参禅一日目
朝早く新幹線で東京を立ち、三原で呉線に乗る。めざす少林窟道場は近い。想い起こせば、平成二年十月五日のことであった。
井上老師に参禅をお願いするのに三カ月も掛かってしまった。或る一冊の本によって参禅を決意したものの、なかなか老師に電話できなかった。恐かったのだ。その本には老師と参禅者との壮絶な指導や問答が記録されており、それがかなり私を圧迫していた。
思えば、ある国際機関に客員研究員として勤務していた頃であった。アメリカでの生活になかなか溶け込めず、ノイローゼ気味であった。帰国してからも、日常生活で心が休まらなかった。これではいけないと危機感を募らせていた。
自分は自然科学者である。人間には総てを客観視し冷静に物事を見極める緻密な知性があると信じている。しかし、人間は知性によって、全ての精神活動を健全かつ持続的に統御出来るのであろうか。知性に限界はないのか。精神が惑乱するとき、この疑念は一層強まるのである。
人間の精神は複雑である。精神的不調からの脱出を願う自己救済の精神、諸々の善を為しうる高次の人間的精神、他者を蹴落とし自己の優位を願う闘争的精神。私の中にはそれらが混在している。さらに一方では自己を極めたいという強烈な願望もある。私の精神の混沌はかろうじて、この願望により統一をたもっていた。私は人間精神の根底を知るために、貪るように本を乱読した。精神的な疲労を覚えるとき、反射的に本を手にしていた。読めば読むほど疲労感が増し、私の頭脳は硬直化した。ショーペンハウアーは「みずから考えること」のなかで、「自由な時間がありさえすればいつでもすぐに書物を手に取ることは、自分自身の思想を持たないようにする最も確実な方法」であり、「他人の思想は、いっさいの明瞭な見識を奪い、その精神の秩序をほとんど紊乱させてしまう」と言っている。当時の私は、まさにこのような「脳潰瘍」状態にあり、明晰な判断力と心の清澄度をほとんど失っていた。
たまたま神田三省堂書店で手にしたのが、今は絶版の『坐禅はこうするのだ』という異色の本だった。素人の参禅記録ではあるが、師との壮絶なやり取りの部分に痛く興味を覚えた。最も心が揺さぶられたのは「この一瞬すでに充分」という老師の言葉であった。
もともと宗教にはほとんど興味はなく、反発に近い違和感さえ覚えることがあった。まず教義の強制に嫌悪がある。つぎに神仏への盲目的崇拝に知性の欠如を感じるのである。しかし、この本には心を揺さぶられたのである。もっとも高校時代には鈴木大拙や西田幾多郎の著作をかじったことがあった。禅は、自立的な精神統一の技法を通して自己超越する方法なのであろう。禅者の颯爽とした姿には独特の魅力があり、禅に信頼感を覚えていたのは事実である。しかし実際に自分が坐禅をしようとは夢にも思わなかった。
この本を貪るように読み終えた時、禅には何かがあると確信した。何よりも禅には、神仏を盲目的に拝む「宗教」臭さがないのがよい。盲目的信仰ほど科学的知性と相容れないものはないからである。私は参禅を即座に決意した。
三原駅を出た電車は穏やかな瀬戸内海を左に臨みつつ進み、およそ二十分で忠海駅に着いた。途方もなく大きい送電用鉄塔が、静かな威容を誇って立つ田舎町だ。一人の僧が合掌して迎えてくれる。がっしりとしたいい体格だ。年の頃三十過ぎか。僧の運転する車に乗り込む。お城構えをした石垣の、由緒ありそうなお寺に着く。後で知ったのだが、勝運寺という小早川水軍の将、浦宗勝の菩提寺であった。日本画の平山郁男画伯や劇作家の高橋玄洋氏が、旧制中学時代には下宿していたらしい。平山画伯の父上と、井上希道老師の師である井上義光老師とは、深い縁があったという。
少林窟道場はそのお寺の裏に位置し、竹林と山に囲まれた小さな建物である。仏間に通される。簡素と言うか貧寺と言うか、極めて安普請で間に合わせた民家に近い。しかし威厳や装飾がないだけ初心者には極めて親しみやすい普通の空間であった。
十分ほどで別の僧が現れた。それが井上希道老師であった。意外に若い。いかにも高僧然とした年輩の人物を想像してきたので、精悍な風貌にいささか戸惑う。これなら言下にぶん殴ることはいとも自然であろうと納得した。二言、三言挨拶を交わした時、廊下に足音がした。
「ちょうどよい機会なので挨拶しておきなさい。」
老師が気楽に襖の向こうに声を掛ける。襖が極めて静かに開き、一人の女性が音もなく現れた。名前は聞き取れない。
その人は廊下に正座して、私に向かって合掌し低頭する。清楚で繊細な美しさに驚く。典雅というべきか。今までに出会ったことのないしっとりとした深みのある落ち着きに、自分は少しとまどいを感じた。この地方の文化の高さをふと想う。そう言えば、竹原は我が国の誇るべき碩学、頼山陽ゆかりの地である。
たった一言ずつの挨拶が済むと、その女性は風のように立ち去った。と同時に、老師の法話が始まった。だいたい本に書いてある通りのことを話される。手が届くほどの鼻先で、直に聞く説法には迫真があり、問答無用の説得力は勿論、強烈に駆り立てる何かがあった。
一 禅堂にあってはひたすら呼吸に専念すること。全自己を呼吸に集中し、意識が拡散したり雑念化する癖を即座に発見して切ること。
心になんらの雑念がない状態を「即今」または絶対の「今」ともいう。「即今」とは、目にものが映り耳に音を聞き、かつ何らの思考活動が発動していない状態、すなわち外界の刺激を受けながら一切の思慮・分別・想念が生まれない心的状態のことである。思慮・分別・想念などの思考活動は、感覚を受容し、念(思い)が心に浮かんだ後に発動する。人間は、これら継続的思考活動によって、現実の刺激を言葉を用いて抽象化したり概念化する。人間は外界との関係によって生活している。人間と外界との関係は、見聞覚知とよばれる視覚・聴覚・味覚・触覚などの感覚を受容したり、念が心に浮かんだ瞬間に始まる。人間の悩み(煩悩)とは、ある人をみて憎悪が浮かぶような、見聞覚知により発生する悪知悪覚のことである。煩悩は、感覚によって否応なく発動する無自覚的な思念の連鎖により、心がもつれて起こる心の癖である。禅とは、そうした一切の癖を解決した世界のことである。生き生きとした外界の感覚を受容しつつ、一切の思慮・分別・想念の制約を脱した、自在な活動自体である。これが解脱体である。その世界に目覚めるのが坐禅の目的である。自分で認め拘ることに於いて生ずる、無自覚的な思念の連鎖癖を除去する努力が禅修行である。すなわち「今」を守ることによって、煩悩となる思念・想念の連鎖性を破壊する努力である。「即今」は「今」「只管」「三昧」「禅定」「正念」とも言われるが、すべて同一の心的状態をさす。(厳密に言えば、「只管」とは、「即今」すなわち雑念や余念のない状態にある人間の行為を指していう言葉で、「ひたすら」を意味する。例えば「只管呼吸」とは、雑念なく、呼吸に呼吸させられている状態をいう。「三昧」とは、雑念・想念なく、心が外界の刺激(五感)だけに占められている状態をいう。「禅定」とは、雑念・想念・思念なく心が統一されている状態を意味する。「正念」とは心に「念」がない状態のことであり、「無念の念」とも言われる。微妙なニュアンスの違いはあるが、「即今」を異なった角度から説明したものに過ぎず、実際上、すべて同一のものと理解してよい。)
二 一呼吸の都度、体を左右に捻ること。
人間は、雑念に翻弄され「今」(即今)を見失いやすい。一呼吸ごとに体を左右に捻ることで、正念の自己、即ち「今」を確実に強制的に取り戻すことが出来る。また坐禅の姿勢は呼吸に集中して雑念を切りやすくはなるが、長時間一定の姿勢を守ることは、当然特定部分の偏り緊張により偏り疲労を極限化させてしまう。つまり腕や肩や背中や腰、目や足にこりが集中する。このような「偏り疲労」によって生理的に坐禅が出来なくなる。且つ、修行の内容が極端に低下し、努力する気力さえも失せやすくなる。この危険な偏り疲労を逐次解消し、切れの良い体調を保ち、睡魔を防ぐために、自覚的かつ継続的に体を左右に捻る。体を捻る主目的は、勿論いち早く雑念を発見し瞬時に切り捨て、自己を取り戻すことにある。
三 眠気や痛さを無理に堪えぬこと。
坐禅は難行苦行ではなく、安楽の法門である。坐禅には、疲れのない溌剌とした心身状態が好ましい。心を極めるためには、純粋な「今」の継続が絶対必要条件となる。すなわち一瞬の油断も許されない。心身の疲労は「今」の継続を困難にするので、疲れたら遠慮せずに部屋で眠り、疲れを取った方がよい。疲れた体でいくら座っても修行は散漫となり、自己を喪ったままである。足が痛くなったら、足を組み替えたり、経行、すなわち禅堂内をゆっくり歩行したりして、無理な我慢をしてはならない。
四 動中の工夫は速度を十分の一に落とし「今」を見失わぬようゆっくり明晰に行うこと。
「動中」とは日常生活におけるすべての動作をいい、「静中」とは坐禅のことである。禅では日常生活のすべてが修行の対象となり、動中・静中の区別なく「今」を守ることが修行の眼目となる。一般に、静中に比べ動中では「今」を守ることが難しい。少林窟道場では「今」を守る大事なポイントが判然とするまでは、必要最小限の動きしか許されない。自分のしている事に心をおいて「今」を守るために、歩行や食事、掃除などの作務、すなわち動中は、一つ一つの動作を明確に行う。その事が「今」そのものである。その事実を明らかに体得するのであるから、それを眩ます「心の癖」を介入させない、若しくは介入の瞬間を発見しやすく動作する。それが低速行為の目的である。かくして無自覚・無意識行動の根元的是正が、脱落という結果で現れる。これが完全自律の絶対条件である。
五 修行に関する疑問は、いつでも老師に尋ねること。
修行中にはさまざまな体験や気づき、時には苦しみがあり、いろいろな疑問が生まれる。こうした疑問はその都度、解決しておかないと、修行に専念できなくなる。師に質問し指導を仰ぐことを、禅では独参または参師問法という。少林窟道場では昼夜の別なく、何時でも独参が許されている。坐禅と問法とは一対のもので、初参に於いては特に問法が必要である。
老師は、このように実行すれば、必ず自己の「こだわり」を超越出来ると言われる。何となれば、既にそれがそれであるから、正しくやれば誰でもその事が判然とする、とも言われた。それ(見るもの聞くもの)がそれ(見たまま聞いたまま)として確信できないのは、無用な精神作用(分別)が働いてその物と自己とが隔絶するからという。この隔絶作用こそが「こだわり」の元であり、精神統一を妨げる元凶とも言われた。
説明としては分かるが、自己の「こだわり」が実際にどのようなものであるのか、皆目分からない。実感としてはちんぷんかんぷんであった。(自己の「こだわり」は自分では見えないのである。努力してもいまだに除けない「こだわり」も数多いが、「こだわり」による自縛を実感し、それらを日常生活に即して一つ一つ除く努力が払えるようになったのは、実に、日常生活で「即今底」の継続がどうにか可能になってからであった。)
とにかくどうすればその隔絶という、目に見えない心の癖を是正できるのか。結局は成りきってその物になるしかないと言われる。「成りきる」とは「今」に成りきることである。「今」になればその物と一体化し、隔絶そのものが無くなる。そこから生じていた総ての余分な精神現象が自然に消滅するらしい。
この成りきった処が「即今底」といわれる境地である。問題は、如何にすれば即今底なる境地に到達できるのか、どうすればその物ばかりになれるのか、である。その方法論が前述の五項目である。
すべて理詰めの説明であった。前もって本を読んでいたので、「即今底」という言葉を除けば、説明はよく分かった。「即今底」はまさに禅の実践によってのみ体得できる境地なのであろう。とにかく頭で考えて分かるものではない。文字を追い回し、思考を駆使しても意味がないのである。そのことは、本を読んで分かっていた。とにかく実行あるのみである。私は理論的説明を求めに来たのではない。実地に禅とは何かを知るためにきたのだ。
とにかく老師の説法によって、自己の精神的悩みを解決する道が開かれた。もっと理解しかねる抽象的で神秘的な宗教観の説明かと思っていたので、禅の原理が簡潔でかつ科学的、普遍的であるのに驚いた。自分は自然科学者である。合理性や客観性がなければ、到底納得できるものではない。二千六百年と言う途方もない精神史に燦然と放ってきた尊い光は、この普遍性と実証性に由来するらしい。
「坐禅は実参・実究・実証・心理体験科学である。一呼吸の正体が分かるか?
