参禅の記 永岡 淳

こころの詩

目次


啓示

一九八三年六月の或日、友人湯本氏と私はお寺の和尚と座卓をはさんで座っていた。本堂正面は真新しい白壁、龍安寺の超ミニ版とでも言うか石と砂の庭、あっさりと単純なだけ趣き深いものがある。市塵に染り切っている私にはたまらない。ほんの少し小高いだけであるが、その庭越に見る瀬戸内の景色はこれ又格別である。本堂内はさほど大きくはないのに、襖の仕切をはずしてあるため、やたらがらんとした大広間の感がする。宗教的装飾が余りないので、程良い解放感と絶景とで気分がすっかり絵になっている。
本堂すぐ横の一画、時折鳴く野鳥の声もかんばしく静かな空間の中で、和尚が至って無雑作にお茶を出してくれる。不思議な安らぎと不思議な緊張とが交差して、我々はいつもになく姿勢が良い。

「ところで坐禅をしたいと思って参りました・・・・ご指導願えませんか?・・・・」
と湯本氏が切出す。
「ほう、それは感心なことですね。大いにやって下さい。まさか一時間か二時間のレジャー禅では無いでしょうね。先ず、最低一週間、篭っりでしかも二四時間ぶっ通しでやるのですぞ! 宜しいか! それも今日、今から直ちに!」
「一週間ですと! それも今から直ちにですか!」
「そうです!」
「三時間ぐらい坐禅させて頂いて帰るつもりでいたのですが・・・・」
「心を相手にするのですぞ! 生まれてこのかた神出鬼没にして仏に成ったり鬼に成ったり、貴方々を根底から振り回す正体不明なるものを相手にするのに、何が二時間三時間じゃ。心を何と思っとるか! 坐禅を何と心得とるか! レジャー禅なら遠くここまで来る要はない! 本当の坐禅は、坐禅を本当にするだけだ! お分かりか!・・・・」

これは快僧だ! 湯本氏は困り果てた様子である。三時間程度本当の坐禅を体験して帰るつもりでいたので、この和尚に出会ったために、彼にしてみれば坐禅というものが不可解に思えたらしい。

坐禅とは、背筋を伸ばし、いかめしく構えて尻の痛さなど諸々の苦しみを静かに耐え、その姿勢と坐り方でじっとしていること、つっこんで言えばそのようにしてずっと耐え続けて居るうちに何かが閃き、平素もやもやしている内側の問題がさらりと解けて「何だ、そんな些細な事、問題にする方が可笑しいわい! かんらからから!」と大笑して泰然自若、どんな出来事に出会っても何とも無い自分になれるような、ひょっとしたらそんな世界が在るのではないか、それが坐禅ではないだろうか?
小心なる我々の心の真裏には、そんな救いを何処かに求めているのではないだろうか。

「そうだ、いい人を紹介しよう。つい最近より坐禅を志して山門にまで来たご仁が居る。」
和尚は電話口に向かって立上がった。物静かに和尚の姿は奥に消える。二人はほっと顔を見合せた、息が詰りそうだったのだ。

「和尚」と私は言わせてもらったが、「和尚」とは出家者を総じての名前である。雑学に依れば「比丘ビク」とも言い「乞食コツジキ」の意味で、道を求めて修行する人が食の供養を求めて托鉢をする事らしい。又「和合」とも言い、道に全身を捧げて個人的自我を捨てる、だから何時でも誰とでも小数にても大勢にても和合同化して争わない事らしい。正しく人間の完成品とでも言うのか、素晴らしい関係が和合らしい。いささか私の見解に依るものだが。
和尚の語源的意味はだから頭が下がるのであるが、今日的には尊敬度の可なり低い使われ方になっているようだ。面と向かっては使わない方が教養がばれなくてすむ。このような内容の分かる人は、禅寺のご住職に対しては「方丈(さん・様)」と呼ぶのが普通らしい。「ご住職(さん・様)」と言えば、拘わりのない人は最も無難で一般的なのだそうな。
禅の指導者に対しては又別な呼び方が在るのだそうだ。そんなこと一切知らないで来ている。今の調子で行くととんでもない恥をかきそうだが、最早何ともしようが無い、これも運命のしからしむるところだ。

ここの方丈は、海蔵寺のご住職で、井上希道、号を元光と言われ若い時分から大家に就いて坐禅をされた方だと聞く。とにかく一般でない禅僧である。普段の会話は優しくて無邪気な話しぶりである。ところが根が修行者であり禅者であるから折々の会話に人の心臓をえぐり取り、目はぎょろりとして、脳天を凍らせんばかりの力が秘められている。とにかく自分たちの思考半径では届かない何かが在るのだ。

ほどなく玄関に声がして話の主が現れた。
小積氏と紹介され、或るスーパーマーケットの社長をしておられるとの事、人間サラブレッドがぴったしだ。実に爽やかで小気味がいい。ところが、
「今とは何ですか?」
挨拶も終るか終らぬ内に、こう質問されて二人は又又面食らった。今までにそんな事深く考えた事もないことである。胸がどきっとした。二人共、
「さあ?・・・・」
と返事するのが精―杯である。小積氏は矢にわに湯のみを握って、
「今とはこれですよ。この動作も。この物自体も。見つつある作用も。今でない物はない。今とは一切と言う事なのですよ。・・・・」

私の参禅修行はこの時、この出会いから始まった。
四十七才で今迄勤務していた会社を辞め、自分で会社を設立したのがつい二か月前、売り先の基盤があった訳でもなく、得意先とて全く無いままに只営業経験が二十年有ると言うだけで独立、店舗を構えたが、実は私にとって全く先行きの分からぬ旅である。不安材料ばかり山積していて、それだけに確固たる信念が欲しかった。
自分の人生に一本筋を通す自信をずっと欲し続けていたのである。たまたま店を始めてからそう感じた訳ではない。三十年間も三十五年間も心の中にあったものである。
三十五年前あれは秋の頃、私が中学生の時である、校庭のテニスコートで練習中、私の発言がある英語教師の心を乱したらしくひどく怒られた。
それ以来私の心の中に一種の不安というか、人の心を乱す発言と言うことに対する注意力というか、そればかりが先行し始めて、自分の意見すら堂々と述べることが出来なくなって来ている自分に気がついたが既に高校時代を経過し、社会人としての生活を三年経過していた。私の心の構造は修正の利かないないものに成ってしまったのだろうか。

何とか自分の内にある自信と言うか信念と言うかそのようなものを確立させよう、そうして人生を堂々と渡ろうと、気持ちの中で思いながらそれを何処に求めて良いのか分からないまま時は過ぎる。三日坊主もそのせいだったのだろうかとも思ったりする。
順調な時には悩む時は少ないが、逆境に立つと不安と焦りがつのり、頭が痛くなり腹痛がひどく感じられる。夜は眠られぬ日がある。「これではいかんぞ!」。小心な私は悲壮感にさいなまれた。
ある宗教家の話を真剣に聞いたこともある、母親と話しあったのも丁度この頃であったか「明日ありと思う心のあだ桜夜半に嵐の吹かぬものかは」。話は尽きなかったものだが、それ等はそんな私の気持ちを解決する何程のものでもなかった。
その様な時期を経過しながらも私には本当の人生について指導してもらえる人に会うことが無かったのである。三十五年もの間何かを求めながら解決の付かないままに・・・・

そんな私を前に、根っからの自信、堂々とした態度で発言をする小積氏を見ていて、今まで求めていた青い鳥を見つけたような胸中の感動に圧倒された。
この純粋さ、この爽やかさ、この自信力!
まぶしいほど輝き切っている!
誰だって羨ましいと思うに違いない。私は胸中密かに「う―ん!」とうなったのだ。こんな彼を逆にうならせたらどんなにか痛快だろうなと思ったら、急に親しみを覚えるのだった。今にして思えばこの時既に何かが始まっていたのだ。

ここに座っている我々二人はと言うと、坐禅を希望する湯本氏とその湯本氏を満足させるべく、その道の人、井上方丈に指導をお願いする為に案内して来た私(禅に無関心な一人の人間)という具合なのである。

「坐禅をしたいと思うがどうだろう」と湯本氏が私の所へやって来たのがその三日前のこと。
「何故この年になって急にその様なことを言いだすのだ」私自身坐禅をしたこともないため興味半分に相談に乗った。
「いや大意があっての事ではないが、坐禅をすると気が落着きすっきりするという話を聞いたことがある、何しろ今は色々と大変で・・・・」と話は続く。
話を聞けば聞く程それは坐禅でもしなければ身が持つまいと思われる事ばかり。会社は木材の消費が落込み、売上が皆無の状態、娘は大学の受験、この苛立たしい家庭環境は本人一人が考えていただけではどうにもならない・・・・仏通寺で坐禅をしたことのある人は多く居られると聞くが、私のまわりにはその様な人をみない。それではと言う事でここへ案内して来たのである。

ともあれ小積氏の話に熱がこもる頃、湯本氏はどうあれ私の方が、何か今迄探していたものが見つかったという感動に襲われ身を乗出す状態であった。氏の話は巨大な迫力の上に崇高な宗教観に終始した。本当に珍しい快男児である。

小積氏の一週間の参禅体験談は、極限の自己を追及するあまり、もう駄目かと思われる心の内面の葛藤、しかしそれを打破り打ち破り辿りついたその内容、充実した現実に出くわし、坐禅して本当に良かった、と心の底からその喜びが溢れ出ている感じであった。
この様な自信有る言葉と態度は、底に何かが有るに違いない。私はそう信じた。話の総てが、学問的な努力では絶対に得ることが出来ないものであり、体験による自覚からとしか言いようが無いものであった。

海蔵寺の方丈と小積氏の元を辞したのはそれから間もなく
「いずれにしても良く考えて出直して参ります。」
と湯本氏がやや興奮ぎみに言葉を発し、お互い月並のお礼を申し述べた。私は心の中で(是非私も教えを乞う為に来山しよう)と決心をし山を下りた。瞬時に決めたこの決心は、私自身をも驚かせた。(もし湯本氏が参禅しなくとも私―人が訪れよう)と。

帰りの自動車の中、二人はだまりっぽくなっていたが、何か心強い気持ちで一時間と三十分が経ち広島に着いた。都会の夕暮れは只気ぜわしい、それが又妙に空しく乾いているのだ。
小積氏の「自己を明確にすることは、自己に対して責任を持つことだ。これこそ人の道だ。人間である以上これは絶対やらなければならないのだ!」と断言したこの言葉が、私の魂のベールをはぎ取り、直に啓示的温もりを与えてくれたのだ。
何と潤いある人達よ。私は久しぶりに自分の豊かさを味わったのだ。

決断

父と妻が猛烈に反対した退職活劇の余韻尚覚め遣らざる直後の事、しかも父は亡くなり、設立したばかりの会社の業績はと言えば、暗中模索の真っ最中だ。参禅を固く決めては帰ったものの、この上一週間も会社を休んで坐禅に行くと言ったら、妻は何と言いだすやら。妻の丸い顔が四角になること目に見えている。ひょっとしたら命の保証も怪しくなると言うものだ。その日は遂に言いだし兼ねてしまった。そして次の日も、その次の日も、その又次の日も様子を伺った。
支払いに充てるお金の都合すら出来ていない状況の中で、決めた事とは言え一週間店を離れて坐禅することが本当に許されるのだろうか。私は人間としての社会通念や倫理観の為に苦しんだ。

「一週間留守をした位で潰れるような会社なら、これから先ずっとそのことでびくびくし振り回されるだけだ、一層の事潰してしまいなさい。」
折々出て来ては不気味にしかも激しく私を断崖絶壁の淵へと追いやる方丈のあの目、人事だと思って! いや自分の事だが・・・・いとも簡単に言って下さいますが・・・・

「人生の大切なもの、一生の宝となる道を得るのに何が一週間が長かろうか! まばたき一つよ!」
その事も良く分かっています、坐禅をしたいのです、でも会社が、もし本当に潰れたら。・・・・
今度こそ妻が、子が、社会的信用が・・・・それでも方丈は今の私にやれ! と言われるのか! 本当に坐禅がそれほど価値あるものだとおっしゃるのですか! と何時の間にか方丈に恨み言を言っている私だったのです。

「永岡さん、是非おやりなさい、応援しますよ!」と真剣に言ってくれた小積氏、頭の中は「吉」と「凶」とが激しくぶっつかり合って落着かない、それで無くても会社の事で一杯なのに、家庭と世間体の中でもがいているのに・・・・。
心の道を開こうとする飛躍の前の私は果てし無く苦しむのでした。が、ついに同じ苦しむのであれば、考えて苦しむより実際で苦しもうと決心したのです。
「よし! こうなれば参禅中に潰れればそれまでよ!」

頭の中で決断することは出来たが、妻の顔を目の前にして話を始めたとき、四角になっていく彼女の全身からほとばしる言葉にならない妖気に、さすがに足が意味もなく震えた。実感現実と理想の上の想像図とに相対した時の勇気とでも表現出来るだろうか。
(本当にこれで良いのだろうか?)
妻の言わんとするところは何もかも分かっている、(頼む、黙って行かせてくれ!)、心の叫びが通じたか、或いは私の姿の中の悲壮なる決心に諦めたか、とにかくこうして妻も納得してくれたのだ。
「・・・・では・・・・一週間お店を守ります・・・・どうぞ・・・・!」と言ってくれたその表情の根底に、妻としての覚悟と(貴方が頼りなのです。自分は只付いて行くだけです。)と言わんばかりの哀願があった。事に当たったときに見せる彼女の真剣なまなざしは、今の私にはまぶし過ぎた。妻を美しいと思ったことは無いが、こんな時の引き締まった理知的で隙の無い彼女は、いつも美しいとも可愛いとも思っている。私は無条件に心から「有難う。」と言って頭を下げて、ようやく一歩の踏出しが出来たのである。

入門

出発の日、玄関先で妻を前に(あの方丈の元で一週間、命懸けの坐禅を)そう思うと俄かに顔がこわ張り恐怖を誘うかのように足が震えた。しかし恐れや不安よりも、これで長年苦しんで来た虚弱な自分ともお別れだという思い、自信と安らぎが得られるのだ、頑張らねば、と強く強く自分に言い聞かせるのだった。
「お体に気をつけて頑張って下さい。」妻の声に、私は平素を装った笑いを残して車の人と成ったのであるが、どうしても悲壮観を置き去りには出来なかった。

一番美しい海岸線が続く内海のほぼ中央、あの頼山陽先生を育んだ竹原市、その東の方向に当たるところ前面を海に後を山に囲まれた人口一万たらずの忠海町が在る。海蔵寺はそんな静かな街の、駅の真正面少し小高いところにあり駅からは屋根程が見える。実はこの町が妻の生え出た所で、しかも方丈と同級生なのだ。妻は何故か方丈には受けが良く、不思議にも「美しい才女」だと、ご自分の腕白時代に得たイメージを語られた事があるが、時代は三十年も三十五年も過ぎているのですぞ! と言いたいのだ。

あれから僅か十日しか経っていないというのに、久し振りに上山したようだ。あの十日間はげに長かった。同じ席に座って眺めるところ変ったところは一つもない。変化しているのは方丈の話の内容と私の心だけだろう。
「ようやく決心が付きましたか。」
「はい、色々ありましたが。」
「とにかく良く決心した。後は真剣に只やるだけだ。初めは苦しいがどんな事でも私の言う通りに素直に実行しなさい。必ず永岡さんが心から喜ぶ時節があるから・・・・」
「はい。」
先日小積氏の苦心談をしっかり聞いている。方丈に望みを懸けている以上それがいかなる事であろうとも、慎んで容認実行する覚悟が出来たればこそ、この面を方丈の前に引きずり出して来たのだ。以前会社の研修会など意気込んで頑張ったものだが、特別真新しい高度なものは無く、皆―時の知的な物でしかなく、かりそめにも魂の糧になる程のものは何も無かったが今は違うのだ。もうこれ以上の人間追究法は絶対に無いと思ったればこそ何物をも辞さない私である。
遠くで悩むより行って実際やるべしだと思った。方丈の前で震えるどころか、お任せしたらすっかり安心が出来、深く大きな暖かな物にすっぽり包まれて、只管努力心を駆り立てられるばかりなのだ。

