、矢崎会長が率いる「将来世代国際財団」の一員として精魂を傾けていらっしゃるお姿に頭が下がる。〈教育に間題がありすぎる〉と、今十人寄れば十人全員が同じ思いであろう。と言う事は、これから良くしなければいけないし、良くなるであろうと信じたい。日本でも各地から老師のような志の方が一人、二人、三人と立ちあがってこられた。これは有難い事だ。
企業家は、こうしたリーダーの方々が充分に力を出し得るように、資金面で支援することが大切であろう。皆この社会と地球を守らなければならないとは思っているはずである。本当に幸せになるためには、絶対な基本条件を、皆で健全に保たなければならない。現実的にはそれぞれの役割があり、機能も立場も異なっている。そこで共通共存観点に目覚め、志と理念が高まらなければならない。共通共存観点とはは、共に助け合い、協力し合って行くことがベターだと気付くことから始る。出す側も、使う側も、共に社会奉仕であれば、大いに協力支援をすべきだと思う。時には、お金を出しても口を出さない、と言うくらいの信頼と同時に、その立場の人を尊重し期待と激励することも大切な潜在能力を培うことになるのではないかと思っている。
最近、年代を問わず、自覚のないノイローゼの方が増えている。子供にも起こっていて教育的に大きな問題となっている。特に現代の母親に問題があると私自身は考えている。何故ならば、子育ては両親ですると言っても、無骨ものの男性には、或る時期は任せられない極めて繊細さが必要な成長過程がある。つまり母親に内在している母性本能が無ければ子供の様子が見えないので、児童までは殆ど百パーセント母親の責任だからである。そういう自覚がなければ母親とは言われないのではないか。生き物として本能からの充分な注意と厳しさと優しさが注がれてこそ、必要なその子の本能と感性が瑞々しく育っていくのだ。逆にそれらの無い子供達が結婚して、又、子供を育てるのかと思うと、ぞっとせざるを得ない。早く宇宙の掟、自然の意志に気付いて下さいね。子育てくらい母親にとって希望と楽しさを与えられるものはないし、子どもを育てる以上の創作芸術というか作品作りはない、と私は思うからです。

午後からの坐禅は、ただひたすら一息への努力。真に菩提心であった。死物狂いであった。大変調子が上がる。
突然「欠野さん、夕食作りを手伝って下さい」と言われ、台所へ行ってびっくり仰天してしまった。今迄見た事のない程の大きなタコ、それも生きているのである。今いただいたばかりとか。それで助太刀依頼となったらしい。いかにベテラン雲水さんでも、これはちと大変だ。赤ちゃんの産湯に使えそうな大鍋で孤軍奮闘。熱湯に入れてもタコの大足が動くのである。妄想することなく、ただ見る。そうしないと本当に成仏できないから。
来客もあり八人分の夕食を作り、早速、膳を囲む。久し振りにお酒も用意され、賑わう。宴たけなわの折、どうしても私の体が禅堂へ入りたがっているので、とうとう老師に頼み込む。
「すみません。今、禅堂に入らせて下さい。どうしても坐りたいので!」。
「欠野さん、いよいよ本当の菩提心が出ましたね」
「はい!」。場が場なのでじっと堪えていたが、体全体が禅堂へ行きたがって我慢できなくなってしまったからである。一人で、それも零下の中。それほど強烈な切迫感があった訳ではないのに、求めている世界を早く獲得したいと言う願いがそうさせていた。お腹は充分だし、飲めないし、これ以上ここに居ることに価値が無いからである。私は修行しに来ているのですから。
夜中迄坐禅に励む。風が強く、時折バケツであろうか、風に吹かれて〈カラン、カラン〉と、ただ音がして、静に終わる。葉の揺れる音も心地良い響きである。自然って何と爽やかなのであろう。自分が自然に成れば成るほど楽になり、爽やかになる。今夜の坐禅は、いまだかつて経験のない深いものであった。体の中は、胃も腸も何もなく、只あるのは呼吸のみ、息が流れる空洞となっていた。もう少し簡単に言えば、体も無く、瞬間の音となっていた。一呼吸と成って散っていた。総てがそれで跡形無く消え去っている。明日、老師に報告しよう。いや、きっと老師は報告しなくても解っておられるであろう。
自分を最も尊敬し、且つ日々自己を捨てなさい。本当に自分が信じ切れる自分になるためです、と私に言い聞かす。
縁によって結果が決まってくる。
縁は必ず結果があるということ。
結果が有ると言う事は、そうなる原因が必ず有ったということ。

十二月三十日

隣りの部屋の壁に、次のような事が書かれた紙が貼ってあった。
「只は仏の世界ですから考えるものではありません。縁に応じて「只」あるのみ。どうせ死する身なれ一心不乱におやりなさい。本当の自然は何も入りようがない。それをあれこれ考える為に不是なり。努力、努力、菩提心は努力なり、一心不乱に考えることをやめること、これが修行にてほかにはございません。呵々。
  思はじと思うも ものを思うなり 思はじとだに 思はじな君

接心会心得
一、心を空にして四六時中、只、法に従って行動すべし
一、一挙一動をおろそかにせず即念に生きよ
一、みだりに雑談をなすこと勿れ、他の禅定を防げることを恐れよ
一、坐禅は仏祖の生命なり、禅堂にあってはただひたすら坐につとめよ
一、聞法あれば自由に老師に独参すべし」と。

壁に貼ってある、これらの文字は、今は成程よくわかる。それにしても味のある字である。
禅堂に入る。自分は凡夫だからと思う事は、この様に確かな存在に対してはなはだ失礼である。呼吸が自ずから在り、素晴しい自然の存在ではないか。その様な道理がふつふつと心に浮かぶ。考えての事ではなく、自然に何かが高邁な事を解らせる。組み立てた道理ではないから、出たといことは内に信念となっているものがあるということらしい。老師は「近いうちに道理が出て来て苦しむぞ、欠野さん。自分で自分を認めてはいけませんよ」と注意されていたが、この事であるらしい。面白いように高尚な事がどんどん解る。それらしき本のエッセンスは、取り出せばほんの僅かなキーワードであるから、それよりずっとずっとレベルの高い道理が限りなく自分の中に現れる。何百冊という本などを読んで、そこから得たものより確かなものだから嬉しくなる。
ふと、単純に呼吸ができなくなっていた。今迄、あれ程、順調にいっていたのに・・・
内から湧き出る言葉に惚れ込んでいたからだ。大変な事をしてしまった。
何故確かな呼吸があるのに出来ないのか? 
すぐに気付いた。私が呼吸を運ぼうとしていた。これが間違いだった。呼吸が総てを説いて教えているではないか。ひたすら「ただ」呼吸をしていればいい。簡単な事で、道理を生み出し認める私が在ったからだ。捨てれば済む事だった。師の言葉は、成ってみなければ解らない事が多い。けれども、いずれも皆大切な示唆で、これ無くしては明らかに理屈に捕らわれ迷うであろうし、絶対に救われる事はない。

眠くなる。自然現象とは言え、結構逆らうと辛いものだ。老師は「怠慢なものがここまで来て坐禅のようなことをする筈がない。なのに深い眠気がくる時は疲れだから、ほんの少しでも眠るといい。その後の修行がずんと進むから」と言われている。何と無理の無い、そして自然体での修行の有難い事か。
午前中一時間ほど眠る。本当に眠くなったからか、一時間ぐっすり眠らせて頂いた。そして再び禅堂へ。
まことに楽に、切れの良い明快な「今」があり、呼吸がある。自然に、自然に、とにかく、ひたすら一呼吸に成る。呼吸がすべてを導いてくれる。「一呼吸、一呼吸を大切にしなさい」の要旨は本当に限りなく深い。これだけでいいのだ。

車で五分程走った所に例の話題の「海蔵寺」がある。午後からそのお寺へ皆でお掃除に行く。節季の大掃除である。海蔵寺からの景色は一段と美しい。驚くほど新鮮で体が景色に溶け込んで境目がないのだ。こんな景色と私との出会いは初めてである。私自身がすっきりしただけなのに・・・世界が一変してしまったようだ。
瀬戸内海の景色は穏やかだが、潮流がとてもきつい所だそうである。対岸の山々は愛媛県とのこと。華々しい男性の歴史的舞台だった瀬戸内は、いつまでも穏やかで美しくあって欲しい。
本堂からその奥を担当する。一つ一つ丁寧にふき掃除。幸せあふれるものを感じた。この気持を大切にしたい。お掃除が終わって頂いたおまんじゅうの味は生涯忘れないであろう。
夕方五時から禅堂にて坐禅。呼吸が更に静かになり、一点ずつ運んでくれる。丹田から一点ずつあがっていく。胸、のど、鼻、目、額、そして百会ヘ抜けていく。呼吸は本来これ程静かなものなのだ。あっという間の二時間であった。
夕食中、老師いわく、
「欠野さん、元旦に帰っても貴女一人、何の食べ物もないでしょう。台所も冷たいよ。どうですか、もっと居ませんか。」
夕食後、老師の部屋へ伺う。
老師は私の使命の大きさをよくご存知だからこそ、おっしゃって下さる。この愛の言葉に感謝する。この機会、この幸因縁を大切にしたい。二日目に来られる来客を断ろうと連絡するのだが、残念ながらどうしても付かない。やむなく元旦に帰らせて頂く事にした。が、この一月から毎月三日間参禅にお伺いさせて頂く事にした。
老師いわく「帰ってから朝晩、短時間でいいから質の高い坐禅をしなさい。決死の覚悟でするんだ。今のなにも無い心境をどこまでも練りなさい。さすれば研ぎ澄まされた知性によって物事の本質を良く見る事が出来る。面白いですよ。」
老師には総てが見えている筈なのに、それ以上を私には語らない。私も聞かない。耳で聞いて言葉で知って何になる。自分の力で見なければ本当の事は解らないぞ、という厳しい教えなのだ。只、今あるのみでいけば、絶対に本当の世界が手に入る。欲しければ自分で取るしかないぞと言われているのである。
〈菩提心・努力心・向上心〉については、私には小さい頃から趣味の如く身についているではないか。これは実に有難い習性である。
〈生きる〉という事につまらない理屈を付けなければ、今が実に尊い存在である事に気付くし、すべてが生き生きとして何一つ無駄がない事も解って、とにかく〈生きる〉という事は楽しいということを聞いて頂いた。総て頷いて聞いて下さった事は嬉しかった。
老師がすすめるままに美味しい玉露を何杯も頂いた為か、お昼寝をした為か、目が冴えて眠れなかった。この様な時、以前だったら眠ろうとして小細工をし、辛い思いをした。今の私は全く違う。ただ、縁のままに心静かに一呼吸を大切にするだけ。正しい修行は本当に有難い。それはそうだが、布団を掛けていても肩に〈スースー〉冷気が入ってくる。思わず頭からすっぽり布団を掛けた。満ち足りた私は総てに感謝していて、明日もハッピーを信じて、やがて深い眠りについていた。

十二月三十一日

午前四時半起床。とうとうやって来た今年の締めくくりの日。昨年末に今日の事が予想できたであろうか。否、絶対に否。これは因縁無量の働きとの事。ということは、宇宙とは時間的にも空間的にも限りが無い事で、総てが関わり合っている。それが因縁無量ということ。それを人知というちっぽけな思考範囲や自分さえも解らないような曖昧な認識で、無量無遍の世界が解る筈が無いではないか、と老師に言われる。御尤もです。

とにかく理屈無く座ることだ。四時五十分禅堂ヘ。零下であろう、非常に寒い。坐禅の度に思うのは、あの棒、肩をたたく警策がなければと。痛い。〈くそっ!〉と思う程痛い。矢崎氏は(通販フェリシモ会長・京都フォーラム主宰・将来世代国際財団理事長)老師に打たれて一週間以上青あざが消えなかったと言っておられた。老師でなくってよかった。すぐ忘れて一息になりきる。
今日は本堂でのお勤めが中止となり、そのまま禅堂での時間が長くなる。きっと私のせいであろう。今の段階において湧いてくるものがある。その事についてどうすべきかは、全く考えない。その時になれば出来ると信じているから。だから出てきても直に切れるし楽なものである。しかし、これもあれも全部雑念なので、それらを見抜かれての延長坐禅となったのであろう。これも雑念! 止めよ、止めよ!
ぱちっ! と切れる。
私の坐禅を今、中止出来ない。
呼吸ばかりになった私。一瞬一呼吸そのもの。

朝食後、三時間大掃除。終わって十一時に禅堂へ。
呼吸が私、私が呼吸そのもの。そして、とっても楽なのである。遊べる程、楽。楽しい。無の世界。呼吸も私も無。究極の極意ではなかろうか、と思える程であった。
午後からの坐禅は、午前中のあの気持の良い坐禅を願い過ぎるのが執着となったのであろうか。そこ迄はなかなかいかない。