いいか、ここを間違えてはならぬぞ。呼吸をさせるのは呼吸器系の機能である。ところが呼吸と言うのは作用であって、その瞬間の働きその物の様子を言うのだ。
つまり呼吸と言う実体はどこにも無い。
確かに呼吸は作用としてあるのに実体が無い。この有って無い、しかも命と直結している不可思議千万な重大な存在なのだ。その正体を知るために知性を用いても埒はあかぬ。
何故か分かるか?」
意表を衝いた設問である。自己の存在の問題を、自分が現に今している呼吸の具体相と関連づけて、自己の体で究明せよとする設問自体が、かつてあったであろうか。呼吸によって自己の生命が維持されているのは自明である。しかし老師の言われるのは科学的認識の問題ではない。呼吸は作用としてあるのに実体はないという。それを自己の中に参究せよと言う。こうした設問は少なくとも西洋哲学にはなく、おおよその宗教家にもない。単なる呼吸ではある。しかしこのありふれた呼吸をこのように追求せよという。その姿勢に、禅独特の深さの一端をかいま見た思いがした。
「この呼吸と言う作用は、今、この一瞬の事実であり、現象の世界だから、言葉や観念現象とは全く世界が違うのだ。つまり、我々の全体が既に知性的なもの、人間的思考作用以前の厳然とした自然の働きなのだよ。理論としてたどり着いた認識論などではない。理論というものは、作用の説明に過ぎん。作用は現実の一瞬一瞬にしかないのだ。この事実の消息を「只管」と言うのだ。本来只管の世界なのだよ。
そのことがはっきりすると、これ以上どうしようもないところに行き着く。つまり、取り上げる主体もなく認める物もない、それ自体の世界にだ。
そして、これでよし! と決着がつく。今までの概念を基調として展開する知性や観念の世界が落ちて解放され自由になることだ。これを「解脱」とも「脱落」とも言うのだよ。
では、どうやってそのことをはっきりさせるのだ?」
もう言葉はなかった。返答のしようがないのだ。自然科学は、自然界に存在する確固とした対象物を取り扱い、その法則性を追求する学問である。自然界に確固として存在するという客観性があるがゆえに、実験を通してその法則性を何人も納得する形で実証することができる。禅では自分の心を対象に、自分が「実験」し、自分で「実証」しなければならない。自分の精神世界を自分で明白にし、自分で絶対の確信が得られるまで追求しなくてはならない。しかも、その実証したものが祖師方と寸分も違っていては本物ではない。総てを超越すると言うことは、一切が無くなると言うことである。無我とは、拘る主体さえもないその世界を象徴的に言い表した言葉であろう。有りながら何物も無いという、内的に客観的事実として実証した時、大きな自覚が有ると言われる。それが悟りという一大事因縁を自証した自覚だと言われる。
この実証という精神作業は途方もなく困難な気がした。まず「取り上げるものもなく認めるものもない、それ自体の世界」、すなわち即今底なる境地を自分で実証しなくてはならないからだ。しかも思考や考察によってではなく、実地に自分の体と心を用いてである。思考を巡らせば迷いとなる。しかし、だからといって無意識にもなれない。
(無意識の意識が、何やら解決の鍵になるかもしれない。)
この時、理論を用いる思考作用が不思議にも消えており、すでに自分が実験者となり被実験者ともなっていた。
「簡単よ。一呼吸に成りきればよい。
成りきれば、そのものが、そのものを教えてくれる。
味でもそうだろう。論じて分析してみたところで、その味などはどこにも存在しない。
その味を知りたかったら、ただ食べたらいいのだ。
その物の味は、その物が教えてくれるのだよ。
分かったか!
決して科学しては成らぬ!
命がけで一呼吸に成りきって、我を忘れ切れ!」
呼吸に成りきることによって「即今底」なる境地を得ることができるという。即今底は頭で分かるものではない。文字を追い回し思考を駆使しても、即今底には絶対到達できないのである。即今底とは、そうしたすべての思考活動の外にある心的状態らしい。
老師の言葉には、とかく科学者を刺激する言葉と言い回しがあって、知性をつつき興味をそそるのである。私は研究者として、「即今底」という客体化の困難な存在に対して著しい興味を覚えた。よし禅二千六百年の秘密を解明してやれ。かつて西田幾多郎が京都寸心庵の雪門老師に参禅し、鈴木大拙が鎌倉円覚寺に今北洪川・釈宗演の門を叩いたように、私も井上希道老師に参じよう。西田幾多郎や鈴木大拙が哲学からアプローチしたように、私は実験科学者として科学的論理と「実験」によって禅にアプローチしてやろう。
私は「即今底」なる何人も到達可能な安静な心の境地へと一歩を踏み出したのか。それとも心の迷宮に迷い込んで、禅という神秘思想に今まさにたぶらかされようとしているのか。老師の絶妙な手法に合い、研究者の業ともいうべき知的好奇心は、一層掻き立てられた。「実験」あるのみである。とにかく「実験」による検証あるのみである。私は密かに立てた命題に対し、今までにない闘志を覚えた。
「即今底」なる境地を求めて、一自然科学者の旅は、不安ながらこうして始まったのである。
井上老師より弓道用の胴着と袴を借りる。着けたことのない袴をはき、さきほどとは別の若い僧の案内で禅堂へ向かう。禅堂も民家を改造したような粗末さだ。その時にはそれしか感じられなかったのだが、窓越しには自然の山が迫り、新鮮な佇まいは坐禅には申し分なかった。
「古来からの座り方や色々な作法はありますが、ここでは重要視しません。そうした形に類するものは、後で自分で習得すればいいことです。足も疲れたらあぐらでもなんでも結構です。」
こう言って、簡単な坐り方を教えてくれる。面倒な注文や、修行者を拘束する細かな作法は、一切無かった。
「良い想いも、悪い想いも、想いはすべて切り捨てて、呼吸に集中してください。雑念が入る隙間のない、徹底した呼吸をすればいいのです。それがその物だけの世界ですから。
経行の時は、足の裏に徹底注意を集中させて歩いてください。一つ事に成りきること、余念のはいる余地のないことが要訣です。満身の歩行がその物の様子です。」
堂内を実際に歩いて見せてくれる。経行とは禅堂内を半歩ずつゆっくり歩くことである。説明に一切の無駄がなく、よく分かった。確かにそれがそれである。それしかない。実体験による全身での説明は、ここの修行者の実力を思わせるに充分であった。彼はなかなかの切れ者に相違ない。
禅堂に入ったのは三時過ぎか。吐く息がなくなるまで、ゆっくりゆっくり吐く。肺に空気がなくなると、自然に息が入る。雑念はあまり出ないように思う。不思議な清寂を内側に感じていた。自然の作用である呼吸は、もともとその物であり、それを清寂と感ずるのは、寧ろ我々自身が既に自然であるからだろうか。それともその様に感ずること自体が雑念であろうか? 今はこんな事まで分からない。
(抽象的な認識こそ、この際、邪魔である。自然を言葉や概念に置き換えて説明すれば、この豊かな味わいを無機物的、無生命的世界へと変質させるだけである。このような認識論こそ、「こだわり」の元凶なのではなかろうか。)
この生きた現実の呼吸作用は、一切の意識とは無縁であるように思えるのである。呼吸のみならず、我々の身に起こっている現実の現象全体が、もとよりそうした働きではなかろうか。この気付きと推論は極めて重大な事柄だったことを、後になって知った。
少林窟では食事の合図は拍子木で行う。六時を過ぎて拍子木が鳴り食堂に集まる。
「雑念が出ないのですが」と夕食の時に恐る恐る言う。
「そんなはずはない。雑念に流されていて、気がつかないのだろう。」
老師に言下に一蹴される。元より全く出ないと言っているのではない。雑念だらけでは無いという意味合いだった。しかし「出ない」と言われれば、「そんはずはない」と老師が断ずるのも当然であろう。その程度で心が折り合うなら、こんな所へ来て苦しい坐禅などする訳がない。参禅に来たこと自体、相当の精神的ジレンマに苦しむ、癖のある男、と見ているはずである。
後で知ったが、修行者はあらゆる角度から点検され尽くされており、その物に成りきっているかどうか、老師から見れば明々白々なのであった。実際、振り返って考えれば、瞬間の行為自体に成りきることなど全く出来ていなかった。心が分散していたのである。それなのに「雑念が出ない」と自分に思わせるほど、自己認識のいい加減さに先ず驚いた。この程度の検証者で、どれほどの真実が解明できるのか、別物の不安を感じた。我々の意識構造は、思っている以上に粗雑の感がする。それを知性と呼び理性と呼んで、しかも自己判断を絶対視しているとしたら、成る程笑止の沙汰が起こって当然であろう。
「終わった人は足を崩し、ゆったりしなさい。長時間禅堂で無理をするのだから、楽に楽に。生産性のない無理はできるだけ避けなさいよ。」
食事が終わるとそう言われた。誠に有り難い指示であり、極めて人間的な扱いである。食事が終わると、参禅者をリラックスさせて、修行方法の入念な点検と説法が行われる。食後はいつもこのパターンであった。遠慮なく質問できたし、質問には何処までも答えてくれた。私は毎度納得するまで聞き込み、非常に意義ある時空間だった。