後日、その人達が集ると道の話で終始する中で、皆な或る種の恐怖とか発狂の心配とかが在ったらしいが、私は十日間の経緯と足の震える程の覚悟のせいかそれほどに耐えがたいものは無かった。人間覚悟に勝る安らぎは無いと思った。それがそう成るまでにはなかなか・・・・

曲者

「坐禅修行の目的は悟ることである。古人は[心地を解明する]と言い、[脱落]と言い、[三昧]と言い、[見性]とも言い、[即今の消息]とも色々に言っておられる。心地を解明すると言うは、自分の心を自分ではっきりさせると言うことである。心の正体を見届けると思えば良い。これを見性と言う。只今に目覚める事である。つまり今に成り切ることである。本当の今は自我も何もない。自我が無いということは迷いが無いということで、それ以上悟る物も何もないと言う事なのだ。自我の束縛から脱した世界だ。念にからみ付かれることのない、自由な世界の事である。これを脱落、即今の消息、又三昧とも言うのはその世界を言い表そうとした言葉である。
縦から言っても横から言っても畢境本当の今に目覚める事なのである。だから修行とは初めも、途中も、終りも、只今のみ。二十四時間ぶっ通しで今を見つめ切って行くのだ。・・・・」
と話は続く。
「今と言うのは、右を向いたら右の今の世界、左を向いたら左の今の世界、右のコップを見ている今と左のコップを見ている今とは完全に別物で時間も違う。総て前後裁断箇箇独立しているのだ。これがはっきりと自覚出来た時、連続していない念の様子が分かるのだ。
坐禅が只出来るようになればこれがはっきりする。見るもの聞くものがそれぞれ新鮮に感ずる様になるのもそれからだ。・・・・」
と方丈は続けられる。

ところが私は一流の理屈屋のしかも大家である、話を聞きながらつい一流のウンチクをひねり、自分の知識と比較し始める癖がある。悪い癖だ。とんでもない事が出て来る事引っ切りなしだ。(店舗を持ったが今日はお客が来たかな? だったら良いがな、誰も来なかったら妻が又・・・・)と突然出て来るので始末が悪い。釣られてつい不安になる。方丈の話は更に続く、
「とにかく坐禅に成り切る、今に成り切る、本当にその物に成り切る、そう努力するのが修行であり禅である。その結果初めて自分の心が根本的に整理され静かになる。とにかく徹底[今]を参究しなさい」

ポイントは聞いている積りであるが途中は抜けているかも知れぬ。なにしろ頭のやつめが勝手放題に記憶の中で言葉を弄ぶのだからたまらない。収拾が付かんのだ。「この曲者めが!」
(一週間続くかな、トイレに行ってから坐るほうがよいかな、一週間も飲めなくなるぞ、辛いかな、坐禅中に飲んだら旨いかな、見つかったら殺されるかな、成り切って飲んでますとでも言ったら殴られるぐらいで許して貰えるかな、叩き出されたなどと言ってかえったら女房殿は何と言うかな)
何と言うことを考えるのだ! 空き巣狙いや窃盗よりまだ悪い、とんでもない奴だ! 方丈の話を聞いていると同時にこの様な事も出て来る。
「いかん! いかん! こんなことでは。これが私の震える程の覚悟か!」と思ったら情けなくなって来るのだ。
お茶を頂いて湯のみを置く、次のお茶を所望しながら(おや! 誰か来られたな)頭の動作は、手の動作と関係無く荒れくれ回る。置き引きのたぐいだろうがこっちはたまったものではない。
「それでは坐禅堂の方へお行きなさい。楽な姿勢でよろしいから今を離さないように、永岡さんは特にあれこれ意味のない事を考え回る癖が強いので・・・・。」とやんわり責められる、私の心を見たような事を図星言われると急に神妙になる。そこまで見られては・・・・
「それが今をくらまして居る雑念なのだ。今その事以外のよそごとに心が色々拡散しているので、本来が見えないのだ。だから拡散を治め今に成り切れば良い。後は禅堂で。」
となる。もう冷や汗が出て恐ろしくなる。
「はい。ありがとうございます。」やおら立たち上がる、立ち上がり歩きながらでも頭の中に色々と出てくる、連続したものでないがあちらへ飛びこちらへ飛びの考えが。(これでいいのかな? 歩き方は)方丈の後につづいて坐禅堂へと歩いた、頭の中の荷物も一緒に付いて来る。お前なんぞ付いて来なくていいのに、と思っても主の様なずうずうしさで曲者め等もひっ付いて来る。
今に見ておれよ、この侭には捨ておかんぞ!

参禅困惑

私が生まれて初めて坐禅をしたのは、此所でありこの本堂の横にあるお薬師堂である。完全に独立したお堂である。(誰も見ていない、誰からもあまり見られない場所だな、しかしなんとか礼儀正しくしなければな。)未知の世界に入ってゆく時の気持ち、神妙そのもの以外にない。
午後の太陽はお堂の中を明るく照らし、広々とした感じか、落着いたというか、のどかなゆとりの中、敬けんその物と言うには今一歩の感がする。しかし静かだ。寧ろ虚脱感さえ起こって来そうだ。

「坐り方は自由に、坐布はこれを一つでも二つでも使って宜しい。ただ一息に成りなさい。
吸う。吐く。ただ吸う。ただ吐く。」
と言っては深く呼吸に徹してみせてくれる。成る程―呼吸とはああするのか。
「吸う今に徹すれば良い。吐く今に徹すれば良い。今は何時も今なのだ。雑念無く今ばかりの事を徹すると言い、三昧と言い、無我と言い、無心と言い、一心と言い、満身と言う。
拡散が治って[今]に徹してくると[道]が見える。後は[道]に従って身も心も任せ切ればどうしようもない真実にぶち当たる。
とにかく努力よ! 菩提心よ! 命懸けの今よ!」
と方丈は一言急所成るものを授けてくれた。
黒い布で作った丸い厚い座布団。(なるほど、これを敷いて坐るのか)
「有難うございます。」はやる気持ちとぼう然とを一緒にした様な格好で挨拶する私を後に方丈は出て行かれた。(さてと、なるほどこれが坐禅か)(こう坐るのかな、まてよ足はどうしようか?)
二枚の坐布を使って生まれて初めての坐禅に入るのだが、「今とは何ですか?」と小積氏から一番初めに聞かされた言葉が耳を離れない。同時に頭の中の動作が急速に回転し始めた。
人と体面して話をしていても勝手に活動するやっかいな頭の動作、これが対象となる人が居ないという事で自由の身と成った今、この頭の動作は止まる事を知らない。(こんな坐り方をしていたら笑われるだろうな、しかし小積氏は立派な姿勢であった、厳しい坐り方をしたのだろうか?)

人の坐禅を実際に見たことがなく、その縁に触れたことのない私には雑念の中に早く何かを掴みたいと言う気持ちの変化が色々と現れる。(背中が丸いがこれではどうも弱々しい坐り方、まあいいや坐り方より内容さ)と自分に言い聞かせる。(トイレの時は出てもいいのだろうか、そうだろうな)(このまま帰ったら何と言われるだろう?)・・・・
坐禅の形をとって、手、足、口、の動きは止まったが、頭の動作は止らない。
(まてよ、「方丈は妄想の入る余地のない一呼吸をしなさい、出て来れば捨て、出て来れば捨てて、ただ一呼吸に何としても集中しなさいこと言われていたな。)

妄想禅

「今とは何ぞや、を参究しなさい。」も有ったなと宿題を思い出す。
坐禅とは何だろう?
今、今、今、か!・・・・何だ? 今とは?
みつけろと言われたってどう説明する。何とか一生懸命にやれば見つかるだろうが一体どう一生懸命やる。この程度で本当に大丈夫かな、おっと・・・・。言われた通りの坐禅をしなければいけない。妄想を出てくれば捨てる、出て来れば捨てる。
(出てきた)(小積氏、家の事が気になってと言っておられたな)(家とか仕事の事、あまり出てこないな)

それにしてもよく出て来る、この坐禅に入って時間制限があるでなく、区切りの鐘が鳴るでもない坐禅であるから、一見まことに自由に思えるが精神的な苦痛が襲ってくる。一体何処まで続ければ解決するんだ!
果てしない時間が待っている様に思えて来る。無限の時間・無限の空間に脅かされる。身体的苦痛も終りのない時間には処し難い。この我慢、何時間続ければよいのか! もう駄目! もう駄目! もうここいらで! と振り回される。
それにしても一体何時間坐ったかな? 時計を見ると、何とまだたったの一時間!
(待て、待て、今は〈今とは何ぞや〉を追求しなくては)
(どうも尻がいたいけれど、楽な方法は無いかな。でもやはり坐禅はこれが本筋)
(おや? 本堂に誰か来ているらしい)
(少し暗くなったけれども、電燈は点けても良いのだろうか?)
(夕食は何時ごろ食べさせて頂けるかな?)
(何にも音がしなくなったな、誰も居られないのかな?)

誠にもって忙しい、今に向かって集中する事が出来ない、困ったものだ。坐禅しながら妄想を捨てるように気を静める事を始めた。目は開いて前をみていたが本尊の姿が飛込む、周りの飾り付けが飛込む、古い建物のかもし出す雰囲気の中にある色々の物が飛込む、御供物の果物そしてカッパエビセンそれを色々と物色している訳ではないが、目からはいって来る物体が気持ちの中に引っ掛かり自分が何をしようとしているのか見失ってしまう。

(これはどうしようもない、目をつぶってみよう)
目をつぶって足を自分なりに組んで、手を自分なりに組合せて、
(今、今になるのに何とか方法は無いか?)
目をつぶると目の前から煩いものは消えたが、今度は新しい問題が起こって来た。頭の中の奥底にしまってあるはずの物が出て来るような感じで湯本氏の面影と言うか人物と言うか、途端に中学時代の恩師の顔、高校時代の恩師、連なって同級生、親父から昔飼って居た鶏まで出て来る。良いことか悪いことか判断する暇なしに止めようがない。
信念持って、覚悟して、修行しようとお堂に入ったがこのざまである。信念など、覚悟など、この厄介なものの前では何の役にも立たない。心は絶えず(今、今、今、)脳裏は絶えず四十七年間の見、聞、味わい、がどう仕様もないほど出て来る。寄って来た虫なら手で払い落とせば良い。しかしこれは手を使う訳にもいかずついに目的、手段等吹き飛んでしまう。

ところで振り返ってみると、私の出発点で一番の欠点は、
「妄想を追出す事にアタマを使い、今を見つけようとアタマを使って、方丈の話の中心を聞き逃し、方丈があれだけ熱心に説いておられた一呼吸に成り切る、という修行の中心をうっかり軽く思ってしまい無視していたことである。」
言い換えれば、一呼吸に成り切ることが、成り切る勇気と努力が、雑念妄想に打ち勝ち本来の自己に目覚める最短距離であるということを肝に命じていなかったので後々まで苦労した。回り道の回り道である。お笑いあれ、我が参禅記。その心は、この愚を繰り返すことなかれと思えばこそ。

「食事をどうぞ。」
ドアの外で奥様の声がする。待ち焦れて居たような気がした。はっ、と気が付いた様な気もした。足音は記憶していない。
(食事だ、助かった! 嬉しいな、これで一息入れられるぞ)と、自然に顔がほころぶ。
完全に目は見聞らいて足はしびれたまま動きだし、手は足と腰とをいたわっている。耳は何も聞こえていない、口は物が言えない、相手が誰も居ないせいもあるが、表現する材料が一つもない。
(よいしょ、ああああ・・・・)食事は別の部屋で戴く様になっている、ゆっくりと注意深く歩いて行く。
(修行とは行儀良く)頭の中の動作、作用はねばっこく付いて来る。
(有難うございます、いただきます)お箸に手をつける前に自然と手を合わせていたがやはり環境のなさしめるわざか、もう坐禅の効果がでたとは思われない。
(修行だ、順番に整然と・・・・)
(おや? 箸の袋に何か書いてある・・・・なるほど良いことが書いてあるな。うん・・・・まさしくこの通り)記憶してしまう為とばかりにしばらく読んではみたが今は記憶していない、所詮は覚えようとして読んでも身につかない。覚えようとしないで読む方がよいようだ。
(こう礼儀正しく座って)こうなると自分にも厳しくなる、心にも厳しくなる。
(これも修行だ。)
いつの間にか夕食に出されたものは全部たいらげた。一つ一つ理屈がついて回る第一日目の夕食であった。
(箸のしまい方はこれでいいのかな、食事の後の片付けは? このままでよいのだろうか?)妄想のかたまりの中での夕食、修行の本質が妄想の無い〈今に成り切る〉ことにあるのであるが本人があまり気がついていないのであるから幸せといえば幸せである。
「御馳走さまでした。」何時のまにか両手を合わせてつぶやいている。
「早く坐禅しよう。」お堂に帰って位置を構える、坐禅に入る。

不思議なことに坐ろうという目的だけは、はっきりと確認出来るのか坐禅に付いた時、ほっと何かを掴んだ時の様な安らぎが出た。
(今、今、の課題に入ろう)暫くの空間と言うか何もない時間が通り過ぎる。次に(しかし、何とかせんといかんぞ、これは・・・・)何を急ぐ! と言いたいが何とはなしに急がれる。
(今日は疲れた、方丈は眠たい時には寝なさいと言っておられたな、それなら寝るか、いや、早く寝すぎて怒られないかな)
坐禅することは楽なようで楽にない、何かを見つけ出そうとして必死であるのだが。
(しかし、体が痛い)
(今は〈今〉、を参究していたのではないのか、もう離れている)
(ようしここらで、〈今〉、とは何ぞや?)考えたって答えが出る訳が無い。
(おや? 蚊がいるぞ)坐禅している顔に近づいてくる音はやはり私を悩ませる。
(もう寝よう)
外では物音が一切しなかったのか聞こえなかったのか耳の活動は無い。体は移動し、手は布団の端を握って引っ張っていた。

忙しい一日であった。通常の毎日がこうであるのだろうが、今はただ一人で、一つの部屋で、一つの目的で、話をすることもなく只坐る。自分と対するのみ。自分を見つめるのみ。しかし、妄想と遊びながらと言えば方丈に怒られる。
目を使うでもなく、手を使うでもなく、足を使うでもなく、只坐ることを初めて体験して、頭の作用の激しい動きが良く分かり、日常で落着かないと言う理由もうなずける。
(明日は早く起きよう)最後の頭の作用は、ここまでであったように思う。

関係無い!