午後六時入浴。入山させて頂いてからお風呂に入れる幸福感は今迄の数十倍にもなった。しかし湯船につかったものの中々出られない。お湯がぬるいのである。薪をくべて欲しい。裸なので、言うか言うまいか迷ったが、次の入浴者の為もあり、私が風邪を引いては困る。この二つの理由で思わず大声を出す。
「すみません。ぬるいのですが・・・」
すぐ返事が返ってきたので、ほっとする。
しかし、そんなに急には熱くなるわけではない。「熱くなりましたか」の外からの声に、思わず「全然です」と正直に言ってしまった。ぬるいお風呂だからこそ、お風呂から上がって体の温もりを感じた。
道場全体、いつもと違う緊迫感がある。一人々々気合が入っているからであろう。平成七年最後の瞬間までも、どなたも深い思いが込められていて、それが滲み出ている。午後七時禅堂ヘ。ただひたすら一息に徹する。総勢十二三人の猛者揃い。S君もすっかり軌道に乗り、見違えるほどだ。気品とも風格とも言えるしゃきっとした存在となっていた。老師の彼に対する慈愛は全く計り知れない。少しずつ、少しずつ良くなっていくのを、辛抱強く引っ張っていく。あれからは禅堂で泣け叫び、不快感窮まりない溜め息も、無神経などたばたもすっかり治って、殆ど健全な修行者になった。私が入門するより五日くらい早かったので、彼の以前は見ていないが、私の知る限りその苦しみ様は尋常ではなかった。随分知性の高い青年だし、一般生活さえ出来ない自分にどれ程悔しい思いをしたことか。精神的解決を求めて、数え切れない程いろいろな宗教に救いを求めた。その放浪の歴史には恐れ入った。オウムから何から、インド・チベット等まで求めて行ったとか、それは並みではできない努力である。ここが最後だと言い、井上老師を徹底信じて涙ぐましい努力を続けてきた。彼の精神構造の変革の様子をまざまざと見てきた私は、現代医療からカウンセリングまであらゆる可能性を尽くしても、結局は彼の心を健全な状態にできなかった現実に対して、唯一ここの禅のみが救済して行くその一切を見ていて、計り知れない深い慈愛と徹底した指導法の凄さにたびたび感動した。彼の脳構造をかくも精彩に把握し得る分析力と、宗教家とはとても思えないロジックをもって、有りすぎる雑多な知識によるランダム回路の縺れ現象を解きほぐして行く。
「S君や、君ほど手のかゝる修行者は久々だよ。十人分以上だぞ。しかしよく就いてきたし、本当によく頑張るよ。とことん私に就いてきなさい。必ず治るから」。と、慰めるような激励から、
「S君や。君を救えるものは誰も居らんぞ。第一、その複雑極まる屈折した脳回路が見える程の人が先ず居ないから。他の修行者のことを考えると、君の様なのは、或る約束事をしてそれが守れなかった時、下山させてしまうのが一番いい。しかし、君ほど知性豊で真面目で正直で努力家であるにもかかわらず、溶け始める時節さえ与えずに放り出すことは出来んのだ」と、老師自身背水の陣で指導されていたのである。まさに人間を大事に々々ゝする慈愛そのものがそうさせていたのだ。
或る朝、坐禅中に珍しく老師の言葉が流れ始めた。
「S君。その睡眠を大切にしなさい。君は今まで、自律神経が衰弱し興奮していたために、眠りさえ充分に出来ず、さりとて起きていて起きておらなかった。疲れが取れ切っていないからだ。今、本当に深い睡眠が取れ始めたので、これからはぐんと整っていくからしっかり眠りなさい。ここまで体が整ってきたら弛緩と緊張がはっきりしてくる。自然大脳も休めるから折り合っていく。自分の行為が知性的に把握できるし完全に意識下でコントロール出来るようになる。いつでもいいからしっかり眠りなさいよ」
居眠禅に対してこのような話であった。普通の禅指導者なら「この怠慢者めが!」とかで、したたか打たれて、いよいよ屈折し自信を無くしていくだろう。S君、貴方はここで本当に救われるわよ、頑張ってね、と私もいつしか母親の側で声援していた。又或る時は、
「S君、爬虫類から霊長類へ進化したな。犬や猫は自分が死ぬことも知らない。だから不安も何もなく時に従い縁に応じて自由にやっておる。あちらの方が遥かに悟っておるのだぞ。知性は色々想像させ、イメージなどで自らおののくのが人間なのだ。その代わり、知性は結果の想定が出来るし、相応しくない結果が見えるから、そうならないように今、何をなすべきかを選択することができる。君は、まだそこのところで、自分がしていることの意味が解っていない、精神構造上まだ人類に達していない回路の不備がある。ただ、全く回りが見えなかった爬虫類の時代は終わったぞ」。知らん顔をしてそのような事を言われる。そうしたひょうきんなロジックで口説いていくのは絶妙としか言えない。背筋もピンと伸びたし、お茶碗やお箸などを持つ、あのチンパンジーそっくりの無知性をも遂に治した。存在感の自覚を一挙一動にみなぎらせる指導は、是の如く困難であると言うことを、彼とその指導の大変さを見て知った。
平凡でいいから、一日がとにかく送れたことに私たちは心から感謝しなければいけないのだ。一度しかない人生を、こうして健全に送れるようにまでになったことは、同じ人間としてこれ程嬉しいことはない。彼にとって、生まれ変わった新しい人生の新年となることを思うと、つい胸が熱くなってくる。

勝運寺の除夜の鐘が鳴った。ただ〈ゴーン〉。
十二時。改歴の瞬間。私には何の感情も心もない。年の暮れ、除夜の鐘で新年とは。決まり無き世に決まりを付ける。大切なことである。とにかく五時間の坐禅があっという間であった。快調であったのだ。
〈ゴーン〉。〈ゴーン〉。〈ゴーン〉
〈ゴーン〉が私、また〈ゴーン〉と私が現れる。
いや、私が〈ゴーン〉そのものであった。
老師が突然「せっかくだから、除夜の鐘を衝きたい人は行ってきなさい。」と言われた。何人かが行かれた気配。私はせっかくのチャンス、あの鐘の〈ゴーン〉になって坐禅を味わいたいと思った。ところが眠いのである。きっと眠ってしまったのではないか。すかさずとんできた警策。それにしても今の〈バシッ!〉にはこたえた。痛かった。特に左の肩が痛い。きっと大きな青アザができているに違いない。それでも何の感情も無い私が嬉しい。

午前一時半、坐禅終了の鐘が鳴り、祖師方にご挨拶。師にご挨拶。皆とご挨拶。けじめはいいものだ。食堂に集まった。満配である。新年の宴会の用意がされていた。これだけ用意されるのは大変であったろうと心の中で手を合わす。
「おめでとうございます。」で乾杯!
日本酒、ビール、鍋。この鍋のねぎの味が美味しかった。参禅に来られたI氏がご自分の畑で作られた由。I氏の心の味であった。有難う御座います、と自然に頭が下がった。
後片付けをして床に就いたのは午前三時半であった。
そして一時間後の四時半起床。セーターも脱がずに寝たので身支度は早い。
午前四時四十五分禅堂ヘ。坐禅中誰か寝ているようだ。というより、何人かが寝ている。〈スー、スー〉と寝息が聞こえてくる。私自身眠い。眠ってはいけない、と思いつつ、心が呼吸から離れ、人の寝息に襲われる。睡眠時間一時間の寝不足が、新年早々の珍坐禅をさせてくれた。皆の気合が凄い。眠りながらでも新年を信念の坐禅で迎えようとする迫力には参った。でも、老師がご覧になったら、「眠るような坐禅ならするな! 部屋へ帰ってちゃんと寝なさい!」だろうなと思っている。
午前八時、朝食にお雑煮を頂いた。大好物のお餅が食べられて心から喜びを感じた。
朝食後、老師共々全員が海蔵寺へ新年のお勤めに行かれ、私一人禅堂へ入った。
誰も居ない禅堂を独占しての坐禅は新年初の爽快感がした。
只、ひたすら呼吸に没頭する。
〈呼吸以外に意識を向けなさい〉と、例え言われても絶対無理だろうと言う位、只、呼吸のみであった。
呼吸が私になって我を忘れかけた時、突然「欠野さん」と呼ばれた。
幽雪さんが外から呼んだのだ。
「皆さん、海蔵寺でお昼を頂く事になりました。二時五十三分の電車に間に合うようお送りしますので、ご一緒に参りましょう」と、私を迎えに来て下さったのである。
「ありがとうございます。」何とやさしいお心使いであろう。急いで袴を脱ぎ、帰阪の為のスーツに着替え、洗濯干し場から早朝に洗って干したシーツ、枕カバー、掛布団のカバーを取り入れた。体が殆ど勝手にさらさら動き回っていく。私がしているのではない。空気が勝手にそうしているような、いや、空が空をしているのだ。

海蔵寺で老師の奥様とお嬢様が用意して下さった正月膳に、言葉で表現できない程の幸せを感じた。大好きな黒豆、うずら豆、酢の物、数の子、刺身。数々のお料理を頂き、話に花が咲く。瀬戸内海の美しい景色ともしばらくお別れかと思うと、私にとっては景色までが愛しい。
庭で記念撮影後、全員に見送られ海蔵寺を後にする。お嬢様の運転で二分走ると「忠海ただのうみ」の駅。着飾った香り高い新年を愛でる人達も、私には全く意に介する存在ではなかった。別世界の、新しい私を迎えた新年であった。幽雪さんが紺色の新しい作務衣を届けて下さった。もっと修行せよ、との師のお土産であった。
電車の窓から、お二人の姿が見えなくなる迄、手を合わせた。体の中を熱きものが流れる。車窓から見える美しい風景を只、只、眺めた。〈こんな景色の美しい所に別荘があったらなあ、どんなに心が休まることか。社員達も喜ぶだろうな〉と妄想していた。そして〈はっ!〉とした。〈こら! もう妄想しているではないか! ばっかもん!〉と言う大音声ともに、あの怖い目が現れ、つづいて〈執着も欲望もいけません〉と私の中からも叫んでいた。
三原駅から乗車した新幹線で深い眠りに入り、後、新大阪駅迄六キロメートルのところで目が覚めた。徹底眠っていたようである。都会に帰ってきた。結構うっとうしいけれど、結構楽しい処だと、さらりとした目にはそう映った。
私はこれから、今を大切に、今の一呼吸を大切にしようと誓いながら、一歩を踏みしめ踏みしめ歩いていた。喧噪も新年も人も電車も一切心に差し障ること無く、ただ、心のダイヤモンドを大切に大切にして帰託した。思わず、無事帰宅したことに感謝し、師に感謝し、総てに感謝して、訳もなく合掌して深々と頭を下げていた。

昨年十二月二十二日、大阪を発った時と今とでは、言いようのない爽やかな差を感じ、思わず見えない呼吸を抱きしめた、一九九六年元旦の夕暮れであった。

後記

井上老師、幽雪師、本当に有難うございました。初めて自分の心の奥底近くを見せて頂きまして、その大切さと有難い救いに感動し、言葉にならない感謝で一杯です。
自分の心を知ることが、この様に大変であることもよく解りましたし、又大変素晴らしい人生であることも、総てが素晴らしい関係であることも解りました。自分の人生ばかりではなく、世界の健全性を得るためにも、精神の覚醒と向上は不可欠だと言うこともよく解りました。始まったばかりで、これからが本当の修行であります。
初めての参禅が終わった帰り際に、「後人の参考になるかもしれないから[参禅記]を書いてみては」と言われ、私も記録として残しておこうと思っていましたので、ぺんを走らせました。老師に、行間が書かれていないから駄目だと言われ、書き直してこの様になりました。
参考にといって幾ら読んでも、それは知識の世界でしかなく、結局は実地に体得し、そのものを自覚するしかないので、内容のちゃんとした指導者に就いていたら読む必要などないのです。が、知らなければ縁を得ることさえできません。ほんのご参考になれたら嬉しく思います。私はようやく見つけたこの心の光を、これから人生の琴線として努力する積もりです。
良き人生をされますように心からお祈り致します。
老師、幽雪師、そして暖かく見守り続けて下さる社員の皆様に、厚く々ゝ御礼感謝申し上げます。合掌

   平成八年一月二七日   (一月二三日より二七日 再参下山の日に識す)


後編

再参の[参禅記]

一九九六年一月二三日より  二七日まで

参禅してから生活全般が特別に変ったという事柄はない。少なくても外見的には。でも、私の細胞が若返ったと言うか活性化したと言うのか、総てが新鮮であることと、人生という見えないが確実に織りなされ過ぎていく一日の生き様に、きっちりと価値ある時を実感して生きていること。これは私一人の、人生の掛け替えのないダイヤモンドである。みずみずしい精神、心の酸素が一杯の「今」という環境を、毎日細胞が欲しているのである。ということは、生きることの基本として、さらなる存在の浄化と向上を無意識に求めているということになる。そしてそれは、下山間も無いのに再び参禅する動機に発展していた。
もし「二回目の坐禅修行の目的は」と、人から問われれば、「只、今に徹するのみです」ときっぱり答えるであろう。それは、十一日間の第一回参禅、そして第二回目の五日間参禅が、私をその様に成長させたからこそ、この言葉が言えるのである。
「禅には初歩も終わりも無い。本当に[今]に徹する、それが禅の始まりであり、終わりである」。今私は、老師のこの言葉を確信を持って言い切る。それは実生活が、時間の一粒一粒の単位で確立されつつある、そのことの重大さを実感しているからだ。今まで人生をしてきて、この様に全体が生き生きとした実感はない。この幸せ感は「今」が本当に「今」であったことの気付きからに過ぎない。ここら辺りの心境を伝えることは全く不可能である。この度の参禅の特徴をかい摘んで言うと、次の様になる。
既に、修行としての努力をどの様にすればよいか、と言う基本が明確であるから、いきなり端的な一呼吸を確信して遂行することができた。従って前回の様に、その事が判然とするまでの数日間と苦しみは殆ど無かった。よって二日足らずで、きっちりとあの時の、あの決定的「今」の空に達することが出来た。これは驚くべき心境の進歩と言える。
更には、何から何まで無駄無く、しかも余裕があって、大変楽しい修行であった。加えて、鹿児島から古参の方(お医者様のご長男四十二才)で、実吉隆盛さんといわれる和食の板長(シェフ)さんが来られていて、とにかく毎食絶品の御馳走にあずかったこと。偶然とは言え、これもまた修行に凄い弾みが付いたのではないか。もう一つ、それは自分の[参禅記]が着々と本になっていくのを目の当たりにし、歓喜が坐禅を一層熱烈にしたことだった。
どこまでも透明な心に、言葉にならない子供の様な喜びと感動があり、不思議な満足と爽やかさの参禅であった。たった二度ばかりの参禅で、これほど心境の向上が得らるとは思っていなかったので、実は自分でも驚いている。信じるということと、素直にひたすら努力することの尊さを心底思って止まない。