一つが納得できた時には三つぐらい疑問点が浮かぶのは、人間の脳の働きから来ているらしい。老師にとってはしつこい極みではあろう。しかし、私にとって禅の実践は、自己の精神を対象とする「科学実験」である。私は実験科学者であり、実験データの解釈に釈然としないものがあれば徹底的に質問する。理論的追求もいい加減にしたくない。もし、私の質問に答えられなかったり、いい加減な説明であったら、少林窟道場から即刻退散と決意していた。師たる器量が無いという以前に、禅自体が疑わしいからである。
「命がけで坐禅した後の話だと言うことが、まだ分からんのか! くだらん質問より坐禅しろ!」
そんな私の愚かしい決意など忽ち砕かれて問答が終わり、有無を言わさず禅堂に追いやられた。何もかももぎ取られ、半分血みどろに、半分爽やかになった自分を感じながら一歩に徹して歩く。
(もうすこし休憩したいのだが・・)
十時頃部屋に帰る。寝つかれず苦しい。これも後で分かったことだが、慣れない長時間の座による「偏り緊張」と「偏り疲労」からであった。緊張と疲労を除くために、一息の度に体を左右にひねると言うことの意義を再認識した。
参禅二日目
朝六時四十分から坐る。(現在は五時から暁天坐に続いてお勤めがある)。背中と左肩が痛い。禅堂内では体操で身体をほぐしては、また座る。
思いきり息を吐き切って、息を吸う。吐いて、吸う。
その繰り返しである。疲れれば経行。
ときどき物音にギクッとするが、今は禅堂には誰もこない。
一息という単純行為を純粋に、しかも継続するのは大変である。考えることではないだけに打つ手が全くない。ともすれば、一息を守り体を捻ることに集中しなければならぬという意識を喪失する。そして、早くも心が他の事柄へと拡散し、思念が始まってしまう。思念の中にどっぷりと浸かり、思念の中にいることすら分からない。そのような強力な心の癖には、意志も努力も遠く及ばない。雑念に遊ぶ自己を発見し、呼吸に帰る。また雑念に引き戻され、はっと我に帰る。この繰り返しである。
一定パターンの精神状態が繰り返されるからには、そうなる強固な心のメカニズムがあるに違いない。意志や決断、精神力という知的制御が全く機能しない。とにかく呼吸への執着心を強めて、雑念に遊ばぬようにするしかない。
「呼吸が単純明快であれば、雑念は当然関与しないと言うことは分かるんです。ではどうすれば単純な一呼吸になれるんですか?」
朝食の後で質問した。
「単純明快になるためには、ただ単純明快にするしかない!
それをせずして成れるはずはないだろう!
原因がなければ結果はないのだ!」
ここで知性が大いに邪魔をする。やれと言われて単純に只するのは、なにやら愚鈍ではなかろうか。いや、知性の自殺行為ではなかろうか。人間の知性は「只」することをなかなか許さないのである。「はい」と素直に答えなさいと注意された子供は、(その子の年齢にもよるが)親に反発を覚えるように、「只」やれと言われれば、知性は「なぜだ」と説明を求める。「単純明快にするには、単純明快にするしかない」という論理を、知性は見逃さない。
知性は理由を追求する。知性が人類に知的発展をもたらしたのは事実である。知性は、懐疑と物事の論理的説明を飽きることなく繰り返す。それが知性の強みでもあり、弱みでもある。知性はこうして知的満足に耽るが、人間の情操・徳性には限定的な力しか持ちえない。知性が人間の行為を究極的には制御できない理由はここにある。人間が過度に知性に走ると、言うこととやることの乖離を招く。学者の滑稽はそこにある。知性は必ずしも万能ではないのである。
禅は逆にこうした知性の反発を見逃さない。「只やるためには、只やるしかない」という論理に参究するかどうかが、実は、禅の実践と知的満足とを分別するカギとなる。「只」できないのは、その人間に「こだわり」があるからである。
実は、この「こだわり」こそ、人間を不自由にさせている根元である。禅の極致は何でも「只」できることにある。、この「只」には無限の力がある。人が雑念や余念がなく「只」する時、すべての拘束から自由となる。
老師の注意は、ニワトリか卵かの優先論議の前に、とにかく一呼吸を守りきれと言うことにある。やはり一呼吸への執着しかないのか。いや、一つの事を守り通すと言うことには、より重要な要点があるに違いない。老師はそうした含みを持って簡明な示唆を与えている筈である。
単純な呼吸と雑念とは背反関係にある。守っているか、そうでないかのどちらかである。修行にはいずれを取るかの選択肢は無い。雑念は初めから無視されるべきものである。老師の言われる通り、一呼吸の一事実を着実に実行する以外にはない。「文句を並べ立てる前に、徹底やれ!」と言われた意味は、禅への最初の関門として重大な意味があったのである。
夕食の時、ご飯を食べること、歩くこと、すべてゆっくり心してするよう注意される。食事という当たり前の行為は、当たり前であるが故に、ただ何となくしてしまう。その行為の本質に迫るには、先ず行為自体を明確化しなければならない。絶対にそのものを離してはならない。しかし、生物として機能している自然のままに、本当に満身「ただ」出来たらいいのだろうが、注意を怠ると完全に雑念の世界に迷い込む。そこには抜け殻とも言うべき行為だけがある。
老師が頻りに説かれる「心の癖」とはこの無意味な連続的思考作用のことであろう。修行とはこの癖を取ること。私はこう確信して、油断から生ずる「瞬間の事実」からの離脱現象を必死に防止しようと努力した。それからというものは、指示された通り徹底的に意識して、そのものから離れないよう努力した。そうするしか、今の自分には方法がなかった。
歩く速度は最小となった。後から廊下を歩いてくる他の修行者を待たせてしまうこともあった。しかし修行を徹底するためには、迷惑をかけても他者を無視することにした。即今底を体得してから、謝ればよい。土下座してもよい。
夜九時過ぎ禅堂を出る。ままならぬ呼吸であったが、自己の注意が完全に離れて、自分の所在を探すのに一苦労する程ではなかった。
参禅三日目
朝四時起床し、禅堂へ。老師の本『坐禅はこうするのだ』によれば、参禅者は三日目の午後あたりに老師の点検を受けている。
(今日練らないとダメだ。今やらないと老師の質問には答えられない。)
焦りと逼迫感がある。しかし朝の六時にはもう眠くなり、部屋に帰る。
これは明らかに「偏り疲労」である。「偏り疲労」は精神力を極度に低下させ、坐禅の効率性を著しく低下させる。老師が禁じている我慢ごっこの坐禅である。修行の上で意味がない。「生産性のない我慢ごっこはしてはならぬ」との有り難い指示に素直に従う。生き物としての人間の特性に立脚した指導であった。古来の禅修行では到底考えられない、効率を重視する全く新しい修行法であり指導法である。多くの外国人も参禅する国際化時代には、実に合理的な相応しいやり方であろう。そう思いながら部屋に入る。
「関!」
壁に掛けられた大きな「関」の字が目を射る。「関」とは、この道を得るため、どうしても乗り越えねばならぬ関所のことである。書は先先代の井上義光老師のものだ。
(自分はこの「関」を越えて、果たして只管なるものを体得できるのか。)
自分を追いつめる。
よく眠ったらしい。七時半に起き、他の参禅者と朝食。食後にはコーヒーとお菓子。了われば「直ちに坐禅だ!」と追い立てられた。
少々すっきりしたためか、気迫が充実してきた。しかし一向に向上は見えない。一呼吸をする数秒間に、完全に自己を見失っている。その事にすら気付かない状態が続く。昨夜より質が落ちているようだ。自分の精神の脆弱を否応なく知らしめられる。決心も意志も努力心も、言ってみたり思ってみたりしたものに過ぎない。いわば空手形である。惨めにも自信を失っていき、科学者としての冷静さも誇りも根底から揺らぎ始めている。
昼食後も一人で坐禅。しかしすぐ疲れて禅堂でゴロリと横になる。(他に誰も居ない禅堂では疲れた時の横臥は許されている。)しかし、次第に気分は追いつめられる。この「関」を越えられるのだろうか。またしても敗北感が襲ってくる。
数時間、埒もない呼吸しか出来ず、もはや追いつめられて必死であった。念を込めて一息をするのだが、納得のいくたった一呼吸が出来ない。
自分の呼吸なのに・・・、どうして呼吸がぎこちないのだろうか。そのことが、焦りと疲労感を増幅する。老師がいま現れて点検してくれれば活性化するのに、とも思う。
独自性、自立性、主体性など、人間にはあたかも立派な力が備わっているかのように言われている。「主体的」「自主的」に坐禅を志願したはずの私でも、今の一呼吸への集中さえ継続できない。今の自分には、根底から自己を支える精神が人間に生得的に備わっているとは思われなくなった。これほど何でもないはずの呼吸さへ、明らかにすることは至難であった。
そうかと思うと、全く偶然に、自然で楽な呼吸の時もある。「あれ!」と思う。今まで無かったからだ。しかし長くは続かない。
禅堂に夕陽が差し込む頃、「これでいいのか?」と幾度も不安に襲われる。方法については決定的な確信を得たつもりであったが、確信が揺らぐ。
「確信とは何だ?」
こんな事を自分に問いかける。分からない。情けなさと虚しさで胸が一杯になる。自分にそう言い聞かせ思いこんだだけのものは、いざとなったら、さっぱり力にならない。人間の精神は、極限状態に近づけば根底から不安定になる構造をしているのであろうか?
