序
あるお寺にひとりの修行僧がやって来た。彼は和尚さんに掃除をいいつかった。「この雑巾を使ってこのお堂の床をふいてくれ。」和尚さんは夕方まで戻らないと言う。
ところが渡された雑巾、修行僧の目にはただのぼろぼろの布切れだ。おまけにこぶしが突き抜けるくらい大きな穴まであいている。ちょっと拭いてみはしたが、これは能率が悪い。「雑巾をなんとかすればもっと拭きやすくなるぞ。よし、まずは雑巾を縫いなおして完璧にして・・・ それから、床をピカピカにしてやれ。その方がはやそうだし。」とあっちこっち別の布をさがすがなかなか見あたらない。時間はどんどんたっていく。「おっと、やっとこんなところにあったぞ。さて、針と糸は・・・ どこだ、どこだ。」これまたなかなか見つからない。「こんな事をしている間に和尚さんが帰ってきたら、まだなんにもきれいになってないぞ。さあ、どこだどこだ。おや、ここにこんなに大きな布切れがあるぞ。よし、もう時間がもったいない、この大きな布切れで拭いてやれ。」「エイッ!」ところが、拭けども拭けども全然きれいにならない。「よし、気合いを入れて、エイッ!」すこしもきれいにならない。こうなると悪夢のようだ。もう日も暮れようとしている。「こんなに全身汗まみれになって拭きまくっているのに、一体どうしたことだ。」ふりかえると床の上には自分の汗がきたなく飛び散っているだけだ。布切れを放り出してその場にへたりこむ。
ふと気づくと近くに和尚さんから手渡されたボロ雑巾がある。不思議に大きな穴も小さくなっているように見える。目の錯覚か?「もううんざりだ。ピカピカにみがこうと思ったけど、もうやめたやめた。ひとつ、この和尚さんからわたされたこのボロ雑巾でとにかく拭いてみよう。」とボロ雑巾で拭き始める。キュッ、キュッ。いい音を立てて雑巾が走る。「おや、この雑巾なかなか使いやすいぞ。それにだんだん楽しくなってきた。」
和尚さんが戻る頃にはお堂の中はピカピカ、不思議なことにボロ雑巾までもがきれいになって、穴もふさがり、もう最初にみたようなボロではないピカピカの雑巾になっていた。
こんな話があるかどうかは知らないが、自分の少林窟の参禅体験はちょうどこんな風だったような気がする。
縁
本当に自分のやりたいことをやっていると、よい縁にめぐりあうものだ。特に、大きな縁はもう今はこれしかないというぎりぎりの時に起こる。迷った上での決定ではなく、体のどこかで、ああこれが本当に自分のやりたいことだ、という気持ちがあって、それが熟す時がやって来る。ある日突然ふと誰かにつつかれたように、よし今だと思う。もちろん、つつかれないまま終わってしまう思いも多々あるわけだから、縁とは不思議なものだ。
何故、瞑想を、禅を、自分は求めて来たのだろうか。今振り返ると、いろいろな人生での出来事それぞれがまるで小さな道しるべのように、自分をここまで導いてくれたようだ。幼き頃の、飼犬や鳥たちの死。弱肉強食の動物界に感じた矛盾。偶然テレビで見た、密林を逃げ惑うインディオ達をヘリコプターで追いかけ、動物狩りのように遊びで撃ち殺してしまう、いまわしいドキュメンタリー・フィルム。そして自分もその同じ人間であること。三才にもならぬ子どもが洗濯機に落ちて死んだ事件。その子の生まれてきた意味。クリスチャンであるひとつ下のいとこの癌と死。父の死の数日前の晴れ晴れとしたあの顔。日常茶飯事に見かける人間のエゴの醜さ。そして自分のマインドに対する不信感。
そんな神も仏もないような状況の中で、宗教的なものの中に全ての解決があるような気にさせてくれたのは、高校生の頃に、いとこの死による縁で出会った二人のカトリックのシスターだった。只の何気ない世間話をしただけなのだが、初めて本当の宗教者という人に出会ったと思った。その二人のもつ雰囲気がまったく世俗を感じさせないだけではなく、その二人のいる空間だけが、他の空間と違っている感じがした。仏像に後光がさしていたり、天使に輪がついていたりするのは、これを表現していたのかとも思った。何も説教をしている訳ではないのにその人の存在自体が、人を感化してやまない。苦行を捨てたお釈迦様を無視しようとした苦行僧達が、歩いて来るその姿を見ただけで態度が変わってしまったという。私について来なさいというイエスの言葉ひとつで自分の職業も何もかもを捨てて弟子になってしまう話もある。これが本当の宗教なのか。説教上手の牧師が言葉巧みに丸め込むのとは違う、その人自身がその教えの本質的なものを体現している。その人自身がそれに生かされ、そして生きている。限りなく神に近づこうとしている人達がいる。人として生まれた以上、自分もそういう人になりたい。いや、そういう人になることを人生の第一目的としたい。そんなことを思ったものだった。
それからというもの、前にも増して宗教書または宗教の香りのある書物ばかりをあさって読むようになった。キリスト教、仏教、禅、神道など、とにかく宗教関係なら少しうさんくさいようなものまで店頭で立ち読みして何が書いてあるかを確かめなければ気がすまなかった。まねごとで色々な行法を試みてみたりもした。でも本の内容が頭の中に移動しただけ、少し失恋でもしようものなら所詮知識の寄せ集めが役に立つはずもない。感情に流され、自分は振子のようにあっちへ搖れこっちへ搖れ振り回されるばかり。今から三年ほど前、とうとうこれはそれなりの人に会って直接に指導してもらわねば、読書と自己流の瞑想ではだめだと思い、やっと重い腰をあげた。
その頃には数ある宗教や瞑想の中でも、自分の方向性がはっきりしていた。とにかく、何かを信じていればいいとか、プラスの想念だけを伸ばして人生を思いの通りにしようとかするものはいらない。自分が神や仏と直接出会って、これだという確信が持てるようなものでなかったら、疑い深いこの性格では納得できない。もとよりどこかの宗教団体に入信しようなんて気はさらさらないので、自然、何かを信じることよりも、その本質を初めっから開示してくれるようなところに足が向く。密教の神秘体験を求め、カトリックの黙想会に出、心理学的見地から現代風にアレンジされた瞑想法に手を出し、二年前には七年間勤めた会社を辞め、インドへも行った。何か所かそういう所に通ってみて、共通する問題点も感じ始めた。本などによって十分納得して行くのだから、それなりに本の著者の言っていることは真をついている所ばかりに行くわけだが、その指導にあたっている人が頭で分かっているだけでそれなりの境地に行っていないのがばればれで、質問してもその時その人に合った適切な返答が出来ていないばかりか、本当のところその人もどうしていいかわからないというケースが多いのだ。もちろんそうではない人も若干いらっしゃる。ある高野山のお坊さんのように、まだお若いのに言っている事が本人の体験から出てくるお人もいる。そういう人の言葉は、その時実感が持てなくともあとあとまでずっと有効に働くものだ。
そんな中でも偶然のように(実際は偶然ではないのだろうが)良い体験をしたこともあった。三カ月のインドのあるアシュラム滞在中、一瞬であったが自己がなくなった時があった。現地で知り合ったインド人に「君はなんだか寺院のようだ。」と言われた日の午後、三時間只坐っている瞑想中に本当に自分の体が空っぽの寺院のように感じ、呼吸は勝手にその窓から出入りしている風のようだった。
「ああ、あれこれ心配し続けている自己というものがなくなっても、全てがうまく運行して行く。体が寺院で内に神が住むというが、自己がなくなっても続いているこの呼吸こそが神の具現。」そんな思いに歓喜したものだった。はじめて完璧な手放しで生きれた瞬間だった。ところが、それがどうやって起こったのか、確かな方法を実習して起こった出来事ではないだけに、その後もう一度そこに行こうとしてもそこへ行く手だてがわからない。同じように坐ってみて調子の良いときに、もうちょっと、この辺か、と思ったところには既に「自分」が先回りしていて聖域だったところを荒しているのだ。今一度その体験をと求めるその心自体が邪魔をして先に行けないのだ。二年前のその出来事は牛の尻尾をちらっと見た様な、確かな悟りの世界が存在するという確信だけを残してはるかかなたの思い出になっていた。
インドから帰って某瞑想センターで働きしばらくした頃、神田の「書泉グランデ」という本屋の仏教書のコーナーでふと、黒地に白で『坐禅はこうするのだ』と書かれた質素な本を手に取った。「ほお、これはおもしろい。素人の体験談か。」すぐに上下二冊を購入二日程で読み終えてしまった。「ここだ、ここだ、自分の求めているものがあるのはここだよ。」そんな声が体の中でする。それでもなんだかすぐには行動に起こさずに様子を見ようとしている。だいたい、あの本を読んでしまったら実際そこに飛び込むにはかなり勇気がいる。うん、それでもいずれ行くところだ。それ以来少林窟は気になる存在となった。
ある日ふとまた読みたくなってまた、その黒い本を本棚から引き出した。これが三度目だ。ああ、後ろの方に少林窟出版の他の本も載っているな、通信販売で買ってみようか。ついでに今でもこうした指導をしているものか聞いてみようか。いや、ついでの方がどうも本心のようだ。正直なところ自分はそこに行きたがっている。本来小心で臆病な性格、思い立った時を逃すといつになるか知れぬ。えい、電話してしまえ。道場に電話をするが誰もでない。海蔵寺にかけると、奥さんらしき人が出る。
「ただすわるだけならどこでも出来ます。ここの坐禅をおやりになるならやはり一週間くらい来ていただかないと。」
道場へかけて日程を相談してくれとの事。どこかやはり一般人と雰囲気が違う人だ。次の週になっても気持ちは変わらない。道場にもう一度電話をかける。
「坐禅はこうするのだを読んだのですが。」
「それはありがたいことです。」と感心して下さる。
「たくさんのりっぱな本の中であの本をよく見つけましたね。これも縁ですね。」
「はい、それで今でもあのような指導はなさって下さるのでしょうか。」
「法のためなら。」とさわやかな返事。これでとうとう行くことになった。本だけだと、相手が怪物のように頭で想像してしまうが実際話せばやっぱり人間だった。それにかたぶつと言うより人の気持ちを理解してくれそうな感じの人だ。とうとうここ半年ばかり気にかかっていた行きたい場所に行って、やりたいことがやれるのだ。そう思うと、電話を切った後も行けるというだけで喜ばしく、気持ちのよい興奮がしばらく続いた。
虎穴入門
それでも実際に行く日が近づいて来ると不安も出て来る。自分にできるかどうか、という不安だ。特に自分の場合あの本に出て来る人達と違い、知識ばかりが先行している。それが逆に邪魔にはならないだろうか。日程を確認するのに葉書を出したら、すぐに達筆の返事が帰ってきた。
「いくら本を読んでもなんにもならぬ。只一呼吸という真相を体得し分かりたいという努力心を高めるために読むのが良い。」と。やっぱりそう来たか、と本は上下とも興味を持った女性に貸してしまった。(帰った後、その人も行く決心をしたとの事、うれしく思った。彼女が行っている間は心配していたが、帰ってきての話では三日にして大事な方法の要点に気が付いてしまったとの事。今でも、身近では只一人少林窟の法のことを語れる法友だ。)
行く日が近くなると長い休みをとる分だけ仕事量が増え、睡眠不足を解消する暇もなく、仕事仲間からは「悟って来いよ」と凄いはなむけの言葉で送り出され、期待と不安と寝不足を抱え駅へと向かった。
五月十三日月曜。
呉線に乗ると、すぐに瀬戸内の青い景色が左の車窓に広がる。全くの海岸線を這うように進む。美しいとは聞いていたが、成るほど文句なしに美しい。人の少ない車内に吹き込む五月の涼しげな海風が、高ぶった胸を少しだけなだめてくれる。半年ほど前に本で読んで以来、いつか自分が行く所と心に決めていたその場所がどんどんと近づいてくる。不安と喜ばしさが入り混ざったような気持ちを胸に列車は忠海駅に入る。小さな駅が返って静けさの漂う田舎を実感させてくれる。この瀬戸内海の可憐な美しさには、人為化したでっかい駅は似合わない。
言われたようにタクシーで少林窟へ。いかにも真面目そうな若いお坊さんが深々とお辞儀をして出迎えてくれる。わりと大きな立派なお寺だと思っていると、その脇を通って、お寺の裏へと登って行く。ふと気が付くと、静かにゆっくりと前を歩くお坊さんの歩調に感心している。「これが例の只の一歩というやつか、」などと後の自分の苦労など少しも考えもせず、不謹慎な事を考えながら後をついて階段を登って行く。こっちの歩き方も少しばかりは慎重になる。
風情のある少林窟の門を入るにあたって、その前に書かれた心得をお坊さんがゆっくりと読んでくれる。全部は覚えていないが大変な事を言っている。
『この門に入らんと欲せば心を空にして入るべし。心空なれば自在なり。云々』
いきなり「心を空にして入れ」だなんて、これは大変だ。気持ちがますます引き締まる。この中は世間ではない、修行の場なのだ。とうとう、来てしまった。なんだか閻魔大王に会いに行くような気持ちがする。「今から慣れておこう。」とますます神妙になる。
方丈さんの部屋へ案内される。思っていたより若そうで、ひと癖ありそうな人物。世に隠れた禅僧というよりも人並以上に人間くささを持っていそうなお方だ。
「そのひげが気に入りましたぞ。」とおっしゃる。
「遠くからよくいらっしゃいました。」とお茶を入れて頂いて、少しばかりここに来た動機などを聞かれ、さっそく法話もして頂いたが、自分はというと「虎穴に入らずんば」の諺を信じて、虎の穴に入ってみたら本当に虎がいてすくんでしまったという感じで、何を言われても、新人アイドル歌手のように「頑張ります!」と言うくらいだった。
さて、いよいよ