平成八年一月二十三日

私の真なる魂を求めて、再び少林窟道場の心の山門を目指して家を発った。前回と違うところは、暖かい手袋、毛の靴下、特別長持ちするカイロ、そして原稿用紙がバックに潜んでいることぐらいか。顔をすりつけたローカル線の車窓には、変わり無い私の大切なダイヤモンドがあった。懐かしい処へ帰ってきた実感で忠海の駅に下りれば、出迎えて下さった幽雪さんの厳粛な合掌に我が身はきゅんと引き締まる。その瞬間から心の追求が始まっていた。ゆっくりと車から下りる。ゆっくりとドアを閉める。「バン!」という音が体の中を吹き抜ける。ゆっくりと、はっきりと一歩を確かめ確認して歩く。ゆっくりと道場の門をくぐると、そこは心の世界、別世界。既に経営者の欠野アズ紗も無く、女も年も奇麗に消えていた。これほどの救いはないと思った。だってこれ以上さっぱりとして心軽やかことはないからだ。再びあの老師のお顔と対峙して、少林窟道場へ来たと言う実感を得た。平成八年の元旦、この禅堂より婦ってから、どれ程この禅堂に来たかった事か。ご挨拶はいきなり心境の点検である。
「欠野さん、地獄の味はどうでしたか?」
「それが楽しくて楽しくて、何をしても楽しくて・・・」。老師はお茶を勧めながら微笑まれて、
「欠野さんは何事にも一途になれる、とても素晴らしい資質をしているから、基本的に成すべき事柄にすぱっと入り切れる人だ。それが更に楽に出来たということかな? それはそれでいいが、物の本質がよく見えて、それを楽しんだでしょう?」。
「そうなんです。一日が面白くて、短くて・・・ こんなに楽しいことは他にありませんでした」。
「そうでしょう。貴女は不思議な女人だ。貴女みたいな人が活躍されると、地球環境も社会も明るくなるから大いにやって下さいよ。そのためには精神の実力がいるので、しっかり坐禅して下さい。宜しくお願いします」。
老師が頭を下げていらっしゃるではないか。もったいない、と思わず深い一呼吸をする。上げられたお顔に微笑みを感じて、私も微笑みが出かかった瞬間、
「今はどうですか?」。
「はあ・・・。楽です」。
「どのように?」。
「・・・」。こう来られるから困ってしまう。いきなりだから息が詰る。老師が訳もなく得体が知れない存在となる瞬間がこれである。
「油断大敵! 良くても悪くても過去は過去! 即今、今が大事なのじゃ! 今とは何ぞ!」。
老師を睨み付けて、深ーく、長ーい息をする。老師の目玉を繰り抜かんばかりにと。老師は元より、能面づらしてじっと私の目を見つめたまま。
「よろしい。時を惜しむこと。すぐ禅堂へ行きなさい」。
「はい!」。中ほどにもう少し法話があったが、これが挨拶の終わりであった。同時に、徹底した禅修行の始まりでもあった。挨拶もあっさりしたものだが、こんなに密度も質も高い挨拶は知らんわ。これを禅的と言うのかしら。もう少し聞いて頂きたいこともあったと思うのに、何もかも奇麗に吹き飛んでいた。さっぱりとはしましたけれど・・・。

四時半~七時半まで坐禅。只一息になりきる。ふと気が付くと真暗。カチカチの合図で禅堂から出る。身震いして廊下から見上げると、遠くの空の一つの星が、思わず私の目に飛び込んできた。そのキラキラの輝きは、宝石のダイヤモンドもかなわない美しさであった。気がつくと無数の星がそこにあるのに、確かに私にはでっかい一つのダイヤモンドしかなかった。徹底一つに成り切っていて、それだけだったからでろう。この事は今までにない徹することの作用として、精神の凄さを感じた。火事場という極限の世界ではなく、極一息の純粋さが、この様に他に心を取られること無く、一つに治り切る力となっていく正しい禅こそ、これからの必要な教えであろう。そう思うと、こんなに沢山の星たちが、真暗な禅堂の中で、一人坐禅をしている私に光を当てて下さっていたから、この気付きを得ることが出来たのだと感動した。

夕食。何と! 高級料亭の会席そのもの。たこ、ひらめ、干しかれいの刺身、たこの子のうす味煮込み、しゃぶしゃぶ、たこのカラ揚げ、えんどう豆ごはん等々、お膳の上へ次々現れるではないか! 私より三日早く、鹿児島から坐禅にお見えの実吉氏が、ご自分の財布で買物に行かれ、お料理して老師をはじめとして幽雪さん、私に御馳走をして下さったのである。心境の方も素晴らしい。聞けば十年のキャリアとのこと。納得です。まさに菩薩のような人。老師は、私の再参に相応しい席となったと祝福して下さる。
誰も語らず、淡々と頂く。口を開くとすれば法の事である。質問か、答えか。この厳粛なところが少林窟道場である。当然お腹一杯。
充分防寒して十一時まで頑張り、就寝。

一月二十四日

午前四時半起床。四時五十分禅堂に入り坐禅。寒さも今まで通りである。防寒が違うので助かる。手袋までプレゼントして送り出して下さったんだから。整った分だけ巧くやるぞ! と全身に力が湧く。
ところが、一息を上手にやろう、大事にしようと思えば思うほど出来ない。きっと作り事の捕われがあるのであろう。自我というものの存在がよく解る。その捕われを捨てて行くのが禅修行であるのに、その事もよく解っているのにそれをしてしまう。人間のご都合主義の癖が即ち自我であるから、それは想像以上に大変なものだと痛感する。普段の生活でも、うまくやってやろうと思って、小細工をするほど中々そうはいかない。物事と言うものは、邪な心なく自然体で何気なしにしていれば、案外スマートに終わっている。ところが、変な欲がちらつき、うっかりその誘いに乗ると大変なことになっていく。もう少し頑張れば、あの儲けはこっちに入るはずだ、とか思ってしまうと自我が走り出す。つい充分な条件も揃ってはいないのにやってしまう。結局自我がものを言い出すと、現実の様子が見えなくなってしまうからだと気が付いた。この自我を何とかせんが為に坐禅が必要なのであろうに。
昨夜のあの澄み切って何物もなかった心境は、一体どこへ行ったのかしらと、少し恨めしく思いつつの坐禅であった。
そう言えば、到着のご挨拶の時、老師はこうも言いわれた。
「欠野さん、貴女は今大変安定した心とエネルギーを持っているようだ。いきなり良い心境になりますよ。ただし、明日は安定が崩れてエネルギーだけが先行してがたがたになるから、慌てずに一呼吸だけを真剣にしなさいよ。苦しむからね」と、注意されていたのに。師の存在とは、こうした指導の言葉であり、進むべき道を照してくれる明りの事である。それを実行してこそ師の存在が生きてくる。実行どころか、忘れていたのでは話にならないではないか、と自分を責める。あっと云う間の午前七時であった。
朝食はお雑煮、やはり実吉氏が一人もくもくと作って下さったお味は天下一品。
八時半~正午まで坐禅。
昼食。何とすき焼。もうこれにはびっくりしてしまった。昼食がすき焼と云う事だけで凄い事なのに、しかも禅道場で。私が自宅で皆と囲むすき焼とは作り方がまるで違うのである。実吉氏は黙々と、先ず肉だけを味付けし、老師だけでなく私にまで器にとって下さる。皆へ奉仕され、ご自分は痛風とかでほとんど召し上がらない。もうこうなると料亭へ来たような気分さえする。坐禅の事よりこの日の夕食はどうだったかですって? それはもう又々気絶する位のメニューでした。ちょっとだけお披露目しますと、広島名物メバルなど、どれも新鮮なお魚。忘れてました、この寄せ鍋の前に出てきました一品は、ゆり根をつぶしておまんじゅう風に作ってあんかけをかけたお味抜群の「・・・」でした。デザートは柿、これ又特別美味しい○○柿でした。帰阪まで一体何kg体重が増えるだろうか、当然心配しました。
食べてばかり居たわけではない。今日の坐禅はたっぷり十時間。只ひたすら「只須息見、ただすべからく見(自分の見方)を息(や)むべし」を努力する。これが中々やさしそうに見えて難しい。考える癖がついているからであろう。呼吸を考えてしまうから、これ又やっかいな事である。止められたら窒息死してしまうし、さりとて一息に「ありがとう」と感謝の言葉を云いたいのだけど、ずっと「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」と云い続けなければならないし・・・
そうか、「ありがとう」「ありがとう」三昧に成り切ればいいのか! 一呼吸三昧と同じだから。その事に気が付いたのは、もう遅い夜中でした。

一月二十五日

午前四時半起床。寒いどころではない寒さ。手袋をしているのに指が凍えそう。でも心は全然平気。一気に様子が変わっていた。凍える冷たさが、一呼吸を静に見守っていると同じに、ただそれがあるだけだ。まさに「ありがとう」「ありがとう」三昧である。哲学者に悟った人は居ないとか。それは、ああでもない、こうでもないと知性をめぐらすからである。石が落ちる時、只落ちるのみ。その事実はその瞬間の存在でしかない。終わった後から、あれこれと考えるだけ、新たな今、今、を失っていることになる。終わったら、終わった事実があるだけである。手を洗って水で拭いたら手はどうなるか。いつまでも濡れたままであろう。悟りを開くということは、只、―息の今に成り切って、知性の束縛から開放されることである。事実と理屈とは全く無関係なのに、そのことが解らなくて、心が理屈に占領されていては、人生の真意義は全くないことになる。それを根本的に解決するのが坐禅修行である。そのために時々折々に、色々な感情感覚が出てくるが、それに一切とらわれぬこと。雑念は即刻切り捨てること。知性を働かせず、只、一息を大切にすること。朝課の終りに語られる、こうした老師のお話は、テープに録っておきたいほど、含蓄のある言葉である。

午前中二時間「見えない呼吸を抱きしめて」―悟りへの道を走る―校正。何回も何回も読みなおしては訂正、加筆を加えた。幽雪さんがコンピュータで表紙の案を作って下さる。これが見事で、老師も大層喜んでおられた。実吉氏はもくもくとお料理三昧。愛の総結晶は宝石のダイヤモンドより美しい。
昼食も「え! 凄い!」と目を見張ってしまった。メバルとOOOの煮合わせ、にがうりの豆腐玉子とじ、たらの芽の味噌汁。夕食はお客様の嵩さんがいらして五人でテーブルを囲んだ。レンコンまんじゅうのあなご巻、ほたるイカの大根とかぶらおろしあえ、刺身盛合せ、牛肉ステーキ、コンニャク、ふき、厚揚げのたき合わせ。又、又、フルコースディナー。
実吉氏は自分の財布でもくもくと買物をされ、もくもくと一生懸命お料理を作られ、一品ずつ皆が食べやすいようにもくもくと出して下さる。今日は買物のついでに岩風呂に入ってこられたそうである。
この岩風呂はこの町の名所であるらしい。老師は随分自慢げに話されて、明日私を連れて行って下さるそうだが、正直私は行きたくない。何故ならば岩風呂でなく禅堂に入りたい。それに男女混浴と聞いては絶対にイヤ。行きたくない! トコトン逆らおうと決心する。
坐禅はご馳走の性でもないと思うが、朝より更に調子がいい。午後からの坐禅中、手袋をはずして五分程休憩しようと思った時、「はっ!」とした。私流で言う悟りであった。手袋さえも仏なのだ。この寒さの中、私の手を包み暖めて下さる大きな慈愛。真に「愛」であり「悟り」の世界であった。呼吸も然りだ。最高の幸せのもとで生活している私達は、それに加えて最高に愛されている事に気が付いたのだ。仏様たちに!
手袋も然り、座布団もセーターも靴下も・・・数えきれない慈愛に包まれて生きていたのだ。今迄あまりにも当たり前だったために、この尊い存在に気付かなくて、何としたことぞ!と絶句であった。見返りを求めない「本当の愛」を悟らせて頂いた。感謝、合掌。