現実の社会生活では、このような内面に於ける、行為と観念との不同一と、それによる心の混濁を細部にわたって実感することは滅多にない。自己は外部との関係性によって常に押し流されており、心が内面に届かないからである。(即今底を日常生活で何とか維持できるようになって初めて、このような心の細部の揺らぎを明確に把握できるようになった。)
もはや心身全体が疲れきり、肩と背中はぱんぱんに張ってきた。足は棒のようで、五分と座れない。経行に切り替える。いや、経行しかできない状態であった。
体がこのような状態になると、心は急に不安定になる。不安が大きくのし掛かってくる。実に取り留めのない妄想をする。それらを打ち消し打ち消し、経行を続ける。それしか出来ないのだ。
いや、出来ないことはない、しているのだから。「一歩だけで良いのだ!」と全身に言い聞かせる。
いつしか足裏の感触に全神経を集中し、一足一足を禅堂の床に、思いきりたたきつけて歩いている。音が禅堂いっぱいに響きわたる。あがきである。そうまでしなければ直ぐに妄想に襲われ、自分を喪失してしまうからだ。
一歩。一歩。一歩。
禅堂の夕陽は更に奥へ差し込み、それが今の私にかすかな安らぎと勇気を与えてくれる。
一歩。一歩。一歩。
(「歩いている」というこの思いと、この一歩の事実とはどのような関係があるのか? はたして本当に関係があるのか?)
そういう思いがふと頭をよぎった。これは後で分かった事だが、観念以前に事実があることに気づき始めた、まさにその瞬間であった。老師の言われた「それ」が「それ」である世界である。
我々は見るそれ、聞くそれに、必ず観念を添える性癖がある。しかし現実はわれわれの観念や想念には無関係な、まさに「それ」なのだ。なおも一歩との自己同一を真剣に続ける。
一歩。一歩。一歩。
(おや?)
不思議な感触に気付いた。足の裏が強く床に吸い付けられるように感じたのは、この時だった。なおも歩く。
一歩。一歩。一歩。
感触はさらに鮮度を増し、足の裏がひとりでに床を強く挟みつけるような感じとなった。
(おや? 吸盤のようだが?)
生まれて始めての、その絶妙な感触を確かめながら、何度も何度も禅堂の中を経行して廻る。
一歩。一歩。一歩。
何周も廻った時だった。新鮮な歩行の実感は、心の底から何とも言えぬ嬉しさとなってこみ上げてきた。その実感は自分には絶対的で究極的なほど確かであり、一切の疑惑から超越していた。一瞬の実感がずっと継続しているので、言葉の余地が無くなっていた。
(おや? この様子があれ(只管)ではないのか?)
そう直感するものがあった。実感は現実の事実であるが、しかし「只管」かどうかとなると疑問がある。はっきり確認したほうがよいと思い、半信半疑への回答を出すべく、歩く。
一歩、一歩、一歩。
実感は変わらない。
(「今」とはこれかな? だとしたら「只管」だ!)
少しではあるが確信が湧いた。
この時、夕食を知らせる拍子木が鳴りだした。このまま成りきって一気に落としたいのだが、やむなく食堂に向かう。
(この実感を逃してはならない!)
水を満たした器を運ぶように、慎重に、ゆっくり、ゆっくり、足元を確かめながら歩く。歩みがあまりに遅いので、だれかが追い越していく。食堂に入る。
(歩き方を見て老師が私の「異変」に気付いてくれればよいが。)
しかし老師は飯代の上になにかを広げて見ていた。こちらを直視していない。
「老師、歩くことが少し判ってきました!」
やっとの思いでこれだけ言った。
ぱっとこちらを見据えた老師の目は、やはり怖かった。しかし、それ以上に今の自分を知って欲しかった。そのために具体的に、直接に「生のその物」を出してみせることだと思った。
その途端、不思議なことに、誠に潔く、何の抵抗感もなく、老師の前で円を描いて歩いていた。そんな自分に成っていた。
歩きながら感極まり、上擦ってとうとう哭きだした。
確かにうれしかった。しかし、それだけではなかった。
坐禅修行は自分が根底から納得し、自己に真に決着を付けることが目的である。自己の根元が明かになるに従って、悩みや煩悶が浮上しなくなる。悩みの根元から完全に解放されたのではないが、無くなれば救われて楽になる。自己が解け落ち、解け落ちた分だけ心が軽くなり、明晰になっていく。素直になり、真実になる。そんな実感に驚いたからでもあった。
「まあ、座りなさい。」
言われるままに座る。老師の目を見ることはできなかった。自分が体得したものが本物なのか、そうでないのか全く自信がない。間違いであっても自分はこれで良い、などと言う過剰な信念は微塵もなかった。しかし、本物であって欲しい、と言う願いはある。
泪は滂沱と溢れ出るばかりである。
老師は、体格のいいお弟子さんに向かって、「ほら。正しく努力すれば、必ずこうなるのだ!」と言われた。
涙は止まらず、顔を上げることもできない。かたわらのティッシュペーパーを数枚摘み上げ、鼻をかむ。
「涙一滴で随分、紙を無駄にするヤツがいるな。思い遣りは無いのか」と叱られた。しかし不思議に気にはならなかった。なおも涙が止まらず、小さく嗚咽し続けた。その僧もいつしかすすり泣いている。同じ努力をしている者には直接響くという、人間性には素晴らしい作用がある。
「さあ食べなさい」と言われ、心を鎮めて食べようとする。心はしかし舞い上がっている。静まって捕らわれない感情と、遂に宝物を見つけた嬉しさとが交錯している。何やら理解を超えた精神状態だ。
ご飯、味噌汁、クリームコロッケと刻みキャベツ。
コロッケを口に入れたその時、
「それはどんな味か!」
突然の質問であった。言葉の瞬間は何でもない只の音であった。次の一瞬、その事の意味する重大さに「ぎく!」とする。言葉では答えようがない。道場全体、締め付けられ、凍り付いたようになる。
舞い上がっていた心が一瞬の内に定まり、極めて冷静になっていた。不思議な切り替わりの早さである。
次の瞬間、只、黙って、深く、ゆっくりと、味わって噛んでいた。
そこに、その味がある。
味の実感が自分を捕らえていて、それ以上、理解の必要がなかった。理屈を持ち出して云々する世界ではない、その事実が私そのもので、それが答であった。
味が言葉で伝えられたり、言うだけで味そのものが相手の味覚に現成することはない。もし、そうであるならば言葉が現実の世界を生みだすことになる。畢竟、言葉と具体的な味とは一切関係がないと言う確信に到った。
幾ら言葉を駆使して形容しようが、修飾してまことしやかに表現しようが、一切の真実なる様子を体得している人には通用するはずがない。論理で伝えようとしたなら、一喝されるかぶん殴られるかのどっちかである。この気付きは重大な事実の発見であり、それからの修行に忽ち反映されて、心の光明となった。
自分は自然科学者である。実験によるデータや知見を、概念や理論を駆使して言葉で説明する世界にいる。私の経験を科学的に説明すれば、「食物は咀嚼と唾液中の酵素によって分解され、舌に分布する感覚器を刺激する。味覚は電気信号として脳に伝達され、脳は味覚を知覚する。咀嚼を入念にすれば食物の分解は促進され、味覚も一層強くなる。」というにすぎない。
科学的事実は真理だが、科学的事実のみが真理ではない。科学的事実だけが真理だとすれば、私が感じたこの感動は一体何だったのか。心理学者は特殊な環境下での特異的錯覚というかもしれない。いやそうではない。人間の精神活動には、概念と論理を操作する領域以外に、実感をもととする情感の領域がある。学問でいえば、自然科学と人文科学の違いを想起してもよい。
私はこのような領域の存在を強く自覚したのだろうか。人間が生きる上で外界から時々受け取っている感覚そのままの世界、人知が及ぶ以前の世界、すなわち世界のありのままの様子、宇宙の基本的様子(只管)に気づき始めたのだろうか。
こう書くと、神秘体験のように受け取られるかもしれない。そうではない。私の知覚したものは、あくまでご飯の味にすぎない。しかし、この味に我を忘れて成りきった点が、日常生活での散漫な食事と違うだけである。味覚という感覚のみに心が占められる状態、すなわち「三昧」の初体験である。
老師は、私が静かに噛む、その総てを見ておられて、「よかろう、良くやった」というような顔をされた。不思議にも老師の気持ちがストレートに伝わってくる。何も言われなくて、大事なことを伝え合う世界。自己という認識的存在が仮想そのものである世界。仮想が心から縮小するに従って、世界は透明感を増し晴れ晴れとしてくる。精神の一大構造変革であろうが、その細かな様子はまだ判然とはしていない。
私は、言葉を用いて過去の経験を概念化した世界、すなわち「思い込み」の世界に確かにいた。しかし老師の指導によって、瞬間に生まれたばかりの何もない「今」にある世界、すなわち言葉の媒介なしに認識する世界を知ったのである。このような「今」にある世界こそ、本来の宇宙の姿なのであろう。宇宙は人間の思い込みとは無関係の独立した実在である。これは大変な自覚であり発見である。何よりも感激である。私は、すでに科学では手が届かない、実在を実感する世界にいた。
「箸の上げ下げから食事全般をしっかり見守り切れ。そうしないと成り切れんぞ。
そのものはそのものに問うより道はないのだ。
離したら知るべきものがなくなるため、修行にならんだろう!
ゆっくり確かに、ただ食べる。
それしか無いからだ!
ただ、それだけだ!
修行とはそのものに「こだわり」きることであり、執着し尽くすことなのだ!
他に何物も入る余地のない程に執着するのだ!
成り切れば自然に「隔たり」が落ちてその物ばかりとなる!
とにかく、いま、そのものを離しては成らぬ!
ゆっくり、明晰にだ!」
「皆の中では私が一番遅いのに!」と念が動いた。瞬間的に、「おっとこれは観念だった」と気付いた。自分の心の状態が明晰に知覚できて驚いた。にわかに心が深く落ちていく感じだ。
(これはどうしたことだ!)
突如、自分のささいな手や指の動きが、悉く認知できるのに気付いて驚いた。
「彼ひとりにしておいた方がよい」
老師の言葉に、老師を初め皆が席を外す。私の様子を察知されたのか、自由にどこまでも質の高い修行をさせようと言う指導である。驚くほど斬新であり、急所を衝いた修行のあり方に感嘆する。時間や人との調和に気を使うことなく、ひたすら成り切って食べなさいという指導であった。
一噛み、一噛みが、より一層綿密になる。心が統一してくると、このゆっくりとした綿密な行為が意外に面白く味があることに気づいた。
一噛み、一噛みの、ごく自然の作用が重々しく感じられ、それがずっと続く。食べ物に食事させられていると言った感じである。している自分が無くなっていくではないか!
もう少し食べたいなと一瞬思ったが、そうした気持ちに一切災うことなく箸を置く。そこには何らのこだわりも作為も執着もなかった。
(この爽やかさは何だ? 心が自分の自由になるなんて!)