「やれと言われたことだけを素直にやる事。言われない事はせぬ事じゃ。とにかく言われた通りをするのが一番 楽で一番早く上達する。自分で分かったつもりのやり方をしたら、とんでもない間違いをして苦しむぞ。」
と言ってぎょろりと睨む。日頃は聞かない少々封建的で威しまで利いている言葉だとは思ったが、自分を殺す修行にそんなことは言っていられない。とにかく気持ちだけは高まっている。
「あなたはかしこいから、その分苦労しますぞ。死んだ気になってやりなさい。」
と方丈さんから不吉な予言を言われるが、そんなもんかな、くらいにしか思わない。まったく、知らないと言うことはいい気なもんだ。
「修行は、ただ今に目覚めること。修行の始めも、途中も、終りも、只今のみだ。そうは言っても初めは“今”が何だかさっぱり分からぬ。手立てとして“一呼吸だけ”を一心不乱にやりなさい。雑念を切っては“今の一呼吸”に返るのだ。
雑念をすぐに発見できるようになると、雑念を切り捨てる力が備わる。つまり、呼吸にすぐ返る事ができる。と同時にそれが出て来ても放任して置くことも次第に出来るようになる。そのことは、自分の心の動きが自分で把握出来るようになって行きつつあるということだ。
その内に念の出て来る一瞬、消える一瞬が見えるようになる。一瞬の一呼吸が安らかにはっきりと出来るのもここからで、これが今だなとうなずけるじゃ。今はこれ以上法を聞いてもしようが無いから、総てをかけて一呼吸を守りなさい。よろしいか!」
と相なる。成る程、成る程。本で十分そのことは分っていたが、こうしてじかに説法を聞くと、実に響きが深い。初めから信じ切っているのだから、今更信じられると言うのは可笑しいと思うが、確信が固まった感じだ。
昼時に来たのですぐに台所で昼食が始まる。方丈さんの元で出家し弟子になって修行されている祖玄さんと、先ほどの幽雪さんという二人の若いお坊さん、それに千星先生という高校の先生が来ていて僕の隣に坐る。暖かい人の良さそうな人柄の先生だ。在家の人がいっしょに修行しているというのは心強い。食事は静かに、「只たべる」ように指示されているから、そのように努力する。努力してもせいぜい静かにゆっくりする事ぐらいであろう。要領がさっぱりわからいのだから。他の人は何だか深く静かに行っているようだ。そこで又法話だ。
「自分のしている、この事しか今の真理も道も仏法もない。それを体得するのが修行の目的だ。だから今している事から心を離してはならぬ。」
離さないように注意する、が束の間の注意ですぐに心はどこかへ行ってしまう。
「まずは只の一息がちゃんとできるようになることだ。吸うときは只吸う、吐くときは只吐く。
まずは雑念と、何もない純粋な心との境を付けること。そのために雑念を悪として、雑念が出たらすぐ切って、一息に戻る。最初のうちは一にも二にも雑念との戦いなのだ。一呼吸で雑念をぶち切るのだ。」
いよいよ具体的に、すべき事を教えて下さるが、結局は“只の一息”というやつができれば良いのだ。
「何か質問がありますかな?」
と聞かれた。聞きたい事は山ほどある。しかし、いずれも雑念みたいなものだし、目的である“一呼吸”をどうするかしかない今は、
「やってみないとわかりません。」
と言ったが、後で坐ってる以外の時はどうするのかを聞いてみた。参禅記で読んではいても、本の事は本の上だけの事、実際自分でやるときにかえって邪魔になっては、と白紙で臨んでいるのだ。
「歩く時は只歩く。足の裏に自ずから感触がある。その感触に心を置きなさい。そしてゆっくり一歩一歩、寸分の隙を与えずに只歩きなさい。便所に行くときも、ゆっくり手を出し、ゆつくり戸を開ける。この瞬間の総てを見失わないようにすること。放尿しているその瞬間の感触から心を離さぬように。
とにかく、気持ちはあっちこっち飛び回るから、常に今やっていることと一つになっているように努力すればいいんだ。」
これは、二十四時間戦えますか、の世界だ。息を抜く暇もないわけだな。
さて休憩、お茶の時間にしますか、と言うのもないし、だいたいお茶を飲むその瞬間にも、一秒たりとも注意を怠る訳にはいかないということだ。こういう修行がしたく、だけど自分だけでは出来ないし、何よりその辺の消息を知っている人の助けが必要だと思って来たはずなのに不安になる。
そんな努力が本当に出来るのだろうか。気が狂ってしまわないだろうか。何となく[参禅記]のあの様子が実感となる。ここまで突き詰め追込まれると絶対おかしくなるぞという変な自信が不気味だ。途中で逃げ出したりはしないだろうか、と。そうかも知らんが、そうでないかも。やってみなければ、そのために来たのだ。やるしかない。
坐禅のスタイルは自由だが
食事の直後、方丈さんいきなり、人差指をピタッと差し出す。
「小山さん。」
「はい。」
「この指の通りの方向を見なさい。」指の先の点線をたどると、棚の上のお菓子の箱にぶち当たる。
「ちょっと、あれを持ってきなさい。」なんだ、お菓子の箱を持って来いと言う事か、ドキッとさせる人だ。でもこの辺から何だか普通ではない雰囲気が漂い始めた。いや、もともとこれが少林窟の雰囲気で、今やっと、少しずつ自分がそこに合っていこうとしているのだ。
「さっき飲んだ急須を持ってきなさい。」
「はい。」と、方丈さんの部屋へとりに行こうと廊下に出た瞬間、
「そんなに、慌ててドタドタ歩く奴があるか! ここは修行の場なんだ! 馬鹿者!」と怒られる。そうだった! と内心軽薄だった自分を反省。急に身心が静粛になる。ほんの数十秒で言われた用事は済む。たったその間に不思議なほど自分の動作が落ち着き、修行というこれからの現実にすっかり入り切ったようだ。一喝第一号の効目は、有難いほど即効性があった。
袴を貸して頂いて、出迎えてくれた幽雪先生に禅堂へ案内される。総持寺の坐禅会に一度出たことがあると言ってあったからか、軽く坐り方、経行の仕方など教えて頂く。といっても、ここでの注意は中身の事だ。一息半歩で前や後ろの人と同じくらいの速さで、なんて他の寺の形のための説明ではない。重心が移り変わって行く感触や、足が床に着いた感触、離れる感触など、心の解決策として、とにかく自分の心が自分でしっかり掌握できなければならないので、心を見失わない手段を色々教えて下さる。これらの注意事項は、後々までとても助けになってくれた事を重ねて明記しておきたい。
「足が痛くなったら、あぐらでもなんでも自由にして下さい。手も別に、肩が疲れますから、法界定印にしなくても構いません。坐り疲れたら、いつでも経行をして下さい。」と、とにかく中身が問題。方丈さんも、
「坐禅は我慢くらべではないんだ。疲れや眠気を我慢して坐っていても、なんにもならぬ。そういう時はすぐに部屋に帰って休みなさい。」と言っていた。これは画期的且つ勇気ある指導だと思った。昔風を批判することでなく修行の内容が重要なのだと言う確信をもたらせてくれた。
実を言うと、ここに来るための休みを確保すべく、このところ寝不足状態なのだ。新幹線の中で寝ればなんとかなるかと思っていたが、気ばかり高ぶっていて車中では一睡も出来なかったのだ。でもまさか来たそうそう、部屋に帰って寝る訳にもいかぬ。だいたい、こんなに気ばかり先走っていて寝れるわけもないし。
雑念の嵐の中で
一度部屋に帰り、気合いを入れて、よし、禅堂へ。母屋の廊下の突き当りのドアを開けて、渡り廊下を十歩ほど行けば禅堂の入口だ。その間もいつもより慎重に歩いているつもりだった。が、
「足元が抜けとるぞ!」
と母屋の裏から、とんでもないでかい声が飛んでくる。見てなどいない遠くから人の足元を注意する。どうしてそれがわかるのだろうか。更に慎重になるのも道理だ。やっているつもりと実際は大違い。とにかく今は、なりきれるまで努力の連続だ。
禅堂で坐っていても雑念の嵐。この雑念、なんとかしなくてはと、呼吸に力を込める。長く吐いてみたり、お腹に力を入れてみたり、数を数えてはやめてみたり、とにかく雑念との戦いがこうして始まった。外では鴬が涼しげな声を上げ、風が吹けば木々がこれまた気持ちの良い音を立てる。まったく、禅堂としては良い環境の所だ。ところが頭の中はめちゃくちゃで、それがわかっていてもどうにもならない。
一呼吸だけをしていればいいのだ、ということは十分理解していても、その一呼吸が何ださっぱりわからない。
合図とともに夕食に集まる。台所に一歩一歩近づく。緊張する。
「その調子で頑張りなさい。」
最初だからだろう、方丈さんが励ましの声をかけてくれる。夕食は思いもかけぬ、とんかつだ。物静かで奥ゆかしい日本女性、書道の先生をしている角田先生の料理だ。ここに来る人達はみな心境が進んでいるようで、誰もが自分にとっては先生だ。
お坊さん方も夜には禅堂に坐りにきて十二時頃までがんばっていく。只の一息がわかるまでは、眠いなど言ってられないぞ。目を見開いていろいろやってみるがともするとボォーとなってくる。結局あせってばかりいて、実際やっていることは眠気と闘っているだけで一日目は終わってしまった。十二時過ぎに部屋に帰って布団に入るが、いつまでも寝つかれなかった。
朝、禅堂に行くと千星先生と方丈さんが坐っていた。方丈さんからはこちらが丸見えだ。さほど気にならない。邪魔は外ではなく、内側の思考だから。「これでいいのか」「こうすればいいのか」「こうしてみよう」「こう言ってたっけ」。おまけに今日もまだ眠気と疲れがとれない。「ああ本当に睡眠をゆっくりとってからここに来れば良かった」とつくづく思う。
食事の時に言われた。
「ずいぶん坐禅をやっていたね? それともヨガかなにかかな?」
「まねごとなら自宅でやっていました。」
「そうだろう。姿勢がいいから。」
「でも、中身はめちゃくちゃです。」と苦笑いをして答えた。自分なりに坐禅のまね事はしてきたし、将来ちゃんと禅を学ぶときのためにと、半伽坐にも慣れていた。おまけにインドでは、ヴィパサナという、坐っている時は呼吸、歩く時には足の感触に意識を持って行くという、今やっているのと似たような瞑想も毎日のようにやって来た。でも、今この禅堂の中では、そういった過去などはまったく関係ない。自分の瞑想なんてまったく忘れて、ここのやり方で一から始めているのだ。『坐禅はこうするのだ』を読んで、ここのやり方に本当に共鳴したから来ているのだ。方丈さんは、
「あの本を読んで自分から来た人は、もう最初から覚悟はできている上根の人なんだ。」と言う。が、正しい道を求める気持ちが、かえって災いすることもあるのだ。職場の事だの、友人の事だのといった関係ない雑念など全くと言っていいほど出てこない。ましてや、周りの雑音が気になることもない。それが一息が出来ているからではなく、内側の「どうしたら言われた通りできるか。」とか、「こうした方がいいのでは。」とか、「こんなんでは、だめだ。」とか、只の一息に関する妄想、雑念の渦を巻き起こしているのだ。周りの雑音が気になると言う人がいたが、それは内側がわりと静かだからそんな事も言ってられるのだろう。自分もそのくらいになりたいものだと思うほど、内側では雑念のすさまじいエネルギーが渦巻いている。
「一息とは?」「これは違う」「気合いで雑念など吹き飛ばしてしまえ!」「よーし、一息だ。ううーん!」「もう一息だ。ううーん!」「少し眠気があるぞ。目を見開いて。ううーん!」こんな、一息に関する雑念は次から次へと湧いてきて、本当の只の一息なんて追求する余地もない。でもそんなこともわからずに、一生懸命やっていればその内なんとかなるだろうと、自分の一生懸命さに感心しているくらいだ。只の一息をどうとかしようとする雑念ほど始末に終えないものはない。一つ事の堂々巡りできりがないからだ。
雑念、妄想があまりに激しく、何をやってても妄想にすぎないように思った時、ふと後ろの柱に画鋲がひとつさしてあるのに気づいた。ワンと吠えたら電気が流れる犬の首輪があるらしい。そういうかわいそうな道具は大嫌いだが、確かに吠えなくなるそうだ。この画鋲を手に持って、雑念がわいた途端にこれでちくっと自分の体をさしたら、もっと雑念の出ぎわがわかるようになるかもしれない、雑念も減るかも知れない、と真剣に思い、画鋲を柱から抜こうとするがかなりしっかりささっていて、抜けない。いや、本当に抜こうとしていなかったかも知れないが。そのくらい雑念と呼吸の境目がつかないことが苦しいのだ。一体どうすればこの雑念を切り放すことが出来るのか。もしあったら一億円出しても教えて貰いたいとさえ思う。もう外になんにもいらないから、この苦しみから即刻出して欲しい。
これ何ぞ!
「呼吸とは何ですか!」食事の時に必ず何かしら心境を確かめられ、そのつど法話を頂く。これが何よりの救いだが、重苦しさと怖さだけは消化不良を起こしそう。
「わかりません。」
「頭で考えるからそうなるんだ。呼吸とは何か!」
「あの・・・、生きているという事・・・」
「そんなもんは学者にまかせておけばいい。呼吸とは何か!」
方丈さんの声にだんだん力がこもる。
「吐いて吸うこと。」
自分でも変な答えだと思うが、今はこれしかない。
「それはいつしますか。」
今と言えばいいのか? でもこれ、参禅記で読んだぞ。自分の答えではない。また、
「いつするのか!」
大きな声で問いつめられる。
「今です。」
考えている暇などないからそう言った。
「そうよ。今しかできないだろう。」
とにかく方丈さんとの問答は迫力がある。何かをわからせてくれようとする気持ちが、ひしひしと伝わってきて、こちらも真剣にならざるを得ない。
「考えている暇など無いだろう!」
と言われる。
「真剣に一呼吸をしていれば、雑念の入りようが無くなるのだ。今、一瞬の一呼吸しか無いだろう、自分の呼吸だから、自分でよく確かめてみなさい。」
言われている事を理解するのに精一杯である。
「何をぼけっとしとるか!」
内心びりびりしていると、
「呼吸とはなにか!」
これよこれ、出ました!