一月二十六日

午前四時半起床、禅堂にて七時迄坐禅。朝課の後、老師が西洋の医学と東洋の医学を語られた。それは極めて興味ある見方で感心したし納得した。法と人間を十二分に解った人でなければ、語ることは出来ない根源的観点であったから、正直言って驚いてしまった。私の簡単なこの「参禅体験記」が、多くの方々に読まれ、心を見直す糧になり、参禅してあらゆる気付きにつながれば、病気もかなり別な角度から見直され、或る病気は寧ろ健康へのステップとして役立てられるようになるであろうことを期待した。生きた人間の健康とは、避けられない極暑極寒、食欲、睡眠、労働等、生活の全般、生老病死にいたるまで、拘らずに自然体で楽しむことが出来る心身を言うと。そうすると、過度に恐れる必要もなく、成れば成ったで明るく治療に専念すればいいし、死ぬ時が来たら死に任せておればいい。心が病めば、総て病気と同じだと。もっと凄いお話があって、お聞きしていて、これは宇宙的健康だと思ってしまった。体は震えていたが、心は情熱と或る種の興奮で、極めて暖かかった。部屋の気温は零度だから寒いわけである。

朝食は実吉氏が作られる最後のお料理となった。お餅を油で揚げ、大根おろしにだし汁をまぜ合わせて頂いた。さっぱりとして幾らでも食べられるプロのお料理であった。
朝食後一時間禅堂にて只座る。只座るとは簡単なはずなのに、中々簡単ではない。人間の心は複雑にすることや、意識や概念を積み重ねることは寧ろ簡単にやれる。ところが心を単純にすると言うことは、心を使わないこと、動かさないことで、この方が余程難しい。ここに坐禅の面白さがあるのであろう。人間努力して巧く行かないと、限りなく色々言い訳をするものだと呆れてしまった。一息がうまくいかなければ座り方が悪いのかなと、座り方の角度を変えても駄目だと、もう少し呼吸を自然体にもどそうとか、袴のヒモがきついからだとか、挙句の果ては足の裏が寒いからだとか、あんまり美味しいものばかり食べさせるからよとか、老師はもっと法話をしてくれるべきだとか、朝課は足の裏にもカイロを入れようとか、運動が足りないからかなとか、よくぞまあこれ程の言い訳をし、つまらない雑念をすることだと、自分の妄想にうんざりした。でもそれ程の長い時間ではない。たったの一時間であったが、くだらん事は長いものだということを、ここでも切実に思った。
 十時、実吉さんを囲んでお別れの為のお茶。「美味しいお料理を本当にありがとう」とお礼を言う。でも心の中は言い尽くせない、真の有り難い気持ちである。もう体の中は感謝しかない。それが自然体であるから嬉しい。氏の車が見えなくなる。でも、感謝の合掌は尽きない。合掌の向こうには、いつものあの美しい海が、私の感謝となって静かにちゃんとあった。愛と感謝のダイヤモンドがそこにあった。それに見とれていた私の目は大きく輝き、口を大きく開けていたらしく、合掌を下ろす時、愛と感謝は感動になっていたことを知った。本当に美しいんですもの。

老師と幽雪師が私の参禅体験記の本作りにかかられる。作業される老師と幽雪師。申し訳ないと思いつつ、その姿を見せて頂くのも私にとっては尊い「法」の勉強であった。
昼食は久し振りにいつものおうどん。以前の少林窟道場にもどってほっとした。フーフーつるつる美味しい・・・。いつものに出会えてとても嬉しい。午後、台所、食堂、廊下の拭き掃除を丁寧にした。どうしてもしたかったので、誰にも相談せずに、それも自然に〈きれいにしよう〉と雑巾に手が行っていた。
バケツにお風呂の残り湯を入れ、雑巾を固く絞り「只」拭く。それのみ、そしてその繰り返し。気分がより一層爽快になってきた。坐禅する前の私にはとても考えられなかった事である。お掃除がこれ程迄に愛しいとは。無の私である。掃除も私にとっては坐禅と同じになっていた。
禅堂へ入ったのは三時半であった。不思議なほど呼吸が整っていたから、改めて精神の不可思議さと、不安定さと、瞬間的に変化する自由さに身震いがした。坐禅が面白いのは、こうした自分の存在の発見にもあるのではないだろうか。勿論、老師のような指導者に恵まれての話ではあるが。とにかく、只の呼吸があるだけ。一呼吸が自然体なのである。説明のしようがない程のごく当り前の自然の呼吸。それもやればやる程静かになり、存在が呼吸している。呼吸が欠野アズ紗している。生かされているのではなく、存在自体が生き生きしているのだ。その様子は語れないが、もう体も無く、時も無くなり、ただ無念の一点のみ。呼吸も無くなり、漠々とし混沌として、そういう状態で果たして何時間経過したのであろうか。完全かどうかは私には解らないが、自己を忘じていて、無我であったのだ。
「欠野さん夕食を作って下さらんか」、の老師の声に、返事をしなければと言う意識さえも無く、声を発すること自体が完全に跳んでいた。外見としては返事をしないという事になる。でも私は、返事をしない、という意識や判断は全くなかった。その事の無心という内容を知ってもらうとなると、どうしても老師以外には無理なことではないか。私はそうした状態を解って下さるから、だから師として絶対信頼をしている。ここの生活全体が修行であって、その一部始終を解ってもらえるという安心感は格別である。静かに腰に巻いた毛布をたたみ、立ち上がる。スキップしたい程楽しいとか、すがすがしいという、所謂感情めいたものもすっかり無かった。自分という存在観は徹底なく、むしろその漠とした「空」なる世界の大きさと拘りなさの安定、それが禅の境地であり、今の私はほんの入口だと思った。ただの一歩で台所だった。
台所に立つと、私の得意とする「有るもの活用メニュー」の技がさえる。夕食のメニューは到来物の魚「すずき」の塩焼、大根と大根の葉の即席漬(これは私のオリジナル)ゆり根のうす味煮、ふきのとうの酢みそ合え。殆どの食材はあの実吉氏の残り物。企業人としての私しか見たことの無い人は、こうして主婦業にかいがいしく徹している姿を想像できないであろう。思わず吹出してしまった。支度も楽しいが、人が知らない自分がまだ沢山有ることが楽しい。味の批評はプロの後だけに心配していたが、家庭料理が受けて極めて好評であった。

身も心も満足し切ってお風呂から出たその時、私の参禅体験記の印刷が出来上がっていて、もうびっくりしてしまった。ここは禅の道場であって印刷会社ではない筈なのに・・・。禅僧とは何と器用なのであろうか。コンピュータに印刷機に紙折機に大きなホッチキス等を使って作業が進む。本の表紙を見て又々びっくりしてしまったのだ。斬新なレイアウト、瀬戸内海のダイヤモンドの海の景色を老師が描いて下さり、そして大好きな朱色を使った表紙。これではプロも顔負けではなかろうか。きっと絶賛であろう。その表紙の内側に、
  他の過ちを見るなかれ
  他のなさざるを責むるなかれ
  おのが、何を、如何に作せしかを、みずからに問うべし
                  ー法句経ー
というお釈迦様の素晴らしい金文があった。それはそれは見事な表紙であった。嬉しさで心が踊った。三人で手分けしてページに組み、大きなホッチキスで綴じていく。三人とも完全に童心であった。本が完成したのが夜の九時。
「万歳!完成した。見事だ。美しい。世界一の本だ、おめでとう」。無邪気と言うか直に完成を喜んでいた。ビールで祝杯を上げ、夜中迄本の完成を楽しんだ。無心の働きであった。ありがとう。とても気に入ったわ。真に老師、幽雪師、私の波動の只、只「今」しかない成果の作品であった。

一月二十七日

朝食後、本の仕上をする為、老師の別の仕事部屋へ入った。機械と道具のぎっしりと詰っているところである。大きな裁断機で本の三方を奇麗に切る。老師は手を動かしながら、
「いやー、嬉しいですね。貴女は不思議なお人だ。人には色々あってね、喜びで手伝える人と、何となくそぐわない人とがいる。貴女は相手に相当きつい言葉を云っても、相手は喜んで手伝う。そんな雰囲気と徳を持った人だ。何故に嫌われないかと言うとね、邪心がなく心から相手の事を思って上げているからですよ。本当の親切心だからだ」と。ただ聞くことは出来たが、自分がそんなに優れた資質とは少しも思っていないので、師にその様に言われると恐縮してしまう。又言われた。
「しかし、その真心もフルに使わなければ徳も生かされないので、従って喜んで生産的発展的に尽くそうとする人の真心とエネルギーもまた生かされない、と言うことを知らなければならぬ」と。
喜ぶどころではないことが解った。世のため、道のため、人のために尽くしなさいと言われているのである。そして、
「何の報償も求めることなく、この真心を尽くす人を菩薩と言うのですよ。禅の境地の只の世界、ただの働きの事なんだ。今、こうして、淡々とやっていることが、宇宙を救っているのですよ」。
論理的に極限への飛躍とさえ思える老師のこの言葉は、坐禅しない限り頷き難い。以前の私だったら何を言われているのかさえ解らなかったであろう。今の私は、それが当然として理解できる。宇宙全体が「只」の世界だから、一切の拘りを超越した一心は、真実そのものであり、その事を一心に発露している事はその事を済度していると言うことであろう。
「いいですか、相手立てずに淡々と只することが、仏の境界であり大光明なのだ。つまり救いそのものなのだ。相手がないのだから限りが無い。時間的にも空間的にも限りがない世界を宇宙と言うのですぞ」。
いや、本当にいい説法を頂いてしまった。無我の大きさ、無我の働きの尊さを思い知らされた時、本も完成した。私が真剣だからか、この度は老師は惜しげなく法を与えて下さるのだ。完成した本を、嬉しさと共に抱きしめて部屋へ持って帰った。何はさておいても、おもむろに二冊を取り出し、老師と幽雪師へ捧げた。慈愛とお優しいお心使いに感謝して。喜んでお受け取り頂いてとても嬉しかった。とにかく、一、二日間で、この「見えない呼吸を抱きしめて」を完成して下さったのですから。私には不思議な仏様に見えてしまった。

午前中一時間半の坐禅。静かな呼吸が私を透明な世界、謂わば「空」へ導いて行く。自然に呼吸の存在が無くなってきた。呼吸と私とが、共に無くなりつつある、そんな呼吸となっていた。自然な呼吸である。無抵抗でとても暖かい。お母さんの子宮、この自然が私たち人間の子宮なのだと感じた。昼食は湯気モクモクの熱いおうどん。大好き。
大きなお鍋からおうどんをとる時の事であった。その自然の無為にして尊い生きた作用を悟った。何に「はっ!」としたかというと、箸を持つ私の手、それがお鍋へいざなう自然な働き、やおら無為の働きがおうどんをつかませる。今までこれらが一連の働きとして何も疑うことはなかった。次第にその働きが、流れるように楽で、生き生きしてきていた。それだけでさえ充分に楽で、救われていたのに。
ところが今、ここで悟ったと言うものは、繋がった一連の流れではなく、何と、総て一瞬一瞬のもので、しかもはっきり切れている、その事に驚いてしまったのだ。老師が口癖の様に、
「完全に一瞬しかなく、また、完全な一瞬は、完全にそれだけで終わっているということだ。この様子を脱落というし、また解脱ともいう。本来がそうなんだ。その事を実証するのが坐禅の目的なのだ。この明確な証を立てた一大事件を悟りと言う。その事を悟るためには、理屈を立てず、縁のみ。今じゃ、今じゃ、成り切るのじゃ・・・」。
私はこの確かな仏法の真髄の一部を理解することが出来た。体得したとは言えないけれども、現実だと思って平素生活しているこの世界が、この様に明確に一瞬の世界でしかなく、それも明らかに自分の観念や思想などとは関係が無いと言うことが判明した。すると、私もおうどんも同じ存在そのものであった。一瞬の切れている世界から見れば、すぐに流転して無くなってしまうから、皆瞬間の縁としては同じでしかない、と言う意味である。
老師に急須をお渡しする時、七味の瓶に当り瓶が倒れた。「急須が当る」という原因があって「倒れる」という結果がある。すべての物事、縁が結果を作る。当たり前である。しかし、原因と結果とを分けてみるのも、人間の思想的で分析的な知性や分別の世界であって、今の一瞬には二つは存在しないと言うことなのだ。勿論、この世の現象に生きる私たちは、この一連の因果の絶対性が有るがゆえに、科学も成り立ち、世の中の秩序も成り立っている。けれども、それでこの世界が真実である、という結論で生きる限り、私たちの思想や意識の想像界である以上、瞬間の絶対世界に巡り合えないし、思想や観念の世界から開放される日は無い。と老師の教えを絶対に信じれるようになったし、そうだと断言できるようになった。こうして、この度の参禅の向上は思いも及ばないものであった。
今、世間を思うに、縁を良い方に生かす生き方は、ダイヤモンドの宝石より数億倍大切である。救われるからである。世の中には大切な縁に会いながら、縁をむげにも捨ててしまう人がいかに多い事か。実に惜しいことである。縁を捨てたり軽く見る人は、自分をいい加減にしていることであり、真実の人ではないから、実の少ない人生しかないのは道理であろう。突き詰めるならば、縁の見えない人は、今を大切にすることと自分の存在とが、誠意によって成り立っている事が解らぬ筈だ。愛も恩も信頼も尊敬も、そこが根源だと言う自覚は到底無理であろう。
「子育ては百%母親の責任」は私が体験した結果の結論だ。子供が成長する中で、感性と知性とを正しく育てることが第一である。よく親に「これなあに?」「どうして?」と矢つぎ早に質問する時期がある。その時が一番親に心を向けている時であり、信頼している時である。だから親の言葉の総てと、親のすること総てを吸収してしまう。毎日の家庭で不平や批判がましい態度や、非人間的・非人道的な事を平然として語ったりしていると、自然に心もその様に育つ。明るく、楽しく、常に希望と勇気と努力を大切にし、自分の責任は自分で取るしかないことや、忍耐の大切なことなどを食卓で語ることである。そして、無限大に興味を持つように答えてやり、できるだけ自然の成長が出来るように、本人の意志や努力を大切に認めてやることである。そうすれば、潜在している無限の可能性が刺激されて、本人に一番相応しい方向へ伸びていくでしょう。
学校では多くの先生方が知識を教えようとする。教わる側の子供達は、それまでの精神性が健全に発育していなから、それらから教育して頂きたいのだが・・・。なのに知識の詰め込みとテストでは、ほとんど人格教育とは逆であろう。人間誰でも、毎日嫌なことばかりが続いてしまうと、心の自発の部分が退化してしまうか、猛烈な反発心を駆り立ててしまうか、諦めて白けた無感覚人間になってしまうかである。また、頭ばかりが先行してしまうと、とんでもない癖が構築されてしまう。何故か。自分が思ったり考えていることが、正しいか間違っているか、して良いか、して悪いかの判断基準が育たないからである。そうではなく、先ず興味が無限大に広がるように知性を刺激する。そうすると何でもしてみたくなってきて、友達と遊ぶようになり、子供達同志で多彩な行動をするようになる。悪戯もするでしょうが、失敗などは将来必ず役にたつので心配することはないと思う。この様な導き方さえすれば、将来世代の為に、豊かな子供達が沢山成長するのではないだろうか。
今日の昼食のおうどんは実にありがたかった。ふと、そうした将来に思いを致し、老師の色々な生きたお話に人生夢が湧いてきたからである。深く高い気付きというものは、夢までが美しくなり喜びになってしまうのだ。