食べ了われば食堂に用はない。禅堂にすぐ行って坐り、一息を守らねばならないその事に、何らのためらうものはなかった。しかし、私は苦労して得た「只管」を細部に渡って点検して欲しかった。それなりの体験として肯って欲しかった。その点で不承々々、禅堂に向かう。
座に着いたが、何故か、この問題に対しては気持ちが残っていた。たぶん只管の探求こそが、今回の参禅の最大の課題であり、いま此処にいる基本的理由だからである。
我々の精神が作用するに及んで大切なことは、健全で明確な目的によって発動することである。その目的意識である。それだけで邪悪な精神作用をかなり回避出来るであろう。逆もまた真なりで、欲望に基づく自己実現の要求が稼働したら、精神は暴走状態にあるといえる。ほんに紙一重の処というか、僅かな心的要素の違いでとんでもない結果が生まれるのもそこらに依るようだ。
数分坐り直した後、やはりこちらから尋ねるべきだと思った。先ほどの「只管」についての疑問が去来して、呼吸に集中し切れなくなっていた。これが有るから老師はあえて何も言われなかったのだろうか。心の波が治まりかけている大事なこの時に、言葉の世界に落ち込むことは禁物である。しかし、現実に疑問が去来している心は不安定状態である。雑念と違って却って始末が悪い。一呼吸を守るという命題とすり替わってしまっている。心は一体どういう構造をしているのか。
とにかく老師の点検と指導に頼るほかはない。はじめて老師の部屋に近づき、中に向かって声をかける。お弟子の幽雪師が、「老師に質問したいそうです。」と取り次いでくれた。老師は私を食堂につれて行き、老師と私は飯代の前に向かい合って坐った。
「私の気づきは、いわば足の感触の事実です。これは本物でしょうか?」
「足であろうと何であろうと、それぞれの様子は違っても、縁は同じである。」
そう言われる。師の言葉が充分咀嚼できない内に、突然、
「これ何ぞ!」と、老師は右手を運動選手の宣誓のように上げられた。
瞬時の迷いもなく、私の右手が上がっていた。それがそれだからである。他に理由はなかった。
「そうだ!」
老師の諾声もそれだけであった。音声は、それがそのまますぐに消えていた。その事実をはっきりと知覚していた。
「他に何かあったか?」
「いえ」
何もないから、別に言うことはなかった。
「これをよく見ていなさい」
そう言って、右手を飯代の上一センチほどの処でゆっくり左右に動かした。私も右手を同じように動かしていた。
老師はそんな私を凝視される。そしておもむろに、それはしなくてもよい、と手で制止された。老師は再び同じように手を動かす。老師は手に成りきっておられた。私は吸い込まれたかのように見入っていた。
「この手がまるで自分の手のように見えるだろう。
目というものは、手は手のままに視ており、誰の手という区別はしないのだ。初めから自他や分別はない。また、何物を見ても一切に囚われていないのだ。それが本来であり自然なのだよ。初めから解脱しているのじゃ。」
私もそう実感した。老師は科学者以上に厳密に把握されているなと感心した。「禅は心の実践実証科学である」と言われた老師の言葉の意味が、極めて当たり前のことと思えた。
「これが自他一如の世界だ。本来誰もがそうなのだが、実証していないからその事実が分からないだけなのだよ。哀れにも。だから修行しなければならんのだ。」
「・・・・・」
言葉は既に無くなっていた。
「間の抜けた修行はするなよ。本来解脱しているのだらね。
耳も鼻も舌も、手も足も何もかもじゃ。心もだ。
問題は、ただ身と心に「隔たり」があるために、解脱の働きにならない事だ。
見た瞬間に心意識がぱぱっと勝手に作動し心を拘束する。そこから自我が起こるのだ。
「隔たり」をとるには、成りきればいいのだ。
常に、しているそのものを離してはならぬ。
畢竟、今ばかりと言うことじゃ。」
そう言って、じっと私を見据える。緊張した心と、暖かい心と、全身に漲った菩提心で清まったこの時、はじめて私は老師の顔をはっきり視た。違和感はまったくない。そこにそれがあるのみだった。
「よし、呼吸をしてみよ」
私は極自然に、ゆっくり吐いて吸った。老師は私のそんな様子を総て見尽くされていたようであった。
「よし、それだ。すっかり吐き切ったら、自然に入る。この単純明快な自然の作用をどこまでも馬鹿になって続けるのだ。
死んだつもりでやるのだぞ!
百尺竿頭、歩一歩を進むとか、大死一番とはこのことだ。
さあ分かったら行け。行って一息を続けるのだ!」
こう言われたとき、引っ提げて入ってきた当初の疑問がすっかり消失しているのを知った。その代わりに際だって鮮明な心境がそこにあった。この貴重な実証体験を如何にしても失いたくない。それはそれは難儀をし尽くして獲得した、正に心の宝だからである。この点も臆せず、
「この純粋な実感はいつの日にか、失われますか?」
そう聞いた。その事が確実かどうか不安であった。それよりも何よりも、後で失うことが怖かったのだ。
「そう、無くなるぞ」
あっさり言われた。
どうしたものか、我々の通常の認識は、こうした二元的相対論に立っている。知と不知、得不得、好き嫌い、善悪、するしない、認める認めない、等々。こうした二元の狭間に立たされた時、一方にはそれがはずれた場合のリスクを想定し、更に不安感さえ用意している。このような認識は、われわれの精神作用の中でパターン化され構造化されている。老師がよく言われる「心の癖」である「隔たり」という言葉は、このような認識を指しており、けだし名言である。こうした二元論(分別)から脱却して、そのもののままに作用できるようになれば、心は自由となり、苦しみは解決する、というのが禅の基本原理であろう。
要するに「隔たり」を取るのが禅の目的であり、その結果が、悟り・解脱・脱落・涅槃と言う、本来の世界なのであろう。西洋哲学とはまさにこのような二元論の上に立脚した構造物ではなかろうか。それに対し、東洋思想、特に仏教はこうした二元論的認識(分別)が起る以前の心(即今底)、すなわち概念を超越した「こだわり」のない世界から、自然態の様を説いたものであろう。
西田幾多郎の言う、主客未分の、あるがままの直接的な知覚、すなわち「純粋経験」は、即今底、只管、三昧と同じものである。ところが西田は「絶対矛盾の自己同一」という苦しい概念で、「隔たり」によって起こる虚像と、あるがままの事実との、全く異質の両世界を総括しようとした。彼の哲学は確かに絶対矛盾である。西田は、主体としての自己自身が、実と虚との同時存在ゆえに、最後まで苦しんだようである。彼は涙ぐましい参禅努力をした。しかし、自我のもとである「隔たり」を陶冶する事は出来なかった。それゆえに、虚実二元、光と陰のどうしようもない狭間からは抜けることが出来なかったようである。かくして尽きることのない論考の限界を思う。良き師に出会っていたら、西田の哲理は究極をいったであろう。哀惜の情を手向けたい。
西洋哲学は分別の分泌物であり、仏教や老荘思想は分別以前の認識によるのだ。哲学や思想など、思考の世界の限界がはっきりし、私は哄笑したくなった。私は思考の世界が精神の根元を解決する何ほどの力もないことに気づき始めていた。すべては観念の世界である。観念によって人間の根元的な苦しみは解決しないのである。私は、西田の真理追求への真摯な態度と、精緻を尽くした論理構築の努力に対して、尊敬心を抱き、高い価値を見いだしている。しかし「自己自身に決着をつける」という命題に対しては、知性ではとうてい不可能なのだ。
「得たものは失うものだ。
君は得たから失うしかないではないか。
何もかも捨て尽くすのだよ。一呼吸に成りきることによってな。
捨て尽くして何も無くなれば、失う物は何も無いだろう。
その時、その場、それが、それだ。
つまり、すっかり無くなったとき、一切が自己と現成するのだ。
それしか無いのだから、その事を本当に知ればよいのだ。」
哲学や思想や科学では最早如何とも出来ない、禅の独壇場であった。実践としての禅は哲学でもなければ思想でもない。禅は認識以前の絶対世界(即今)に目覚め、その普遍の世界に常住する事であろう。坐禅は迷いの元である「隔たり」を取る修行である。しかし「禅とは何か」を知的に理解し、それを理論化したい欲求が沸々と起こってくる。これは研究者の業であろう。
しかし、いかなる理論化も、即今の「何もなくて、何にでもなる世界」を説明できるものではない。知的解釈による知的満足は、禅の初学者が陥る極めて危険な陥穽である。最も恐れるべきは、禅の理論化は、それをする人にも、またそれを読む人にも、修行の上でことごとく災いとなることである。書いても読んでも修行が疎かになり、理屈や人の批判だけが出てくるからだ。
禅は掴んだものを悉く手放す作業であり、学問は理解したものを握って放さない作業である。人は学問によって「利口」となるが、禅によって「馬鹿」となる。しかしこの「大馬鹿」に廻転の大権威あることを知らなくてはならない。「馬鹿」になるのに理論は不用である。理論化は「利口」のすることであり、迷いの上塗りをしているのだ。
「結局は頭脳の世界と、体の世界との違いじゃ。
頭脳は観念と概念であるから、論理によって言葉に置き換えられる。そこには全く時間も空間もない、無機物であり無実体界なのだ。
ところが体という物は厳然とした客体であり、客観的存在である。事実であり、今、瞬間の存在である。それは機能の存在とも言える。
機能を通して外界との関わりを営むことを人生という。つまり、機能が作用するということである。人生とは、この体に模様される作用でしかないと言うことだ。それを純粋に、瞬間、瞬間、実感し味わって、何らの余念のない人を祖師と言うのだよ。
とにかく、知る、知らないに一切関わらず、誰もが朝から晩までこの法(仏教でいう真理の意味)を使い尽くして居るではないか。しかも、何一つ跡形がない。総てその場、その時で終わっているのだ。空の働き、無の作用じゃ。解脱だよ。
この消息を明確にすることを悟りというのだ。それを得るための修行だぞ。
つまり、事実に則して心が作用することである。
即するとは「隔たり」無く、その物ズバリだ。
事実に即するためには、事実、即ち、今のその事のみに、成りきり、成りきりするのだ。
成りきろうと自己を運んだら、更に迷いの世界を重ねることになる。一心不乱に、ただすればよい。ここがはっきりしないうちが苦しい。どうして良いか分からんからだ。
その時はもう一度、一息から始めるのだ。
吐き切る。吸い切る。拡散の余地を与えぬ綿密さと熱意がいるぞ。
尽くし切って初めて自己が落ちる。
さて、今から離れることが出来るか? 呼吸が無くなることがあるのか?