「はい!」
と言って、吸込み、吐きだす。カンニングではあるが、やや自分のものになっていた。
「そうよ。それを一心不乱にしておればいいのだ!」
食事の時の注意も回数を重ねる度に真剣さが増し、迷いの扉を破壊するためのくさびが時間と共に深くなっていく。次第に追い詰められて、そこにある一本の綱を頼りに脱出を図るしかない。ボルテージが上がり回転が上がると、馬力も従って上がってくる。
「流れている今を、一瞬の点でとらえるんだ。」
と方丈自ら手本を示し、手をそぉーと茶碗に動かす。茶碗に手が伸びるまでにも、その途中の無限小の時間の点を感じているかのように。
「そして、心がここにあり一体となっていることを確認して・・・」
と茶碗にふれた両手でその感触を確認。またそぉーと茶碗を口にもっていき、極めてゆっくりと飲み、しばらく目をつぶっている。お茶が喉を通って消えていく感触を味わっているのだ。常に何か考え事をしている心の癖をぶち破る修行なのだから。それには、とにかくこうして自分のやっている一つの事実に一つになって行くしかないのだ。段々と、どういう努力をしていけば良いのか的がしぼられてきたように感じる。今までの普通の速度で行為をしていたら、考え事をしながらも出来てしまうから、初めはわざとゆっくりと動作し、常に自分がその動作にいることを確認しながらやっていくというのが、ここの修行方法であり、今の私の手立てなのだ。これは簡単そうに見えるが、これはきつい。するのがきついのではなく、それを続けるための注意の継続がである。
人間なんて考えてみたら変なんだが、それもよく考えてみたらちゃんとうまく出来ているなと思う。何でもない事でもそれが身につき癖になっていなければ、するという行為を常に判断し決断して行為化する。だからどんなにつまらんことでもそれを続けるということは、結果かプロセスかが楽しく興味をそそる物でない限り大変なのだ。パターン化して身につけば自然にそれをするようになる。が、禅ではこれが逆の力となり妨げとなって働くから、しっかり苦しめられる。パターン化し性分になったものを分離させることは、全く新しい努力の継続なくしてはできない。
食卓で方丈さんに見られている時などどうもぎこちなくなるが、それでも努力を忘れないようにやっていくしかない。初めの二、三日は、このための努力だけで降参してしまったが、これが後に面白く感じるようになるなんて凡そ想像もつかない。箸使いまで監視されている囚人のように辛いばかりだ。禅堂では自分の雑念に苦しめられ、禅堂から開放されればそこは監視付きの厳しい食事なのだからたまったものではない。こうして一度既製化している財閥の煩悩工場を、GHQならぬ方丈裁判にかけて解体されるのである。
「今、大変な処へ来てしまったと後悔しているだろう。」
と図星見抜かれたときは、心底、ぎくっ!
「いえ、それほどでもありません。」
と少し無理に笑ったが、実際それを何度思ったことか。
部屋に帰れば、掛っている「関」という額の文字がやけに大きく見える。果してこの得体の知れない関を突破できるのだろうか。
本で読んだ想像と実際の体験は大違いだ。確かに苦しいとも書いてあったし、男泣きに泣いたとも書いてあった。しかしだ。本の参禅記なら読んでいく先には確かなハッピー・エンドのページが待っているのだ。いくら辛そうな事が途中にあろうとも、これが実を結ぶと思って読んでいれば、自然、その辛さも美談になってくる。ところが今こうして自分が直面している苦しさは、実を結ぶかどうか誰も保証してくれはしない。何もわからず、何も得られず、この苦しさのまま終わるかも知れないのだ。
三日目、四日目ともなるとそんな不安が出てきて、夜、布団に入った途端、布団の中はそんな妄想の巣と化す。只の一息がわからないのだ。寝坐禅も何もあったものじゃない。暗闇の中で体を布団の中に横たえた瞬間に、昼間に相手にしてもらえなかった妄想が、ここぞとばかり押し寄せて来る。暗い淵にとぐろを巻いていて潜んでいた蛇が自分の出番がやって来たと言わんばかりだ。そのものすごいエネルギーは、一息なんて努力を吹き飛ばし、夜が更けてもいつまでもいつまでも際限なく、いろいろな想念となって止まるところがない。寝不足でいながら眠れない、こんな状態では出てくる妄想も否定的なものばかりだ。
自分に自信がないので自然、食卓でいきなりくる問答も恐怖以外の何物でもない。
「これ何ぞ!」
いきなり、テーブルの上の醤油の瓶を目の前に置かれる。「醤油」なんて言ったって駄目なことはわかっているが、答えられない。
「すぐ頭で答えようとする!」
と言われる。すると、
「これは、只これよ。」
と嘲笑うかの様に言う。でも、その言葉が解答ではなく、指差しているその物の実体がそうだぞと言っておられる。言葉ではないその物の世界、こんな簡単なことを難問のように、頭でとらえようとしてしまう。人間の意識にある真実とするものが言葉・理論であるから、真実なんて訳がわからなくなってしまう。普通答えとは言葉で説明するものと思っている。その事を不自然で不完全なものなんて考えてみたこともない。別の時には、
「これは何色ですか。」
と醤油の赤いふたを指して問われる。私は内心「これは只この色、その外言葉では言いようがないではないか」とふたをじっと見て方丈さんを見返すが、だめ。煩悩の小細工だと言われる。じゃ、どう言えばいいのですか? と煩悶が沸く。
方丈さん今度は千星先生に同じ質問をした。すると千星先生ぬっとその醤油瓶を手にとって、ふたの色をながめ、ぽんとふたを叩いて終わり。その行為からは自信が感じられる。
はっ! とした。これか! なんと端的で鮮やかな答えであろう。わかったものは何もない、が心にさしこむ光りの方向を感じた、けれども千星先生どんな心境なのかさっぱり見当も付かない。当り前のように醤油瓶のふたの色を答えられたのだからそれなりのものを会得しておられるのだろうが、自分にはその心境が見えない。
「何を抜けた食事をしておるか。」と方丈さんに怒られている時もあれば、「ずいぶん、心境が進みましたね。」とほめられている時もある。自分にはどっちも同じように食べてるようにしか見えないのに。わりと無造作に普通の速度で食べているみたいだし。それでいてちょっと町へ出てきても「雑念もあまり出なくなりました。」なんてすごいことを言っている。修行とも見えないくらい修行が進み普通になってしまっているのか。人の心境は、ほんの一歩でも先に進んでいたらもう見えない。また、逆の場合ならば、たった今自分が進んできた道であろうから、後輩の心境はよく見えて当たり前なのだろう。自分とくらべたら遥か先の世界の事だが、在家でもこういう人がいるということが励みになる。
不思議な電撃的行動
私はというと禅堂で、「吐くとは何か。」これだ、と思い只吐く。「吸うとは何か。」只吸う。まだぎこちない。これが答えだという実感が薄い。だけれどもどことなく焦点が次第にしぼられてきたと感じる。以前のあの、どうしていいのかわからない迷いと不安とあせりは、そう言えば見え隠れ程度にまで減少した。
三日目の夕食、ごはんを口に頬張っている最中に、
「小山さん。それはどんな味かな?」
禅問答にイントロなどある筈はない。わかっていてもいきなりは心臓が悪くなるので困る。わからない。食べられなくなってしまう。人の御飯の味合い方などを聞いているのではないこともわかっている。どう実感体験の一瞬をしているか、言葉を離れた直接度を試験しているのであろう。この事は説明し教えられても、自分のものでない限り言葉の理解に留まって何にもならないから、そこへ至るための標識しか教えることはできないに違いない。
何度か同じ質問をされ、助け船を出されて、やっと只この一噛みの味にしっかりいればそれが答えで、言葉に出して答えようとした瞬間に間違ってしまう道理がわかった。
「小山さん、それはどんな味ですか?」
指さされたものを口に運び、その味だけになる。心が広やかになり、何であろう? というわかろうとする迷いがすっーと消えていた。途端に「これか! これだよ!」という疑えない事実に巡り合って納得したものがある。今までは夢遊病のようにいつも心はどこかへ行って、その物と直接関係でなかったため、その物の味が体全体で得心することがなかった。静かな感激が沸きかけた瞬間、
「これ何ぞ!」
とテーブルを“ぴしゃっ!”と叩いて激しく問われる。ちょっと、ほんのちょっとだけもたついた。方丈さんはそれをも見逃さない。
「頭にもっていかない!」
と言われた瞬間、“ぴしゃっ!”と自分もテーブルを叩いて答えている。考えなくて不思議な行動が既にあった。実にさっぱりとした自然な動きとともに、「これでしょう!」という自信めいた心地が沸としてくる。ところが、
「これ何ぞ!」
もっと強くテーブルを叩いて、再度問われる。質問が終わらないうちに、“ぴしゃっ!”と同じぐらい大きく叩き返す。テーブルの物はショックで踊りまくる。全然それらが気にならない。電撃的であった。しかも心は何事もなかったように普通に静かなのである。ただちょっと事態に応じたに過ぎない。
「うん、それよ。すぐに禅堂に行きなさい! この、前後際断した決断の、只一呼吸だ! わかったか!」
「はい!」
こんな風に食卓での問答の後は、その気分のままに禅堂に行くことになる。何が何だかさっぱりわからなかったつい一日前を思うと、同じ歩幅の同じ一歩が、現実感と静かな充実感を増した一足で禅堂へいく。でも、どうしても方丈さんの言われる、只の一呼吸が連続できなくて苦しむ。というより一呼吸がなんだかまだ自分にわからない。迷い子の侘しさである。自分の家を探すようになにかを求めてふらついてしまう。心が不安定とはそんなことのようだ。一呼吸をするだけだからと、その事に一生懸命になっていても不安定さをどうすることもできない。
でも、少しずつ食事中に修行が楽しく感じられる時が出て来る。飲もうと口元に持っていったお椀の中の汁の中でいろいろな具が上へ下へ回転している。それがなんだか美術品を見ているようにきれいなのだ。飲み干して椀の中にくっついている具を箸で集める。ゆっくりと箸が動いて具を集めている、その動きが面白くてしかたがないのだ。ほんの数秒の出来事なのだか、そんな時はついつい食卓にいる方丈さんの事も忘れ、隠れ家を見つけた子供が親の目からのがれて一心に遊んでいるように、お椀の中の小さな世界に没頭してしまう。でも箸をテーブルのまん中に伸ばさねばならないような時は、やはり何を言われるかわかったもんじゃない、ついおどおどとしてしまう。
こういう場合のたちの悪いジョークとして“殺してやりたい”などと言うが、そういった不謹慎な程度の低い次元には既に居ない。畏れは確かに強烈にある、けれども尊敬信頼憧れというラインを走っている鈍行列車であるから、決してそのような不遜な心はないのだ。だったらなにか。ただ、畏れのおどおどでしかない。
こぼれる涙
五月十六日 木曜日
四日目になって三原から“草木染め継ぎ紙”のお師匠さん、吉田先生が参禅にいらしたので、自分の部屋は仏間に移された。角田先生のお師匠さんと言っていた。同じ様な雰囲気だ。角田先生の説明によると、西本願寺の国宝“西本願寺本三十六人家集”(一五四八年・後奈良天皇が、西本願寺の証如上人に下賜されたもの)を、昔の手法を長年研究し、発見して染めて完全再現した唯一の人で、日本の最高峰ランクの先生とか。それは見事な作品で平安の昔の色彩感覚と品性の高さには感動した。千星先生言葉は少ないが、その感動振りに又感動した。方丈さんも大変賛嘆されていた。このような大切な作品をこのような所で拝見させて頂けた事は貴重なたいけんでした。
吉田先生はとにかく品の良いおばあちゃんだ。何をやってもありがたそうにやっている。いきなり順調に坐っているようだ。苦労している感じもない。根が素直で何事にも感謝できるような性格なので楽しそうだ。それに比べて自分は・・・
このまま終わってしまったら帰ってから何と言おう。職場が瞑想センターだから始末が悪い。まわりの人はほとんど皆、どこへ行って、何をしているのか知っているのだ。そればかりか『坐禅はこうするのだ』の本さえ回し読みされていて今ごろ少なくとも三、四人の人が読んでいるだろう。自分は駄目だったと素直に言おう。それしかない。そう思うと自分が情けなくて涙が出て来る。今まで色々辛いことも悲しいことも沢山あった。しかしここでのこの苦しみは異質なもので根が深く、自分の胸の一番奥が悲鳴を上げるのだから比べものにならない。発狂するかもしれないと言う危機感をもった先輩が居たが笑い事ではない。狂う人が出たとしても全然不思議なこととは思わない。
とにかく日本のここにはまだしっかり禅が生きていて、それがしっかり守られている。そういう禅の師にこの生で会えたこと、しばらくの間とはいえこういう場所で寝食をともに出来たこと、それだけでも良かったではないか。その思いだけをいただいて、帰ろう。そんなところでなんとか自分を納得させようとさえ思った。
「ささやかな喜びというやつですね。」後にこの時の事を話したら、方丈さんはこう言った。
一杯の酒
部屋として使わせてもらっている仏間には大智老尼の大きなお写真がある。大智老尼といわれる方は、釈尊以後、女性の中では一番境界の高いお方で、祖師方の中でも最高ランクだと説明された。晩年は巨匠飯田欓隠老師をも凌いでいたと言われるその人が、いい顔をしてこちらを向いて坐っていらっしゃる。その慈愛に満ちたまなざしはいつ見ても貴いものがある。全てを知ってくれているような目だ。
「厳しいお方でした。」
と方丈さんは言う。己に厳しいからこそあれだけ慈愛に満ちたお顔ができるのだ。道を真剣に求め続けた後にできる本物の顔だ。床に入る時にはしばらく、そのお顔と対面して坐る。頑張らなくては、と思う。先ほど布団に入る前に仏壇に立てた一本の線香が、まだ懐かしいような匂いをたてているころ、ふと戸が開いて方丈さんが入って来る。
「そちは酒は飲むのか?」
「はぁ、少しなら・・・」
「では飲むのだな?」
「はい」
「ちょっと、来なさい。」
「はい。」
目が赤くなっているだろうか、などと気にしながら後をついて行く。
まだ少しもらちがあかずにいる自分は、まるででくのぼうのようだが、方丈さんの心遣いがうれしく素直について行く。自分のようなひ弱な人間は、厳しさだけではついて行けないのだ。方丈さんはその辺の事も考え、一人一人こうして親身になって指導をして下さるのだ。それが本当にうれしく心にしみる。するめを焼いている間に、あんま機の上に横になるように言われる。担架のようなそのあんま機、スイッチを入れるとでこぼこのあるローラーが振動しながら足から背中の方へ上がって来る。「あああー」思わず声を出してしまう気持ちの良さだ。十分ほどで完璧に体の力が抜けきった。ふにゃふにゃ人間の出来上りだ。
「力がすっかり抜けました。」
「そうだろう、一度すっかり力を抜かんといけんのだよ。」
方丈さん、あらぬ方向へ走り出した馬を落ち着かせたように、そんなことを言う。大き目の茶碗にお酒をどんどんとついでくれる。こちらがつごうと思っても、つがせてくれぬ。御自分は飲まれない。どうやらこいつを少々やりすぎてストップがかかっているらしい。御自分はそうでも人には以前のまま、
「そちに飲ませようと思ってな。」
とまるで一緒に一杯やっているような雰囲気で三杯目をついでくれる。
「そろそろ寝ますか。」
と立ち上がった時にはかなりふらふらしていた。さっきとは打って変わって上機嫌で酔ったまま床に入った。
頭から湯気が出る
五月十七日
五日目のことだ。
「これだけやっていてまだわからないというのは、何かやり方がおかしいんだ。
言われた通りやっていないんですよ。」
方丈さんがぽつりと言った。
言われた通りにやってない・・・!