昼食後、今回最後の坐禅。呼吸が昨日からずっといい調子に続く。単調の極みとでもいおうか。益々寂とし、あたかも息が止まったかのよう。静寂そのものとなり私もなくなった。もう、呼吸が私、というものもない状態が続く。そのまま、歩くことも、このようにペンを走らす事も出来る(この原稿は、持参した原稿用紙に毎日書いていた)。脳構造が変わってしまったかのよう。
とても大きな収穫を得て、私は新たな自分で下山するに当たり、師に合掌した。師も私に合掌されて、そして問われた。
「欠野さん、この様に合掌させるものは一体何者だ?」。師はまだ合掌しておられた。
私は、ただ合掌低頭して師を見上げた。合掌対合掌であった。何者かは知らぬが、これは、只これですぞ!と。自信たっぷりだから痛快である。
「御体に気を付けるのですよ」。
「はい。有難うございます。ご老師も」。感謝で一杯であった。
「道中も隙の無いようにね」。そう言って老師は私を確かめるように、覗き込むように凝視される。
「はい!」と言って車に乗る。余分な意識があると引っ掛かる。あぶなし、あぶなし。
師にいつまでも見守られ、見送られて列車の人となった。
車窓は明るく、島は少し霞んでいた。〈すぐまたきますから、宜しくお願いします〉と呟きながら、ダイヤモンドから現れた心の老師に合掌した。

こうして再び参禅に来させて頂いた集大成の私は、真に宇宙と一体だという実感で終わった。大自然の妙智力、汚れの無い赤ちゃんの心に立ち返った私であった。老師のもとに入門させて頂いて今日で一体何日目であろうか。正確には初回十一日間、今回五日間、たったわずか十七日目にしてこの境地、深い禅の境地を体得させて頂いたのである。
自らを高め、確かな安らぎの世界を希望される方々はたくさんいらっしゃるであろう。要は求道心さえあれば、後はご自分の努力で師を求め、命を捨てて掛かれば悟りと出会うであろう。必ず。
多くの方々が、「豊かな心の時代」の二十一世紀を迎える為にも、それを信じて実行する以外にないのです。実行したその時、物事の本質を見る自分自身の力に怖れ驚かれることでしょう。爽快であり、自信力です。その力は決して傲慢に振りかざすものではなく、自分自身の魂である「深い愛と信頼と安住そして喜び」そのものなのです。本当に信じて実行する者は救われるのです。無常の世とは言え、掛け替えの無い人生を、大切に過ごされますよう祈って止みません。合掌。

   平成八年二月五日


三回目の参禅体験記

一九九六年二月二九日~三月三日

五十も半ばに達し、自分の人生をふと振り返る年になっていたことをつくずく思う。乙女の頃のままの自分がそのままあるかと思えば、生きるためばかりではなく、時代を先取りしていくために真剣に生きてきた結果、自分という存在が最大の課題となっていたのには驚く。これは、思えば主体が総て自分であるという気付きであろうか。そこにしか究極普遍の世界は無いと言う結論を得たからであろうか。更に言うならば、人生とは、限りの約束された七八〇年。いつ、どこで、何事が起こるか解らない無情の有形的存在でしかない自分への恐れからかも知れない。
いずれにしても、こうした問題が心に去来している限り、何とか解決しておかなければ無意識のうちに無駄な心配や恐れに苦しむことになる。また疑心暗鬼や迷惑な期待などで、他の人の人生にさえ影響するであろう判断の陰りが起こり得るはずである。相当の偉い経営者や立派な企業家が、年を取り、それだけ長い間人生すると、人と利害との抜き刺しならぬ狭間に立たされ、結果的に右にも左にも中間にも解決が付かない絡みの落とし穴にはまった御粗末な姿を見てきた。これらのことは決して他人事ではない。私が井上希道老師に就いて参禅する精神的動機はというと、案外これだったかもしれないと、今頃になって気が付いた。
第二回の参禅を終えて、坐禅がこんなに楽しいとは思ってもいなかった。時折無性に可愛い悪戯さえしてみたいほど、余裕と楽しさに満ちた日々を得ることが出来た。その悪戯とは、人の心がとてもよく観えるし、心のキャッチボールをしてみたくて、球を速球で投げ付けて、勢いよくぱしっと帰ってくる明快な心を期待しているからである。或る方からお電話があった時、住所を教えてほしいと言われて「私の住所は宇宙なのよ」と言ったらびっくりされていたが、「私はその宇宙の住所が知りたいので、どうか教えて下さい」くらいの余裕ある心が欲しかったのである。日常にそうした余裕がなければ、直に損得や利害などの短絡的結論に走りやすく、人格も文化も生産的余裕も無い精神の使い方に終わってしまうことになる。それらは結局危険度も高く、生命力の乏しい因縁に立つことになるだろうから。
私はこうした自分の心の課題を浮き彫りにすることが出来た今、新鮮な自分との出会いと更なる深まりを求めて、三回目の参禅をしたのである。大変大きな救いと喜びを頂いて、今更ながらその功徳の偉大さに畏懼と畏敬の念を新たにしている。

二月二九日(木)

曇った日、三原からの呉線に乗る。座席は小学生時代の、胸をときめかした人生がそこにあった。両親に連れられ、最高のおしゃれをして祖母や、伯父、伯母の家に行った事を明確に思い出していた。あの頃も楽しかった。そして今も最高に楽しい。まだ「忠海」の駅に着いていなのに、老師と幽雪氏の笑顔が飛び込んでくる。私の再々参とでもいおうか、三回目の参禅を楽しみにお待ちになっていらっしゃる様子がよく解る。今日から又、よろしくお願いします、と心の中で合掌。目の前の海の景色は〈もう間もなく雨が降りますよ〉のメッセージか、うつろな色合いをしている。
風流な小さな門をくぐると一変に環境が変わり、そこは時代や世間を越えて私を包み込む爽やかな雰囲気が漂った世界なのだ。その入口に掛けてある門牌に「この門に入らんと欲せば心を空にしているべし。心空なれば自在なり。既に山内にあっては是非善悪を考うること勿れ。十二時中、只法にしたがって動作すべし。云々」とある。始めはチンプンカンプンさっぱり解らぬ言葉であった。ところが、今慎んで読めば、これほど確かで決定的示唆はないではないかと、見事な腹の底に響き渡る法話であったことが解った。いや、真意を漸く理解することが出来たのである。これが実地の修行生活なのである。他にことさらの修行等はない、と言うところがこの少林窟道場の真髄であろう。正直に言えば、この様に根源的で一般的で普遍的で、謂わば水準が高すぎるために解らなかったのである。
老師のお部屋へご挨拶に。老師のあの目と同時に、高貴な線香の香りが私を迎える。私の座るテーブルの上に、ちゃんと成った二回目参禅記の原稿があったのにはびっくりした。感動又感動であった。一頁ずつゆっくり読みすすむと、ふと私の[参禅記]が、私自身を静寂の世界へ誘なうのだ。いや、誘うというよりも、いつしか「無心」になっていた。全く自分の[参禅記]ではなかったのには驚いた。自己に挑む者のみが共有する魂の世界だったのだ。
目は文字をさらって走る。呼吸を静かにするごとに、手に持った本のすり合う微かな音。普段の生活では聞こえない音が、私の体を気持ち良くすり抜けていく。読み終っておもむろに目を上げると、老師がニコニコしながら玉露を入れて下さった。「美味しい!」と思わず言ってしまった。自分の声に気付いて、何か起こるぞ、と予感がした瞬間、
「どのくらい美味しいですか?」
と核心の問題と同時に、不意打ちのご挨拶を喰らって度胆を抜かれる。自分が不注意だったことを反省したが、反省だけではどうにもならない。か弱い女性の武器、にこにこ笑って誤魔化してみた。やや余裕はあった。すると又曰く、
「美味しい、と言う主人公は、一体何者だ?」
老師のぎょろりと睨む目は怖い。更に難しくなってしっまた。ところが、透き通った心境とは不思議なもので、言葉ではなく、何を確かめているのかが直に解った。この時私は既に自信が湧いていた。微笑みにも自信があったので、更ににこにこして、おもむろに手を伸ばし、お茶椀をただ取り上げて、そして静に口にして、
「ああ、本当に美味しいですわ、老師の入れて下さるお茶は」
と言って私は老師を見つめた。私が本当に「ただ」それだけになっていたので、老師としても、その純粋さを確かめているのだから文句は言えないはずなのだ。目には優しい笑みを浮かべられた師の姿があった。それで良いのである。それは尊くもあり親しくもあり、あれもありこれもあり総てがあった。しかし油断のならないところだから自然熱も高くなる。
そう言えば、ここに居られる人達の修行は、何気なしの様に見えるが、そこの一点に一生懸命であることが良く解るようになってきた。一見何もしていないようで、勝手に思い思いのことをしているかの様であったからだ。見る力が無いということはとんでもない世界に居るものだと痛感した。
小豆のたっぷり入った最中を頂きながら、楽しく近況報告を語る。その「はこにわ最中」という竹原のお菓子は本当に美味しい銘菓だ。時間は私を幼児にしてくれていた。人生という過去の時間からの拘りを捨てさせて下さった今は、幼児か児童であった。一生懸命只話す。老師も始終笑顔で、まるで児童なのだ。無邪気でやんちゃ臭い老師が、ただ聞いて下さり、頷かれる。つい乗せられて話す。禅堂での一呼吸と同じ、からっとした一瞬の世界がとても嬉しかった。
昼食はフーフーつるつるの熱いおうどん。夕食は鯖の塩焼と味噌汁。ここずっと講演が続き、ホテルでの食事が多かったので、とっても嬉しい献立であった。お通夜のような静けさは、頂く食事の質を決定的に変えてしまう。とにかくここの食事の取り方は徹頭徹尾修行なのである。たまたま尼崎の川尾氏が二六日から入門されていて、「只、今に徹する」への必死の努力が一面すがすがしくて、一面痛々しくて胸が詰る。食事の内容など問題外で、たったの一箸をどのようにしたら純粋に運ぶことが出来るか、純粋に一噛みすることが出来るかなのだ。重厚なお通やの食事禅である。彼のそんな姿を見て、私が今しがた通ってきたばかりの道なので、彼の今のお気持ちが手に取るように良く解る。とても大事な修行の要が解ったからこそ、これほど隙なく出来るのだ。
私は時折、本当に真剣に死物狂いで「今」を守っている川尾さんを横目でちらっと見る。確かに大事な一点が定まっている。これなら修行はきっちり、ただ出来る。素晴らしい。
今日は五時間禅堂であった。只、ひたすら坐禅に取り組んだ。努力とは裏腹に、無は無でも私の納得しない無の坐禅であった。少し悔しい。行を重ねる大切さ、そしてそれを続けること。何が何でも徹底して続ける重要さを身体で感じ、そして改めてそのことを思った。絶対に極める。いつかきっと極めるのだと。

今回私に与えられた部屋は、以前のカーテンのない三帖の間ではなく、カーテンのある六帖の間であった。嬉しい事に大きなテーブルまてある。お部屋に入るやその大きなテーブルに原稿用紙を広げ、ぺんをそっと置いた。今晩も書くし明晩も書きたい。私の内なる思いを。九時、手のひら程のアンカの入ったお布団にもぐり込むや深い呼吸とともに眠りに誘われた。川尾さん? 知らない。人の事を詮索している暇などは全くないのです。彼が修行していようが、していまいが。あれだけ真剣な方がどうして修行以外の事に心を向けられると? 彼も「今」ばかりなのだから、私と同じなのですよ。老師の仰る、絶対の信頼とは、相手の内容がきっちりと見えるからこそそれが出来るのです。従って内容がなければ信頼できる筈が無いでしょう。おやすみなさい。