そちは捨てるための修行なのに、つまらぬものを認めたり、守ったり、失うまいとする、それ自体が煩悩を生み出す元であることが分らんのか、この馬鹿者!
そんな修行だから物にならんのだ!
これからが本当の修行ではないか!
得た光明は、瞬間、瞬間、捨てていくから大きな光明になるのだ!
折角そこまで漕ぎ着けたのだから、油断無くやれよ!」
禅堂へ行くべく立とうとした瞬間である。私を睨み付けていた老師は、
「これ何ぞ!」
と大声で言ったかと思うと、飯代を大きく「ばん!」と叩く。
一秒ほどの間を置いてやや遠慮気味に叩き返す。
「考える隙間があっただろう。瞬間に頭脳へ迷い込んだのだ。
大きな隔てを、まだ持ち歩るいとるのか!
そんな修行では駄目だ!
今、即今にそんな隙間がある様ではいかんのだ!
何をぐずぐずしておるのだ!」
「・・・・・」
思考が始まった途端、脳全体が惑乱していた。
「さあ行け! これ以上くだらん事を聞くな!」
大声で一喝された。腕が届いていたら、したたか殴られていただろう。合掌して禅堂に向かって歩き始めた。
半ば有頂天であった自分は綺麗に落ちていた。それはそのまま深く深く収まって、今までにない静寂に達していた。師の偉大さを実感する。「関」を透過したのではないか、という、ほのかな期待があった。僅かな手がかりほどのものが、それなりに確かな体験として評価されたことは嬉しかった。
意外だったのは、足の裏の何でもない感触、それ自体がこのような大きな世界だったことだ。全く意外だった。その事は間違いではなかった。こうして得た只管の入り口の自覚は、老師の向上への示唆と激励に依って、そこからの修行に絶対の確信をもたらせた。
「ああ、これで、苦しい修行は、もうやらなくてもよいのかもしれない。」という思いと、「なるほど、これでは禅天魔になるなあ。」という自戒とが交互しながら、歩いていた。母屋の戸を開け、禅堂に通じる簀の子の上を歩いていた時、足先はこうした思念のために乱れていた。ほんに僅かな時間に心は乱れ落ちていくものだと、未熟さを痛感した。
禅堂に入って数分すると、体格のいいお弟子さん(祖玄師)が入ってきた。墨染の正装に身を包んでいる。僧は作法どうり礼拝してから坐り、体を左右に大きく揺振させて、フーと大きく息を吐いた。自分までがそれで禅定に入っていくのを覚えた。老師が、飯代で手をゆっくりと左右に動かして、自他不二を知らしめてくれたあれである。
妙な感じだったのは、知性的な認知からではなく、全身で感じ取って、全身に反応していたことだ。確かに我々は、知性とは別の、もっと確かで端的な作用の存在である。その事実が分からなくなったことを、迷いとして自覚すべきであろう。
参禅四日目
夜、許しがあって四日ぶりに風呂に入る。さらっとしたお湯の感触は絶妙であり生きている、そんな実感は初めてである。何もかも淡々と運び、何時の間にやら出ていた。
八時より中間慰労と称する小宴が、私のために催された。かなりの疲れを自覚していた時だけに嬉しい。アルコール好きの私は、自然の要求のままにビールをしこたま飲む。幾らでも入る。酔った実感がしないのは不思議であった。冴え渡った巨大な精神力が働いているかのようだ。
老師の世界観を聞く。老師はどんどん喋る。私は只聞いて終わっていた、しかし口を開くときは開く。今までは質問ばかりであったが、世界的な問題を解決するための東洋的シンクタンクの必要性を説いていた。若干の興味を持ってもらう。
知性を売り物にする科学者の存在も、大いに必要があると言いたかった。しかし、私は、科学的知性が、人間性との兼ね合いに於いて、矛盾を引き起こしている実例を身近に知っていた。だから、そうは言えなかった。知性と人間性とが人格として融合していなければならない。科学的知性だけではかたわである。
高校時代に岩波文庫の『臨済禄』を読んだことがある。ある修行者が臨済に仏法の根本義を質問し、平手打ちを食う。その僧は「師になぜ礼拝しないのか」と言われて礼拝し、そのとたん大悟した、という話が登場する。
何故ここで悟れるのか考えあぐね、はぐらかされたような気持ちになったことを覚えている。この悔しさが今回の禅修行の機縁になったのだろうか。そんな話しを老師にする。
「高校生の年代で『臨済録』を読むとは、ちとませているぞ、そちは。
その時悟った僧は、平手打ちを喰らった瞬間、自己を忘じたのだよ。つまり「隔たり」が脱落していたのだ。声を掛けられて初めて、一切が無く、総てと同化していたことを自覚したのだ。これらは痛快な頓悟だな。」
老師は茶目りながら、大事な法を説く。今思い起こすと、当時の私はその手の書物を結構読んでいたようである。しかし、内容に到っては斯くも読み損ねていたことを知った。読んでいた頃、実際に坐禅をしようとは夢にも思わなかった。
経行するのに踵を強く床に打ち付け、大きな音をさせて歩いたのは、今までに私一人らしい。質問をこれほど多くしたのも私ひとりとか。
質問し尽くすのは、目的意識によって自然に触発される科学者の性癖である。分かるまで追求するのが科学的精神である。分かれば無用なので質問する必要がなくなる。
知的成長期の質問責めに徹底的に答えてやれば、幼児の知的興味と認識領域はさらに広がっていく。こうして物事をより深くより的確に知ろうとする精神が育つ。的確な質問が出来るということは、問題意識が明確であり、頭脳が明晰に働いている証拠である。幼児期の質問責めこそ、科学的精神や、積極的に問題解決していく自発性、健全なる自立性を形成させるのだ。禅者の質問も幼児の質問と同じであり、参師問法は参禅の要である。質問によって向上していく。老師に徹底答えてもらうと、前に進むべき道が見え、熱烈な追求心が湧き起こってくる。
参禅五日目
午前四時起床。坐って一息に集中するが、ほとんどできず。次から次に雑念がでる。ほとんどが昨夜言い足りなかった自分の発言の補足である。淡々と喋った積もりなのだが、そこにまだ念を残していたらしい。これが初心者の苦しむ「地獄」か。自負と実体とは、この場合殆ど無関係であり、自画自賛の知羞しきり。
老師はそんなことまでちゃんと見通されており、昨夜、私は注意を受けていた。
「明日は相当乱れて、昼まで調子はもどらない。何故か分かるか?
積極的に言葉が走り出ると言うことは、以前の「心の癖」が蘇生したと言うことなのだ。
本来の一瞬には前後も癖も何も無い世界だから、何事も起こらんのだ。
それには徹しきって「隔たり」を消滅しなけれならない。
そちは少し心の混濁が治まり浄化した程度、今とはこれだ、と言うことが分かり掛けた程度だ。
厳然と「癖」が生きているから、知性の蓋を開けると忽ち訳の分からぬ観念現象が始まるのだ。」
昨夜の宴会は統一された心を一度ぶち壊すためのものであった。娑婆に出たら、たちまち心の統一は失われるのが現実であるから、「今」を直ぐに取り戻す急所をよく掴んでおくように、とも言われた。
坐ってみると、心の分散状態がよく分かった。私たちの精神は浮き草の如く不安定である。不安定の原因は、精神が不必要に、不統一に、即発的に作用するからだ。意志も決断も信念も、それらを構成する内的なある条件が崩れると、すっかり変質し色あせて、瞬く間に定点への継続が利かなくなってしまう。知的な観念操作を意識的に行っても、精神の不安定は絶対に治まるものではない。これを瞬間的根元的に治める方法は、少林窟道場で指導するような正しい坐禅しかないのであろう。
ひと眠りして午前七時に起き、すぐに坐禅をする。心は直ちに統一され、一点に定まった。これも不思議な現実である。改めて疲労と解消と一呼吸の力を知った。今まで苦心してきた成果だと感謝した。もし戻らなかったらどうしようかとも案じていたが、私が確信した世界はそれなりにやはり光明だった。
午後現れた小積氏と角田大姉を紹介される。小積氏は『坐禅はこうするのだ』の登場人物である。角田大姉はあの優雅な挨拶をされたご婦人であった。角田大姉からは「顔が穏やかになられた」と言われた。何だか奥まで見透かされた感じである。
実際、自分より一歩でも先をいかれる修行者の心境は、初学者には皆目分からない。どこに居るのかさっぱり見えない。どのような修行をされておられるのか、まるでつかみ所がないのだ。
少林窟道場の窟是に「既に山内に在っては是非善悪を考ふることなかれ、十二時中、只、法に従って動作す可し」とある。窟是の眼目は、何時如何なる所でも即今底を守ることにある。部屋でくつろぐ時、コーヒーを飲む時、お酒を飲む時、歩く時、喋る時、掃除する時、風呂やトイレの中でも、何時いかなる状況下でも「今」を見失わないように、自己の行為の一つ一つに一秒の何分の一の精度で、細心の注意を払い続けるのである。これは想像を絶する努力と根気である。何気ない日常行動の中に即今底を必死に守る先輩たちの努力が、初心者には全く見えないのである。老師が言われた、「道元禅師が、仏道を習うというは自己を習うなり、と言われたのは、一瞬たりとも自分を見失うことなく淡々とやれ、と言うことだ」と、思いを新たにした。
少林窟道場は他の道場に比べ、一見、規範が緩いように思われるかもしれない。定時の坐禅を除けば、道場で何をしていてもよい。しかし老師や古参の修行者は、修行者の立てる物音一つで即今底が抜けていることを瞬時に見抜いてしまうのである。
私はこの道場こそ鬼道場であると断言する。単に作法やしきたりのみを重視して坐禅の要訣を指導しない旧来の道場と少林窟道場とを比較すれば、真の厳しさがどちらに在るかは言うまでもなかろう。少林窟道場が開山の飯田老師以来、命脈を保ち続けてきたのは、ひとえにこの窟是による。
自分や他の行動に是非善悪を加えず、坐る時には只坐り、食べる時は只食べて、見る時には只見て、眠る時には只眠り、ひたすら「今」を守るにはどうしたらよいか。それは前述の五項目によるのである。
しかし道場に在って、時として修行心が鈍ってくると、是非善悪を考えるようになる。他人の修行が気になり、表面的な批評や批判がでてくる。人の修行が気になる時は、必ず修行心は鈍っている。いや修行心が鈍ってくると、人のことが気になるのだ。禅者として最も警戒を要するのはこの点である。私は幾度かの失敗のすえ、ようやくこうした自戒に至ったのである。
その後、少林窟でよく出会ったある修行僧は、人をやたらに批評した。その批評は表面的で一面的であり、己の器量に思い至る風でもなかった。実地の研参が出来なくなると怖い。とうとう「ここは禅道場ではない。ホスピスだ」と言いだす始末であった。どこを見ているのか。老師の指示通り修行する力が、資質としてないのであろう。「自己を極める」という命題に向かって努力しない者は、修行者ではない。自己の究明に真剣な時、他の修行者の批評などあり得ない。もし人を是非し裁くようなら、その修行も独善的自我のための一つのポーズに過ぎず、本来の修行者ではない。稚拙で表面的な判断しか出来ない人や、自己究明を怠っている人は、この道場では無用である。しかしだ、そのような修行者がいても、どこまでもその人を見ず、是非善悪を考えるべきではないのである。ここにおいて修行者の器量が問われるのである。自戒、自戒。
参禅六日目
朝十時まで庭掃除をし、忠海の街へ初めて出る。総てが実に新鮮である。生き生きしている。街に出ると正念は三十分で抜けるという。はじめはおっかなびっくりであった。しかし次第に大胆になる。見たまま、聞いたままで少しも余念に及ばない。即念は変わらずだ。
おやつの後、一人で裏山へ上がる。墓石が点々とする向こうに、瀬戸内海が広がっている。一際見事ながら視感覚に過ぎない。その様子にもいっさい念がなかった。背後を見れば松林が屏風のようである。限りなく新鮮であった。
その瞬間、言葉にならぬうめきが広がり、腸が熱く振動し始めた。
(言葉と無縁の世界が広がっている!)