その言葉がどれだけショックだったか。ここへ来て自分が全く見当違いの事をしていたという事なのだ。今までの全てがいっぺんに色あせた。一生懸命やっているつもりだった。言われた事をうまく出来るようにと。それが本当につもりになっていただけだったとは。
「小山さんは、自分を練るのはこんなにできるのに・・・」
良かれと思ってやってきたことが自分を練っていただけだったのだ。不注意でガラスを割ってしまった時のような悲しさだ。でも確かにそうだ。自分を練っていた。一呼吸に成りきれと言われ、成りきれない自分を感じ、成りきるためにはどうしたら・・・? と道を迷いはじめ、その迷った道を一息の道と信じ、どんどん只の一息という事実から離れて行ってしまうのだ。「できようができまいが、とにかく一呼吸をしている事」、それが出来なかった。このことが一番大事なことだったのだ。
速くけりをつけようとあせり、今までの仕事や、勉学で身につけた西洋的、論理的なやり方でこなしてしまおうとするのだ。Aを達成するためにはBを確実にしよう。Bを完璧にするためには、土台であるCを、という具合いに。できているとかできていないとかの判断をやめてもろにAにぶつかって行く。そんな風な生き方もあったのだ。妄想、雑念のうずまく中に呼吸は見え隠れしているような状態だとしても、そのわずかな呼吸を守って行くということをしなければならないのだ。その状態をなんとか解決しようと思った時点で、もう呼吸から離れてしまう道を辿っていたのだ。もちろん、言われてすぐに、こんなにクリアに自分の間違いに気づいた訳ではない。しかし、言葉にはならずとも、体のどこかで自分の間違いに気づいたようだった。
「とにかく死んだ気になってやりなさい、頭から湯気が出るほどだ!」
と言われる。これがどうしようもない弟子への残された最後の示唆なのか。これを本当に遂行しなかったら、もう私はここへは居る事はできないだろう。悲しい決心で禅堂へ行く。
「小山さん、どうですか。頭から湯気が出るほどやっていますか。」
方丈さんが留守の昼食で、幽雪さんが聞いてくる。
「はぁ。でもあまり力みすぎると違うものになってしまうようで・・・」
今まで変に力んでいる自分に気づき始めたところだ。湯気が出るほどとは言われていたが、頑張るしかないと言うくらいにしか捕らえていなかった。
「小山さん、方丈さんの言葉は自分でいろいろ解釈せずに、言われた通りやった方が良いですよ。大げさな例えだとかじゃありませんから。その言葉通りに。」
と、ある一点を強調的に指摘された。幽雪さんは言葉を多く使わない。でもいつも要点の高い指摘をしてくれる。
「はあ。そうですか。」
只の一息がわかることと、頭から湯気が出ることの関係性には納得のいかないものがあったが、確かに言われたことに自分の解釈を添えてやっていたことが、幽雪さんから見てもわかるのであろう。当たっているだけに自分が馬鹿みたいに見えて、くやしい。
やってやろうじゃないか! 本当に湯気でもなんでも出して、ぶっ倒れるまでやってやろうじゃないか! と言う思いが心の底から湧いて来て体を熱くさせる。どうせ目茶苦茶な一息だ、もうこれ以上ひどくはならない自信だけはある。
気迫のみで禅堂へ。本当に湯気を出してぶっ倒れて、迷惑をかけても知りませんよ!
もう只の一呼吸も何もあったもんじゃない。気合いとともに長く吐き、長く吸う。荒い息の音が他の人に聞かれようが、構わない。グウー、グウーッと力任せにやる。体全体がこちこちになるくらい力んでいる。すぐに体は熱くなり汗が吹き出す。
それでも、これでもか! とやり続ける。くらくら目まいがして、疲れ果てて、少し休もうかという思いが湧くと、よりいっそう力を込める。
後ろを吉田先生が通る。こんな姿を見てどう思われているだろうか。でも今はそれも関係ない。ももの上でにぎっているこぶしはあまりに強くにぎっているので色が変わっている。肩も腕も痛いほど硬直している。顔もきっと真っ赤になっているだろう。
さあ、湯気が出ているだろう! どうだ、どうだ! と続く。
中間慰労
外は暗くなり始めた。人間の体力というものには限界がある。いつまでもそんな無理な緊張状態が続けられるわけではない。だんだんと塊が溶けていくように、最初の思い自体が溶けていく。疲れが圧倒的になってきたのだ。呼吸もだんだんと自然な呼吸になっていく。もうろうとした頭に挫折感が湧いて来る。
「これもだめだった。さっぱりらちがあかない」。ただ極限の努力の後の完璧な敗北は、後で考えると、惨めな自分に対する挫折感だけではなく、何かもう自分の出来ることは全てやってしまった、というような割り切った気持ちをももたらしてくれていたようだ。事実これから後は、変に雑念をどうにかしようという言う気持ちが少なくなっていた。
それでもその時は挫折感しか感じられなかった。こんな状態でもう何日になるのか。夕食でみんなに顔を合わせるのが辛い。無駄めしを食っているようで。それに極度の疲労と挫折感から食欲も全くない。今日の夕食は辞退しよう。そう思い、それを告げに台所へ行く。幽雪さんが言う。
「今日はせっかく小山さんの中間慰労なのに、ご飯は出さないので食べられるだけでも。」そういうことになる。慰労会。何もわかっていない自分のために昨夜は、お酒をいただき、今日はこんなにまでしてくれるなんて。どん底のような所にいる自分には、その情けが無性に有難いと同時に辛い。言われた事もちゃんとできない情けない男ひとりを、こんなにも大切に扱って下さっているのだ。まだ期待をかけて下さっているのだ。参禅記では、みんなわかってからしていただいているような事を、このグズグズした男はわかる前にしていただいている。人情にすがっても途中で辞めるわけには行かない。わかっても、わからなくてもとにかくしがみついて行こう。
禅堂にもどり坐っていると、食事前に突然、呼ばれる。どきっとした瞬間に、
「はい。」
と返事をしている。お風呂に入りなさいとの事。五日ぶりの風呂、それもここの風呂は薪の風呂だ。薪で沸かした湯は重みがあって、体のしんから温めてくれる。慰労会ではまた少しお酒も頂く。
「吉田先生、無とは何ですか?」
人の問答は面白い。吉田先生、頭で考えている。
「無とは、無ですよ。」
と方丈さん自ら答える。自分自身、頭だけで答えをひねくり出そうとする性格が強いので、吉田先生の頭の動きが良くわかる。方丈さん、今度は先生に自然な呼吸について言っている。と、突然、
「小山さん、自然な呼吸がわかってきたでしょう。」
「はい。」
極端に不自然な呼吸をしてみて、身を持ってわかってきたところだ。しかし、自然な呼吸が身についてこれでしっかりやっていこうと決まりがついたと言うわけではない。特別な事を努力しようと言う気が無くなってしまったと言うのが正直なところだ。その分、楽になったと言えば言えないことはないが。
「少し楽になったでしょう。」
「ええ・・・。まあ・・・」
と言うくらいしか言えない。吉田先生やっぱり、僕の辛そうにやっているのを見ていた。
「小山さんの、見ていても本当に辛そうなのがわかって・・・」と涙すら浮かべて言って下さる。人の辛さを涙できる、本当に純粋な方だ。ありがたい。
明日は方丈さんは大阪に御出かけで留守だと言う。
光明はここにあり
「帰って来るまでにわかっていなかったら、これですぞ。」
と言って、右腕のにぎりこぶしを、ぬっと衣から出す。
「自分でわかった方がいいですよ。そちの顔が芸術作品にならないうちにな。」
これはおどしだ。そういえば今まで一度もひっぱたかれなかった。参禅記ではあんなに連発しているのに。だからそんなことは覚悟の上で来ているのだ。初めからばしばしやって無理やりでもわからしてくれるだろうというような期待すらもあった。そうされていたら、もう今ごろはわかっていたかもしれない。こんな苦しい思いをしなくても良かったかも知れないのに、と思う。それに今になってそんな風に予言されると、なんだか恐怖心が沸いてくる。
「あなたのように参禅記を読んでくる人は上根の人。それなりに覚悟がある。だから、むやみに手を出す必要はないんだ。」とおっしゃる。上根ゆえに苦しまねばならぬなら、上根であることにどんな意味があるのか。
あなたはかしこいからと言われるのと同じように、上根だという言われ方も、なんだか皮肉のように感じてしまう。
とにかく明日一日が勝負か。自分でわかった方がいいですよと言うことは、帰って来るまでにわからなかったら、参禅記のようにげんこつを使ってでもわからせてくれると言う事か、などと、へんなところに期待している。でもげんこつは痛そうだ。自分でわかるには時間はあと一日だ。
夜、いつものように寝つかれないでいると、一時か二時頃だろうか、突然叫び声があがった。
「助けてぇ! おばあちゃん、助けてぇ!」ぎくっとして布団から起き上がる。子供のような声だ。庭からだろうか、墓地の方からだろうが。なぜこんな時間に子供が、こんなところへ? 耳をすますが何も聞こえない。それでなくてもこんなに苦しんでいると言うのに、その上ここは、おばけ寺か? なんて所へ来ちまったんだ。少したつと誰かがまたむにゃむにゃ言っている。
なんだ、誰かの寝言か。とひと安心、いつの間にか寝てしまった。後で方丈さんにその話をすると、
「あれは千星先生ですよ。しかし、寝言にも色々あるものだなぁ・・・」とおっしゃった。千星先生も疲れがたまっていたのか。後になれば笑い話だ。
五月十八日 六日目
昨夜の久しぶりの風呂の効果か、慰労会のお酒のせいか、とにかく七時過ぎの朝食の拍子木がなるまで床の中にいた。只むやみに眠気と闘っていても、逆効果だと言うこともいやという程、体験済みだし、「頑張ってそれでもコクッと眠気が来る時は、疲れだから潔くわずかでも本当に眠りなさい。禅堂でぐらぐらしながら幾ら頑張っていても何もならないから」と、我慢ごっこではない事を教えられていた。何の罪悪感もなく布団の中に居れた。
朝食に出る。
「どうですか?」と聞かれ、
「良く寝ました。」と答える。
「今までですか?」
「はい。」
「それでは、これから死んだ気になってやりなさい。」
「はい。」朝食後にはまた点検だ。
「何も考えず、ただ犬のように呼吸してればいいんだよ。こんなふうに。」
と方丈さん犬になって、はあ、はあ、ゝゝ、ゝゝとやる。思わず笑顔になってしまう。そうだ、ただそうやっていればいいのだ! 自分の今までのとは、なんと大きな違いだろう! 犬のようにただやる。なんだかできそうだ。なんにも考える必要はないんだ!