二日目。
どのようにして目が覚めたのか、定かでない。目に飛込んで来た第一は、障子が白く明るさを放っている。耳には本堂での読経の声が聞こえる。木魚の音だろうか? 同時に聞こえて来る。
(何時かな)頭の作用が始まる。日常の習慣だろう、すぐに時間が気になる、何時であろうと別によいことではあるが。
(修行だ! 修行だ!)瞬間体はばねのごとく起上がった。
(馬鹿! ピクニックじゃないんだ! 布団はきちんと畳んで、そうそう、良い調子だ。)頭の作用と手足の動作がそれを支える。(顔を洗ってと・・・・)
頭の作用と手足はほとんど同時に動きを始める。てきぱきと出来ることに満足しながら事は運ぶ。
(さて掃除、バケツは? ほうきは? 雑巾は?)
準備は順調に進み、さすがに同級生の顔も鶏の姿も、現れる暇がないらしい。さて、ほうきで掃除をと思っている矢先に、方丈がお薬師堂の参拝に来られた。参拝が終った時、
「少しは分かりましたかな。」
言葉は優しいが張り詰めた空気が伝わって来る、昨日は頭の作用に振り回されてそれどころではなかった。(何にも分かっていない。何とか返事をしなければ)
「はい、いいえ。」
心の内を厳粛なものが通り抜けて行く、いや生唾が喉を通り抜けてゆく。
「ほうきを使う時は片方から片方まで只掃けばよろしい。」そこに掃除をする用意がしてある。これを見れば私が掃除をする方向に動きはじめている、ということが一目でわかる。この為に方丈の説法となった。参禅の後々に法友と坐禅の話をする時、洗顔、掃除を二日目の朝からさせて戴いた幸せな人と、私の事を言われるが実は、方丈としてはこれはどうにも手がつけられない、と半ば諦めての方法であった・・・・と、後日方丈に打ち明けられ冷や汗が出る一場面である。
「ぞうきんを使う時は片方から片方まで只拭けば宜しい。」
「はい。」
(修行だ、正確に掃除をこなそう)ほうきを持った手は動作としてはゆっくりと言われた通り走ってはいるが、内容はしごくおぼつかない。方丈はよいとも悪いとも言われずさっさと消えてしまった。

(只掃けばよろしいと言う事は、動かす一直線になればいいと言う事かな?)(ごみが残ってもいいのかな?)(一直線に動かすことが目的かな?)(とにかく只手を動かそう)
先程から体は神妙に動いて片方から片方へほうきの先は動く、それもゆっくりと、しかし口にこそ声になって出ないが、頭の作用がついて回る。
(ここから始まって、ここで終る)(いいのかなこんなところで)(このごみは何処から外へ出してやろうか)
ほうきの先はお堂の中を這い回り、雑巾は縁側の板目を正確に数えて、ごみはその縁側から庭へ吹き飛ばされた。

(さて終った)
気持ちは清々しくなった様な気がするが、どうも方丈に言われた事が、頭の中ですっきりしない、
「只掃けばよろしい。」
(只手を動かせばそれでいいのかな)

掃除ということが頭から離れないためか、掃除は終ったからいいようなものの、こびりついたあの言葉「只掃けばよろしい」が納得できない。道具をかたづけながら今一つ。
(どうもこれは、やっかいなことになりそうだぞ)(研修会の様なハードなスケジュールを、只こなすだけでは済みそうもないぞ)いささか先行き雲行きが怪しくなって来た。
(掃除が終った、さて次は何をしよう)とは言うものの坐禅にきて何かをつかもうとしている私であるから坐禅のみに打ち込めば良いのである。
(坐禅しよう)と頭ではそう考えても、体は縁側にたち、両の目は海に向かってその景色を、あてどなく這い回る、島在り、町並みあり・・・・実際には何も見えていないのが現状であった。
もう太陽は高く明るい。
目を開けている時の頭の知的作用と、目をつぶっている時の脳裏の作用とは、かなり違っていることを昨日より体験して、妄想を取って捨てる作業には、目を閉じるがよいか、目を開けているが良いか、くだらんことだが坐禅に入って考えた。陽はすでに高い。

「妄想が自分を襲いかかってくる、これから逃れるのに苦労した。」と言われた小積氏の顔がちらつく、
「妄想は自分を八つ裂きにする恐ろしい奴だ。付いて回りさえしなければ妄想に成らん。連続するクセを自我と言う。」
方丈の言葉が思いだされてくる。
(よし、妄想を追出すこと、これに集中しよう)何が妄想かはっきりしないがとにかく頭に浮かぶあらゆることを切って捨てる。出て来れば打ち消し、現れれば否定する。方丈は、
「現れる前に着眼する、さすれば打ち消す必要がない。その為に今の事実のみに成る、身も心も事実の今に集中し切り、預け切って我を忘れて行くのだ!」と言われる。
昨日よりは、知的作用も、脳裏の作用も、少なくなって来ている自分を感ずるが、まだまだしたい事が多く、坐禅中に考えが次から次へ。(これなら机に座って考えても一緒じゃないのか)
とにかく、妄想との闘いが本格的に始まったのは組んだ足がしびれはじめた頃である。

この妄想どこからどの様に頭に突き刺さってくるのか?
目は閉じているので物の形は入って来ない、一瞬妻の顔が怒っているような泣いているような、ふわっとした感じで現れる。
(今は只坐っているのだ、関係無い!)と言い聞かせ目を強く引き締めた。すると一瞬ふっと消えた。うん、これはいける! 今度は銀行の事が(あれをどうする)
(今は只座っているのだ、関係無い!)と目を引き締める、一瞬ふっと消える。強く消したものは連続して現れないので助かる。方丈の顔がでてきた、
(関係無い!)
じっと坐って目をつむっているのであるから、活動すると言えば脳裏の作用だけが飛回ってくれる。(関係無い―)忙しいものだ。これに追回されて音が耳に入らなかったが突然サイレンが鳴り始めた。目を開けると太陽の明るさは真昼のごとくお堂を輝かせている。
(おや、もう昼かな)と一瞬心に変化が起こる。一瞬でも何物かが脳裏をかすめると今まで張り詰めた糸はどこかで「プツン」と切れる、切れた端と端を繋ぎ合わせるのはなかなか容易なことではない。ほとんどの場合、時の経過は切れたままで、同じ状態に繋ぎ合わせる事ができず終る。失うか、成長させるか大切な一瞬とも言える。
(そういえば腹が減ったな)雑念が通過する。昼食を食べさせて戴けるけるという思いが走る。一瞬食事のメニューが脳裏をかすめる。
(それはそうと一体何時かな)時計を見た。
(これは驚いた、まだ午前十時じゃないか)とたんに体から力が抜けた。完全に糸の切れたタコである。てっきり昼近くだと思っていたから、あれだけの努力が実はほんのチョッピリでしか無かった事を知ったショックは又格別である。
(先が長いな)坐禅を中断してお堂の中をゆっくり歩くことを始めた。目をつむっては歩けないので前を見てゆっくり歩く。柱が見える。本尊が見える。お菓子が見える。目で見まいとして、
(只歩く!)
(只歩く!)
(関係無い!)
(関係無い!)
と言ってはみても目に入るものは仕方がないが頭の雑念は意外と少ない事に気がついた。しかし(只歩く)と言ってはみたが(只歩く)どうも良く分からない。どんな事だと考えながら只歩いていた。今思えば実に滑稽に見えるところだが、その時は真剣なものだ。歩き疲れては一息入れて今を求めて只歩き、二度目の休息をと思った時、
「食事が出来ています。」
奥様の声、砂漠にオアシスか? 参禅修行中の食事はどの道場でも同じだと聞く、一汁一菜、私にはこれが有難いと思った。
よく聞かれる「一汁一菜って本当かね?」と。私は言う「心がこもった食事です」と。この食事が一番で他のメニューが全然頭に出て来なかった。やはり厳粛な環境は、特に参禅という環境は人間の精神構造までを道徳の本筋に近づかせるらしい。
食事が終り禅堂へ。
まばたき一つで妄想が捨てられるとなると事は簡単だと、たかをくくって坐禅に入る。ところがオアシスで一息入れている間に環境がどう変化したのか分からないが午前中と同じ具合に行かない。まばたき一つどころか三つも四つも、
(関係無い! 関係無い!)呼べど叫べどどうにもならない。そのような執念深い妄想が出て来る。(我が社は大丈夫かな?)(そういえばあの人に頼んで来た件、うまくいっただろうか心配だ?)(こんな事で我が社良くなるのだろうか?)

べとべとし始めたら切りがない。ままよと目を見開いてカルビーのカッパエビセン。
どうにか収るが、どうも旨くいかぬ、坐禅を解いて横になる、次は只歩く。食事をする度ごとにまた一から始める様では、お先真っ暗である。何とか方法は無いか?
(関係無い!)いけない、いけない、何もかも。
(閏係無い!)で切り捨てようとしている。それはともかくとして、坐禅に入っても環境が変化する度に落着かないでは困る。坐布をごそごそ動かしながらの坐禅に入るが先のことが気になる、自分の今の実感なぞ、味合う術も持ち合せがない、ものの三十分で、
(今何時かな?)と思っていると、ふと自然に呼吸している自分に気がついた。
ゆっくりと一呼吸してみた。微妙な一つ作用の変化が続く。脹らんだ肺が少しずつ縮んでいく。又脹らむ。何とは無しに静かに呼吸すれば整ってくる様子が分かる。少しも同じ作用ではないのだ。
これをやっていると(関係無い!)と言うことがあまりいらない。呼吸をしている実感(気がつかなかったな、こんなに呼吸が身近に有ったとは!)この時の実感は実に新鮮で、心に明りが灯ったようであった。

そうすると一般的に言われているところの今は、今現在のことである。過ぎたことは過去という、まだ来ぬことを未来と言う事は良く分かる。今と過去との境目は? 今と未来との境目は? この辺りになると難しい、まるっきし分からぬ、ベターッとしたままだ。
[今とは何ぞや?]と言われると一体何だろう。ここいらから追求することとする。
じっと呼吸に集中してみる
(さすると今の呼吸はさしずめどれだ)
息を大きく吸込む、まだまだ入る。
今度は少しずつ少しずつ体の中にある全部を吐き出す。
呼吸をどんどんする。次から次によくも呼吸が続いたものだ。尤も止めて眺めれば今ごろは地の底、海の底だろうけれど。何回続けたという記憶もないし何時間続けたと言う記憶もないが確かに吸いも吸った吐きも吐いた。

「今とは何ぞや!」と言われた方丈の顔がちらりと出て来る。
(関係無い!)いや関係ある! 「今と呼吸」の難題を私の頭から浴びせて、
どうだ! どうだ! とえぐりとるあの方丈。関係ないはずがない。
ともあれ吸う息を速くして、吐く息を遅くして、両方を同じにして、逆にして、色々工夫しながら注意深く、殊更に注意深く呼吸を続ける。
(今の呼吸はどこだ!)
吐く息を極端に遅くして全部出してしまう。まだ出る。ゆっくりと、ゆっくりと。実感的に味わいながら・・・・
次に吸う息に入る。大きくゆっくりと吸込む。まだ入る、まだ続く。しかし限度が来る。限界が来たところで吐き始める。

このように連続して自動的に作用している息に、過去の息、未来の息と言うのが在るのだろうか?
あまり聞いた事がない。
正常な連続状態での息の、どこを取上げて今というものを指摘することが出来るのだろうか? これはちと難しい。それではと言うことで、
吐く息の終りと、吸う息の始めと。そして吸う息の終りと、吐く息の始め。その節目に差し掛かる時点で、私は最大の注意を払ってそれに入り込んだ。
だが毎回は出来ぬ相談だ。当然のことながら一息の極限まで追いかけるので呼吸が苦しくなる。間を置いてはチャレンジを繰り返す。

おやっ? 在る! 今が!
確かに前の呼吸と後の呼吸に関連無しに存在する今! 今の呼吸が!
これは過去の呼吸から引き継いだ今の呼吸ではなく、今の呼吸から引き継いだ未来の呼吸が在るのでもない。歴然とした一呼吸だけの今! 今だけの一呼吸が!
そうするとこの今には歴史が無いはず!
空とも今とも表現出来ない今が!

胸がきゅうと締めつけられる様な感動を覚えた。
しかし捕らえ所なく過ぎ去ってゆく今、自由にそれに浸ることの出来ない瞬間の今。今に居座ることの出来ない今。しかし確かに流れのまま流れていない今が存在する!
(待てよ、私の中にも外にも〈今〉で無いものがあるのかな?)
(いや、全く無い!)
(今を見つけたぞ!)
これこそ理屈ではない実感で体に突き当たってくるものがある。
「今を見つけろ、今を見つけろ!」と励まされ小さな一つの〈今〉がようやく見つかった。しかし私が体験した〈今〉というもの、徹底坐禅してそれに成り切れば〈今〉の連続が出来る筈だ。だがこの程度の〈今〉、禅で言うところの〈今〉の解答になり得るだろうか?
私は宿題が終った小学生の様に、楽しくも在り不安でもあった。
障子の外は、何時の間にか暗くなっていた。
方丈が、入って来られたのは、夕食が終った頃だろうか。
「何か、分かりましたかな?」一瞬私は、
「〈今〉が分かりました!」と大声で叫びたくなったが、ふと(〈今〉は、まだ他にも、あるのでは? まだまだ深いものが・・・・)と言っている自分に気が付き、
「今が、ほんの少々・・・・」と相なった。
「ほほう? どの様に。」
「そのう・・・・息をしている時、正しい息をすれば時折にそれが・・・・」どうも表現がまずいのか、説明が出来ぬ。
「正しい息とは、どの様な息ですか?」(もう駄目だ! 説明するとなると、どうも弱い。実感でしかないあの感覚をどう説明すれば良いのだ)もたもたと発する言葉、
「それはそのう・・・・」(どうも正解ではないらしいな)と感じた。
「それでは、しっかり練って下さい。」おや? もう、お帰りで・・・・
「おやすみなさい。」

私自身が、体で、はっきり認識する事の出来る今を求め、この様子を、はっきり説明の出来る、もう少し格調の高い今を求めて、又進もう。とは思ったが、気分が少し緩んだか
(只寝る、これを始めよう)(只寝る、何も考えずに、只寝る。これが一番向いているようだ。)
(今夜は、猫が鳴かないな)
(関係無い!)

三日目を迎えた。
目が覚めると読経の声はもう本堂に響いていた。障子は白く明るくなっていた。(少し眠たいな)
(関係無い!)体は反射的に寝床を畳む、折り目正しく。
小さな作業ではあるが、動作の一つ一つが連なっている様に思われるが、上の一枚を処理しないと、次の一枚にかかれない。しかもその上の一枚も、まず握り、半分に折らねば、今の終りが来ない。最初手をつけて、二枚に折る動作が終って、次の動作へ、・・・・
考えている暇もないが、次から次への動作は、それぞれ全部が区切られて、確実に前に進んでゆく、その行動の時、その行動しか出来ない。完了してから確実に次に移る。そしてそのまま、ジッと〈今〉は確実に〈今〉、ただそれが色々に変わって行く。捕らまえ処がないが確かに〈今〉だけだ。
この様子が心地よく、ついでに掃除に移る。
この動作が重大な意味を持っている、とは、この時知るよしもなかった。坐禅が重なるうちに(あれはこの事か)と感じ始めるがこれは暫く後の事である。

ともあれ掃除を始めた。「只掃く」どうもこの言葉には引っ掛かるが、ほうきの先を降ろした所から一直線に只運ぶ、区切りの場所まで来たら確実にそれを確認出来てほうきの先は又別の場所に降ろされる。降ろす瞬間から終る瞬間迄確実に見届けるには一寸骨が折れたが、今朝は何とかスムーズに出来る。
(しめしめ・・・・(関係無い!)と払い退ける回数が減るわい)出てくる雑念が、ほうきの先に吸い取られるのか、手の動きに心がほれてボーッとしているのか、頭が起きていないのか、何れにしても余り出て来ない。

朝食後坐禅堂に入る。
一歩、一歩中央に進む。坐布を構えてどっかと坐る。
(うん、なかなか様になって来たな)しきりに感心している。詰まらぬ所に感心していたものだ。

朝食後の坐禅は、呼吸にも手を回し(関係無い!)の合言葉にも、お世話になりながらこれが坐禅らしい坐禅かな、と曲りなりにも出来た。やはり飛び出して来る妄想はあるが(関係無い!)で処理してしまえばと思うと気が楽になった。
足の痛さは私をやはり迷わせる「痛い、痛い、いつまで続ければけりがつく?」

方丈が入って来られたのは、足を投出して休息に入った途端である。誰も来ないと思っていた時だけにいささか慌てた。動転した。なぜその様な気持ちになったのか分からぬが、優等生に見られたい為には、坐禅をしないでいる姿が恥ずかしかったのだろう。人の前と人の居ない時との頭の作用は大分掛け離れて居るようである。
方丈は、私のすぐ前に来られて、やおら坐禅の姿を示されながら、
「坐禅に入ってすぐはなかなか妄想拡散は治まらぬ。
心に認めてひっつく処から問題が起きる。離れて無視する力がなければ道は見えぬ。その為に今ばかりになる。一呼吸に成り切る。この努力が修行よ!」と続く、
「一番良いのは妄想の出る前、出ても捕りつく手前に居れば良い。そうすると、出ても自ずから消滅し、出る瞬間が分かる。
今ばかりで連続しない処だから、ただ一呼吸が出来るし、ただ坐禅が出来る。」
と言われるやいなや、目の前で一枚岩の如く坐禅に入られた。
「はい、やってみます。」
とは言ったもののザラザラ誰かの歩く音、風が裏山のこだちを動かしている音・・・・何げなしに入って来る。それに集中するが、すこし息を抜くと途端にその中身を連想し始める。
(関係無い!)又この力を借りてしまったか。