頭を振ってみても、言葉はどこからも出てこない。
見るそれ、見るこれに、言葉がまったく付随しない。
言葉とまったく無縁の世界が、自然で当たり前のこの事実の世界であった。完全なる事実だけの世界と自分。只、自然であった。
(明鏡止水!)
山川草木悉皆成仏が瞬時に明了した。熱腸はなおも揺らぎ、泪は滂沱と流れる。
(俺の人生でかくも感激したことがあっただろうか?)
腹の底からの感動にうち振るえながら、ありがたさにただただ哭き崩れた。
午後外出し喫茶店へ。あえて俗悪ヌード週刊誌を見る。はじめは何も感ぜず。しかし雑念がすこしづつ出始めた。「ああ」とか「何だー」などの単語が発生している。どのような状況のもとで自分の心はどのように乱れるのか、つねに実験である。
乱れがひどいと、即今底の練りの浅さを知らされることになる。世間の荒波に揉まれて心境を練るのだ。私の修行法は心理学実験の繰り返しである。
夜話あり。自己の最大の疑問である人生の目標について聞く。
未来の構築に関することでは、得意で好きなことをするのが一番。
分を過ぎた目標はやると疲れるので、分を越えぬこと。
組織では縦・横・斜めに気を使わざるを得ないし、それが出来ない者は大人ではない。
組織では組織に役立つ才能は育つが、個の世界ではないから、本当の自己の才能は育たない。
健全な目標には、思い切って知力・金・時間・情熱を投入する。
損得、義務を越えて、自分の信念に従う。
目的意識は存在の条件なので、常に持ち続けること。
目的を達成するためには「今」を失却せぬこと。
結果は条件が整えば自然に現れる。常に原因を踏んでいること。
総ては無常であり、良きことも悪しきことも流転し過ぎ去るので、「今」を大切に。
過ぎ去ったことは反省しても良いが、何れにも捕らわれぬこと。
自分が何れの日にか死する身であることを忘れぬこと。
信用と人徳、正直と誠意は努力心とともに最大の味方である。
精一杯頑張ったら、後は因果の世界である。結果を是非しても無駄である。
恩と感謝の心は人間性の最も美しく尊いものだ。
「隔たり」が解決しない純粋性は中傷や流言飛語に壊れやすい。本当のものではないから。
決着の付いてない原始的な愛は、その裏に憎しみ、嫉妬、怒り、時には殺意へと繋がる、激しく怖い感情である。それは生命力と生存本能に起因する。
沢山言われたが、人生の目標として、やはりこの境涯まで達したいものである。こもごも自己の将来に思いを馳せていたら、突然、
「小成に甘んじない性格なら、いっそのこと大死一番せい!」
と、今の考えをを見透かすかのように言われた。
(何とこの俺が! やはりとことんやるべきか!)
言われて驚いたが、心の底では驚いていない。まさに探していたものかもしれない。
(禅は人生の手段と考えていたが、目標にせよというのか!これはちと大変だ。)
禅への信頼は「瀬戸内海一見」により、不動のものとなりつつある矢先である。私の好きなものは、知の世界に加え、真理探求、美術鑑賞、それに自己鍛錬である。極めてありきたりであろうが、決してそれを到達点としているのではない。それらを満たして、しかも少しも疲れないもの。それこそ禅ではないか。禅には過不足、増減がないから素晴らしい。
「境涯が進むと、総てがよく見えるようになり、視点が普遍的となる。究極、人生何事も達観でき、しかも深く味わえるからおもしろいのだ。」
普遍的視野や人生の達観は、人間として是非欲しい要素である。
「世間に戻ったら、坐禅は必ず朝と夜やるべし。娑婆ではそこを道場として心を乱さず淡々と仕事をし、そのものを離すな。
社会生活の中で単調さを練ることだ。仕事の能率も上がるしストレスも溜まらぬ。すべて人間修行として生かせ。それが禅修行だから。」
実に分かりやすい世間での応用編であった。
「社会生活は多様な目的を含み、それに対して結果を出していく世界だ。そのために我々はこの体で現象化していく。それが社会生活だ。
我々に備わっている眼耳鼻舌身意を窓口として、色声香味触法と作用する。ここに、意が法として作用するとある通り、時に則し物に則して、その時、その様に作用して、そのまま消滅している。
煩悩とて何処にも存在してはいない。菩提とて、善悪とて、その時、その様に作用して、それだけで滅している。煩悩即菩提とあるが、そう言うことは作用自体には無いのだよ、煩悩とか菩提とかは。
煩悩と菩提とが同じな訳はないだろう。煩悩とは「隔たり」から起こる作用で前後があるから問題化していくのだ。
菩提とは『隔たり』がないから裏も表もなく、前後もないので脱落底だ。
同じ作用で『隔たり』の有無によって雲泥の差が就くと言うことを知らなければならんぞ。
どうあれ手を使い足を使い頭を使って結果を出す。この限りでの関係性であり、それ自体が因縁性であり、今の様子なのだ。
今は今であって、今に留まっていないのが本当の今である。この消息を体得するための修行だ。
とにかく執着すべき何物もない世界だから、何でも『只』することが道である。
よく分かるだろう。」
老師の哲学的な説明である。本当によく分かった。
「だから、見る、聞く、書く、物を持ち上げる、下ろす、歩く、立つ、坐る、と言った諸々の動作を、まさに微細な分子レベルで確かにとらえ、節目を付けて『只』動作する事が大切なのだ。
人生とは、それを除いては何も無い、一つ一つの作用でしかないのだ。本当に『只』出来るか否かだけだ。現象である現実に基づいて作用するかどうか、つまり『只』出来るか否かということなのだ。
この単一化が即ち自己同一の世界であり、縁と一つになった様子だ。『道は知にも属せず、不知にも属せず』とある。認知以前の自然な様子だから、心の計らい事を捨てて、『只』縁のままに素直にしておればよいのだ。常に自分が無いから現実に同化している。だから、事ごとく実在感・充足感に満たされているのだよ。
何もすることがなければ、忽然と『只』ある静かな自分を全身で味わう。総て全身で実感し尽くしていくのだ。それをそのまま味わうから過不足が無いのだ。これを如法と言い三昧と言う。
縁のままに、さらさらと、『只』しておるのが禅修行じゃ。」
これは極めて大切な法話であった。実生活におけるこの簡潔な方法を心がければ修行になると言うのであれば、これほど素晴らしい道はない。
「大象は兎径に遊ばず(大きな象はウサギが遊ぶような小道には居ない)。少しばかりの心境で感心するな!」
叱るような激励も、老師一流で嬉しい。何とか言いたいが、言葉が無い。
「世を救う人となれ。人間の知性で作り出した文明に毒されて、このままでは自らの特性で滅亡するしかないぞ。要するに自我の増幅条件が極められた今日、本当に自律性を養い、人間の徳性を重んじた家庭や社会に改革しなければならないのだよ。
大方の家庭を見てごらん。健全な父性も母性も無いでしょう。これではマナーもモラルも育たないのだよ。礼儀に欠け責任感の無い精神構造に成るしかないではないか。
自主性と称し、自分の得になることにのみに心が向かって、他人のこと全体のことを把握する人格の視点がまるでないのだ。
人間としての原理原則秩序が無いため、人生の存在意義が分からないということだ。いわば人間動物としてしか生きていないのだ。
生命観も国家観も世界観もなく、人生観と言えば自己本位で不平不満ばかりだ。
何らの構成能力も育っていかないから、健全な理想や夢が持てない。
何をしたいのか、したらいいのかが分からんほど、成長段階に必要な原則要素が育っていないのだぞ。とんでもない社会となるのは当然だろう。
これではいかんのだ。本当のリーダーが今いるのだ。きちっと心の解決が付いたリーダーが。
そう思わんのか!
思わなかったら人間ではない!
まず自分からだ。どうだ、やるのか、やらんのか!」
これは良く利いた。科学者・研究者である前に、本当の人になれと言うことである。「修行で体得した個人の幸福が、いかに他者の幸福へと敷衍されるのか」が気になっていたが、人間完成に従って、社会へ直接還元する力が産まれると言うことは、とても大切なことであり、嬉しい限りである。
「やるのか、やらんのか」と問われて、「やらん」と言う者も居ない。されど、「やる」と言えば口先だけの返答に聞こえる。言わぬが花だ。結果で示す以外には老師を納得させる道はない。その時は心から祝福してくれるはずである。
夜は老師の手になる『坐禅はこうするのだー師からみた参禅修行者の姿』(地湧社)に読み更ける。『参禅記ー坐禅はこうするのだ』が修行者側の記録なら、この本は指導者側の記録だ。
(この容易ならぬ心眼! 修行者の心境と、それが変化する先々まですべて把握されておられるとは!)