「小山さん、吐くとは何ぞ。」
只吐く。
「うん。では、吸うとは。」
只吸う。
以前の同じ状況より、少しぴったりしてきた。
「そうよ。その答えを持ってしっかりやりなさい。」
「はい。」
そうか、これが答だったのか! 今まで自分は呼吸を質問として答を求めてきた。呼吸を手段として分かる状態が来ることを結果として心に描き、求めていた。実際の所、その呼吸でもって何かを達成するでもない。まさしくその呼吸それ自体がそのまま不変で唯一絶対だったのだ! やっぱり理屈が邪魔していたからこの事がわからなんだのだ。
うまくやろうとか、これでいいとか悪いとか、成りきれないとか、そんなあらゆる思いという垢の着かない答そのもの。そのもの以外に求めるものはない。言葉でこんなふうにうかんだ訳ではないが、そんな意味の確信がふつふつと湧いてきた。
方丈さんは八時二十分に出発する。よし、その前にけりをつけてしまおう! 出発前に報告できるように! なんだ、この不思議な闘志は! そんな自信も湧いてきた。禅堂行きが楽しくなる。いや、本当の意義の深さがわかりかけてきたからだろう。
「吐くとは何か。」と自問。只吐く。
「吸うとは何か。」と自問。只吸う。
「吐くとは何か。」と自問。吐く。
「吸うとは何か。」と自問。吸う。
「吐くとは。」・・。「吸うとは。」・・。「吐くとは。」・・。「吸うとは。」・・。
「何も考えず、犬がはぁはぁしているように!」はぁ、はぁ。・・。・・。・・。・・。・・。
実に気持ちよく出来る。出来る! 出来る!
スゥ。ハァ。スゥ。ハァ。が本当に出来るぞ!
雑念は相変らずやっては来るが、雑念がきても、呼吸に対する意識は消えずに常に続く。今までなら調子が良くても、雑念がくると呼吸を忘れてしまうところだ。時々雑念はそれがどんな考えかもわからないうちに来た瞬間に消えてしまう。まるでガラスのかけらが一瞬きらめくように。
体が無くなる
今までは雑念の側から呼吸を見ていた。だから呼吸を忘れると雑念だけになってしまった。そんな時、これが只の呼吸だなんて実感はまるでなかった。それがだんだんと呼吸の側が大きくなっていって、いつの間にか呼吸の側に自分がいるようだ。
自分の中の呼吸と雑念の割合、普段は雑念がほとんどで九十九パーセントだとすると、それが八十パーセント、七十パーセントと減っていき、雑念が優勢だった時には事実の実感がわかずに雑念にすぐ戻ってしまっていたのが、雑念が五十パーセント以下になり、呼吸が優勢になると、自分の戻るところが呼吸となる。そんな感じだ。そうなるとおもしろいように雑念が気にならなくなる。この感じで行けばいいのだ。そう思っているうちに八時二十分は過ぎてしまう。でも、今はそれも関係ない。坐っているのが本当に面白い。
いや、只のスゥ。ハァ。が、何もかも洗い落として行くのが見えるような、とても大切な玉を今、この手にしつつあるところだ。
昼食はスパゲティだ。千星先生がいつも食事の時に唱えるお経の書いたものを食卓にのせてくれた。初めて合わせて唱えてみた。
箸でスパゲティを口の中へ。
これ。この味!
うまいとか、まずいとか、判断がくだる以前のこの感触! この確かな味!
おいしいと思うまでにギャップがあるのだ。でも方丈さんはそこにいない。黙々とそれを確かめながら食べた。確かに自分の食事であった。生まれてこのかた、初めて本当の食事を取った。
すぐまた禅堂へ。
吐く。吸う。吐く。吸う。
どんどん体がリラックスしていく。心や体の、関係ない部分がまるで眠りに落ちていくような感じだ。気持ちが良い。外側を自分を守ってくれて、何の心配もしないでいられるような、そんな空気に包まれているような感じのまま、深く静かな所に落ちていく。胎児のようなやすらぎすら覚える。
どんどん呼吸が微妙になっていく。鮮明に自分の呼吸が見える。外に何もない事がはっきりわかる。
今までの全ての努力や力みがすっかり落ちていく。そして、行き着いた。そんな感じがしたのだ。もう落ちようとも落ちるところがない、そんな感覚。事実という大地にぶち当たったというような。
ころころ搖れていたお椀の中のボールが、一番底に静止したような感じ。呼吸は小さくそこにある。周りからいろいろな音が聞こえて来る。それだけ。それだけなのだ。呼吸と、周りの音。事実だけ。こういう所に来れたという感動もない。感動する心がないのだから。不安や悩みや恐れ、そんなものを抱こうにも抱く主体がないのだ。絶対安心の世界だ。でもその時にはそんな思いもなく、只ますます静かになっていくだけだ。
今まで何と多くの思いや感情をこの事実にくっつけていたかがよくわかる。それがなくなるだけでこんなに違う世界が広がる。
うるさい音や、騒がしい音があるわけではない。自分の心の中がうるさく、騒がしいのだ。自分の心が静かになればどんな大きな騒がしい音も、それがそのままで静けさなのだ。
ああ、自分は「只」と言うことにとらわれていた。しかし「只」なんて事もない。事実があるだけ。やっとここにやって来た。これは本当に「只」の世界だ。初めから言われた通り、「只、吸う。只、吐く。」をひたすらしていれば、それが一番よかったのだ。
求めなければ得られないが、求め心が迷い
只という妄想さえも捨て去れば 只々それはそこにあり
こんな歌がうかんだ。そういえば、部屋として使わせてもらっていた仏間の黒板に接心提唱としてこんな事が書いてある。
『この少林窟道場は仏の実習道場です。
仏とは即ち只なり。そこで何でも只を主体に一心不乱に只々やって下さい。
一心何事かならざらむ。
・・・・・・
只は凡聖を離れた、否超越したものを名づけているのであるから、只ほど尊いものはない。
食事の時は只喰えばよろしい。
放尿の時は只放尿すればよろしい。
眠るときは只眠ればよろしい。
こうした一切の縁に只々練る時、自然に本当の只に達することが出来る。
つまり本来の大自然にめざめるのである。』
「こうした一切の縁に只々練る時」の只と、次に来る「自然に本当の只に達することが出来る」の只とは、自分の場合かくも違うものだった。人間の努力の側の只と、人間が落ちてしまった大自然の只の違いだ。だが最初は人間の側の只をひたすら練っていくしかなかったのだ。
もう一切の努力はいらない。
周りの音はそれをさえぎる者がいなくなったので自由に入って来る。今まで聞こえていなかった。どの音を聞こうとするのではなく意識がかってに聞く音を聞いている。どの音も、ますます自分を静かにさせてくれる。
呼吸に戻ればそれはちゃんとそこにある。
ああ、何もしなくていい。
いや、何かを求め、何かをしていたことが、総ての迷いの根源だった。
ダルマのところに二祖の慧可がやってきて問う。
「心が安心しません。」と。ダルマいわく、
「その心を持ってきなさい。」
「さがしても心はありませんでした。」
「そら、安心させてやったぞ。」今まで頭でしか考えられなかったこんな話がよくわかる。心なんて取り出せるものじゃない、と頭で考えても何の安心感もなかった。ところが本当に自分の心が無くなってしまうと、絶対的な宗教的安心感が湧いて来るのだ。生まれてこのかた三十年間の歴史の中で、これほど何か根本的な経験、何かの根源に触れたというような経験は他にない。といっても二祖はその時大悟されたのだろうが、修行の足りない自分はそうはいかない。どうも、まだまだ、ひねくれているようだ。
大自然の美
歩いていても足と床が出会っているだけで、その事実以外何もない。
実に気持ちがよく事が運んでいる。ほんの数分の出来事ではないのだ。めんめんと続いている。
このまま外に出て、只方丈さんの帰りを待っていようかとも思う。
怖くて、少しでも遠くに居ることが安心だった方丈さん。ところが、こうなると妙に会いたくて、会わなければならない、早くこの事を報告したいのだと思う。
だが夕方になっても帰ってこない。トイレに立ったとき千星先生が、
「今日は海がきれいですよ。ちょっと見に行きましょう。」と誘ってくれる。千星先生、やっと心境が落ち着いたのを感づいて下さったのだろうか。後について、ここに来て以来初めて外を歩く。門を出てすぐの墓のある土手の上に行くだけなのだが、なんともぎこちなくふらふらしてくる。
ここですと言う場所に立つと、なるほど、いきなり瀬戸内の大パノラマだ。
海と、そこに浮かぶ島々と、夕の光。
千星先生からの最高のプレゼントだ。
「きれいに見えるでしょ。」と言われるが、実際のところ只圧倒されてなんの気持ちも入る隙間がなかった。なにしろ今まで禅堂と部屋と台所の往復。それが突然こんなでっかい自然の中に連れてこられたのだ。その迫力に自分が飲み込まれたまま、ふらふらと立っていた。こんな美しい場所があることをすぐ近くにいながら知らずにいたのか。
はっ! としたままがずっと続く。感激! などもない。景色に自分が取られたままの、静かな圧感。美しさの圧感。美しさの自信。大自然の美が、今確かに自分の世界として開かれた。
真の平和
帰りに付く。目前に来た道があるだけで、先程の景色も思いも何もない。ぱちっと切れて、そして終わっている。道が鮮明にありありとある。門に気づかずに数歩通り過ぎてしまい、「ここですよ。」と先生に呼び止められる。なんだかぼけているようだ。しかし、それとも違う。只歩く、それだけに成りきっている。
とうとう、方丈さんは今日は帰らなかった。夜は早く床にはいることにする。明日になっても消えないだろうか、この感じ。
五月十九日
七日目を迎えた。朝坐っていると、門の外あたりで楽しげな声がする。そういえば今日は日曜日か。少し和やかな朝だ。昨日から努力が落ちてしまっていて、なんだか余裕がありすぎて、これでいいのだろうかという思いがしてきている。少しくらい雑念があったって、いや雑念だらけになったってちゃんと呼吸はそこにある、大丈夫だという感じがしている。
実体験から起こる自信というものは大したもの。しかし、これも記憶に対する観念への執着と、一体どこが違うのか。自信の有る無しが、こうも心を平和にするなんて。とにかく変なゆとりが、無理に呼吸にしがみつこうする、あの努力しないと不安になる気持ちを退けていて、何だか気が抜けているような感覚なのだ。たまに禅堂の外の音に聞き入ってしまう。音を聞いていることがこんなにも楽しい。それに取りつかないでいるから、何事も起こらない。至って平和そのものの日曜日。
食事の時、いつの間にか方丈さんが帰ってきていた。報告の時だ。
「どうですか。」
と、あの大きな眼光が私の全身を飲み込む。と、微かな不安がよぎり、
「はあ・・・」
つい気のない言葉となってしまった。
「まだもたもたしているのか!」
とどなられるが、以前の様に恐怖などはないので、
「いえ、たぶんこれだと思います。」
たぶんも何もこれしかなかったが・・・
「ほお。」
と方丈さん。
「只ということにとらわれていました。」
方丈さんこれはこれは、という顔をする。
「只も何もありません。事実しかありませんでした。」
大分自分のペースで話せるようになって来た。
「そうですか。」
方丈さんの口調には安堵のような響きがある。
「呼吸と周りの音があるだけで、他に何もありませんでした。」
と言いつつ、自分で確認を取る。益々自信が沸く。
「ほう。それはよかったですね。」
と方丈さん、優しい目をして千星先生の方を向き、同意を求めている。千星先生も気にかけてくださっていたのだろう、
「ええ。」
と返事をして、微笑みながらうなずかれる。それを見て、
「いや、まだわかっていなかったら、これを食らわせねばと思っていたんだよ。」
とげんこつを出す。スパゲティの味の事、足と床が出会っているだけということなど報告する。次第に嬉しくなる。
「最初から素直にやっていれば良かったでしょ!」
「はい。」
と苦笑いして答えた。素直でなかった自分が今ではよくわかる。でもここまで来ないとそれがわからないのだ。自分は自分なりに言われたことをうまくやろうと努力していて、それが正しい努力だと思い込んでいたのだ。まさにそのうまくやってやろうという思いが、ここでは道から離れていってしまう原因となってしまうのだ。ここが迷いの原点であった。
普段の仕事ではまわって来る仕事をいかに期待されている以上にうまく、成し遂げるかということに価値観をもってやっている。そして他人がやるよりうまくこなすことで、自己の価値を自分でも認識し、他にも評価されようとして動いている。ここではそんなものは何の役にも立たない。
周りの音に関して質問をしてみる。
「自然に入って来るものは、入って来るに任せておけばよろしい。自分はただ一呼吸をやっていれば何事も起こらないから。」
「聞き入ってしまうのですが。」
と、現実問題として心を取られるケースが多いので、それをどうすべきかを聞いて見た。
「そうしたら、呼吸も忘れて只一心に音になりなさい。認めたり分別したりせずに。呼吸は自然にしているから心配はない。とにかく一つ事に徹して、我を忘れきって行くことだ。そうしないと二つになってしまうから、徹する時節がないぞ。
ここがわかるか!」
「はい。」
単調になる道は、只一つ事に没頭する事だ。ここのあたりがようやくはっきりして来た。ここ一年の世界の変化はかつてなく著しい。それも平和への動きが感じられる。嬉しい事だが、こうして世界を構成している分子の単位である生活者一人々々の心が、争いの無い平和な世界へ達しない限り、本当の平和な地球は在り得ないと思う。少なくてもそうした道を求める努力が必要であろう。心に敵が存在する限り、不安も疑心暗鬼も、恨みも怒りも立ち所に作りだされて、何かに結びつくように考えが進むから、争いは決して無くならないだろう。
「歩く時は一歩、一歩、成り切ってただ歩きなさい。
坐禅は悟ることが目的ですよ。不安なく、人相和して、幸せに暮すためにね。
悟りとは、心の本当の様子を体得することだ。大自然の心と言う事じゃ。
心とするもの、苦しみとするものが分らんでしょう。それは我見があるから分らんのだ。我見は忽然として瞬時に生ずるものじゃ。この我見を陶冶するための修行なのだ。
我見が瞬時に起るのであれば、瞬時に出る元に着目しなければ間に合わぬ根本的な着目点があるのだ。
つまり今この一瞬の瞬時に只あればよい。それを徹すると言うのだ。今に成り切ることだ。
我見の出る間のない本当の今に成り切ると、心の心とすべきものも、見るというものも、聞くというものも、またこの体も何も無い、いやそれらに一切かかわらぬことがよく分る。本来総て脱落した純の純の世界なんだよ。
その物ばかりになって我を忘れ切った消息が、迷いの世界と仏の世界との境を明確にしてくれるのだ。考えを運んでのものは迷いだが、己れなくして自然の縁からもたらせる自覚が仏法なのだ。煩悩即菩提という確信がそれだ。
とにかく今の一呼吸を、ただ我を忘れてやりなさい。
今に執着し切りなさい。
菩提心、菩提心。頑張ってやりなさい。」
あなありがたや。こんなに手近に悟りを与えて下さるなんて! 本当にこれなら誰でも悟れるではないか!