夢うつつ

「只坐禅する。只とは自然である。故に自然に解決するものがある。坐禅を通して「只、自然」に帰納し、自己の本性を徹見していくのだ・・・・」と方丈の声がする。
「坐禅そのものに偉大な力がある。
坐禅の時は只坐禅する、つまり安住する力。
何もかも捨ててしまって、それにまかせる力、即ち成り切る力。
そのもの自体、坐禅自体は大自然である、つまり大自然に目覚めさせてくれる力。
これが禅よ! その物と同化して自己無き事を体得する。先ずそのことを信じて疑わない力が道を明らかにさせるのだ。
坐禅の根本は単である、これが偉大な力なのだ。坐禅そのものの時、それを手に入れようとする打算や成り切る事をしてやろうなどという気持ちを働かしてはならない。
疑いの心が有ってはならない、この疑いを捨てて只ひたすら坐禅する。
一枚の坐布があればよい。
坐禅してその力を自分のものにしよう、と思っておられるそこの御仁! そんなものを引っ提げて坐禅する。でしょ? これが求める打算と二人づれ、とは言う。
その様なものが有ったら決してそのものに徹する事は出来ぬ。
只坐禅する。これだけに安心出来ない人々が、妄想をこねまわし(こんなことで果たしてよいのか何とかしてやろう)と相成る。
何も求めず、只坐禅する。
この勇気、この努力が道を得させてくれるのだ。
この勇気こそが、努力こそが、坐禅によって救われる道の最短距離であり、真実の事柄を見出しうる力なのだ。疑わず、素直に、あるがままに行動する力、この力が、真実を見失うことなく進むのに必要なのである。・・・・」
と言われたような方丈の話は、私に本物を食べさせたい一心である。
私自身が、坐禅するということに、理屈、打算、疑い、の心があってはならない事を、体全体に充満させたのはずっと後、坐禅の時が毎日毎日と経過してからである。
とにもかくにも坐禅する為に決意して必死の思いで来たのであるが、理屈、打算と二人づれでやって来て寝起きするのはこの同志、むげに突き放すわけにもいかず、と言って別々に坐るわけにもゆかず(さて、どうしたものか・・・・)方丈は、
「突き放して殺してしまえ!」と、おっしゃるが長年付き合って来た深い仲。なかなか離れてはくれぬこの辛さ。とにもかくにも、この坐禅の大切な本質を知らずにいるのだから、知らないと言うことは恐ろしい。

(知らなかった!)坐禅だ。とにかく坐禅することだ。と言われるが、只坐禅するその真意味を。
(知らなかった!)只坐禅することにこれほどの勇気と努力がいることも。
(知らなかった!)この坐禅は、一般に言われる常識、通念の範囲内では考えられぬ真理の存在することも。
(知らなかった!)坐禅は、生活の中に雑念妄想が出て来ても、それに囚われない力が備わるような偉大な力が存在することも。第一私達衆生は、妄想などと意識する生活の経験もゆとりもない。悩みながら悩みに振り回されて生活してきた。
極自然に眺めれば・・・・〈今〉〈今〉〈今〉を追いかけて、飛び交う妄想払うのに、冷汗流しっぱなしのこの「参禅記録」。はたまたこれも妄想か?

そうこうするうちに、久方振りに庭に出ることを許された。砂の庭に出てほうきを持つ。
「只、はけばよろしい。」この言葉、何とはなしに引っ掛かる。
(きれいにするということを考えずにほうきを動かせばよいのかな?)
(いずれにしても隅から隅までほうきを運ぶことをしよう)
(筋目をきれいに入れよう)考えは纏まって。ほうきを動かすが頭の知的作用は、
(こんな掃きかたでよいのかな)
(ここから始まってと、ここで終ってと)
(うん奇麗に筋目がついた。気持ちがよいな)
(只掃けばよい)
(一体どうすりゃいいのだ)
とまあこんな具合に活発に活動する。
しかし、ほうきの先は私が動かす手の方向へきちんとついて来る、筋目もきれいについて来る、その穂先の動いている先端に目をやると、小さな砂がサラサラと移動している。全部違った形で移動する。そこには何の理屈も、何の意味も、何の目的も存在なしに、小さな小さな砂の一つ一つがほうきの先に押されてあるいは飛びあるいは隣へ移動する。
その小さな砂の移動の事実のみが地球全体の出来事のようでもある、あたかも十トン車くらいの岩がゴロリ、ゴロリと移動するが如く、何はともあれ(ここから始まってと)、サラサラ、(ここで終って次ぎ)、サラサラ。
大雑把に始めと終りのけじめがつく、が中間の単純な動きには自信がない、次第に筋目の量は庭全体に広がり、
(ああ庭らしくなった庭掃除終り)何だかあっけなく終った。
(今、どれ程の事をしたのかな? と心に問うて見たが、これこれをした! という実在感がない。今や、始めもなく終りもない一掃一掃が、「今一瞬一瞬の具現」であるということ、手に伝わる今の感覚、感触であること、それそのものしかない今の実体であること、
「ゆっくりと、まだゆっくりと掃きなさい。」
方丈の説法はそれを深く自分のものにする、それに成り切る、事実に任せる、等の意味であったのだろうが良く分からずにこれ等は(腹が減ったな)の一妄想で何処かへ吹き飛んでしまった。

昼食が終り、私は外へ出たいばかりに、白壁の外にある畠の草取りを申し出た。いや、むしろ研修会等にあるところの猛烈なシゴキの修行、というものがないので修行らしくないと考えたのかもしれない。戸外に出て太陽の光を浴びながら庭を横切る。
(今とは何ぞや! 今とは! 今とは! どうもすっきりしないな)
(分かるのは、分かった様だけどあの坐禅中の〈今〉をどう表現すれば良いのだろう)試験の答案用紙に向かって何も書けない時の、あの気分である。時間がたっぷりある時はまだよいが、だんだんと時間が無くなって来た時のあれである。

草取りを始めるべく畠に立った。思ったより沢山の雑草が大小入り交じって私の目に飛込んでくる。遠くでみた時の草の量はたいした量とも思えなかったが照り返す熱気の中にへばりついて生えている草を手で触り始めた時、その量の多さと雑然と入り交じっている様子に驚いた。草取りの経験がないわけではないがいささか考えものだ。
(言ってはみたものの、こりゃ大変だぞ)ついに私はそこへ座り込んで長期戦の構えに入った。最初の草の頭をつまんで
(何れにしても〈今〉を、〈今〉とは何ぞや)

ついに私は〈今〉というお題目に取りつかれた男の様に草を抜く。一本の小さな草の根元を握って「今」と言っては抜き取る。思ったより素直に根っ子は地表に現れた。その一瞬それに見入った、その一瞬には何の感覚もなかったが次第に感覚的に(小さな根っ子だな)と思いをはせる。
瞬間次に移る、大きな草を握って「今」と言っては抜きかけて(おっと、これはなかなかしぶといぞ)「今」「今」三度目の「今」でやっと地中から根を出す。この根は大きかったが〈今〉は一瞬であった。
時には十本、二十本と「今」をまとめて面倒みようとしてみたが土が固くへばりついていて〈今〉に時間がかかる、やはり一本握って「今」の方がすっきりしているので、その様にした。

汗がポタポタと地表に吸込まれる。顔を流れる汗がわかる。人間真剣に物事に取り組むと面白い。一心不乱に今の一本、今の一本に取組んでいると(何本抜いたかな?)の過去がない。今の一本に汗を流す。そして(あと何本残っているかな?)の未来がない。今の一本に汗を流す。
夢中になるとはよく言ったもので、夢の中にいると過去がない、未来がない。〈今〉が〈今〉がで、気がつくとそれが出来ている。いつ時間が過ぎたのか知らぬまに。
学生も社会人も正道に夢中になると成功するとはこのことか!

事実の今

時間がどれくらい経過したのか見当もつかぬが、そのあたりの草は私の手で地上に根をさらけ出して山となって横たわっている。畠が緑から土の色に変化したのに半ば満足して本堂の方へ帰る。本堂前で作務をしておられた方丈の横に立って何を聞くでもなく見ていると、

「何本抜かれましたかな?」方丈の質問が矢庭に飛んで来る。
「数えきれません。」こう答えて気がついた。
方丈の眼光がキラリとしたようでもあり、又ギョロリの様でもある。こんな時は、あまり正解でない証拠だ。この手の質問には弱い、以来ずっと弱かった。大体学校の試験では、教科書の何ページから何ページまでと範囲が決まっていたものだ。習った事だけ解答用紙に書くのであるが、今はそうはゆかぬ。

「今何本抜かれましたかな?」再度方丈にこう言われて(なるほど!)と少し分かって来た。「今」と一本ずつ抜いて来たあの感触が身を包む。ついさっき抜いていたあの実感が、何もしていない今、鮮やかに蘇っていた。そしてそれが大変立体的なので驚いた!

「今の時は一本しか抜きませんでした。」
「それでよろしい、今その事一つしか無い、一本しかあり得ない。それに全精力を投入すること。」

方丈とお話をしていると、その実感が訳もなく体に伝わって来て、理解ではなく自然に良く分かるものがあった。この分かるとは、「何の意味も無く只の事実に過ぎない」という事、自分の中で問題を勝手に作っていたもう一人の自分が消えて、急に静まった感じである。
お堂の前での夕暮れは又格別であった。

夕陽が山蔭に沈みかけた庭先、方丈の説法を聞いていてふと気がついた事だが、方丈の話が全部聞ける。初日に方丈にお会いした時は、話を聞いていると同時に雑念と言うか、妄想と言うか自分の考え方がどうしても出て来て心を騒がせていた。
例えばこうだ。今の説法等聞いている時(そうだ、これは人に話す材料になる。よく聞いておかなければ、等々)即ちいらぬ事が飛出して来て頭の中で動き回ったものだ。だからその分だけ聞いていないことになるし、聞きながら自分の話を組立る。つまり以前からの知識が出て来て(今言っておられることはやはりこの事か、今までこの件についてはこうして来た、立派でしょう。どうです!)そんなことが言いたくて、話が終るのを今か今かと待っていた。
待っているのと、聞いているのとは本質的に違う。今はそうではない。頭の中にそれらが出て来ないから不思議だ。滅多に味合うことの出来ない落ち着きに気が付いたのはその時であった。
とにかく方丈の言葉だけが入って来る。素直に聞くことが出来るのである。話を聞きながら頭の中に突然沸いて来る厄介な代物、これが今は何処かに消えている。

(これは楽だ。聞く時は只聞くだけでよい訳だ。安心して聞ける)聞く時に批判も評価も起こって来ないで聞ける。
(おや? 只聞ける! 何も頭の中にない状態で聞ける。考えをはさまないで聞ける)
(これはいい)方丈と別れてお堂に帰る。

お堂で庭に向かって足を投出し、大の字になっていると方丈が入って来られた。足を投げ出すと方丈がスーッと現れる。大の字になっていると又スーッと方丈は現れる。お見通しの様な気もするが、投げ出す足と、方丈と、余ほど相性が良くないとこうもゆくまい。
「人間もそうだが動物も、その身体自体が作用を起こすものだ。休養が必要な時は自然に身体が横になる。睡眠が必要な時には、立っていても自然に睡眠を取るような仕組みになっている。本当に必要な時は、そのものそれが教えてくれる。」
方丈の話は理屈でないので只聞けば腹によくこたえる。
(成る程、疲れたなともの思うのは不要で、こりゃ妄想か!)
(まだ眠たいと思うのも、これ妄想の分身か!)と理屈をこねはじめると分からなくなる。
(妄想を切り捨てれば身体が自然に横になるまで起きていられるわけか!)
勝手なことに頭が走る。しかし、自分の満足だけに腰掛けている訳にはゆかぬ。時折々の方丈の質問は心臓をえぐる。私の前にどんと座り込まれた方丈は、
「ところで歩くとは何ぞや!」
答えを出さねば飲み込まれそうな見幕である。分かりません、とは小学生でも言うまいて、何とか言わねば男がたたぬ。
「両の足を交互に前へ出す事。」
「違う!」
「片方の足が地から離れて前へ出る。」
「違う!」
とっさに答えを出さねばならず、頭の中でいくら考えても出て来る答えの質は、出来が良くないらしい。方丈は、
「さあ! さあ! 歩くとは何ぞ!」
と勢いが、ますます強くなる。私は正解を出さなくては、と焦るが、ますます分からなくなる。一体どうすればよいのだ。泣きたい心境である。知っている総ての言葉を並べて又食い下がる。
「理屈は百万遍並べても理屈だ! 因果の事実そのものそれでは無い!」
と方丈の言葉に励まされ少し落着いて来た。全体の様子が分かり始めてきたところで。
(こりゃ説明しても駄目だ! もう方法はないな、でも!)
「手の動きはこの様に。」手を動かされる方丈を見ていたが、
「歩くとは一体どう言うことなのだ!」と方丈に詰め寄られると心が何かに追い立てられる様な衝動で私はもぞもぞと立上がり、足を動かし、歩いた。
「それよ、それが歩くと言うものよ! 理屈があるか?」
確かに身体に伝わって来る。歩くという実感である。
(しかし人に伝える為にはどうする。説明しても、その本物を表現することが出来ないとすれば、理屈じゃなしにそのものそれを目の前に付きつけるより他に手はなかろう。これ程確かに説明出来る方法はないかも知れぬ)
今何か大切なものを手に入れた様な満足感が湧いて来る。
そのものそれが離れているような、そこが割り切れぬ感じがした。

方丈が部屋を出ていかれ暗くなったお堂に、ぺたんと座り放心した様でもあり、興奮さめやらずという風でもあり、何とも言えぬ気持ちである。決して悪い気持ちでは無い。ただ、小積氏の言っている完成された〈今〉の世界と言うものが、なお自分に確認出来ない空虚さがある。全体美しくも何ともない。でも、この空虚さは空しさとは全く別で、感情の消えたしらけと、凍り付く程の静けさと、納得の無い了解、何とも言い表わせないやたら深い静けさだ。「おお! これか!」がないというだけである。
(〈今〉が全然納得出来ないぞ、部分的には方丈とお話が出来る様になったけれど、これは大変だ! 何時までたっても言われていた美しい世界など来そうもない!)
(何かが掴めると思っていたがそう簡単に掴めない、永久に掴めないかも)と思い始めると、
(俺は何とつまらない人間なのだ! 未だに何も分からないではないか! 何とかならないのか!)
と焦燥感に似たものが背筋を走る。どう考えても考えの範囲内では解決つかぬまま(今、今か)動かすとも無く動いている指先を眺め乍ら、ふとその指先を目の前に持って来た。
不思議な新鮮さであった。
(先程まで草の根を摘まんでいた指だな)少し黒くなっているが、確かに自分の指である。妙に親しく見えるのだ。
(目の前にあるこれも同じものだ)
(今ここにある指が今の指だな)精神的な距離惑がなくなったのではないか、と感じた。
(では畠にいた時の指は畠にはもうない。しかしその時は確かにそこにあった)

私はそっと、指を目から一番遠くへ離した。ゆっくり離れて行く線の動きがはっきり、とてもはっきり体に感じて、動きの大きな実感だけがそこにあった。
腕の長さより先へは離すことが出来なかった。が、その場所でやはり指は存在していた。しかし目の前の指はもうそこにない、という確実な実感が全身を襲っていた。

(「無い!」といい実感こそ「有る!」という本当の実在感なのかも!)
(〈今〉とは、確かに有るという実在感、その本元になる「一瞬一瞬の事実」、そしてそれは一瞬以前も一瞬以後も「確かに無い、これしか無い」、という確信的実感とぴったし一つなのかも)
(これなのか! 本当の今は!)
(今の現実は、ここにしかない! この今の現実に成り切れば良い!)
(理屈ではない! 本物の存在〈今〉が此にある!)
(分かったぞ!)