三月一日(金)

午前四時半起床。暖房がないので格別寒い。パジャマを脱ぐ事が出来ずにその上からセーターを着ることにした。足の裏に小型のカイロを貼り、そして腰にも特別長持ちする大型のカイロを貼って、いざ出陣。しかし暗くて雨が降っている。暗いのは当り前なのであるが、禅堂へ行くには段を下りなければならない。「恐い!」もう寒さどころではない。ゆっくり、ゆっくり、一歩ずつ確かめながら歩むのだが、とうとう踏み外してころんでしまった。「しまった!」と思う時はもう遅い。石の階段ですよ。それもすべってしまったのですよ。大雨ですよ。しかし、袴もぬれずどこもケガをしなかった。不思議な事もあるもである。ところが、ちゃんと明りが付くようになっていたのだから、不注意でした。
六時四五分迄坐禅、続いて仏間で朝課。終わってその場でご法話。老師曰く、
「今日は雨なので、もしころんでケガをしたらいけないので、下の本堂での朝課は中止しました」(もう既に私は経験済み。最もケガをしなかったが)老師のご法話は続く。「妙心寺のご開山、関山国師は大変厳しい老師で、作務に茶摘みをすることになっていた。雨が降っているので、皆どうしようかと迷っていた。禅の師は悟らせることしか目的はないので、『決められたことを、ちゃんとしなさい、しかも雨に濡れてはならぬ』と大衆に厳命したのです。
諸君ならどうする! この関山国師を喜ばせる者ありや、又無しや!」
と突然の大口答試問。寒さなど一変に吹き飛んでいる。凍り付いたような空気。お通夜どころではない。さすがの高弟幽雪さんもおし黙ったまま。
「まだ皆には無理か。同じ様に弟子達皆が躊躇していると、関山国師は鎌を持って行き、一本の茶の木を切ってきて、軒下で茶を摘ませた。茶の木より悟りを開く方が大切であり、法の器であるこの身の方が大切だからだ。この大道がはっきりすると、自然この様な自在さが開けるのだ。拘りが無くなるからだ」
と老師の話はまだ続く。
「中国の巨匠・南泉禅師のもとで修行していた大勢の雲水たちが、子猫を真ん中にして口論していた。多分、子猫に仏性が有るとか無いとかであろう。南泉禅師はここぞとばかり包丁を持ち出し、悟らせるためのショック療法を試みた。関山国師と全く同じである。子猫を摘み上げて、『さあ、助けたかったら、私を納得させてみよ』と。
さあ、諸君ならどうする!
子猫一匹助けられんのか!」
と叱責される。でもどうしようもない。
「残念ながら器量の有るものが誰も居なかったので、南泉禅師は子猫をすかっと切り捨ててしまった。ここで子猫などを意識や感情で見たら地獄行きだぞ。
諸君は、助けられなかった自分を大いに恥よ! いいか!」
と私たちを睨む。何という凄じい説法だろう! この老師が包丁を持っていたら、片耳ぐらいは切り落とされそうだ。それで本当に悟れるなら、私は片耳ぐらいどうでもいいと思った。まだ続いた、
「そこへ趙州という偉い弟子が帰ってきた。十八で大悟したという大物じゃ。今しがたの話しをして聞かせたら、趙州はわらじを頭に乗せて出て行った。それを見た南泉禅師曰く、『お前が居たら、子猫も助かったのに』と言うた。
南泉禅師の心が解るか? 趙州禅師の心が解るか?
これがはっきりすればいいのだ!」
と言われた。子猫を助けるためには一体どうすればいいのかを、私はどうしてもその解答が知りたかった。すると、老師の方からその解決策が出された。
「とにかく理屈なく、隙なく、一心不乱に「ただ」やりなさい。自己が取れるとそれが皆教えてくれるから。迷うのは自分が迷っているだけだからね。
つまり、理屈が先行すると、どうしていいのかの詮索が始まり、心全体がああでもないこうでもないという嵐となり迷ってしまう。当然行動出来なくなってしまう。拘りをとると自由になるというのは、今の現実が極めて自然に、常に躍動しているということだ。
いいですか。だから、何でも、一心にただやるのですよ。理屈を入れなければ妨げるものは何も無いのだ。何でも、今、しなければならないことを、ただ、一心不乱にして、その物に成り切りなさい。努力していればその物と同化して、我を忘れる時節があるから。いいですね。
趙州の自在さを看取せよ!
そうそう。狗子仏性有りや無しや。無。この無字の公案も趙州禅師からじゃ」
と言い残され、静に消えてしまわれた。こうした法話は、本当に魂の隅ずみまで清められて、世間の欲・得など一切の拘りが如何にも小さく、情けないほどくだらない存在になって解けていく。こだわりを思い切ってとることが大切である。お金や物にこだわっていては永久に悟ることはできない、という決定的実感を何度したことか。

朝食はご飯、幽雪師手作りの納豆、つけもの、生玉子、明太子。本当に嬉しい献立である。朝食後老師から部屋に来るように云われ、内心喜んで「あの美味しい玉露が頂ける」と相見の間へ伺う。するとテーブルの上に、私の「見えない呼吸を抱きしめて」の本が五冊置いてあるではないか。私は不思議そうにその本を眺めた。表紙は濃いうぐいす色になっているのが違うだけ。しかも今日、大阪では五千部完成の「見えない呼吸を抱きしめて」が届くことになっている。どうしてそれがここへ。
何と、何とこの五冊は二回目の参禅体験記を加えた新しい本だったのである。もう全くすごいどころではなく、頭が上がらない。老師ありがとうございます。
今日は三月一日、昭和四八年三月一日に会計事務所を開業して丁度満二三年目の素晴らしい記念品となった。この老師の慈悲心は本当に測り難い。〈縁が結果を作る〉となると、この老師との出会いによる私は、これからどの様になっていくと思ったかですって。全然そんな事思いませんでした。今が常に結果だから、先の事など思わんでもいいのです。
老師の部屋を辞して禅堂迄歩いた。当り前の事である。家の中、まさかタクシーも走れないし・・・。違う、確かに歩いてきたのである。たった一歩で。
呼吸があるか無いか、足が有るか無いか知らない。有ると言おうと、無いと言おうと、どうでもいいのだ。そんな言葉の詮索などしたら全く禅ではない。ただ歩いたのである。歩いたものも無いと言えばいいかな。また、社会の為に役立つのですよ、と呼吸が与えられているのでもない。けれども私は、自分の呼吸をその様に思い、大切にしたいのである。
役立つという事は目立つということでも、自分を犠牲にして奉仕的な何か大きな事をすると言うのでもない。自分が誠意であり生活そのものが誠意であれば、自分のためにするのではない事柄が多くなり、見えないけれどもいい事への役立ちに繋がっていると確信している。それこそ宝石にも勝る光であろうし大切なもので、その見えない作用も又無限大であろう。
禅堂には下に敷く大きな座布団と、普通の座布団を半分にした細長く硬いものと、坐布と言う丸いクッションが置かれてある。只、置いてある座布団、クッションは〈もの〉にしか過ぎない。しかし私が坐禅の折、使わせて頂く座布団とクッションはもう〈もの〉ではない。私の坐禅にはなくてはならない〈大切な〉ものなのである。私が座った瞬間から体と一体化し坐禅の世界へ、そして呼吸そのものとなって、決して〈もの〉ではないのだ。
老師のご指導のままに努力しているうちに、ここまで解るように成長していた。又、又、座布団、クッションにもありがとう。と心でお礼を言いながら、線香に火をつけた時、はらはらと涙が溢れ、煙が見えなくなっていた。
今日は強風で台風みたいな天候である。午後の坐禅はいささか静かであった。更に静かに沈み込み、ほとんど消えてしまっていた。目は静かに閉じたまま、何もかも静か。腰骨までが静かにぴんと立っている。風の音までもが静かなのだ。そこへ小鳥の声がけたたましい音で入ってきた。でも静かなのである。心地良いのである。
終わって外を見た時、強い風で竹の枝葉も木々の枝葉も見事に踊っているのだ。振り付けをしたら一つの曲の踊りとなるような激しい環境なのに、寂静というか一切関わりの無い静けさなのだ。私はしばし呆然としていた。
総ての見事な調和に、私は暫く見入ったままであった。地上では樹々が踊っているのに、空の雲はゆっくりゆっくり、拘束も執着もなく無心に流れてゆく。実に面白い。儲け話に目をつり上げている人、財に執着している人、欲望のとりこになっている人。
「ねえ雲さん、真の幸せを身につけた自由人はわずかしかいないでしょう? 私はその一人なのですが、見えますか?」と、自分の怪しげながら澄んだ心からむくむくと自信が湧いてきたので、そう呟いた。
人間の歩む道は例え平坦でも険しく、解っている筈なのに急に目の前の道が見えなくなってしまう場合が多い。執着や欲望で心の目が曇るからだ。歴史上の人物を見てもその事は窺える。事業の成功者がある時から神通力が薄れ、道を少しずつ、少しずつ違えてしまう。神通力が薄れてそうなるのではない。成功される方の使命は一般の方より大きいからこそ神通力が与えられている。そして険しい道、試練、苦労を超えられるからこそ成功されるのである。
しかし、その成功は本当のこれからの人生の使命を果たすべき「始発駅」に到着したにすぎない。始発駅にたどりつくと、鵜の目、鷹の目の取り巻きも多くなり、皆口をそろえて誉め讃える。そして気が付かずに道からはずれ出す。その時から神通力が薄れるのである。その人の願い通りの人生なのである。その人が道をはずれた方を希望して歩んでいるのである。最もその人は、はっきり気付く事は無理であろう。何故ならば超ハードスケジュールに追われ、静かな時を持つ事が出来ない日常がそこにあるからだ。
真の人生の「始発駅」。何時でもそうでなければならない。どんなに成功しても、地位を得ても、その事の自覚がなければ、後は沼に繋がった下り坂で人生を大失敗するだろう。正しい道を歩み続ける為に精神の修養、坐禅修行があるのかもしれない。いや、あるのだ。
何故ならば縁が結果を作るから。
夕食は川尾氏を祝う為の泡般若(ビール)付のご馳走である。鯵の塩焼、野菜サラダ、はまちの刺身、豆腐とじゃが芋の鍋。通夜の食事から離れ食卓を囲んでの話しは賑やかだが自然に「法」の話題になるのも参禅道場ならではの事。
折から丁度鹿児島の例の實吉隆盛氏から電話がかかり、先日の大ご馳走のお礼を云う。實吉氏曰く「僕も貴女に負けずに頑張ります」の晴やかな声が嬉しい。「法」を通じての友は俗世間とは違った格別のものがある。中々良いものである。余計な会話もいらないし、発する声のみで相手の事が解るし、先日会ったばかりの人でも時間は関係ないのも面白い。
夜、十時過ぎ、東京から山口ご夫妻が到着された。長年参禅をされた方で、東京での薬局経営をすべて弟さんにバトンタッチされ、本格的に少林窟道場にて禅修行に励まれるそうである。人生百八十度転換の生き方に思わず合掌。

三月二日(土)