仏法とは私たちの生活そのものでありながら、とんでもない難しい世界と感じていた。こうして今、ここにちゃんと活きている事、この事こそ真実であり感謝であり、確信でなければ本当ではないのだ。この事を知るための修行だとしても、それを誰もが信じて実行するには、やっぱりこの方法しかないのだろうか。そうだろうな。そんなに簡単に自分の沁みついている心の癖が取れるなんてありっこないし。
本当の修行が出来る
吉田先生は、私の余りの自信めいた変り様に驚き、頻りにその事を語る。余程ショックだった風だ。「昨日までは本当に辛そうで、見るのも辛かった」と言われ、「そうしましたら、一変にこんなに変られてしまって、本当に良かったです」とも言われた。
食後、吉田先生が、足と床が出会っているだけ、という辺りのことをもう一度聞いてきた。ああ、これが調子の良い吉田先生のとらわれにならなければ良いが、と思いながら、
「事実しかないんですよ。」
と言い様がないその辺の事を表現した。本当に自分がしてみて、どうしても自分の足で、自分の手で、自分の目で、自分の呼吸でしか体得はできないし知るものも無いとわかった。どうしても言えない事のようだ。人の苦しみを涙したほどの吉田先生でも、案の定、自分もそんなことがわかるようになるのかどうか不安になって、その夜は一睡も出来なかったという。人の心というのは、はっきりしない限り本当に弱いものだ。そう思うと、本当に運が良かった自分が嬉しくなり、しんみりと感謝に似た感激が沸く。今度は吉田先生に、「本当に頑張って下さい。言われた通りを一生懸命やって下さいと」と心から祈っていた。
「いつまでいますか?」
「あしたまでです。」
「とにかく間に合って良かった・・・」
と方丈さん一言。また、
「バグワンもこれが伝えたかったろうに。」
一九九〇年、六十代で突然不審な亡くなり方をしたインドにおいて、多くの人々を瞑想に誘ったグル。僕にマインドを超えた世界、ノーマインドの世界に対する憧れを植えつけてくれた人だ。方丈さんは、僕がインドの彼のもとまでも行ったことを知っていて、こんな時にもインドの師を立てて下さる。
「これでようやく本当の修行ができる。これからだぞ。この、具体的な修行方法がはっきりしなければ、心の究明は出来んのだ。」
今、師の言葉が決定的に有難くうなずける。本当にそうである。案外本当の修行とは心迷いもせず明快で充足感の一瞬を送るとすれば、これほど安楽な事はないし楽しい事はないのでないかと思ったりする。自分にとって、あの悲鳴も出ないほど苦しかった時が一変して、今日この様に心軽やかに、且つ安心した心境からしても、正しい修行の有難さは格別である。
海の水はなぜ熱い
夕方坐っていると僕と千星先生が呼ばれる。先生の後をついて外へ。今日は曇り。夕方も近いが、まだ間は十分ある。
「只の一歩ですぞ。」
「はい。」
と返事して庭先へ出た。
「小山さん。」
と呼ばれたかと思うと、乱暴ではないが白いビニール袋が飛んでくる。ぱっとそれを受けとめる。
「何かありましたか?」
「いえ、何も。」
本当にさっぱりしていてなにもない。どうやらこの切れの良い一瞬を動きで確かめられたか。きれいな雑巾か何かが入っている。車の掃除でもするのか。千星先生と後をついて行くと下のお寺を通り越して町並みに入る。のどかで小さな町だ。やっぱり、歩き慣れていないのと、慣れない下駄を借りているのとで、ふらふらとぎこちなく歩く。外の世界の空気が珍しいもののようだ。
「これは何かな?」
道のわきにある葉をしめす。
「これは、それです。」
と指さして答える。だってそれはそれ、言葉でなんか言えないじゃないか。ところが、
「まだ、距離がある。」
と許してもらえない。もう一度その葉をしっかりと手に持って「これは何ですか。」と聞いてくる。方丈さんが葉を持つその行為が、やけに目を引き付けた。
「これ。」
と自分も数歩近づいて葉を同じように手にとって答える。二度目の時は方丈さんが葉を手にとり質問を出す具合いが良く見えた。よく見えるともうこれしかないと答が自然に出て来るようだ。それにしても頭で、言葉で答えようとする自分の癖は本当にたちが悪い。
いつまた「小山さん。」と問答をしかけられるかと思うと、不安になりながらも、一歩一歩とついて行く。いつの間にか道に白い砂が混じってきた。顔をあげるとすぐそこが海だ。ああ、なんだ海に来たのか、と思う。後から考えるとこの頃は、色々なところで知らず知らず雑念妄想の虜、頭の世界に入り込んでいたようだ。
「小山さん。」
また来た。
「海の水はなぜ熱いのかね。」
ゆっくりとした口調で質問してくる。こいつは高度な質問だ。こんな道理に反した質問は、考える必要もないと思い、
「海の水は熱いからです。」
そんな答を言った。
「言葉も捨てよ! わからないことは知ればいい。知るためにはそのものに問より道はないではないか。何故自分で確かめようとせんのか!」
という方丈さんの言葉が終わらないうちに、はっ! とわかって、歩き出す。
只の一歩のことすら考えない。これか! という思いが波打ち際まで歩いて行く。目の後ろが熱い。手を海の水に突っ込む。これ! 後ろを振り返り方丈さんに向かってその手を高く差し出す。
「そうよ。それがわかれば迷わんだろう。熱いとか、冷たいとかの言葉なんぞ、関係無いところまで漕ぎつけたらしめたものだ。それだけ、そのもの、ということが明確になったろう。」
とにこやかな顔になっている。海からの風が体を吹き抜ける。ああ、方丈さんで良かった。質問ですぐにわからなかったのが少し悔やまれるが、こんな問題がわかり、それだけ心の目が開け、よりすっきりと総てが見えて来る。
「理屈の無い、今だけ!」
私たちは爽快な一歩で歩く。
方丈さん、海辺の建物の中へ入って何かお金を払って出て来る。岩場をつたって歩くとそこは岩風呂だった。これが目的地か。風呂に入りにきたんだ、と気づく。白い布を渡される。
「金隠しよ。」
腰に巻いてみるとひもがあった。ああ、ふんどしかぁ。前から後ろに布をまたいでもなんだか変だ。こっそり、千星先生の方を見て納得。なかなかいいもんじゃないか。小屋の中の岩に二つの扉がついている。方丈さんいわく、
「こっちが地獄で、こっちが天国。」
と指差して示してくれる。四つんばいになって地獄のドアをあけて入って行く。原始サウナだ。釜の中にいるようだ。汗をだらだらかいて、地獄から出て休憩。
「さあ、今度は天国へ行きますか。涼しくてきもちがいいですよ。」
ふと、天国のドアが開いて、たえられない暑さに逃げてきたように汗まみれの男がひとり出て来る。
「さあ、行きますか。」
只でさえ熱い天国の中、
「この人は明日横浜に帰られるんですよ。土産にどんどんあおいでやってください。」
でっかいうちわを持った人の良いおじさん、そうかそうかと、天井にたまった熱気を思いっきりあおぎ送ってくれる。
「ああ、来た来た。」
つい声をあげてしまう。
ここにおるではないか
また釜の外で休憩。腰をおろしていると、何かで濡れた床の上を歩いている。只見ている。
「水がかかりますよ。」
近くの人が汗を流そうと水をかぶった。足元にその水がかかり、反対側からは暖かい風呂のお湯がながれている。水がかかればかかるままに任せていられる。こんなに淡々と日常が行けるのであれば、どこにいたって天国だ。人と争うことも無ければ、目障り耳障りのストレスも無い。誰とでも和気藹藹。いいなあ。
先ほどの海へまた三人もどって海を見ている。沖を船が左に向かって動いている。方丈さんが聞く、
「あの船はどこへ行くのか。」
もう言葉はない。無言で船の動きに合わせて指を動かした。いきなり方丈さんの手が伸びてきて鼻をひねる。
「ここにおるではないか。」
ああやられた! 思わず笑い出してしまった。鼻をひねられた瞬間、もう答など問題ではなくなってしまった。確かにちゃんと答えられていなかったのだろう。でも鼻をひねられることによって、へんに答えようとしていた自分が落ちたようだ。もう一度海を見るとますますくっきりときれいに見える。ああ、また自分ではわからない拘りを取ってくれたのだ。その度に鮮度が上がって行く。心が不思議なのか、禅が不思議なのか、師が不思議なのか、それとも人間が不思議なのか? いずれにしても確かな師に依らなければ心を開く事はできないとすれば、そうした師に出会える事が不思議なのかもしれない。
「ああ、きれいだ。」
と言うと、
「只、見るだけよ。」
と方丈さんも海を見ている。
真っ赤な偽物
インドで一度だけ試みたLSDの体験と似たところがある。やった時は、これが覚者が見ている世界なのか、という気持ちもあったが、今となってこの少林窟での体験と比べたらまことにその場だけの貧相なものだった。が、中には瞑想修行によって求める事を忘れ、そんなところに溺れてしまっているかわいそうな人達もいると聞いているので、少々書いておこうと思う。
それは小さな一センチにも満たない紙切れで、そこにしみらせてあるのだろう。水で呑込むと、二、三時間ほどして効き始め、八時間後程まで続く。効き初めは自分の足が焼かれたイカの足のように、くるくると丸まってしまうような奇妙な感覚から始まったが、それ以外に幻覚といった非日常的なものはほとんどなにもなかった。只事実がくっきりと見え、感じ、気づくとある何かに見とれて呆然としていた。その中でいろいろな実験をしてみた。クッキーを食べてみようと手に取ると、その細かい粒子までが虫眼鏡を使ったように良く見える。しばらくしてそれを見つめたまま我を忘れていた自分に気づき、半分に折ろうとするが、なんだかうまく折れない。折れないと一度思うともうどうにも折れない。只のやわらかなクッキーなのにそれがかたいものとして意識が受け取ってしまってその思いが自分でどうにも出来ない。そのまま口に入れるとやはり舌にあたる細かい粒々がよく感じられる。いろいろな音楽を次から次へとかける。かけたとたんにその曲の心情になりきってしまう。トイレに立とうとする。思ったことは素早く行動しないと、すきを与えると、途中で何かに見とれ我を忘れてしまう。放尿の後も、便器を見つめたまま呆然と立っていた自分に気づくほどだ。明け方屋上に出ると、朝焼けがスクリーンに映し出された美しい映像のようだ。いつまでも見とれている。ふと遠く道路を見ると、小さく見える行き交うリクシャ(オート三輪)にいとおしさまで覚える。寒くなってそろそろ帰ろうと言うが、他の仲間も、また別の景色に見とれ始める。そんな事を何回も繰り返した。古くからあるインド人の言葉、マヤ。そんな言葉はきっとインドに多くあるこういった麻薬による経験から出た言葉ではないだろうか。人によっては、背後にどんなものも美しく在らしめている絶対者の存在を感じる事もあろう。そんな風に思った。
簡単に言うと、薬物が脳に作用して、自分が今何をしているかを知る自己照顧作用とも言うべき働きが時々しか顔を出さなくなり、忘我の状態がその分長くなる。我がない分周囲の物と密にコンタクトがとれる。その辺りは今回の禅での体験と似ている。しかし、禅での体験にはまったく及ばない。圧倒的な違いがふたつある。薬物によって自我がなくなっても、そこからはまったくあの静寂を感じないという事。そして、全てのけりがついてしまったというような、宗教的な安心感をまったくともなわないということだ。つまりは、つかの間、映画館の中で今までの日常から離れて覚者の夢を見ていただけというようで、結局時間がくれば救われていない自分に必ずもどらなければならないのだ。
更に恐い事に、LSDでは自分の内面において、その時優位に立っている感情が拡大されてしまう。その拡大された気持ちは無くなりもせずまた発展もせず、いつまでもそこにいる。自分の場合、効き始める前、未知の物に対する恐怖心が少しあったのが、激しく効いている時はいつまでたってもそれが消えなかった。もし、これが悪い精神的コンディションの時に、何かに対する大きな恐怖などを感じながら行ったら悲惨なものになることは明らかだ。クッキーがかたくて折れないと思い込むくらいなら良いが、もっと深刻な思い込みや恐怖心がそこにあったら、逃れようにも逃れられない恐怖心を四、五時間も無力のまま感じ続けなければならないとしたら、拷問以外の何物でもないだろう。気が狂うようなその状態を終わらせるために死を選んだとしても不思議ではない。
もうその手は喰わぬ
精神世界の本の中には、いろいろとこういった薬物や、麻薬について書かれたりもしているが、本当に瞑想や禅によって、本来自己がないことを知れば、そういった物自体にはまったく精神性がないことが歴然とするはず。禅や瞑想により真理を求める人々がそういった横道にそれることがないように、深く祈りたいと思う。
そんな事を思うにつけても、自分がこういう師にめぐり会えたことが喜ばしい。どこの馬の骨かもわからぬ在家の一人々々に対してすら、本物の教え、最高の仏法との出会いを体験させてくれる。昔の中国の祖師たちの物語から飛び出してきたような師だ。室内で公案として問答を与えられることはあろうが、こうして日常生活の中で、醤油瓶を使い、テーブルを叩き、海という大舞台の中に行く船をさし、その匂い、音、色、風のどまん中で禅を示し指導してくださる師が幾人いることだろうか。そう思うとこの出会いの因縁を感謝せずにはおられない。
早くこうした師に巡り会うことができていたら、遥々インドの地まで師を求めて行くことは無かったのに。
道行く子供たちや、前から歩いて来る犬などになぜか目を奪われてしまいながらも、後をついて帰窟する。「小山さん。」と声をかけられ問答が始まるのがいやでついつい、距離をおいてついて行く。
山門の近くで方丈さん畑仕事をしている人に御苦労さんと声を掛ける。が、その人聞こえているのかいないのか、一心に畑仕事をしている。方丈さんもそんなことには貪着なくすたすた歩く。
山門までくると方丈さんの足がこっちを向いて待っていた。来るぞ!