腰にそっと手を当ててみる、そこに腰があった。先程まで畠に存在していた腰が〈今〉此に存在している。よく味わう〈今〉の存在、疑う余地もない現実とその確かな実感に浸り切れる〈今〉だけがある。明日はこの腰どこに存在するか見当もつかぬが、その様なことはどうでもよかった。〈今〉確かにあるこの腰、この場所で。(これが〈今〉の本物だ!)
一瞬、静まり切っていた心が、カメラのフラッシュのように強烈に明るく輝いた。

「方丈! 〈今〉が見つかりました!」お堂を出て隣の本堂の先生の所へ走り込んだのはその時だ。
「見つかったかね、それは良かった。」といわれた方丈は、
「手を出してごらん。」と、私は手の平を出した。
「裏がえしてごらん。」
ひょいと私は出していた手の平を、ひっくりかえし手の甲を向けた。不思議に理屈の無いままであった。何の為に、が無かった。心は踊っていた。(あれでも違うかも?)という期待外れの落胆をも予期していたからだ。手の甲から目を、師に移した途端、
「ピシャ!」と方丈の手が私の手の甲を叩く音がして、同時に手の甲を見た。
「ビタン!」と顔の一部でまた音がした。手の感覚と顔の感覚が同時に「痛い」、これも理由なしにスッキリしていた。どうやら褒められて叩かれた様子でもない、が叱られたふうでもない。何かが抜けていたのだろうか? それとも別な事を試されたのだろうか?
〈今〉が納得出来たばかりの私には、手の甲と私の報告したい〈今〉と、関連があるのか無いのか見当がつかない。

方丈と離れ外に出た。
あの騒々しい心が水を打ったように静まり、「見る」という感覚作用が直覚的に働き妨げている者は何も無かった。
やたら美しいものばかりに見える。ただただ不思議だった。
ふと気がつくと奥様が横におられた、「きれいなお月様ですね」と言われてふと見ると月が出ていた。お堂の上になにげなしにある月は丸く奇麗であった。「本当にきれいですね」その月だけしかその時の私にはなかった。奥様の心遣いであったこと、今気がついた三年過ぎて!
とにもかくにもその手の甲を抱えてお堂に帰ったのは夜空の美しさにしばらくしばらく浸った後であった。
間もなくして、小積氏と一緒にお堂に来られた先生は、手にコップを持っておられ小積氏の手には一升瓶がぶらさがっていた、しかも二本も。そう言えば毎日飲んでいた酒、久しぶりに会う気持ちがする。(タバコも新聞もお目にかかっていなかったな)

「お目出度う。」
「お目出産う。今がわかればもうしめたもの。あとは練るだけ。」
何だか褒められたような、仕上がったような気持ちである。中身の方はお世辞にも仕上がったとは思えないが、物を言わなければ普通の人には出来上がったと映る。方丈には通じないが。いらん事を言って、「何だ! そんな程度のものか?」と言われるより、黙っていて自分で練っていた方が双方好しと言うことになるか!
「有難うございます。」
小積氏の心から出るお目出度うは、酒の味と共に暖かくも味わい深いものであった。二三盃も重ねるうちに、
「これ何ぞ?」と先生は指を一本出される。一瞬にして空気は凍り付く。
この(何ぞ?)には出て来る度に常に新しい恐怖を感じていたが、今はあまりそれを感じない、不思議に心が騒がないのだ。しかし未だに心地よい音だとは思わない。
小積氏ニコッと笑う、私は、
「指でしょう。」と言いかけてハッとした。(説明や理屈ではないぞ!)(答えとしてどう表現する?)(間違っているかな?)(そんな筈はない! これそのものだ!)と思いながら私の持っている指を一本出した。

「そうだ!」
「これはこれでしかない、そのものよ。」と言われながら
「それではこの指を握ってごらん。」
私は方丈の一本を握ろうとした、が、すでにその指は折りたたまれてそこにはない。(さて、この先どうしよう?)柔らかいが師の真剣な目が、私のみならす奥様や小積氏、いわばこの禅堂まるごとメラメラとした妖気に押しつぶされる程になって息を殺した。言うまでもなく頭の知的作用の活動が始まる。もういけない。(今を見つけたがさっぱり役に立たない)と思っているとゴツンと頭にげんこつが来た。げんこつの痛みより、明らかにたったこれだけの事で迷う自分の無力さに胸は痛んだ。

正解を出そうとする妄想の虜になってしまっている自分、そのものそれに成っていなかったのが今わかる。「何も無い只のそれだけ」だったのに、(何かな?)と考え(どうしようか?)と思いを回転させて迷いや躊躇を引き起こしていく。それだけその事実からはずれるし見えなくなってしまう。
方丈はそれを教えようとされたのであった。その時はまだ分からなかった。
新しい「何ぞ!」が出る度に緊張する為か、全部分かりたいと言う急ぐ気持ちが時々出て来る。しかし、本当に分からなければ(体で納得しなければ)その都度の「何ぞ?」に振り回される。だから「分からん時には、分からんと知る」だけで良い、とあきらめた。どうしようもないのだから、心を乱さず、ぼつぼつでも本物を見つけてゆこう。
あとは「只寝る」をきめこんだ。三日目も終る。

風呂

今朝の朝食は只食ベるときめこんで席につく、最初のように色々な頭の作用が出なくなったようにも思うがやはり状況に応じて現れる。
(昨夜は少し飲み過ぎた様だ。久しぶりの酒だったからうまかったな。ついでに今日からタバコも吸いたいが、ちょっとまだまずいだろう、修行中、修行中、第一方丈が許してくれる訳がない)
(今朝の御飯すこし多過ぎる感じだが、残すといけないだろうか、やはり全部きれいに食べなければ、これも修行、修行)
とぎれとぎれに出るこれらの妄想の前には、「只食ベる」と言うことがなんと難しいものよ。(只食べる)(只食ベる)と強要していても何時のまにか頭は遊ぶ手は遊ぶ、それなりに放任していると妄想の世界を楽しみながら食物が自動的に入っているようなもので、食事という作業本来の動きが抜けてる、抜けてる、味も、味わいも、何もかも。

昨夜のあの深い静けさと、〈今〉の実感はどこヘ行ってしまったのだ!
もうすこしでみそ汁のおワンをひっくりかえすところであった。引っ掛けぐあいが弱かったのでかろうじて難を免れた。(あぶない)(あぶない)

「今度は只食ベよう。食べる事の今に成り切ろう」と手の動き、箸の動きにも細心の注意を注いだ。
ようやくのことで悪戦苦闘ともいうベき朝食も「ごちそう様」とはなったが、なるほど世間で「箸の上げ下ろしまでとやかく言われる」と嘆く人にも出くわすが、分かる気がする。
しかし、修行となると、そんなものではすまないところが、また分かる。
坐禅堂に入り、「ひたすら坐禅に!」と大いに気張る。
坐禅を初めてどれくらい経ったただろうか? 当然の事ながら雑念のパズルが始まる。
(禅とは一体何であろうか?)
(禅の本でも読んで何か早く見つけ出そうか?)あせりのようなものがこみ上げてくる。

「ガラガラ、ガラガラ、ガラガラ」
(おや? 人が来られたらしいが・・・・)賽銭箱の横で坐禅している私には、気にするなといわれてもそうもいかない。お年よりの女の人が二人、私の視線の中に入ってくる。さすがにお喋りの声はないが、あちらゴソゴソ、こちらゴソゴソ、おまけに賽銭箱へ「ゴロゴロ、チャリン」と二人分。
(あれは百円玉か?)もういけない、妄想の中にまっしぐら。
昨日の成果、〈今〉はどうした? 聞く今はどうした?
(ここの本尊様はお薬師さん、山陰は松江の近くに一畑薬師というのがある。そこの系列と聞いているが、一体何をお願いしているのだろうか、いや何に効く本尊様かな?)
次第につりこまれるのが分かるが、妄想を切り捨てることを忘れ、自由に放任しているとこのざまである。
(松江は良いとこお城はあるし、落着いたらもう一度訪れてみたい、できれば家族を連れて・・・・)気がつくと二人の姿は消えてなくなっている。
「ガラ、ガラ、ガラ、ガラ」障子の音と共に消えてゆく、この障子も取り替えなければうるさくてどうしようもない! (後日ここで坐ったものが中心に成って静かなサッシに取り替えた。)

「只坐禅をする、只聞く、ただ歩く」と「只食事をする」というのとあまり変らない様であるが、全く違う様に思われる。総てがなんだか接近し、それぞれの違いが問題ではないような気がする。なかなか難かしい。
食事の時はそれを見詰めて一つ一つ順番に、「確かに、それ一心」に食べれば良いが、坐禅の時は順番がない。目の前に何も無い。どれから手をつけるという術も無い。かといって身体にこたえる反応も無い。ごちそうさま、と言う具体的な結末も無い。それに使用する道具もない。ましてや進行の速度もなければ、奇麗おいしいの感覚も無い。
だから「只坐禅する」と、「只食事する」と、雲泥の差の様に思えるが、「只」が付けば似たようなものでもあろう。
「何はともあれ坐禅しよう」とこうなるが、坐禅は禅の理屈が分からなくとも誰でも出来るものである、と同時に禅の理屈が分かっても難しいものであろう。分かってもそれは禅ではないだろう。
「只の世界の体得」の筈だから。
「只坐禅しなさい。」で始まって
「今を参究して、」で息を殺し
「これ何ぞ?」に出会い、考えあぐね
「歩くとは何ぞ?」で頭を抱え
「只食ベる。」で腹は膨れる
「あの音何ぞ?」で疲れはて
ああ! 我が友よ! 「只寝る」をきめつける。
坐禅を続ける内に出会う新しい世界、私は「只続ける」ことを実行することによって、私の求める信念、筋の通った自信が生れて来るということに、全く疑問を感ずることが無くなった。ところが、無くなった途端に心の広がりというか、心の視野が一遍に大きく成ったのには少し驚いた。
心は何というか疑問があると、その拘束を受けてテレビの画面が変わるように即所それにパッと切り変わらない、疑問の心自体が自由自在の心に背を向けて、自分から孤独にしてしまうような気がするのだ。疑問が取れてみて、心の軽さと自由さが大変心地良いものだと分かってきた。

「風呂が新しく出来たので一風呂浴びますか。」との方丈の言葉に私は喜んで付いて行った。確かに風呂として、二つ在るはずのドアがもう一つあれば完成品だろう。しかし底抜けに明るい風呂場である。湯舟も大きい。出来上がったばかりの大きな風呂に午後三時の太陽が差込めば暗いはずがない。方丈と二人、裸の付きあい、飾り物は何もない平和そのもの。
「いい湯だな、はははん」と歌いたくなるような雰囲気であるが、そうもいかない。修行中なので何が飛出してくるか分かったものではない。構えるわけではないがそれに似たような、身体がほてってくる感じ・・・・直感的に何か来るなと感じた瞬間はたして来た。

「今の仏法とは何ぞ!」
「何ぞ!、何ぞ!、、何ぞ!」この何ぞ!は見るのも恐い。この何ぞ!が姿でも現したら足でふみつけて、ずたずたにしてやりたい!
〈今〉これは分かる。片手がタオルを握っている現在の様子、流れのその瞬間のそれしかない絶対な事実、解答が出なくて混乱している頭、その横正面に迫っている大きな目玉、色々実感としてそこにある。全体がそうであることが分かる。
しかし〈今〉は、じっとしていない、が事実の連続、これが〈今〉であることも道理として当たり前に良く分かっている。しかしである、これは良いとして〈仏法〉をひっつけられると「仏法とは何だ」となる。仏法なぞ今の今まで習ったことも無い。
(さて困ったぞ!)しかしそうもしていられない。
タオルを握った手をヌーッと差し出した。「〈今〉が真実であるなら、真実の法こそ「仏法」である筈。〈今〉はこれ! これしか無い!」とっさにそう思ったからである。

「仏法と言っても、現成とか実体と言っても、真実それ自体と言っても、言葉が違うだけで皆一つこと、言葉に惑わされないでその事実自体に、余念無しに成り切ることですよ。成り切った絶対な証が有る。これを「悟り」という。自分の心をはっきりさせたところだ・・・・」

(成る程!)、理屈屋の私の本性を自分で見極め発見した深い味わいを覚えた。
(ははん! どうあっても〈今〉たったその事だけ! 自分を捨てる、超越するとはこの事か! これを「無我」というのか!)
(いいぞ! いいぞ! 心を空にして、見っぱなし、聞きっぱなしのその瞬間は、それ自体に成っていて、その時は外に取り上げる自分なんて何も無いんだ!)
(とすると、初めから本当は「無我」じゃないか! それでいいのかな?)
自信とは言わないが、迷いの無い明朗な静けさが深まって行くのを覚えた。

「世の中理屈が多過ぎますな。」と先生は湯舟のなかで頭を手でツルリと、しごくのんびりとした動き。これにつられてしまって、
「確かにそうですね、あの湯本氏もそうとうな理屈屋で!」と言った途端に頭にゲンコツが飛んできた。
(そうか、忽ち妄想が遊び出だしたか! 人のことなど考えながら話をして喜んでいる暇なぞあろうか! それにしても何時もながら妄想の素早いこと!)と全く感心する。

風呂から出てお堂の縁側に出る。夕方までには少し間があるので外の景色は明るく輝いている。
(おや? 何ときれいな景色なのだろう!)
自然とその中に引き込まれそうな感じの景色。島がある。一つ一つの島がいくつもいくつも海の中にある。雲もその上に広がって空に絵を画いている。海岸から山の手まで続く町並みは、箱庭のように美しく絵に画いたようにじっとしている。只それを眺める。
(これだ! これだ!)それらのものは理屈抜きに美しく、実感として身体に浸透してくる。この時、何の妄想も思考も感情も無く、考えられる一切の頭の中の知的作用は無くなっていた。
(只見える! 確かに!・・・・)「只見ることの絶対性」ということがようやくはっきりしたのだ。それは全く比較が無く、「只それだけ」の無限性と言ってもいいだろう。
初日に此に立って眺めた風景もこれと同じものであったろう。しかし同じ見るにしてもその時、頭の中にお荷物を一杯いっぱい抱えて眺めた風景とは今は何だか全く違うから驚きであった。
小積氏の言うところの、「今が美しく輝いている」のがよく分かる。
(これがどのように味わえるのかな?)(目の前に見えるのが大久野島、確か国民宿舎がある島)(その向こうがもう四国、いや四国は見えないはずだ)(魚のよく釣れる海として名高い場所は目の前にあるのがそうかな?)(今釣れる魚はタイかな? ヒラメか? 思ったように釣れる訳が無いわ!)これだけ色々な事を考えながら物を見ていた。だから鮮度が落ちていたのもうなずけるというもの。

風呂あがりに(只見る)で外を眺めていると方丈が入って来られた。
どうも坐禅をしていない時に限って方丈が現れる。たまには熱心に坐禅している姿も見てほしいものだ。縁側の横に二人は座りこんだと同時に、
「あの音は何の音かね?」言葉は優しいが、内容はちっとも易しくない。
方丈の言われるあの音とは、お祭りの為の練習でもしているのだろうか先日来聞こえている太鼓の音。夕方になると「ドドーン、ドンドン」「ドンドン、ドドーン」。別に頭が痛くなるほどのものでもないが、毎日毎日妄想の材料になるのには閉口していたものだ。その印象も手伝って、
「太鼓の音です。」とやってしまった。
(違った!)と直感したが即座に、考えをこねまわさず、解答を探さず、即答したことに満足した。
言ってしまった言葉は取り返しがつかない、消しゴムでゴシゴシやって改めることも出来ない。しかし方丈は身体の中にうけ止めていないから、どこかに消えてしまっているのだろう。

「ただ聞いてごらん、あの音を。あの音は何の音かね。」
その場での実感としてのあの音は「ドドーン、ドンドン」であり大きな太鼓か、小さな太鼓か、はたまたつづみか知る由もないが、その音はまさしく「ドドーン、ドンドン」である。これは本当である。
「歩くとは何ぞ」の質問も「あなたにとって今の瞬間歩くの外に何を意味するぞ」に置き換えて見れば、「今一瞬歩くに成り切ってみよ! その事の外に何が有るか! 何も無いだろう!」と言われているのだろう。歩くに成り切れば良い、雑念無しに。
であれば「あの音は何の音かね」は「あなたにとって今の一瞬あの音はどう響いているか」であり、置き換えてみれば「今あの音に成り切っているか? 聞こえる音以外に何か有るか、どうだ!」との質問でもあろう。
「今に成り切る。」これも、今の一瞬の出来事に雑念なしに成り切れる修行が何処まで進んでいるかの問題であろう。音に成り切る時、「ドンドン」はまぎれもなく「ドンドン」でしかない。時節を何年か経過し、ようやくここらあたりが分かってきた。やはり坐禅による力は大きい。坐禅を続けていて良かったと思う昨今である。
この時、「太鼓の音です」と言った次の瞬間に「ドンドン、ドドンコ、ドンドンドン」だったと直ぐに分かった事は分かっていた。
さて今日も「只寝る」を実践するとするか! 私にはこれが一番性に合っているようである。

得物

それから丸二日が経過した。
小積氏が坐禅をしておられる、この姿に気が付いたのは目が覚めたと同時である。私のそばで外の人の坐禅姿を見たのはこれが始めてであるが、寝起きに寝床の横で人が坐禅しているのであるから驚いたの何の。
今までこのお堂、私―人が借り切って自由にしていたようなものであるから、何事も修行として、ようやく自分一人の世界だけは統制がとれるようになってきた矢先である。人と人との社会的融合という事を一切離れての生活であっただけに驚いただけでは済まされない、少々あわてた。夜具を片付けるのもそうそうに坐禅に入ったが、
(先輩に挨拶をしなくてもよいのだろうか?)ふと頭をよぎる。
(それにしても横に人がいて夜具を畳んだり、立ったり、座ったりするのが気にならないのかな?)
「今の事実に成り切ろう、坐禅に成り切ろう」とする坐禅であれば、自分に対する厳しさは必要だろう。その真剣さは坐禅する人には共通したものがある。
一瞬の妨げが成り切ろうとする一本筋の糸にハサミを入れるようなものである。切れた糸の空間は時として永遠につながらない事がある。その真剣さは二度と蘇らない場合だってある。
(挨拶は抜きにしよう、坐禅中そんな暇はない!)