朝五時きっかりにあの木板が轟く。いつ聞いても心が引き締まっていいものだ。とにかく、ぱしっ! と決まる。すると、木板の終わりに呼応して、下の梵鐘が少し控え目に「ぼーん」と鳴り出す。この絶妙のタイミングが何とも言えない。寒気で凍り付いている朝の暗闇に響く音のドラマは、究極的な精神性を感じさせる。言いようの無いこの緊張感、本当の禅寺の夜明け前ほど、単純であって深くて爽やかな世界はない。真の修行者の魂がズシンと胸中を突き上げる。「さあ、只一呼吸しかない!」と呟いて合掌する。
午前七時朝食。ご飯、納豆、若布昆布、つけもの、味噌汁。
朝食後すぐ禅堂にて坐禅。静かな呼吸で静かに座る。ふと、自分の座っている斜前の畳のすみっこの大きな綿埃に気が付く。これは修行者の恥だ。そう思った時は、川尾氏を誘い、早速掃除機と雑巾バケツを用意し、手際良く座布団、クッション等を片づけていた。いつから掃除しなかったの? と思わず畳に問うてしまう程、埃がたまっていた。参禅に来させて頂くという事は、お掃除も当り前のマナーと思うのだが・・・。この少林窟道場は規則みたいなものは一切ない。只一つ決まっていることと云えば、五時からの朝の坐禅と朝課と、一緒に食事をする事。後は一切自由。眠くなれば自分の部屋で睡眠をとったらよいし、夜中迄坐禅するのもすべて自由。
こだわらず自由という道場がいかにも井上老師らしいのだが、「今」への拘りと密度の高さはとことん追求し尽くさなければならないのが、また井上老師らしい。厳しいの何の。一寸の油断もならない、いじめの達人なのも井上老師なのである。言われた事は百パーセント実行せよと言い、また言われない事は絶対にしてはならぬ、とも言われる。従って自由とは、坐禅に於いての事であって、間違っても勝手自由などと思わぬ事である。
今、お掃除をするにも規則だからでもなく、言われたからでもない。或る視感覚がそのまま或る行為となったものだ。気を利かしたものでもないのである。これほど端的で純粋で、自然体で無我の働きはない。生きた美しい心の働きとは、将にこの事だったのである。
川尾さんも私も、ただ、視感覚のまま、気付きのまま、動くままに任せて淡々と動く。初回にS君とした時は格別可笑しかったのを思い出した。彼は「何をしたらいいですか?」と聞くので、「これこれをしてちょうだい」の指示通りに完成度五十パーセントする。また私の処へ来て、「なにをしたらいいか」と聞き、私は又指示をする。それが済むと又来て同じ事を聞く。その繰り返しを最後までしていた。そして総て五十パーセントの完成度であった。
老師が常に言われる精神構造が問題であり、構成する要素の問題だったのだ。掃除をすると言う事が何であるか。何を、どうすればいいか、という状況判断・方法の立て方・行動判断の因子が未成長だったので、視感覚のままに任せるとなると、ぼーと立ってしまうことになり、回りとの状況に同化する事が出来ない。彼が社会に適応できなかったのは、こうした精神の構造の不備が原因だったのであろう。老師はそれを素速く見抜き、知性が状況へ適応できる判断にまで繋がるように、或る因子を刺激してはじっくりと引出し、切れている見えない糸を繋ぎ合わせて、精神構造を整えていたのだった。今にしてそれを思うと、気の遠くなるような精神の治療をしていたのである。
川尾さんとのコンビでは、一切の相談合意を必要としなかった。それは、掃除という言葉のその内容に関する総てを、お互い充分に認識していたからである。どちらかがしていれば、それは任せたらいいし、してない処をお互いがすれば良いだけである。こんなに楽しく、安心して共に仕事が出来る事の気持ちよさは初めてであった。
改めて、人間の一番大切なもの、美しく快適に共存して行くための重要なものを感じた。それは信頼も尊敬もしなければならない、けれども、信頼されるに足る要素、尊敬されるに足る大切な内容を具えていなければ始まらないと言う事である。そしてお互いが個人として大切にしている要素を認め合い、それを信頼し尊敬すれば、万事問題なく円満に、その時、その事が始まり、そして終わっていく。老師の言われる「大乗精神」であり働きであろう。やはり自分から始まり、全体へと関係し、そして自分の責任を果たして、そして終わっていく。実にさっぱりとしていて簡潔ではないか。
お掃除の最後は、真ん中の聖像様を奇麗に拭いてさしあげた。その後ろの上の壁には
「坐禅は坐禅なりと知る人希なり。と、古人は云えり。此の標本が即ち達磨大師である。九年間坐禅をして何も説かなかった。否説くことがない。釈尊は四十九年間説法の暁き一字不説と一筆勾下された。実は何にも説けないのじゃ。只、坐禅をすればよい。是れを以て示されたのが達磨大師その人である。坐禅というものはそれほど尊いものである。そは何が故ぞ、真理の表現なればなり。この真意を知らんと欲せば自ら座して味うべし。勉旃。勉旃」
と記された文章が貼ってある。中々含蓄のある文である。結局、掃除の時は、掃除するそのものが真理の表現なのだ。だったら老師の言われる通りで、真理をただ実行し徹すれば、それが総てと言う事は間違い無い。要するに、「今」が総てだと言う事なのである。
掃除の後の坐禅は最高で、上記の文章「真意を知らんと欲せば自ら坐して味うべし」を味うことができた。しかも大変深く。
この道場へ来ての新たな体験は、この掃除の後の坐禅なのである。自宅の方は現実問題、超ハードスケジュール故、やむなくお手伝いさんに掃除して頂いているが、最近その掃除を私がやろうかなと考える事しきりである。それ程、この道場での掃除から教えられる事が多いのである。年末のあの本質を見極めた禅堂の掃除ほど最高の気分を味わったことはない。以来ずっと魂が掃除によってさえも潤い続けている。この気持ちを文章にするのは難しい。これを読んで頂く方に、何とか解るように書こうとするのだけれど、味わった者にしか解らぬ事を文にする才能は今の私にはない。お許し下さい。

午後から二時間程仮眠を取る。どうしても眠くてたまらない時、即お布団に入る事が出来る幸せは又格別の極楽を感じる。普段の仕事からは考えられない事である。ここの道場の厳しくも暖かい、人間重視の修行をさせてくださる姿勢が嬉しい。この身体の要求を素直に受け入れるのも、ここの禅修行の特徴である。つまらぬ我慢ごっこはしてはならぬという教えである。
見えない宝を求めて精魂の総てを尽くし切ると、やはり或る種の限界があって当然である。そのことが充分に解っていて、初めて厳しい修行の指導が出来る。そうした師にあえた事を本当に有難いと感謝している。
昼寝から目覚めると、タイミング宜しく老師に呼ばれた。
「この綿入れのハンテンを着なさい。そして頭にはこの手ぬぐいをかけなさい」
とても奇抜な格好であるが云われた通りにした。まさか岩風呂ではないだろうなとふと思ったが、車で連れて行って下さった所は、何と何と、白滝山の頂上の大石の上であった。三百六十度の大パノラマが、脳天の隅ずみまで展開する。
透明度百パーセントの今は、何を見ても実に美しいのに、その上この絶景とあっては彼の芭蕉様も腰を抜かすに違いない。どんなことにも驚かないと言われるあの桐島洋子女史も、ここへ上がった途端に「わおお!」と一声叫んだそうだが、それは本当にそうなのだ。この絶景は〈美しい〉と一口には云えぬ程美しいのです。美味しい空気と、風光明媚な瀬戸内国立公園を眼下に一望し、それぞれが丸ごと一人占めである。
そんな感嘆しきりの真っ最中、洒脱でお茶目な老師が、おもむろにビールとつまみを出された。あれれ! アツ澗まであるわ! 一同、目を丸くして「わあー!」。後はにこにこ。私がビールを飲めない事を知っていらっしゃるので暖かいポタージュスープを用意して下さっていた。
老師のご発声で、先ず川尾さんの努力を労い、乾杯! 次に大自然に乾杯! そして、私たち全員の菩提心に乾杯! 美味しい! それぞれが最高の味覚と最高の条件に満足し切っている。私はこんな贅沢は初めてであった。
遠くの山々は墨絵の様。そして瀬戸内海の海は流れも時も止まったかの様。まるで海の上を歩けるのではないか、そんな錯覚さえする程静かで穏やかであった。太陽の光が、又、又、ダイヤモンド以上の美しさをかもし出している。
いつ迄もここを立ち去りたくない。ずっといたい。永遠にいたい。
もうどこにも行きたくない。この景色を持って行けるものなら持って行きたい。
この大自然の美しさを、まだ見た事のない人にお見せしたい。
茫然と見入っている合間にそんな妄想をしていた。時を忘れた時を、本当に最高の時を過ごさせて頂いた。老師ありがとう。
田舎道は細く、車と車がすれ違うのは至難の技である。にも拘わらず老師の運転は暴走族さながらのスピード狂ときている。そうでもないのに、田舎のくねくね道と、片や山の土手、片や下はたんぼと言う設定は、慣れていないだけに乱暴な運転に思える。坊僧の暴走族遊園地のジェットコースターに乗っているみたいに胸はドキドキ、ハラハラ。その暴走族の車が着いた所は何と岩風呂であった。あの穏やかな海、奇麗な海面が足下にあるではないか! そこも大変美しい景色。その景色に魅せられてもう帰れない。又その海もダイヤモンドなのである。この忠海というひなびた田舎町は、何という自然の豊な処なのかしら。
男女混浴と聞いていたので、老師が用意して下さった洋服に着替えた。何と長ズボンとTシャツ、せめて半パンツ位にして欲しいです。私みたいな格好をした女性は一人もいらっしゃらない。皆しゃれた水着姿、男性は海水パンツ又は半パンツ、老師は越中フンドシ。老師はそれでいいが、私は少しばかり何かが足りないのではと思う。しかし、その岩風呂が何とも云えない程気持ちが良いのである。サウナでもこんなにどっと汗が出ないのに、この岩風呂は五分もたたないうちに気持ちの良い汗が吹き出てくる。土地の方が多く皆親切である。
集合場所になっている処では、お餅を焼いている人。一杯飲みながら会話を楽しんでいる人。寝転んだり座ったり、好きな事をしているようだ。
岩風呂から一旦外へ出た。冷たい風が本当に気持ちよい。ほんに足下は透明度満点の海。老師と大変親しい方に頂いたお水の美味しかった事。その方が、この冷たい海に潜って採ってきたという、ワカメとヒジキを沢山頂いて帰宅。こんな奇麗な海のここで、勝手気ままに自由に採取できるなんて感動ものである。
夕食はそのワカメとヒジキを鍋でしゃぶしゃぶ風にして頂いた。お湯につけると、瞬間に美しい真緑色に変わる。その美味しい事。新鮮な海の味。オゾンの味である。又、是非岩風呂にも行きたい。
「老師、次回参禅に来て、もし禅堂に居ない時はこのお岩風呂ですから・・・」
この気持ちの変化が、又楽しい。絶対に行かないと決心していた岩風呂でしたから。そもそも、老師のおっしゃり方が悪いのです。男女混浴だとか、びちょびちょでおしっこ臭いとか、とにかく世界一薄汚いとか、その後で、「いやー、岩風呂は実に気持がいい」などと言われても遅いのです。でも、あそこへ行かなかったら大変損をするところでした。平素、ハードスケジュールで心身の癒しなどしている暇もない方が多い昨今、この素晴らしい景色と、このお風呂に入り、そして老師のあの快速の臨場感で白滝山に上がり、あの眺望に浸れば、忽ちもりもりと生気も復活する事請合いだが、そうは老師が行かないから丁度いいのだ。誰も彼もに来られて、自分のためだけによって俗化されては私も残念である。ここは矢張り、じっくりと老師の悪辣ないじめに会い、心の垢を落として頂いた人だけが、ご褒美として頂戴するのが一番いいと思う。

夕食後十時迄坐禅。今日のとても豊かで幸せな一日を、本当にありがとうと感謝で眠る。

三月三日(日)

四時半起床。今日は下山の日。意識してか、朝の坐禅には特別に力が入る感じがした。朝課の後でして下る老師のお話は、川尾氏と私に向けての言葉であった。
「坐禅とは己に決着をつけることである。
己に決着をつけるということは、人生に決着を付ける事である。人生と言えば七、八十年と言う時間になってしまうが、日常から離れて、これが人生の中心だと言う人生は何も無い。生活そのものが、既にかけがえのない人生である。日常が人生であり、歩く底である。見る底である。見聞覚知であり、眼耳鼻舌身意である。色声香味触法である。「今」の様子が既にそれである。これをはっきりさせることが決着を付ける事である。その努力が尊いのだ。
現に超多忙な中、欠野さんは、十二月下旬から今日まで、三回上山され参禅された。そうした努力の人だけあって進歩が速い。実にいい心境だ。
欠野さん、このままずっと続けなさいよ。とてつもない世界が貴女を必要としているようだから。どうせ人生は野たれ死にでいいのだ。世の光明となって爽やかに散ればいいではないか。
元より、生まれても死んでも天然自性身じゃもの。一つものじゃから間違いようが無いと言う事だ。間違えるような別世界はなく、相手だてたり対立したりする小さな世界ではないということだね。
念が切れていないと、相手を見て引っ掛かってしまう。理屈で対立するのだ。古人は、「三世の諸仏、有ることをしらず。狸奴白狐かえって有ることを知る」と言われた。過去・現在・未来の悟られた真実の人は、有るとか無いとか、真実とか真実でないとか、好きとか嫌とかの理屈が無いが、立派なことを言いながら世の中をかき混ぜる狸奴白狐の連中は、頻りに自己を立てて理屈を言い合い、戦争まで引き起こす、と言うことだ。
だから自己を立てるな。つまり理屈を言うな。そのためには念を切れ。そのためには今を守れ。これがここの宗旨であり門風である。
川尾さんも欠野さんに見習い、度々参禅にいらっしゃい。欠野さんのように、立て続けに参禅されるということは、余程法の縁の厚い方です。これは前世の善根のお導きだとも言える。また現実から言えば、物事がきっちり見え、人生の中心が定まってきた証拠とも言える。つまり、自分の人生に何が一番必要か、何が欠けているか、何があれば心が満たされ幸せかが明晰になったということだ。
欠野さん、いいですね。衆生無辺誓願度ですよ。自分だけの幸せは小さいですからね。
煩悩無尽誓願断ですよ。法門無量誓願学。佛道無量誓願成ですからね。
お互い、法の器であるこの身を大切にし、菩提心に恥じぬよう大いに努力しなければなりません。
人類滅亡の兆は周知の通り。それを救えるのは、ただ自分自身の心の癖を取れば済むことで、偉い人が多すぎ理屈が多すぎる世の中は、本当に何をするにも難しい。
でも、他を見ず、道のために菩提心々々々」
長い法話であったが、一分後にすぐに書きとった。何時でも法を説いて下さるのが嬉しいが、とりわけ朝課直後は朝一番だけに感銘が深く大きい。法の真髄をお話しして下さっても、はじめ頃は皆目理解できなかった。三回の参禅によって清められた私の心には、無理無く溶け込むように浸透してくる。かつて魂の問題が強く浮上していたが、それらは問題とする視点自体が純粋性に欠け、浅く又本質的ではなかったとみえて、何時の間にか片付いてしまい、そんな問題意識すら消失しているではないか。
私はつくづく思うに、問題が有ると言うことは発展的対応で解決すれば、確かに向上していく条件であろう。しかし、そんな理屈に取り付かれている内は、決して心安らかでもなく、自然にああでもないこうでもないと内側で論ずるものがあって、つい人の言葉や言動を比較非難してしまうことになる。
そうさせる根源とは何か。
ここが総ての始まりではなかろうかと。だから、問題が起こる、その事自体が問題であり、何故、どの様にして、何時起こるのかを究明し尽くせば万事休すではないか。
井上老師は徹頭徹尾この究極の一点のみを問題視させ、解決の道を与えて下さったわけだが、当初私は自分で掲げた別口の問題が邪魔をして、わざわざ急所から外れた聞き方、受け取り方をしていたようである。自分の問題を解決しようとして聞かず、自分を捨てて、問題も捨てて、ただ素直に導かれるままにあれば、もっと端的に向上したはずである。人間的な心の問題は、たった一つの根源からで、それも余りに近すぎて見過ごしているところに知性の泣きどころがある。自分が良しとして抱え込んだ理屈が総てを曇らせ迷わせているのだが、その知性の働きで作られていく仮想の世界であることが見えないからである。そもそもここが問題の始まりである、と言うことが先ず解らない。
結局はちゃんとした指導者にしっかりしごかれ、意地悪質問の前でおろおろし、こっぴどく罵倒されて泣き、したたか殴られなければ、なかなか自分で作った迷いの世界からは抜けられないということである。