「小山さん。ここまで何百歩かかりましたか。」
やっぱり。方丈さん、何百歩とは芸が細かい。私が[参禅記]を読んでいることを考慮に入れての上で、こうした捻りを加えて聞かれるのだろう。方丈さんの導きで、もうそんな事には迷いません。一歩と言うこともない。
「これ!」
と一歩踏み出す。
「よろしい! よくそこまで来たな! わからなかったらこれでした。でも、まだ“これ”と言う奴、主体の自我が取れ切っていないから、本当の力にはならんわい。がっはっはっはっ。」
と、またこぶしを突き出す。「これ」もいらなかったか。ただ一歩だけか。単純になることは本当に難しい。
今夜は私のための、山門到着祝と明日下山の追い出しパーティーとのこと。夕食にはビールが取り寄せられ、ずんと豪華な食卓。ごくごくと飲むビールが美味しい。千星先生が愉快に笑いながら方丈さんをちらりと見て、
「未だ大変な事があるのですがね・・・」
と言う。ぬ! また来るか!
窮まりない感謝
「今、どんな心境ですか。」
こんな時にまで問いが飛んでくる。しかしながら、問いよりも、ビールの喉ごしの方が断然勝ちだ。ただ、ごくごくと飲んで、
「ああー。」
と声が出る。グラスを置く。
「ははあ、結構です。おいしいでしょう。」
となんとか合格。益々ビールがおいしくなる。頭が空になり、すっきりすればするほど方丈さんの言葉が言葉でなくなって行く。僕の全身が僕自身に目覚めて、総ての動きが尊くなっている。
「ここは、油断のならないところでしょう。」
と方丈さん笑っておられる。千星先生も、
「今日はビールが本当に美味しい」と、うれしそうに飲んでおられる。
本当に千星先生には、禅堂で自分の近くで坐ってくれているというだけで、なぜか勇気づけられてきた。それが今日は本当にビールが美味しいと言ってくださる。有難いことだ。皆の心境に少しでも近づけたからだろうか、食卓を囲む面々に対してとても親しみと感謝を感じる。
来られた角田先生に向かって、
「小山さんの修行も順調にいってますよ。」
と方丈さんはおっしゃる。ふと、角田先生が坐禅より先に食事を作って下さっていたのを思い出し、
「美味しいものをどうもありがとうございました。」
とお礼を言った。それが自然に心の底から出ていた。皆それなりに気にして下さっていたのだ。
食後初めて、食事の後片付けを申し出た。いつも食事の用意をされたり、後かたづけを黙々と二人のお坊様方がやっておられたのだ。合掌
鎮まり返った念
五月二十一日月曜
八日目といえば帰る日で、長いような短いような。もう帰らなければならないのかと、本調子に成った今は、寧ろ居りたい心境。
朝食後初めての作務をする。
「袴は取って、掃除機はここです。」と説明を聞くがなんだか言われたことを覚えておくのに努力がいる。それ程念が鎮まっていたのかと驚くともなく思う。禅堂の掃除を始めるが、どうも動きにくい。「ああ、そう言えば、袴を取れと言われていた」と思い出す。体をいっぱい動かすのが久しぶりなので、あまり何も考えずにやっていたようだ。自分の部屋の掃除もしてから、報告に行く。今度は門の周辺の掃除も言いつかる。「ほうきとちりとりはどこどこで、とったものはどこどこのドラム缶に入れなさい」次の事を言われると前の事を忘れてしまうのだ。
一生懸命覚えていようと聞くが、小さな玄関を下駄を借りて庭に出ると、もうなにもかも忘れている。三歩歩くと忘れる鶏のように馬鹿になってしまったようだ。多分この辺かな、とほうきとちりとりを見つけ門の周りをはく。
古風な門と、手が届く竹林。全くもってこうして立っているだけで気分が静まり返ってくる。
一掃き一掃きが気持ち良い音を立てて右から左へと行く。
小さな砂をわけて進むその感触。その事実自体がますます自分を静かにしてくれる。落葉などをちりとりいっぱいに入れて庭に戻る。ドラム缶があったので、中にいれていると、千星先生がやって来てそれに火をつける。煙が出て燃え始める。訳もなく、その場に立って燃えているのを見ていると、千星先生何か声をかけてくれた。
「見ている対象と一つになっていると気持ちがいいでしょう。」と言ったような意味の事だったと思う。なんだか話が通じているようでとても嬉しい。法の世界の中でのつながりがそこにはある。並々ならぬ苦しさを超えて得た、体験そのものをわかり合えると言う事は、道の過程での大きな喜びであり、共にそれを実感する。いい仲間だ。年も社会的立場も関係なく、人間のすがすがしい触れ合いと信頼が何とも言えない安らぎ。
また報告に行く。
「どうでしたか?」
と聞かれる。
「ちゃんとやると気持ちがいいです。」
「そうでしょう。顔がすっきり、きれいになりましたよ。」
とおっしゃる。そういうところに常に四六時中いる事が出来るようになると、その先に光明とか、大悟というのがあるのだという法話を度々聞いている。体丸ごとそうだと、大きくて純粋で、不安のない充足の世界があることを理解する。
最後の一喝
この教えが世の中に広がらないなんて変だとさえ思う。それ程、人間を完成させる法であるからだ。それによる処は信頼と尊敬と感謝と愛、責任感に積極性に公益精神など、平和なんてほんの副産物程度で出来てしまう。これ程の教えが他にあるとは到底思えない。
ただ、それを本当に教えられる師が居るか居ないかが問題だ。これは本当に問題なのである。
コンピューターや、本を作るのに使う機械などを見せてもらう。少林窟の違った一面だ。こういうものもどんどん取り入れて、自分たちで何でもやってしまうエネルギーはすごいと感心する。三人居てコンピューターやワープロが六・七台。海蔵寺のも入れると十台近い。印刷機が二台等。それぞれの優れた機能を生かし、それぞれの人達が極めて効率的に作業をこなしている。
ふと見たコンピューターの画面がやけにきれいに見えた。コンピュータの話などしてついついゆるんでしまった。帰りがけに、
「なんだ、その歩き方は! ばかもん!」と思いきり怒鳴られた。
「はい!」油断したのはこっちだが、油断なく見守っている油断のならない所だ。
心に沁みる別れ
十二時前にみんなを呼ぶ拍子木がなった。台所に集まりお茶を飲む。これでさよならだ。方丈さん、幽雪先生、千星先生、吉田先生の顔が揃う。祖玄先生は忙しいのだろうか居なかった。居てくれただけで励みになった千星先生にお礼を言う。幽雪先生にお礼を言う。自分の事しか考えずにやっていた、その間も日に三度、食事などの世話をして頂いていた祖玄先生にお礼を言いたかったのだが。“吉田先生、本当に何も考えず素直にがんばって下さいね”と心で叫ぶ。みんな下のお寺までついてきて下さる。方丈さんの車に乗り込み、車が出る。
みんなに向かって合掌、頭を下げる。ほんの少ししか言葉を交わさなかったのに、たぶん一生忘れられない人達だろう。何か大きなものに包まれていてその中で起こっているような人との出会い。物理的に会わずとも心に生き続けるだろう人達が車の後ろの方に消えて行った。
車は『坐禅はこうするのだ』の舞台の海蔵寺へ。先輩たちがこもったお堂を見せて頂く。コンピューター室でどなられたのが残っていたのか、変に慎重に歩いていると、
「急ぐ時は速く歩く。それが法よ。心に何物も持つな!」と言われる。全くその通りだ。後々までもためになる言葉を最後までこうして吐いてくれる。
黒い作務衣に身を包んだ奥さんと三人で、海辺の料理屋へ車を飛ばす。結構、飛ばすので、どんどん風景が変化して行く。初めて車に乗ったような面白さだ。料理屋に着く。監視付でしゃばへ出た囚人みたいに、世間の空気に触れる。が何も心配はない。BGMが聞こえている。久しぶりの音楽だがうるさいとも思わない。鯛のさしみとビールを味わう。美味しい。
「今までどうやって食べていたのでしょうね。」とつい言ってしまう。そのくらい食事の仕方が変わっているのだ。少林窟に来る前に一度でもこんなに味わって食べたことがあっただろうか。食べながら、心は別の事を考え、歯を磨きながら別の事を考え、シャワーを浴びながら別の事を考え。一時たりとも、今ここで自分のやっていることに、心は参加していない。目覚めた人から見たらまさに夢を見ていると言ったところだろう。花を見た途端、ああバラの花だと判断を下し、頭の中の過去のバラというイメージを思い浮かべ、実際そこにある花のリアリティをもう見ようともしない。そうした心の癖が、人を事実から遠ざけてしまうのだ。名前のつく以前の事実を常に参究していることがそうした癖から自由になる、今にいる修行なのだ。そしてきちんと出来ているときは、それが楽しくてしょうがないのだ。
そのまま車で新幹線の三原駅まで送って下さる。お忙しい人なのに。
「瀬戸内は初めてです。」というと、
「また、おいでなさい。ただし目的は坐禅ですぞ。」奥さんも少し、瀬戸内に浮かぶ島について話して下さる。お二人の夫婦の会話もなぜかすがすがしさを感じる。
三原駅のロータリーで車を降りお礼を言う。方丈さんぱっと手を差し出す。その手を握ると感謝の念でいっぱいになる。言葉では表せない。しっかりと手を握る。
「車中でもこれですぞ。」と只の一息を示す。奥さんが駅へ上がる道を示すために少しついてきて下さる。
「ありがとうございました。」奥さんに合掌して礼をする。曲がり角で振り返ると奥さんがこっちを見ている。もう一度、礼。ふと、車の方では方丈さんが手をふり始めた。その姿が目にまぶしい。本当にありがとうございました。最後の礼をして、駅へと向かった。ちょうど良い新幹線がなく、途中まではローカル線だ。車中でも最初のうちは調子が良いし、切符を買うのもあらゆる行為が楽しい。だがだんだんと疲れが出てきたのだろうか、少しうとうとして来た頃、帰ってからの事が急に気になり始めた。少林窟でと同じように食事が出来るだろうか、歩けるだろうか。今まで自分がいた世界なのに、まるで混沌の中へ戻って行くようで、いろいろな個人に対する感情まで顔を出す。そうすると、電車の周りの乗客までが気になり出す。みんな世間に戻って地獄を見ると言うが、これが最初の地獄だった。
岡山で新幹線に乗り換えるとき、会社に電話する。今日帰るけど、出勤は何日からにします、と。新幹線の車中で気を取りなおして、只の一呼吸。いろいろな妄想のひしめく中にもちゃんと呼吸はそこにある。こんなに小さいけれどわらをもすがる気持ちでそれにしがみつく。そうすると、だんだんと呼吸の事実が太ってくる。雑念との間に距離が出来る。やがて雑念がじゃまにはならなくなる。調子が戻った。ふと、車窓から外を見ると、夕の淡い光の中にもきれいな風景が横たわっている。事実が妄想に勝ったのだ。他の人に比べるとささやかな地獄だったかも知れないが、それを克服できたのは後々までも自信となった。
裟婆の中で
帰ってからの社会生活の中での修行は、少林窟とは違った困難さと面白さがある。考え続けねばならないような問題が持ち上がったり、人間関係からくる強い感情に流され続け、全く抜けきってしまう事も多くある。だが、それでも今にしがみつく努力をしていれば、必ず、今にいる修行が面白くなる時がある。
帰りたての頃、人と接してない時はなにもかもが只々新鮮だ。お金を入れてボタンを押せば切符が出て来る。それを持って改札に行くと素早くそれが切られて手元にかえって来る。そんな当り前なことが子どものように楽しい。
人に意見を言う時も、どこかに確信があって、自分の意見以外の余念がないので、言いたいことがすっきりと表現でき、相手を納得させている。へんな隠しだても、下心もなく話をしているので、そのものズバリ的を得たことを一番良い言い方で、ハッキリとした口調で言いきれるのだ。といっても人間関係が出て来るとそれにともなって考えなければいけないことも出て来る。
考えなければならないことだけを考えれば良いのだが、そんなうまくはいかない。一度思考を働かし始めたら、まだまだ初心者の自分、いらぬ感情まで湧いてきてさらにそれが新たな思考を呼ぶ。そして感情に巻き込まれる。一度、隙間に感情が入ってきてしまうと、これはまずいと自覚してしまう。そんな風に思ってしまうと本当にまずい方向へとなだれこむ。いとも簡単に感情の奴隷となって、苦しい人間関係の感情地獄に放り込まれる。そんな地獄のような感情はいつも、自分以外の誰かや、外からやってくる出来事に対しての心の動きから始まる。
更に悪いことに、その誰かや事件のおかげで修行がめちゃくちゃだ、なんていう思いまで湧いて来てしまうと、自分以外は全てが敵とみなし、完璧な法我見の塊と化す。そんな法我見の塊でいる時ほど苦しい時はない。起こるべくして起こった事であり、本当のところそれもひとつの縁なのだろうに、その事件が自分の心を乱すとして受け入れられないのだ。それらに対して自分を守ろうとすればするほど、守るべき法が自分から遠ざかって行く。
方丈さんから過去の体験にしがみつかないように言われているのに、微妙に良い時を心に思い描き本当の今から離れてしまっているのだ。修行がちゃんと出来ていない証拠である。とにかく感情や思考の扱い方がわかるまでには至っていない現段階の自分。それは仕方がないのだから、今は自分の力が及ぶ範囲の、考える必要もないような単純行為の中で、しっかりと今におれる修行をしていくより他ないのだ。初心のままで。