あれから一時間位か、微動だにしなかった小積氏が動いたと思ったら、
「それでは会社がありますので失礼します。」
あっと言うまに消えてしまった。午前六時四十分、こうなると時間なんて有っても無くても同じこと。考えてみれば方丈の元で一緒に過ごす時は、「余念なしに今の事実、今のみ」という安定したものがそこにある。「言われる通りについてゆき、言われる通りに実行する事実が人間本来の生き方を示されている」からだろう。
生き方と言っても別に生きている生きていると思って生活する人はない、思わなくともすでに活動している諸々の行動は自然体の中で自然の動きであろう。この「ごく自然の動きのみに専念出来る」指導者の元での生活であったと言えよう。そして今までのここでの生活がごく自然に出来るようになったのも、対人関係の無い世界に入り、対人関係の中にある世間体、恨みつらみにやっかみねたみ、理屈打算に、裏切り物欲しい、そんなもののない本物の人生を師に教わったからに他ならない。

これら妄想の一切ない世界をここで坐禅することにより実際に味わったことである。この状態でいることは自分にとって非常に自然であり安らぎであると言うことも味わった。これがずっとずっと続けられれば私は嬉しい。
しかし対人関係は、世間に出ればつきものである、いやでもついてくる。この対人関係を嫌って生活しようとすれば、私はこの海蔵寺のお堂で一生過ごさねばなるまい。ところが世間の真っただ中に置いて来た妻や子が居る限りこれは出来ない相談だ。まして私の職業が対人関係の一番多い営業関係の仕事である限りそれから逃げるわけにもゆかない。が、である。この自然であり安らぎであるところの感覚、実践は私にとって必要である。
体験して知った以上は私の信条であり財産である、と思っている。
「今に成り切る、坐禅に成り切る」この教えを守れば、この財産を無くすことなく世間で活動出来る、と確信出来た。

「今に成り切る」とは大問題であるが、順序よく師は教えて下さった。
「今とは何か?」坐禅により体得すべく坐禅させてもらった。
「今とは何か?」「只掃くこと」「歩くとは何ぞ! それは只歩くこと」で今の現実を事実の今として体得すべく、手とり足とり引張ってきて戴いた。
「今に成り切る方法は?」それは「今現実の音のみに成るべく全精魂をそれに集中する事」何度も何度も、何時間も何時間も実地にそれを行い味わいを見せて戴いた。
そして今、〈今〉しかない〈今〉に対する時、「雑念、妄想」が今を狂わせているという事実をまのあたりに見せて戴いた。〈今〉に本気になっていない時がいかに多いかも実際に見せてもらった。
この様な時の経過が私に生き方に対する確信と言う財産をもたらした。そうすれば後は、世間での活動でこの〈今〉を「今に成り切ること」を実践さえすれば、世間体を作るとか、恨みつらみに、やっかみねたみ、理屈打算に、裏切り物欲、等等等から解放される。
この財産失うまいぞ!

説得

昼前になると本堂の方向が急に騒がしくなってきた。
(何事だろう?)
今日はこの禅堂とも離ればなれになる日であることを思うと、あのガタピシの障子も縁側もどことなく風情がある。何げなく知らん顔している様が、今の自分に最も相応しい別れの顔だとも思った。
(又来るよ)とそれらに語りかけたくなるのも、単なる物ではなく、見る物ごとに血が通い心が通う私に成っているからのような気がする。
(もう二度と来ることもあるまい)とも思っている自分。しかし、二日後にはここへ飛びこんできた。「君はすぐにここへ来るよ。」と方丈に言われていた通りになった。
世間の風を全く味わったことのないこれらのガタピシ。それに引き替え私は世間に今からまぎれ込む。会えることもあるまいて。世間の人には上山以来一人として会っていない。(先刻帰られた小積氏を別として)。でも世間から離れて寂しいと思った事は一度もなかった。

「ひとりでいる時一人の世界、本来が一つ一つの存在であることがごく自然に一人でいられる原点であろう。一人の今であるから妄想無ければ一人とも感じられないのが自然であろう。」
逆に今迄だと(一般の人もそうだろうけれど)誰からも何とも言われないと、いわばぽつんといると、(世間に忘れられたのかな)(存在価値がないのか)(私はここにいるよ)と言いたくもなり表現もしたくなる。これが世間での私のひとりいる時の感情だった。これは不安にも繋がっていた。
今の私にはそれらがない。この事は明らかに大きな何かが救われている事である。(この先ずっとないだろう)などと言おうものなら、方丈から帰りがけのゴツンがくるだろうけれど・・・・

案内があって本堂の一画に進んだ。思えば数日前禅堂に入る為に歩いたその場所を通っている、その時の頭のお荷物はお堂ヘ置いて来た。畳の感触が、つめたいと実に確かな実感がした。
見るもの総てが一つ一つはっきりと見える。視力一・五であるから以前からよく見える方ではあるが、雑念が頭の中に無い為に、見えている「そのままの今」で時が終わっていく。
(美しいな、これは古い)など思っている暇なく、次々一瞬一瞬目に飛込んで来る。その間々見ていると実にはっきり意味無く見え、完全にそれで終わっている。
方丈の顔、奥さんの顔、小積氏の顔、一升びんの顔。あった! 懐かしき我が友が!
瞬間そこに止ってしまって、この手合いの鮮度は失われてしまった。一升びんでつまずいて嵩氏の顔で二度つまずいた。
顔見知りではあるがまだ坐禅はしておられない人でいわば世間の人。
「数日間でどんなに変ったと言うのだ!」と言わんばかりの目をむいて私を見ている。殺気を感ずるというか、人の心の血を見たがっている目だ。
「先ずはお目出とう。」「良く頑張りましたね。」「お目出とうございます。」皆さんからの言葉が本当に嬉しかった。自信が新たに湧いて来た。
「ところで永岡さん坐禅とは何ですか!」やっぱり来た。嵩氏の一声である。酒がぐっと喉につまる。坐禅していない一般社会の人と会った第一号、分からぬ人へ説明しなければならない第一回目と言えようか?
「何ぞや!」が好きな筈のない私である。説明して分からせようとしても、私もこれを勉強したわけでない。暗記しようにもそのような知識がお堂の中に積み重なっていたわけでもない。まして説明して分かるような代物ではない。師の言われる通りに「ただ坐禅しただけ」である。禅がどちらの方向に向いているか、ということは分かるが、坐禅の経験者でなければ自分の心の内面、そしてその感触を説明しても分かるまいなどと思うともなく思った。が、いけない。
自分が進んで行こうとする方向ではなく、世間一般の会話が始ったとたん、自分だけで育ってきた「今を守る、今に成り切る」の順序パターンが狂ってしまった。
(この人には何とか分からせてやろう、この人よりは私の方が禅には詳しい。一枚上だから少し格好をつけて・・・・)というあんばいで、
「単を示すことですよ。」と説明することとなった。が、分かる筈もない。今ならさし向き、
「坐禅しなさい、さすれば分かりますよ。」と言っているだろう。し、そこで坐禅を組み、本気で坐禅に入っていたかもしれない。妄想雑念を切り捨てる訓練の出来た積もりの私が、坐禅しない人に振り回される。知っている筈のものであるから、知らないとは言いたくない。よしんば分からなくとも「あれだけ坐禅して何を得たのか!」と言われるのが辛い。彼の目はそう言っているのだ。どうこの人を説得しようかなどと、どっぷりと妄想雑念につかって自分が見えなくなってしまった。
二人のやり取りを聞いておられた方丈は、
「永岡さん、もう妄想の世界に入っているのか! 理屈は何度並べ替えても理屈、それより食べる時は食べる。」ハッと、言われてみて気がついた。おまけが一ツ(どうやら嵩さんを押さえつけることが出来なかったか!)
しかし話は私の苦労話を中心にはずみ、私自身何か一つ成し遂げた満足感がみなぎり、(充実したこの気持ち、坐禅しない人には分かりにくいだろう。今相手にしてもしようがないのだが・・・・)との思いが心をよぎる。(とにかく見境なしに噛みつくのもうっとうしいものだ)と心の片隅で思うともなく思う。
まだ、時々嵩氏から質問がくるが、私が考えるともなく黙っていると、適当に小積氏が応援してくれる。方丈が助けてくださる。お陰で嵩氏の質問で方丈の新しい説法を聞くことが出来たと言うものだ。

嵩氏にはこれから数カ月間、殆ど会う度にゲリラ的に襲いかかられ、その度に率直な人柄に驚き、そして底抜けな人間味に魅惑されて行った。が彼の反面のうっとうしさ、煩わしさは彼が坐禅を志し大進歩を遂げた時ようやく消えた。今は掛け替えのない法友である。
別れの説法は甘さをしぼりとるものであった。

「この山門に入るにはまだまだそんなものではだめですよ、「今」をしっかり練りなさい。今から下山して一般社会に入れば地獄を経験することになる、これを淡々とやる力が必要です。
そのくらいではすぐに「今」が逃げて乱れてしまう。すぐにここへ舞い戻って来ることでしょう。
いずれにしても「今」を守って片時も離さず練りなさい。」

一つの守り通す筋を教えて頂いた。「これを守り通すのが私の人生だ」、という信念ができた。本当のもの、真実を追求するのだから間違いがない。

下山

私は、「海蔵寺の方丈、井上希道先生」に心から感謝し、そして奥様にも、小積氏にも、嵩氏にも感謝の念深く、待望の下山に身をあずけた。
〈今〉が参禅の基本であり、〈今〉を守るということが総てに通ずるということを頭にたたきこんだ私は(おっと頭に覚えたなどというと又叱られる、体に染み込ませたと訂正しておこう)、ひたすら〈今〉の事実に成りきることが本当の人生である、との確信を持って皆さんと別れを告げた。
いつの日にか心の山門に入り、その景色は又格別に美しかろうと、何かが分ったつもりで海蔵寺を辞する。
小さな〈今〉の感触、誰にも説明のつかない感触を育てるべく決意して。
(しかし、この決意、この緊張を一生持続するとなると大変だぞ、これは!)
(先が長い、百才までとして五十年か)
(気が遠くなりそうだな)チラリチラリと心の片隅に出て来る感情は至極のんびりと受け止めていられた。
世間の人々には今から出会うとして、さしむき坐禅に理解のある人々に別れを告げて車中の人間となる。自分で運転する自動車。久方振りである為か、丸きり違った感覚である。否違っているのが当然であろう。ひたすら〈今〉に忠実にと必死の思いで運転している私には、以前の運転とまるきり違うのは当然である。以前の運転であれば、
車に乗る。そして運転しながら何かを考える。妄想をいっぱい積み込んで。例えば、人と面会する為出発する。
面会したその時の状況が頭に浮かぶ。それが大きな良い仕事であるとしよう。
次から次へと発展して行くその状況が頭の中で組立られる。それに酔いはじめると自分の為に世の中が動いているような気分になる。
組立られてゆく色々な物事の考えは理想的に出来上がり、もうこれでよし、となる。有頂天との同居をはじめる。車は快調に走り目的地に到着する。だがこれらの理想的組立は車から下りて現実に仕事に入った時どうだろう。食い違いが随分と起こる。夢もペシャンの場合もある。
現実の〈今〉以外に思いをはせても物事は前に進まない。一瞬楽しんだだけである。この様に楽しいことならまだ良いが、悪条件なら始末がつかなくなる。
(あれがこうなりゃもう駄目だ!)面会先での事が頭にささる。
(これをこうしても治りがつかぬか?)相手さんの顔が浮かぶ。
次から次へと不安材料が頭を揃えてやってくる。これに引きずられて深みにはまる。どこへも逃出す事とが出来ず、どこで終止符を打つともなく、あれも不安これも不安では安住の地がない。
(対策は? あれをこうしても、これをこうしても、うまくいかぬか!)一人でこねまわしても相手なしの一人相撲、頭の中は纏まらず途中で車を止めて、
(もうどうにでもなれ!)と言いたくなる。穴が開きそうな胃袋の身にも成って見ろ、である。
でも先方に到着して実際に事にあたると、案外とこの件すんなり解決する場合がある。
(なんだ、これならあのように心配することもなかったのに、胃が悪くなった)ということになる。
こうしてみると現実の〈今〉に直面して、それに全精力を投ずることが出来れば、良かれ悪しかれ物事は解決するということに落着くもの。
車に乗っている時、不安と同居することは意味がない事だが、以前の私はこの様にして不安と有頂点を一緒に車に乗せて走っていたものである。

去去来来

海蔵寺を離れて二十分三十分と車はひた走る。
〈今〉を守ることの大切さ、そして大変微妙なその方法を、身を持って体験して帰る途中の私には、かつて味わった事のない新鮮さがある。自分でそれが良く分かるので嬉しい。
(よしやるぞ!)運転の今になっていると、目に入る道路はその表情をその都度変える。電柱は飛ぶ、畠は流れる、人影はお地蔵さん、男女の変化こそあれ(関係無い!)、実に切れが良く、見たそのものそれのみが〈今〉の現実の移り変りである。その〈今〉〈今〉に忠実についている時は頭の中には不安材料もなく、エンジンの音も快調であった。風景と共に時も同じく移り変わる。一時間の運転は誰に話をするでもない、密室の安住地、速い速い、勿論ラジオはスイッチを入れていない。妄想もどうやら落着いている様子である。