朝食後、川尾さんと私は老師に呼ばれた。そのまますぐ車に車に乗込んだら、老師曰く。
「さて、調子のいい二人に煩悩を起こさせてやるぞよ」
と言ったかと思うと、さっと発進した。ただでさえおっかなびっくりするような狭い坂道を一気に駆け降りた。ジェットコースターも顔負けするだろう。一瞬、ぎくっとしたが、実にさっぱりとしていたし、気持を引き締めていた。私たちを試す第一関門か。一瞬の感情は確かに一瞬で切れて終わっていた。
「どうでしたか?」
「何がでしょうか?」
私は既にこれしきの事に釣り上げられません。感情が切れているかどうかを試されたのだ。既に何も無いから、その様に言うのが一番である。もし坐禅の力がなかったら、「きゃっ! 怖い!」と馬鹿騒ぎしているに違いない。お蔭様である。とまた、
「ふふふ、まだまだ。二人が妄想すること間違いないところへ行きますからね。心をからっぽにして、しっかり修行するんですよ。心を用いず、ただ見なさい」
と不気味そうなスケジュールを聞かされる。天気もいいし素晴らしい景色が続く海岸線。走れば自然に変わる島々の光と影。重なり合い離れていく影と影、光と光の華麗なる島のダンスと、瀬戸のデリケートな四重奏は、喚声をあげたいのを堪えるのに努力がいる。「ふむ、ふむ、ふむ」と無心に見ることの難しさを敢えて敢行する。やがて問題ありげな坂道を登るのだが、登るほどに展望は開け、眼下の絶景は益々耐え難く、見事な景色に心は躍り始め、崩れ始める。相当な数の団地が続き、突端のまだ空き地のそばに車をとめた。百八十度の眺望は歓喜をいよいよ誘う。ドアを開けて外に出た。もう堪らない。
「うわ! 何と奇麗な処でしょう!」
とうとう口から当然の言葉が転がり出てしまった。川尾さんも又然りで、彼は堪らない、とばかり走って行き、空き地を右へ左へと動く。私も着いて歩く。雑草が充分にあるので持ち主が決まっていないかもしれないと思い出した途端、えらい妄想が、わっと吹き出てしまった。自分の別荘としても、社員の別荘・研修所としても最高ではないか。その上、この真下には五十一度の高温の温泉が見つかり、この秋には素晴らしい健康ランドと、その下階に瀬戸内海の最高の魚の料理店がオープンするというのだ。
老師はそんな気持に移行することを、始めから読んでここへ連れてきたらしい。
「すぐ妄想する、だらしない参禅者の証拠を撮っておこう」
と言って私たちの嬉しそうな写真を撮る。してやられたか。しかし、もう足下はばれたし、夢か妄想か、るんるんで帰途についた。ところが往環へ出ると、老師は静に法話をされる。
「禅堂で修行している時は、二十四時間の総てが修行のためにあり、そのための空間であり、そのための師匠が付いているので、真剣で素直にやれば誰でも体得出来るようになっている。謂わば、三種の神器で守られているということだ。
ところが一歩外へ出ると、そこは自他対立の世界であり、損得駆け引き執着の世界でしかない。その中にあって自他不二、純粋な心を保持し磨いて行こうとしても、濁れが大きすぎて保てない。可成りの力が就いてからでなければ到底無理だ。だから普段の生活では出来ないといことだ。わざわざ出家の道場が要るのは、そうした世界から抜け出る環境が必要だからだ。これを失うと、本当に救われる道が閉ざされて、大変恐ろしいことになってしまう」
この様な法話が続く。静に浸透してくる法が、忽ち心を整え、夢や妄想は奇麗に消えていた。その事をもしっかりと見抜かれていて、
「いいのですよ、別荘も」
と、眠た子を起こすようなことを言われる。本当に禅の師とは得体の知れない厳しさを秘めている。
「何故かと言うと、普段からの疲れは潜在的に慢性化していて、精神の老化が不幸への道を限りなく増幅し続けるので、癒しの環境が要るのだ。
しかし、それを推進する前に、心の問題の方向性だけでも決着を付けておかなければ、安楽や楽しさや素晴らしさに流され溺れてしまうから。それらを生かしていく力は、それらを越えた精神の高さと深さをもっていなければ出来ない、と言うことを知らなければいけませんよ」
もう何も言えない。神妙に頷き、ただ「はい、はい」しかない。最後は決まって、
「とにかく、今しかないのだから、雑念せずに、成り切り成り切り、一心不乱にただやりなさいよ。精神にとっても人生にとっても、それが一番いい薬なんだから」

道場に着くや、後片付けを丁寧にする。三回目ともなれば、体が自然に動く。解り切ったことをするぐらい簡単なことはない。見送る人も、見送られる人も、極自然体である。
そして、ご挨拶に相見の間へ。
又老師の法話である。これが老師の挨拶なのだ。考えてみると、老師は法に生きているのだから、会うのも法であり挨拶も法しかない。私も又、法を求めてここへ来ているのだからそれしか用が無い。そして、生意気ではあるけれども、最後であるから言わせて頂ければ、「ただ聞き、ただ合掌する」。これが法である。これが挨拶である。
「一呼吸を大切に、大切に。一歩を大切に、大切に。今を大切に、大切に。それが禅修行ですからね」
お別れも法であり挨拶も法で、法が挨拶なのだから、これでいいのである。私には法が何よりのお土産であり、空っぽが何より嬉しいご褒美でありお土産なのだ。
最後の最後まで心の治療に徹して下さる老師に、動く自動車の中から満身の合掌を捧げて、きりりと定まったまま大阪へ帰還した。
今度は川尾さんとご一緒であったから、余計でも法が逃げることはなかった。口に出るものは総て修行のこと、深い法話の反蒭、修行の反省など、法の栄養になることばかりであったから。

今、三回目の参禅下山に当たり、遥かに脱色され身軽になって、何も無いほど尊く自由で、しかも充足感に満ち満ちた自分を本当に不思議に思う。一方では楽しくて楽しくて、常にスキップしている状態である。老師の影響とは思わないが、何かしら爽やかな事で、道の気付きに成るような悪戯や冗談をしてみたくて、うずうずしているものがある。
人生を楽しむのに、対象が無ければ楽しめないという人は気の毒なことである。物の卦が落ちて、何かしらあっけらかんとしてくればくるほど、「今」人生していることが躍動していて、実に心地好い。これも幸せには違いない。いや、これこそ本当の幸せなのかもしれない。私にはそんな事さえ関係ない、どうでもいい事なのだ。
帰りの車窓にあった瀬戸内海のダイヤモンドは変わりなく美しかったが、それすらも目を離せばきっぱりと切れていて、私の内なる何も無いダイヤモンドの光に抱かれていた。
わたしを救ってくれた「見えない呼吸」に、今度は私がしっかり抱きしめられて帰宅していた。爽やかで而も満ち足りた私は、家具一切から部屋の隅ずみまでが、暖かく私を迎え入れ包み込んでくれていたことに気付き感動した。
一切が私の分身だったのだ!
「何て愛おしいんだろう!」
つい、話し掛けてしまうほど親しみが湧いてきたのには驚いてしまった。
何と有難いことでしょう。
目が潤みながらの満足感と共に、深い感謝の念が胸一杯にあったことは言うまでも無い。師や法の友に、そして一切の方々に感謝して、忽ち実生活の実働へと突入して行ったのです。

後書き

私は単なる企業家ではあるが、顧問先の会社の謂わば心臓部についての仕事なので、その道の倫理観や義務観、そして使命観などを、直接トップより聞くことも見ることも感ずることも出来る。それらの会社は大勢の社員と共にあって、それぞれの家庭には家族と人生がある。企業家としてこの事は実に重い責任と義務を背負っているのである。それを果たすために最も大事なことは、簡単に言えば、安定とその持続である。
安定と持続は、発展拡大よりも大切なのだが、皮肉にも発展拡大をしなければ安定と持続を得ることが出来ない企業体も沢山ある。ここで登場するのが合理化である。
その時に、企業の社会的存在理由を深く考え、会社の持つ人間的夢、即ち理想とその理念を再認識することこそ、安定と持続への道が見出せる。という事をご存知の経営者は人間としてとても立派であり尊敬する人達ばかりである。
お会いして直に気が感じ合える人は、人間性が表に出ていて第一に温かみを感ずる。お話しそのものに誠実感があり、何より人を大切にしておられる方が多い。そうした方は、清潔感も品性も有って、経営に姑息さがない。いはば危険に繋がるいい加減さが無いと言うことである。さらに社員の家族を気づかう程の経営者は、社会責任、社会正義は勿論の事、人生哲学とも言える生き様への高い推敲が見られる。
結局は常に自己を高めていることに尽きるのである。ではあるが、所詮書店に並ぶ本と、著名な学者先生の講演などで、観念的・理論的に深めていく場合が殆どと言っていいのではないか。それが間違っている等とは絶対に思わない。けれどもそれだけで満足できるとも思われない。ただし、社員とか人に向って高尚な理論的説明が出来る点に於いて、それは確かな力になるであろう。でも、それらは自分自身の本当の決着ではないし、対立的視点という大きな影と落とし穴の道路に気付かず、自信をもって行軍させているようなものである。自分自身に於いて、歓喜も安らぎも無いし、有る無しを越えた自信や、人を信じ愛するほどの本当の余裕や豊さが生まれ出てこない、絶対な壁がある。ここが所謂知識の勉強で得た世界の限界である。
これを乗り越える道が確かに有ると言うことである。それは知識や考え方の勉強ではない。そうした意識や観念の世界とは関わらない世界、つまり純粋な事実だけの絶対な世界が本来あるので、その事を明らかに体得すると言うことである。
ただ、それを得るためにはちゃんとした師に就かなければ絶対無理だと実感してきた。かつて、S君と修行を共にした時、その大切な急所に気が着いた彼は、「○○という男をぶん殴りに行く。俺の迷いを更に複雑にし、ぐちゃぐちゃにしおったから」と言っていたが、それが真っ赤な偽物だったと気が着くと、人生を狂わせられた怨みは矢張り大きい。信仰や宗教が大きな社会問題となっているのは、救いを求める人がそれだけ居ると言うことである、が問題化するということは狂わせているからに過ぎない。根本に於いて問題が有るからだ。根本とは、導く人自身である。その人が本当でなければ、本当の法ではないことは明らかなはずである。従って、心の解決となると余程注意しなければならないと言うことになる。更に言えば、藁をも掴む心理的背景に於いては、正しく判断することは殆ど不可能に近いので、良き知人や友人の複数による意見を尊重することである。迷っているものを更に迷わせるぐらい簡単なことはないし、それを目的として、身ぐるみ剥ぎ取る宗教団体だって存在している怖い時代なのである。
ところが本当の道の人に従って努力されたなら、自分が先ず救われることは勿論、社員を初め、その家族から社会全般にどれだけ大勢の人達に、人生の光明的存在となるか解らない。と言うのが私の総括的意見であり、自分への戒めとして深く胸に掲げて努力している理由である。
本当に人生とは短いばかりではなく、何が身辺に起こり、何に出合うか解らない無常の世の中であると同時に、地球的にも多くの現象として滅亡と言う究極に近づきつつあるとのこと。今この時、一企業人として、そして一人の人間として未来の暗い影を見て、はたと心が痛むのである。私の中に、楽しくて楽しくて本当に救われている一方に於いて、こうした憂いが私を一層走らせてくれている。
私は本当に祈っているのです。皆さん、どうか本当に安らかな人生を、永遠に確かな誇りを大切に生きて頂きたいと。これからも続く私の参禅は、或は果てしの無いものかもしれない。そんな一人の女性が居ることも、どうかほのかに心に留めおき下されば幸いです。
老師を初め、少林窟道場の法友諸兄には心から慈しんで頂き、常に心から感謝申し上げております。そして、ご縁の始りを与えて下さった矢崎勝彦会長様にも、厚く感謝申し上げております。

  平成八年四月八日  お釈迦様のお誕生日に、感謝の気持を謹んで識す
                               欠野アズ紗 合掌

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