アパートから職場まで歩いて二十分のところを三十分かけて歩く。歩き初めはこんな歩き方をしていると周囲の人から変人に見られるのではと、気になるのだが、五分も今の事実を見失わないよう歩いていると、周囲が全く気にならなくなる。調子が良い時は、まばたきもせずに歩いている。
食事をする前に目の前の食器やおかずの存在を只見て、意識が今の事実にあることを確認。ゆっくりとひとつひとつを食べる。調子が良い時は一度にひとつの動作しかしていない。箸を動かしている時は、口の中に食べ物が残っていようと口の動きは止まってしまう。そのくらい箸の動きの面白さに引き込まれてしまうのだ。そしてゆっくりとひと噛みひと噛みを味わう、上下の歯が噛みしめるこの感触を。こんなに静けさに満ちた楽しみも、周りの人達から見たら、「瞑想してる人はやっぱり歩き方が違う。」とか、「静かに黙々とたべるのねぇ。」とか「人形のように食べている。」とか、少々そんな声はあるが、あまり、なんだかわかっていないようだ。こんなに身近にある幸せ、独り占めする気はないのだか、説明しようにも、求める気持ちもない騒がしい心には何も言うことが出来ない。適当にごまかしておけば彼らはすぐに日常会話へと戻って行く。どんな人に対しても、法の理解に役立つような事が少しでも言えるような人にいずれはなりたいものだ。
とにかく、ちゃんと出来ているとかうまく出来ていないとかいう思いに捕らえられながらも、今あるひとつの事実に食いついていれば、周りのいろいろな事実が事実を教えてくれる時もある。ふと立ち止まった踏切の音、その音の事実が、再び歩き出したときの一歩一歩を鮮やかにしてくれたり。
ふと雨の降る路地に出た時、通り一面傘に降る雨の一粒一粒がこの世の物ではないほどの静寂を感じさせてくれたり。
ちょうど「ダルマは何故東へ行ったか」というタイトルの韓国映画が封切りになる頃、信号が変わりそうな横断歩道をどたどたとそれでも、その事実に成りきって歩いた時に、この一歩に、この手の動きに祖師が西から来た意味を見たと思う時もあった。正確に言えば、祖師はこうして今も昔もちゃんとここに居らして、西から来たものでもなく、東へ行ってしまうものでもない。自分自身なのだ、ほら! と足を前に、あるいは手を前にぐっと出したいような気分だった。(この答の点検をと、方丈さんに連絡しようかと思ったが、一番自分の良い状態を報告しても常にそういう心境に自分がいれるわけではないのでやめておいた。)
再度参禅して、僕の理解が正しかった事が証明できた。
調子が悪い時、何回も読んだはずの『坐禅はこうするのだ』をまた読み返すこともある。もちろん少林窟から帰って来て全く読み方が変わっている。自分の事のように何度も何度も読み返す。その都度、自分のいたらなさを感じたり、新たな発見もし、大変刺激される。方丈さんから頂いた本を読むこともある。中でも大智老尼の「宗教とは」「只管工夫」「学人の死活問題」「手紙禅」「初恋」や義光老師の「坐禅の要訣」などは分かりやすく自分の菩提心をあおり立てようと何度も読み返している。自分にとってこれらは、もっと先まで連れて行ってくれる地図でもあり、他のどんな本を手放しても絶対に手放せない聖書である。もちろん正師の導き無しでこの本だけを読んでいても自分のような怠け者には、当然、今いるところにも来れなかっただろう。
とにかく全てが師なのだ。そしてそれらの単純な小さな事実にいることが、大きな喜びになる。持って生まれたこのまんまの姿で、すでに幸せがそこにある。他に求めるようなものは何もないんだよ。それに気づきそこに深く安らげる。禅とはそんな教えなのだ。本当に有難い宝石のような教えにこの生においてめぐり会えた事、それをわからせてくれる師に出会えた事。人身受け難し、仏法遭い難し、いわんや本物の仏法に出会えたというこの縁に、只、感謝するのみ。方丈さんこと井上希道老師、それから少林窟の皆さん、本当に感謝をしています。ありがとうございました。これからもこれを只の思い出にしないよう、がんばって行きたいと思う。
付記:二度目の来窟
九月、四ヶ月ぶりに、僕の少し後に参禅した法友萩原さんといっしょに少林窟二度目の参禅をした。連休を利用した二泊三日の短いものだったが、やっぱり来て良かったと思われることがたくさんあった。夏を越して体調をくずし、更に仕事のいろいろな問題で精神的にも最悪の頃。修行が修行らしくなっていない日々が多くなっていた頃だ。また、寝不足のままやって来た。
方丈さんは健康上の理由でお酒を断っているとのこと、少し痩せられたようだが、再びこうして会えたことがうれしい。祖玄さん、幽雪さんも相変わらず元気そうだ。それに僕と同じ今年の五月に一度来られたという農学博士の竹内さんと、まだ大学生くらいの宮島さん。それに喜ばしいことに鎌倉の円覚寺の坐禅会を指導していらした与世田さんが既に来ていらした。数カ月前方丈さんから、最近少林窟に修行にきた鎌倉のお坊さんがいると聞いて、近くに少林窟仲間がいるというので萩原さんと、既に二度程、そのお寺に会いに行っているので顔見知りだ。また、少林窟に行くだろうという事はおっしゃっていたが、思いもかけず、ここで会えるとはとてもうれしい。もとより正直で一途でねばり強い性格、ここに来て典座の仕事にも益々励んでいる。彼がここにしばらく居たら、すごいことになりそうだ。末恐ろしい。だが、自分も負けてはいられないと、気合いが入る。
本当に道を求める人は宗派には拘らず、こんなかた田舎の道場を捜し当ててでも来る事に感心した。
参禅記の[序に次ぐ]というあの名文を書かれた原子物理学のお偉い教授である清水先生のお話もうかがえた。「坐禅なんてしている暇もなかったよ。あんなもん、なんにもならないよ。」などと方丈さんの前でも平気で言えるすごいお人だ。彼にとっては我を忘れての学問や実験が禅だったのだ。方丈さんとも話が合う。まあよくしゃべるお人、トイレに立つときも廊下で姿が見えなくなるまでしゃべり続ける。参禅記の良いところは素人が分かって行く過程が書いてあるところだと言うと、清水先生「そうか。そういえば、そういうのはないな。二祖も腕を切ってこんな風に痛かったとか、書けば良かったのになあ。」などと、はだけた、お腹をポリポリ掻きながらおっしゃる。実に愉快なお人、少林窟に来る人は一級人ばかりだ。
さて、自分はと言えば、日頃さぼっている結果、一日目があまり調子が良くなく、二日目には、方丈さんのところへ泣き言を言いに行った。
「本来この呼吸は結果なんだよ。」
とおっしゃる。それから後、みんなが禅堂で坐っている時、すっと、方丈さんが入ってきて一人ずつ警策をふるまって、曰く、
「なぜ腰をひねらん! そち達くらいの心境では、そんなに長く純粋な一呼吸が続く訳がない! 純粋な一呼吸を守るために、少しでも雑念が出たら腰をひねり首を回してその都度微細に点検しろ! そうして純粋な只の一呼吸を守って行くのだ!」
その法話のおかげですっかり調子が良くなった。言われた通り人一倍腰をひねった成果だろう。だらだらと調子が悪くやってるなと思った時は、本当にこのやり方がよい。
まず、純粋で特上な一呼吸をこうして身体に再確認させるのだ。一度だけ純粋な一呼吸をして、腰をひねり、今度は二度、またひねって、今度は三度。またひねって、今度はそれを出来るだけ持続させる。
ふと鮮度が落ちたと気づいたら腰をひねる。やっていくうちに、腰をひねる行為も今から外れない只ひねるになる。全ての行為に落ち着きと自信が出て来る。ここに来るたびに方丈さんは良いことを言って下さる。こうした師の存在の有難さをひしひしと感じる。
三日目の朝には大先輩の大居士である立川さんのこれまたためになるお話があった。見た目には只の酒屋のおっちゃんなのだが、話をさせたら、クリシュナムルティや、グルジェフや、ラマナ・マハリシやオショー・ラジニーシやら、我らの世代が夢中になってきた現代の海外の大宗教家達と同じ様な事をさりげなくおっしゃる。彼はきっとそんな人達の本など読んだ事もないだろうに。全てが彼の経験から出て来る言葉なので重みがあるのだ。方丈さんのすごさは、もうそれが目当てで自分がここに来ているのだから知っているが、電車に乗っていたら見分けもつかないような只の人のような顔をして、すごい事をおっしゃるた立川さんに、居士の鏡を見た。
いかに自分達が本で読んで納得しただけのうすっぺらな理解を、あたかも本当に分かっているようにしゃべっている者の多いことか。悲しいことに、少林窟から戻れば周りにはそういう連中ばかりである。
与世田さんから真剣な質問が出る。立川さんが答える。
「大切なのは、あなたがこうして声を聞いている今なのであって、それ以外の事、過去になった事は全て間違いなんですよ。」
とおっしゃる。
「門標を読んで中に入ったらもう、この少林窟の中では本当は何もしなくてもいいんですよ。へんに自分の思いでああしようとかいうとそれが垢になるから。」
とおっしゃるので、ここを出た時はどうするかを尋ねた。
「あそこの電柱まで、とにかく只歩こうとか決めてやったり、そういうのがあってもいいと思います。別にそこまで、何をやるというのでもないんですがね。」
少しだけどわかる、何もしないという修行。一生懸命食いついて行くような修行も正しいし、守るようにゆっくりと味わう修行も正しいし、それにさせられていて自分は何もしていないような楽な状態も少しは味わったことがある。常に正しい道を求めようとする自分の心が、逆に間違えないようにと変な慎重さを創り出し、自己をひっ下げた修行をやってしまう。そんな時は何もしないでいる修行という言葉が軌道を修正してくれそうだ。
�隠老師、義光老師、大智老尼の話などもされ、話が終わると、
「私が言ったことも、もう忘れて下さい。」
と言う。何十年も昔の車をきれいに、大事に乗っていらっしゃる。そんなところにも禅が生きている。またひとり、心から尊敬できる人に会った。少林窟とはすごいところだ。
その日廊下を歩いていても変な慎重さが消えていた。どんな風に足をおろしてもそこがその場所。思わぬ所に足がおりて大きな音を立てたとしてもそれがその時のありようなのだ。微妙な見栄のような心理が働いて、それらしくあろうという思いが修行を必要以上に硬くしていた。どんな一歩であろうともその場で死に切れば良いのだ。そう思うと楽になった。
さて、ところが禅の修行というもの、そう簡単には行かない。決してひとつの心境に留まれないようにでも出来ているのか、楽になるとなったでまた今度は以前とは対局の問題が出て来るようだ。どうも、今度は小気味のよい真剣さがなく、楽な所に安住してしまうのだ。否、正確には楽になった時の「何をやっても修行からはみ出る事はないんだ」などという理解を頭のどこかに持ち運んでいて、事実との間にその思いを働かせてしまうのだ。本来「うん、これも真実だ」などと思っているスキもないはずである。
禅に「待悟禅」と「無事禅」という言葉がある。今の自分以外に法を認め悟りを求め、そこに至ろうとか、それを待とうとするのが「待悟禅」。本来何をしたって法であり悟りの中の出来事なのだと頭で理解して、それ以上何もしないのが「無事禅」。禅を始める前から、そんなのは両方とも違うとわかっていても、微妙にそれに陥っていはしないだろうか。他に求めず、これで良しともせず、そんなところに落ち着くのにはまだまだかかりそうだ。
まったく心というもの、あっちに転べば、こっちに転ぶ、なんだか最近かわいい奴だなどとも思ってしまう。まあ、それでもちゃんと方丈さんの言う法の通りやっていれば、転び方も微妙になって、きっと解決する時が来る。自分は未知の事に結論は出さないタイプだが、なんだかそう信じられるのだ。信じられる法に出会えたことに感謝。悪いと思うことも良いと思うことも思いは思い。思いは勝手にころがしておいて、常に今を離さずいる。これのみ。そう決めたら、こんな頭の葛藤劇の舞台から降りて、只、今の事実事実。
最後に菩提心薄き自分に対しての訓戒を少し。自分と同じように、すぐ頭でとらえてしまうタイプの人に少しでも足しになればという思いと、なにより、ここに書くことによって、より自分が真剣になる事を望んで。
禅は只、ゼン、法は只、ホウとのみ心得て、
禅我見、法我見を切り捨てよ。
自分には何かが分かっているという思い、
その思いを抱いたまま「今」が見えるかな。
一秒前のことは妄想として切り捨てる修行、
過去の境地を引っ張り出している暇がどこにあるか。
「今」以外に非情になれ。
法も方丈も真理さえも切り捨てよ。
やると決めたら、その思いも捨て只やる事。
修行が楽になり安心感が湧いたなら、
安心感を選ばず、よりいっそう「今」を選ぶ事。
うまくいっていないという妄想、
うまくいっているという妄想、
どっちにしてもその辺に転がしておけ。
ちゃんと「ばか」になっているかな。
方丈さん、祖玄さん、幽雪さん、千星先生、吉田先生、角田先生、与世田さん、立川さん、萩原さん、その他少林窟で会われた皆さんに深くお礼を言ってこの参禅記を終わりたいと思う。本当にありがとうございました。
合掌
一九九一年十月十日
小山 徹 記
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