広島に近付いて来たがいつの間に走ったのだろう、と思うくらいに早く着いた感じである。決してエンジンが分解するほどのスピードをかけた訳でもない。途中を抜かした訳でもない。あと三十分もすると市街地の中、久方振りの我が社もそこにある。
ここらあたりで少々リズムがおかしくなって来たものだ。仕事に関連した建物が目に飛込んで来た。ライバル会社の看板は目を刺激する。頭の隅で一瞬「チカリ」とひっかかるものが出来る。こうなると先程までの安住の地もやや様子がおかしくなってきた。エンジンの音は変りなく快調であり、ハンドルもついている。変化ない。座席もこれといって変化ないように思うがどうも座り心地が違って来た。
「何故だろう?」我が社の営業に直接関連した色々の物事が目に入って来た時あたりから、店の事が頭の中に重石のようにのしかかって来たためだ。
このままいけば以前の私に逆戻り、分かってはいるが、私の願いとは逆に独りでに変化してくる。
この「分かってはいるが」ということは、「これに気が付いてはいるが」ということで、良いことなのか、悪いことなのか、判断できる要素があるということである。が、しばしこの変化に翻弄される。
(〈今〉はこの〈今〉しかない、他は忘れろ!)(関係無い!)と言ってはみたものの、ああ!悲しである。
温室育ちの可憐な花は(いや、私の場合四十七春秋のずぶとい花は、となろうか)鉢植えにされて市場の寒風にさらされようとしている。優良な品種に改良されて、見事な花を咲かせるべく、時間と栄養を与えられ適当な温度で育って来た。その時は心地良くいられたが、温度、環境が変り乱暴な育て方をされる場所に行けば一体どうなる?(リンゴの気持ちも良く分かる)
しかし優良な品種に改良されたこの鉢植えは、そのものそれが純粋なもの、本当のものだけに、良く良く気をつけて育ってゆかなければ枯れてしまう。そうなると勿体無い。世の中でそれが正しい品種だと折り紙つけて値をつけてくれるまでには時間がかかる。
「まさしくそれは本物だ!」と、自他共に認め立派に役だつようになるまでは、ただただ自分で自分を、〈今〉で〈今〉を守らなければなない。それをしなければ忽ち枯らされてしまう荒っぽい世の中である。しかしこの花は可憐であっても優良品種の太鼓判がついている。

改良されたこの品種を、誰に評価さなくても自分で咲かせる勇気と努力心が欲しい。温度環境が悪くても、しっかり根があり茎があるのなら、水(坐禅)を与え肥料(菩提心)を忘れなければ、いつか必ず芽をだし花も咲く。

見事さよ、ああ見事よと咲くために、こんな肥料で何が咲く。とっくに死ぬぜ、お前さん!
時として、条件が異なり、咲く花もなかなか咲かない場合が出来てくると、間違った花を持っているような気持ちになる。根が本物であれば咲く花は本物である。安心して育てていける。私はこの本物の根をおっかなびっくりではあったが、車に積んで無事我が社にたどり着いたのである。
途中からしおれてしまって元気がない。あれくらいの寒風では枯れる心配はないが水不足が心配だ。ぼつぼつ肥料でもやらなければいけないが、何をどうするかその配合の割合すらすっかり分からなくなっている様でもある。
我が社に帰るなりまずその水不足を補うべく店の片隅に陣取って坐禅を行った。方丈は、

「その程度では、ここのようにその指導者がいて、その為の世界だから本来の様子がチラリチラリでも見えるから的外れのない、ちゃんとした修行が出来るが、それらが微塵も無く、しかも総てが俗念対立の世間である。
その中にあって対立の無い絶対の今が守れる訳がない。一時は何が何やら皆目分からなくなるであろう。」
と予言されていたが、忽ちにしてその通りであった。
しかし着眼を失った訳ではない。水さえやっておけば先ずは心配ない。沢山の種類の肥料十種類もいや二十種類も、それ以上も必要で有るということは、今の迷う形が色々に有るということになる。
結局は〈今、それに成り切れ〉でしかないようてあるが、それらを全部思い出すことは出来ない。いや、〈今〉は一つなのだから、「形以前の普遍共通点」であるところの、「心の出発発生の根元」に肥料を与えてやろう。

生活禅

早朝からひとまず「今、その事に成り切れ」という肥料を選び出して出発した。今を確認する。単純なことだけにすぐに抜け出してしまっている。量不足なのか?
朝の出勤は車で出かけているが会社に着くまで三十分ある。車の中での単純作業、これが私にとって課題であった。誰と話をするでもない時間であるだけに〈今〉を見つめる時間でもある。信号待ちの時、私の頭は〈今〉を確認する。海蔵寺での坐禅中のギリギリの〈今〉がよみがえって来る時は嬉しかった。
(あるぞ、あるぞ、今が)それに集中する。信号が青に変り動き出す、自然に動作はその〈今〉に作動しているから心配はない。この純粋な〈今〉の連続はなかなか難しい。時として(おや? あのおっちゃん変なかっこうしているな、一体何者だろう)頭の隅に「チカリ」と差込んで来る曲者、折角の〈今〉はすでに逃げている。
しばらくはこの曲者退治のため〈今〉へ殊更に注意を注ぐ。気がついてハンドルにしがみ付くと(ああ!〈今〉が戻ったか!)ハンドルに置いた手の感触をじっと確認する。目は前の自動車の姿を追っているが時としてナンバープレイトの番号しか目に入らぬ。(広45さ3807)、おや? これは無い筈、私の乗っている自動車のナンバーだから。この様な時は万事順調に作動している。アクセルを踏む足のその感触、何ミリ踏込むということも考えることなく足は作動している。〈今〉はこれしかないという現実の〈今〉が伝わって来る。このままの状態で五十年運転しているなら問題はないが、会社へ着けば車の外へ出なければならぬ。

会社のドアまでしばし「只歩く」、注意しているから「只歩く」もいささか「只歩く」という感じだが本人は真剣そのもの。社内に入ればお客さんが待っている。
「坐禅して帰ったんだってね。」
「はい、そうです。」
「ご感想は?」
「よかったです。」
「・・・・・・?」
どの様に良かったのか。どの様なことをするのか。どんなにすればよいのか。等などそれから先を聞く人がいない。坐禅に興味がないのか、私にその良さがにじみ出ていないのか、それは知らない。
「坐禅とは何ですか」と聞かれるとこう答える。
「坐禅とは坐禅ですよ」と
あまり質問を受けたことがないので、言いたくてしかたないが今まで言ったことがない。次に私はこう言うだろう。
「貴方が食べるとは何ですか、と聞かれたらどうしますか?」と、又、
「働くとは何ですか、と聞かれたらどうしますか?」と。

通常の社会生活において誰でも経験する行動、いつもの行動(起床)(洗顔)(朝食)(働く)(昼食)(働く)(夕食)(入浴)(就床)総ての行動がその人その人に存在する。これが事実であると共にその人その人によって時間帯が違い場所が違う。食事も程度の差はあるが食べるのはやはり食べるのである。中にはこれを抜かす人もあるが概ね誰に取っても共通点がある。その他の行動に於いてもしかりである。しかし全く共通しているといえば呼吸をしていることであろうか。がこれは時間帯も場所の違いも程度の差も関係ない。まして呼吸を抜かす人はまずない。
そのような常識的な自然の行動の中において(坐禅)する人にとっては(坐禅)という項目がそこに入るだけのことである。特別の意味をもって・・・・
例えば、
(起床)(坐禅)(洗顔)(朝食)(働く)(昼食)(働く)(夕食)(坐禅)(就床)全ての行動が坐禅する人の自然現象である。
別の人に聞けばこうなる。
(起床)(勉強)(洗顔)(朝食)(登校)(勉強)(昼食)(勉強)(下校)(就床)(夕食)(勉強)(夜食)(勉強)睡眠を書き忘れたけれど、
又特別な人は毎日に坐禅が入る。
(起床)(振鈴)(坐禅)(読経)(朝食)(作務)(昼食)(作務)(坐禅)(夕食)(坐禅)(読書)(就床)となる。

貴方ならどの様な流れであろうか?
坐禅は坐禅である。呼吸が呼吸であるように、食べるが食べるであるように、働くが働くであるように。そして食事が体力保持の栄養を供給するように、坐禅が自我を洗い流すように、働くが生きがいを育てるように。だから「坐禅は坐禅です」となり自我を洗い流すとなる。このようにゆけば、
「呼吸は呼吸」であるように、そこには法則があるが当たり前の事実、
「食事は食事」であるように、そこには法則があるが当たり前の事実、
「睡眠は睡眠」であるように、そこには法則があるが当たり前の事実、
「勉強は勉強」であるように、そこには法則があるが当たり前の事実、
「坐禅は坐禅」であるように、そこには法則があるが当たり前の事実、
そしてそれぞれの事実の中に、その目的が自然に備っている。
だから今更目的など考えなくても良いことになる。食事は栄養を、呼吸は酸素を体内に吸収する。坐禅はいらないものを体外に放り出す。

何はともあれ、会社での工夫は色々な人との面接、面談において言われたことに、いちいち振り回されないように言葉の事実、声の事実を「ただ聞くこと」に専念した。それでも内容に心が踊ったり心が沈んだりすることが多く、時にその言葉に迷いを生じる。(私もあの様になりたい)等と出て来たりする。〈今〉を無視して過ごす時間の中で、ふと足元の「歩く事実」が私を救ってくれる。歩く「〈今〉に集中する。一歩一歩と歩く〈今〉、只歩くになり切る」ことはなかなか困難であるがこれが肥料のいる理由。
「本当に一歩一歩を最大の注意を払って歩きなさい」と方丈に言われたことを必ず思い出す。
誰の前でも、人がいなくとも、人がいても、歩いている時は必ずそれを思い出す。
これが肥料になり花を咲かせるのだからと、せっせと施肥を怠らずする。「この努力心がない時は〈今〉全体を忘れている」。
だから私は「只歩く」、常に「只歩くことに専念」している。座っている時は仕方ないが歩くことの多い私はこれを一番大切にしている。どの様に少ない歩数の時でもそれに注意を注ぐことにしている。だが忘れている時が多い。だから努力心を忘れないように環境を整備すれば、それはすぐに思い出す。「只歩け」肥料の量を増やそうか! そうとも!

三年になるが未だに昨日から始まっている様な鮮度でこの繰り返しでやっている。歩く時にはそこに注意力を集中して「只歩く」。歩く時には他にすることがないのであるから「只そのものになっていれば良い」のであるが、やはり頭の中で色々なことを考えながら歩いているのが分かる。
先日も方丈から久方振りで、
「歩く目的は何ぞ!」
と言われた。あれだけ注意をして歩いているがとっさに答えがでない。何の為に努力しているのだ、と悲しくなる。
「歩くとは何ぞ! と自問しなさい。これ何ぞ! とそのものそれに問い掛けなさい。
そしてそのものに成り切りなさい。さすれば惰性習慣化し既成化して歩いているのを新鮮な〈今〉で破ることが容易である。」
と教えて頂いた。しかし最近坐禅することの回数がめっきり減って来ている私には、坐禅して坐禅に成り切れるようにならなければ進歩もないと思う。「そのものそれに成り切る事の難しさ」が良く分かる。坐禅しないから難しいということも分かる。でも又今日も「只歩く」の歩を進める。
その様にしているうちに店での応対が、初日一週間の頃よりは随分と変って来ているのが、近頃ようやく分かる。その時にはその様な状態で「意味無く、只居れる」ことである。
最初のうち、こうもいかなかったのは、先刻言わして頂いたが「只聞く」ことが大変困難であったこと。ようやく店での応対、町での活動、全部注意深く「只行動する」ことになれた。歩きもした、随分歩いたと言ってもいいほど歩いた。ゆっくりと、人が横から見れば「この忙しい世の中をのんびりと歩いて」と思うだろう程にゆっくりと歩いたものだ。

一日一回は夜自宅に帰る。帰宅の為の自動車も、やはり出社の時と同じく「〈今〉の動作に成り切る」。「頭の中の妄想を捨てて」、となるのであるが往々にして「早く帰って一杯やろう」とあらぬ方向から曲者の誘いがかかる。途端に〈今〉が抜けてしまっている。そのことすら忘れて車を走らせる。だから最も大切な「努力」という肥料を欠かせないのだ。

しかし何事も鮮度と言うものがあるように、日が経つにつれて忘れが頻繁になる。大切な〈今〉を〈今〉に戻すことすら忘れて走っていたこともある。〈今〉〈今〉の連続は、最初はそれを強制するために苦しい、〈今〉に当てはめようとするから尚苦しい、苦しさの為にむしろ空しくなる時もあった。水不足に成っている為だろう。
(こんな単純なことを一生懸命やっていて、一体何が生れてくるというのか?)と自問自答したこともあった。しかし私はこの「〈今〉を守るということが人間本来の生き方である」と確信を持って海蔵寺を辞して一生守り通す決意をしていまだ一週間、〈今〉の現実である目の前にあるハンドルにしがみついた。
(あるある! 確かな〈今〉が!)
(今は何も考えず〈今〉の行動だけを素直にやって行こう)
(忘れた時は仕方ないが、なるたけ〈今〉は離すまい)と自分で納得して安心したのもこの頃であったろう。

「坐禅は帰ってからも続けなさい、仕事場の隅でも良いから」と方丈に言われて、時間があれば夜、隅の方で坐禅した。少しずつではあるが坐禅を続けているうちに「只」が戻り始めてきた。一ケ月も過ぎた頃からであろうか。
自動車に乗っては「只運転する」「只運転する」を実行する。
海蔵寺での修行中に「只掃く」「只食べる」「只歩く」があったが、これをすっかり忘れていたようにも思えて来る。
しかし「只掃く」「只在る」。本質は同じもの。何にでも応用できる。「只在ること」に注意して「只あらざる状況」になった時には、「只在る状況」に無理やりにでも戻して行った。この時期も無理やりが入って苦しんだ。頭の隅で虫が鳴く、
「こんなことを続けるのに意義有るのか?」
「いやこれで良いのだ!」

この様な時、少しの坐禅でも、これらの苦しみ不安から解き放される偉大さを感じたものだ。

激動禅

九月になるには五、六日早い八月のある日。
取引先のN社長が来訪された。久方振りで来訪されたN社長は妻にもにっこりと挨拶を交わす。夏の太陽は店の前の道路を蒸し風呂にでもするかのように照りつけている。
「何かあるな!」と私は直感したが、
「まあ、硬い話は喫茶店で」ということになり隣の喫茶店に入る。社長は改まって話に入るが会社の経営不振を説明する社長の顔は苦渋といらいらが表面に出て日頃のニコニコ顔はどこを取上げても影を見せない。
しかしそれでなくとも船出して一年のよたよたの我が社に、とんでもない話を持参してくれたものだ。
「当社は八月の終わりの手形決済が不可能な状態になりそうだ。最悪の場合は会社整理を余儀なくされる。その理由は・・・・」と続く、理由などどうでも良い。
「それで一体どうなるの?」
「何とか立ち直る手段を講ずるものの、貴方の会社に対する手形もその時は決済不能になるので覚悟しておいて下さい。一緒に倒産という事態になるやもしれぬ。」
寝耳に水で我が身を疑ったが話が進むにつれてどうやら事実らしい。
(冗談じゃない我が家が吹き飛ぶだけでは済みそうもない事ではないか! 家屋敷、それに来年は息子の大学進学ではないか!)

「貴方の会社も大変な事になったものだ。恩義があるから強いことも言わないが、何とか良い方法を講じるよう最大の努力をしてほしい。」
私が社長を慰めるでもなく話し掛けたのはこんなもので、こちらが慰めてほしい位である。とは言ったものの他に今すると言って別に考えつかない。言う言葉すらない。社長は、
「申し訳有りません。決してご迷惑はかけません。最大の努力はします。」
という言葉を最後に、頭の構造がおかしくなりかける私を残して自動車の人となった。
(何が迷惑をかけませんだ! これが迷惑でなければ、他に迷惑と言うものは存在することはあるまい。あればお目に掛かりたいものだ!)(こうなれば仕方がない、まだ五、六日あることはある。社長の誠意と能力がどの程度あるかしらないが、いやある筈だ、これに一切をかけよう!)と決心した。

それにしても修行の材料にしては、ちと出来すぎているデカイ山。(何事も修行だ、乗り越えて行こう)と思ったのも心強いものが中心にあるからであろう。〈今〉〈今〉を実践する私には今訪れている現実は家と別れる時の涙の瞬間でないということがはっきり分かる。〈今〉は自動車の後ろ姿を見ている〈今〉であり店の玄関を入る〈今〉である。
妻はこの話を知らない。
「社長の話は何か良いことでも?」
良いことのみ欲している世間であれば、当然の言葉であろうがこの顔見れば分かりそうなもの、これが良いことであろうはずがない。しかし倒産の瞬間の〈今〉が今の現実であれば涙も出ようが今の現実はニコニコ顔の妻の顔が目の前にある〈今〉である。
その〈今〉が、〈今〉は安泰であるし、それしかない。何も知らない妻に当たる手はない。
「まあまあよ。」と相成るがニコニコしていたとは思われない。先の話は良かれ悪しかれ先の話、今鳴っている電話のベルが私を助ける。この動作の〈今〉を感じる時これが〈今〉の実践よ! 今は電話の〈今〉よ、社長の話は過去よ、手形決済は未来の事よ! と知的には良く分かっているし心も乱れるところまでにはなっていない。が、何やら基本的に動きだしたものがある。
「もしもし元気かね、今度同窓会が・・・・」
「元気は元気さ病床にいないということはね・・・・」
考える暇なしの〈今〉がある。
この様な時、座って考え込むことの非を実感する。すぐに妄想のとりこになって動きが取れなくなるからだ。これが一番恐ろしい。「今に成り切って行く事が出来ない」からだ。
「坐禅によって〈今〉しかない〈今〉に成り切る事をいやという程続けている」。
私にはこの非が良く分かる。

九月一日新聞紙上にある会社の倒産という記事が小さく出た。
(畜生! これが〈今〉の事実か!)と瞬間私の胸が冷たくなるのを感ずる。
(どうすればよいのだ!)記事を読んだが結論は出ない。胸は騒ぎ始めるが、今は朝食の〈今〉只食ベよう。
妻はこの記事に動揺している気配はない、それもそうだろう。他社の出来事であるのだから、私が内情を説明するまではまずは安泰であろうが私は胸が痛い。
「うちの会社には影響は無いでしょうね?」この言葉には二度胸が痛む。
「只食ベる」も、のんびり「只食ベて」いるわけもゆかず出社する。自動車の中も〈今〉〈今〉「只在る」を抜かすわけにはいかない。この頃には少し板に付いて来ていた。
今日は殊更に修行意識になっていたといえよう。会社から相手の社長に電話する。思ったより影響が大きい。

「解決の糸口は? 順序は?」電話口に出た社長、勿論平静では有り得なかったが「打つ手は打って最善の努力はする。」の答え。そして順次段取りについて話を聞き出した。「只聞く」この時私は相手が言うことを強引にがむしゃらに「只聞いた」。「只歩く」「只聞く」この信念で進み〈今〉の現実にのみ成り切ることの実践を崩すわけにも行かぬ。「只聞いた」話の内容が伝わって来た時私の中にそれを冷静に聞き取り現実が次々と見えて来るのが不思議なくらい良く分かる。
(これは二、三年で解決付くな)
(我が社はこれに少し応援してやろう。さすれば解決も早くなる)
(社長の動きはこれは本物だ)
(だがどうも少し嘘をついている部分があるぞ、これに関しては一寸注意を要す)状況は良く分かった。電話を切って大まかに結論づけたが内容をまとめてみると、あまりにも桁外れの数字である。一応はその内容を妻に話した。
思った通りの結果が妻に現れたことは言を待たない。
(判断に誤りがなければ何とか助かる)
しかし時が過ぎなければその結果は出ない。〈今〉は予測の〈今〉でしかなかった。行動の〈今〉ではない。だが、私の判断は間違っていない、と確信できた。なぜなら「只聞いた」からである。そうするとはっきり物事の順序が分かる、とは言っても現実は次々と移り変わる。電話のベルの数も増える。
「君の処は、あの会社と関係有るだろうが別に被害はないかね?」
「うん、まあまあよ」
「それなら良いのだけど」。この様な応対で忙しい。「助けてくれ!」、と叫びたいのをこらえて。今の処、落着いて行動できるがもし判断が違っていたら、それこそ電話機はおろか店まですっ飛んでしまう。あらかたの方向は決めたが助かった訳でもない。今から動いて助かる方向へ持って行く段階なので心にゆとり等あろうはずがない。

しかし〈今〉が私の課題である。「今の現実に成り切る事が私の信念」である限り、努めて「今の〈今〉を大切にすべく成り切るべく」振る舞った。妻を説得する時は、説得するの〈今〉。少しは嘘を混ぜて本当で丸めて、お客がある時はお客との〈今〉。こちらの内情は「関係無い!」
「それは面白いハッハッハッ!」顔で笑って心で笑って、昼食の時は昼食の〈今〉。
「よくまあ食べられること」と妻は泣きべそで言ってくれるが、食べる時の〈今〉を「只食べ」なくて何で修行の値打ちがあろうか! 全部こうであれば立派なものだが全部が全部こううまくもゆかない。(あれが段取り通りゆかなければもう駄目だ! その時はどうしよう?)頭の隅に「チカッ」と来る。とっさに、
「お茶! なければ水でもいい!」次の動作に切り替えて熱いお茶の感触に無理やり引つ張って行く。もう少し楽しい「チカッ」で済ませてくれれば良いものを。体も疲れる身も細る。

しかし頭の隅に「チカッ」と来たら一瞬の間を置かず、即座に行動に移す。これもコツであろうと近頃思う。
妄想の始めは、行動願望の始めであることがある。多々あるこれを行動に移さなかったら完全に妄想に終わってしまう場合がある。
「あの人に電話したい」
頭の隅に「チカッ」と来たらすぐに電話のダイヤルを。この瞬時の動きが〈今〉であるようにも思う。
今が抜けていれば「まあ今でなくてもいいだろう、居るかどうか分からないし」とこう成る。この様な場合えてして「しまった! あの時掛けていればまだ居たのに、今は居ないのですか?」とこんな具合になる。妄想の働き出すのもこの時である場合が多い。
ところで現実の〈今〉にも色々ある。半べそかいた妻と対座する〈今〉に出くわすには困った。口をついて出て来る言葉はだいたい同じ事。
「心配いらない。必ず解決するから。」と言っても私の言葉など信ずるかけらもない。
「この様なものは、こちらが真剣に取り組んでいれば時が解決する。今どの様になるか分からない先の事を心配しても仕方ないではないか。」と説得にこれ努めるが効き目は薄い。
「そんなこと言っても倒産して家が無くなったら一体どうするの!」(それもそうだ・・・・」とも思う。
「何れにしても〈今〉を最大の努力で解決して行くしかない。」
家に帰るとこの繰り返しが毎日続く、困った〈今〉だ。もう少しましな〈今〉はないものか。
会社では金策の〈今〉が続く、手形期日の一日前に結論が出た月もあった。
友人にも相談に行った。
「相手の会社に行って出来るだけ金目の物を持って帰ってはどうだろう。一緒に付いて行っても良いが」とまで親切に言ってくれたが社長の約束ではそれをしないことになっている。約束は破れない。
「それは一寸困る。」
「そんな事を言っていたら一銭にもならないぞ。」
言われることは分かるが金策の時は金策の時、争いの手段は必要ない。いやしてはなるまい、順序が狂うと全体が狂ってしまう恐れがある。その時は金策だけに主眼を置いて走った。金策以外の生涯はあり得ないという程徹したものだ。(ここが駄目ならここにしよう)
目的の場所を設定して車に乗る。
車は走る。(はたして大丈夫であろうか?)(どう切り出そうか)
車は走っている。〈今〉〈今〉行くべき時は行くだけだ。(行った後の〈今〉がどうなるかは今考えるべきでない。今の足元は大丈夫か?)とは言っても胸は動悸を打つし胃は痛くなる。車は知らぬげに走る。
夜は我家に帰って妻の心配の輪をくぐり抜けようとするが、なかなかそう簡単にはゆく筈がない。
(何と長い〈今〉であろう)又胃が痛くなる。自分で痛くなろうと思っているのではないが気が付けば痛くなっている。その様な〈今〉が通り過ぎると私は決まってテレビを見た。〈今〉〈今〉頭の中を空っぽにして只画画に見入った。「只見る」「只聞く」の〈今〉を実践した。
中身を詮索することも一切しなかった。画面が入れ替わる。音が出ている。音楽もあり、会話もある。コマーシャルは特にうるさいがこれも一緒にして一時間でも二時間でも「只見る」「只聞く」を実行した。
時折(胃が痛いな)(癌にでもなったかな)(明日医者に行こうかな)頭をよぎるくらいである。
(妻には心配掛け通しだ)私が元来無口であるので酒を飲みながらテレビを見て時折出て来る映画の場面で笑いが出たりすると、
「よくもまあ、のんびりと笑っておられるものよ!」と声が聞こえる。
私の修行が妻にとってはのんびりと遊んでいると映るらしい。この夜中に泣いて町中を走れとでも言うのか。
寝る時はさっと寝る。「只寝る」である。しかし初日頃はそうもいかなかったが段々と「只寝る」ことが出来るようになった。これは有難い。

こんな非常事態の今、驚きや悲しみや悔しさ怒りのたぐいは、妻にも自分にも有って、これらに取りつかれたなら先行き見通しが利かなくなる為、「今何を、如何になすべき」かを誤ってしまう事必定である。今、非常事態の的確な把握こそ最大の味方なのだ。それこそ「今は今ばかり」にならなければ。
しかし妻は足元を見失うそういう危険な感情をどうすることも出来ず私に浴びせかけて来るので、私は自分の内側からの問題と、外からしかも付いていて最も重大なメイン・ハンドルの私を揺すぶり回すのとで、いささかの苦闘であったのだ。「これを分かってくれたなら本当の夫婦、本当のべターハーフなのに」と何度心で祈ったことか。
方丈に「美しき才女」の称号をさしずめ降ろして戴きたいものだとも思った、が、考えてみれば妻も本当に良く協力し良く耐えてくれたものだと、確かなしぶとさに今は最大の感謝をしている。

「何物をも寄せつけない今」、これを守り本尊にして「無風状態の心の目」で見ることが出来たために対応の手順も良く見えた。
そんな激動の工夫最中、ある日珍しく車ではなく電車で移動することになった。車中の人と成った時より「形も面積も無い、動不動も無い、有る無しではない、分かる分からぬではない、只の心」で、自分が乗客であることも、車中に居ることも、周りに大勢の人が居ることも消えたまま数時間の往復が出来た。自分ながら今までで最高の練りであった。
すぐに方丈に話した。
「それは良かった。動中の工夫が出来るようになったとは有難い。
しかしそれはもう過去の事。今はどうじゃ!」
ギクッ! 本当に〈今〉だけ、それだけに努力していても、師匠から急所を点検されると、今もって心臓が悪くなりそうだ。油断も隙もあったものではない。うっかり得意になろうものなら大変だ。
ようやくに修行法、方法が色々に現実活用出来るようになった。その方法が自然に身に付いて居るということは有難いことだ。ともあれ毎日がこの様な連続であった様に思う。別に特別大きくなすべきことが有ってやって来たとも思われない。
〈今〉に忠実に生き〈今〉を放さずに「只」やった。それはこの身体を健康のままで崩すことなく活動出来たということにもなる。

感無量

この年の十二月、ようやく大口の金策をしなくとも良くなった。妻も少しは安心したらしい。
「それみろ! 心配してもしなくとも、少し楽になった〈今〉がここに来ているだろう。心配して涙を流しただけ無駄というものよ。」と言いながら〈今〉が抜けていると思った。まだ完全に解決したわけでもないのに。

私がもし「海蔵寺で方丈井上希道先庄の指導の元に参禅修行をしていなかったらどの様な姿に〈今〉があるだろうかと想像すると、さしずめ病院のべツトで痩せて骨と皮の体を横たえてゼイゼイ言っている姿が出て来るだろう。その筈である。
坐禅をしていなかったとすると、夜は妄想に脅かされ、妻と一緒に心配の余り打ちしがれる。二人揃って隅の方でひそひそ話し、喧嘩の傷跡も増加する。
朝は頭や胃が痛くなって病院通い、その内病院で色々の病名を付けてもらってその妄想に又悩まされる。抜き差しならずに根気尽きれば(まあどうにでもなれ)が通る道順。
健康にして人に会うことが出来ず良かろう筈がない、とそこまでいかなかったにしても、これだけの事件、それを平常の状態で解決していたかどうかはいささか疑問である。否、有り得ない。

本物を自分のものにしつつあるとは何と有難いことだ! と思う。
まだまだこれに磨きをかけて不動の物に育てて行こうと思うのは勿論である。そしてそれが一層励みになるのは、法友が一人増し二人増しして、互いに深い心が分かち合えるということだ。
忠海は妻のふるさとの地に依って有るのではなく、私の、私の人生の充電処であり、人間ロマンの園と成ってしまっている。
普通この年になると先行きが見える。哀情も感じ始め切なく年を思うであろう。けれども私も又法友方同様に、「人生清く正しく、不安無く、楽しく明るく、その上大ロマンを抱いて」我が人生を渡っている。
あの虚弱だった私が・・・・

そして、そして

つい最近、いつもの座卓で夕食を戴いていた時、
「坐禅の目的は何か?」
とまた又方丈に尋ねられた。初歩の段階の問を仕掛けられ、今更私にそれはあるまいと思った。
「・・・・です。」(恥ずかしいから書かぬ。)
「では、坐禅の結果は何か?」
「・・・・です。」(恐ろしいから書かぬ。)
「そんな坐禅だからラチがあかぬ。それでは坐禅しても心がなかなか定まらぬ筈だ。何故なら、坐禅の目的が今その事以外の他に向かっているだけ雑物が加わっているからだ。
又、坐禅の結果を想定して他に向かっているから、坐禅は坐禅と治り切らないのだ。結果の上から言えば、今は常に結果しかない。一つであり絶対である。他に何もない。他に求めようが無いでは無いか。思い煩う余地が何処に有る!
目的の上から言えば、宇宙今目的ならぬ物は何も無い。今が目的であれば坐禅の今の目的は坐禅でしか無い。それしか無いでは無いか! 浮かれた坐禅をするな!」
と続いた。
むなぐらを捕まえられ引き寄せられた時は噛みつかれるかと思った。
「分かったか!」死んだかと思った。程良いお酒は吹き飛び、後は悪酔いした。

ついぞ自分の修行には自信が有った。そこが甘さになり、徹するための「成り切る」一点ばりに欠けていた。理屈の余地がそれであった。自分ではどうしても分からないし、うまく行っていると思ってしまう。師の必要性と有難さはこれであろう、そして師の厳しさもこれであろう。「禅には初歩も終りも無い」と、ここで決定した。「只、今、徹するのみが禅の始まりであり、終りである」と。

仏法とは、なんて不思議なんだろう?
禅とは、なんて不思議なんだろう?
自己とは、なんて不思議なんだろう?
心って、なんて不思議なんだろう?
今って、なんて不思議なんだろう?
師って、なんて不思議なんだろう?

この不可解な心の解決をつける禅、
今までは中途半端であった禅、
この社会の中で自信を持って生きて行く為の心の糧としての禅、
自分の生活の中に取入れて活用できる禅、
それらの要素を満足させてくれる範囲の工夫で、ある程度満足していたが生活に振り回される程の禅であれば振り回されまいとして利用する禅でしかない。
本来の奥底の自分を解決させてゆく工夫、分かっているという禅ではなく、禅の中の禅にいつもいられる自分に成りたい。即ち不可解な心の解決をつける工夫、その努力心がもっともっと欲しい。
少なくとも一週間に一度以上は忠海へ向かって走っているのだが・・・・
「只、今にあること」、真剣であるのと、そしてそして・・・・
  天にしたたる梅雨の緑に・・・・
合掌
昭和六十一年六月二十九日 記


永岡淳
昭和十一年三月一日 京城にて生まれる
昭和二十年 岩国市へ引き揚げる
昭和二十九年 岩国商業高校卒業
昭和三十五年 セーラー万年筆勤務
昭和五十八年 書道用具ながおか設立
妻と息子一人の三人家族
酒は少々、タバコも少々、少々なら何事でも

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