修行者はまるでお釈迦さまの掌にいるようなものだ。そうでなければ三界の大導師ではない。
禅者を観るには、その行履を看よと言われる。つまり日常一切の行為から、その境涯を推し量るのだ。境涯とは、その人の持つ、人間を見抜く心眼と、その心眼を活用して人を感化する徳の力を指す言葉である。老師の境涯は、凡眼の私にはまことに掴みにくい。和眼あり、愛語あり。「喝」と獅子吼するあり。ある時は飲み、ある時は歌う。説法は教育の神髄に及び、芸術の襞に触れ、政治に及ぶ。老師の只管の練りは、茶を喫する動作に如実となり、作務の手際に示され、コンピューターのキーボード操作に現れる。そして一瞬の後にはそれはない。感銘を受けた言葉は数しれない。
参禅七日目
昼、裏山で経行と呼吸。雑念の全くない、深い呼吸に落ちていく。この確かな静けさは不動心と言いたくなる。禅定力と言う言葉は知っていたが、その様子をはじめて知る。実に力強い安定感である。「朝に道を聞かば、夕に死すとも可なり」の心境となる。
午後外出、立ち喰いのウドン屋に入る。母くらいの老婦人が話しかけてきた。老婦人の戦後直後の苦労から、話は偶然、希道老師の実兄、井上龍山老師の奥さんに及ぶ。戦後の食糧難時代に、人に自分の食べ物をよく施されたという。これを聞き、しばし涙す。立派な婦人で、合掌して別れる。
(一期一会の精神とはこれか!)
難解といわれる禅の本質を、無理なく端的に教えていただいた。しらずしらずの内に心を高みに引き上げていただき、短期間でここまで成長させていただいたことは、予期せぬ事であった。
老師への感謝の念が次々にこみ上げ、返り道またも滂沱の泪となる。大死一番してやれ、との意欲が沸き起こる。
道場に帰って、老師に心境を話す。
「坐禅をすると雑物が取れて、だんだん思いが真実になってくるのですよ」
そう言われた。知らない内に心が浄化され、すなおさ、優しさ、感謝、親切心が露わになってくる。不思議な現象である。その様な目的で努力したことは少しもないのに、只、一息が、この様な精神環境にしてくれる。だから驚く。心理学者も教育学者も夢にだに知らぬ世界だ。
禅とは本当に不思議な世界である。
参禅八日目
朝の坐禅の時、念(心に生じる想念)がどれほど生じているのか計測した。念がポンと出る。一回! この時「あっ、念が出た」と分別すると、合計二回と数える。ただし、一回、二回、三回と数える念は、念として数えない。生起した念の回数を数えると、三十分間に五十四回であった。三十三秒に一回である。私には実験科学者としての性癖がある。私の雑念が多いのか少ないのか、客観的なデータが欲しい。私は大まじめであった。
老師にさっそく報告すると、雑念が多いと言われ、「馬鹿なことをするな、このへぼ学者め」と叱られた。老師は、私が雑念と時間の関係を考察して、禅を科学することを恐れられたのであろう。禅を分析すると、修行にはかえって大きな災いとなる。
まず第一に、修行中の自己を分析することは、禅の修行から大きく外れている。修行する自己と観察する自己があるからである。このような修行を「二人ずれの修行」という。二人ずれの修行をどこまでやっても決して解脱しない。人間が苦しむのは幾重にも自己を立てるからである。漂泊の詩人、種田山頭火(一九八二~一九四〇)の句に、「どうしようもない自分が歩いている」がある。歩く自分とそれを看る自分がいる。自己が幾重にも分裂する時、人は苦しみを覚える。山頭火の苦悩は如何ばかりであったろう。禅はこうした自己の分裂を防ぐ工夫である。食べる時、歩く時、喋る時、そのものに成りきり、成りきりする。
禅を科学してはならぬ第二の理由は、自己の思考活動によって得られた認識に、人間は必ず固執するからである。坐禅とは知解・分別を加えない修行、すなわち即今底に常にあらんとする努力であり、自己が過去に得た如何なる認識にも固執しない世界である。
第三に、即今底に分析を加えれば、もはや即今底ではない。即今底に分析を加えれば、科学ではあるが、もはや禅の修行ではない。禅を科学的分析の対象にすることは可能である。しかし科学的な分析が、自己の境涯を向上させることは絶対にない。私はその後しばしば、禅を科学するのか、禅を修行するのかの岐路に立たされた。しかし、禅を科学するこのような実験精神が、その後の修行の原動力となったことも確かである。
「今日は呼吸を忘れて、(呼吸に手をつけず)死んだように転がしておきなさい。念が出てもほっておきなさい」
そう言われ、朝食を食べたらすぐ禅堂へ追いやられた。
この指示は、修行者のレベルによっては実行が極めて困難となる。「自分の念や感情を手を着けずにころがしておく」という一見何でもなく思われることは、実はそう簡単に出来るものではない。
自分の精神行為、即ち言葉であれ概念であれ、または感情であれ、それらは時と所に関わらず出現して心として現成する。もちろん坐禅中であってもそうである。念、つまり瞬間的に心に生じる想念に対して、さらに想念を加え、思念しているのが、一般の人間の通常の状態である。
普通の人間は、念が出た瞬間と切れた瞬間を明確に把握することなど全くできない。念と念がくっ付いているからであり、念の切れた状態(前後裁断)を明確に知覚したことがないからである。しかし坐禅によって前後裁断の状態を把握でき、それを維持できるようになると、自分の念を手をつけずにしておくことも可能となる。
普通の人間と修行を経験した人間はどのように違うのか。普通の人間は、即今底がどんな様子かが分からない。雑念や感情に捕らわれ翻弄されるレベルにあるからである。修行すると、絶対瞬間の「今」にたどり着く、否、「今」に気付く。そうなると意識的に、一切の念を退け、何も無い一瞬にいることができるようになる。
出た念をそのままにして、一切手を着けず、無視出来るのは、絶対瞬間の「今」に達した者のみである。念を無理に切るのではなく、手を着けずに転がしておくのは、最も優れた修行法であり、悟りへの一番の近道であるが、禅の初心者には無理である。どうしていいか分からず、混乱と迷いの時間を過ごすだけである。
私がその後出会った師家(禅修行の指導者)は、一般論としての法、すなわち仏教による真理の説明は、総て素晴らしかった。しかし、人間性への理解力や分析力の欠如によるものか、「人間学」に乏しく、修行者の心理状態の把握や、個々の修行者に見合った適正な指導と言う点からは物足りなかった。痒いところに指導の手が届かないのである。
井上希道老師の初期指導目標は、「念をほっておく」段階への一刻も早い体得に置かれている。しかし、我々の認識はすべて「捕らわれ」という迷いから出発している。「捕らわれ」の中にいる我々が、的確に禅の修行方法をマスターするには、個々人の心境に応じた段階的説明が必要なのである。確かに法(仏教でいう真理)に段階はない。しかし、修行者の個性を考慮しない指導は、かえって困惑のもととなる。「念をほっておく修行」は最高レベルの修行である。只管打坐とはこれを言う。しかし、そうした修行が出来ない段階でそれをせよと言うのは、逆に迷わせることになる。「念をほっておく」指導が参禅の最初の段階で私に与えられたら、大いに迷ったことであろう。薬が毒になるのである。
今は『正法眼蔵』『無門関』『碧巌録』など、いかなる祖録も簡単に入手できる。しかし、読んでも分からないし、いわんや修行の手がかりには全くならない。いくら立派なものでも、こちらの受容レベル(修行底)が問題なのである。あの巨匠、大恵禅師が『碧巌録』のもととなる草稿を焼いた理由は、初学者を迷わせるからと聞く。私は、この行為こそ大きな慈悲であり、衆生を思う熱い涙だと思う。
だから法であれ、祖録であれ、師であれ、適正如何によって薬となり毒にもなる。私たちはそれらを頼りにするしかないが、それを道標としつつも、その教えに固着したり取り付かないことが重要である。禅は盲目的修行を嫌う。教えを信じながらも、捕らわれないという、この微妙な矛盾の同一性が禅の修行である。思考の枠組みを設定してやらないと物事を思考できない人は多い。こうした頭脳では、この微妙な消息はなかなか理解できないと思う。だから師は解脱への道を体験した正しい指導者、正師でなければならない。そのようにさせて、かつ、それに固執させない、これが出来るのは正師だけである。
私は「そのまま」「只」の時を過ごす。ようやく「只管打坐」が出来るようになった。雑念をそのままにしておけると言うことは、何もしないと言うことだ。老師は「工夫無き工夫」が真の工夫であり、禅の正修行だと言われた。それが不思議によく分かった。(しかし最初の参禅を終えて永らく、この「工夫無き工夫」に捕らえられ、悪戦苦闘することになろうとは、この時には夢にも思わなかったのである。)
午後の茶席で、精神構造とその構築過程のメカニズムについての話があった。坐禅が精神構造に与える浄化作用の原理、そして自己超越の「解脱」「脱落」「悟り」がもたらす絶対安楽の話は大変興味をそそられた。
私には三人の子供がいる。子供を観察すると、禅の原理が実によく分かる。言葉が発生するまでは、子供はまさに即今底にある。言葉が発生した後も、小学校の一、二年生頃までは、念が切れている。すなわち泣き、すなわち怒り、すなわち食べる。そしてこれら行為の一つ一つが、長く心に跡を引くことはない。子供の一瞬先は予測できないのだ。泣いたと思ったら、もう笑っている。前後裁断の世界である。禅とはこうした子供の心に戻ることである。前後裁断は煩悩解消の原理であり、光明であり極楽の世界なのである。子供こそ修行者の手本である。
禅にはまだまだ分からないことが多い。知りたいことだらけだ。しかし一番重要な問題は、下山した後、実社会でどのように工夫するかだ。禅と日常生活とが無縁であれば、今回の参禅は単なる自己満足でしかない。一過性の経験に終わってしまう。
研究者の仕事はアイデアを練ることである。常に考えながら作業する。こうした知的作業は、想念など一切の観念を切り捨てる坐禅とは正反対なものではないのか。禅が一切の知的活動の抑制であるなら、知的作業をする学者として到底受け入れられるものではない。このような疑問や懸念は、禅修行へのある種の恐怖でもあった。
「コンピューター作業で心を使うのは当然ではないか。念が出ても、それ自体が『自分は念です』とは言わぬ。その時の念はコンピューターに同化している。瞬間、瞬間の作用で終わっているから問題ではない。念じたいに正体もなければ固定性もない。初めから解脱底の作用なのだよ。
問題は、念を意識する自分が問題なのだ。認める自分さえなければ、念のまま、コンピューターに依って脱落させられているから、一瞬一瞬完全に消滅している。
分かるか? 念があるとか無いとか知性を巡らせる、そうした分別をする自己が災いの種なのだ。即、捨てればいい。仕事上の心のままに任せると言うことだ。ここを勘違いしてはいかんぞ。
一心不乱に只しておればよいのだ。仕事のみになっていたか、自己があるか否かを確かめるために、時々画面から目を放し、心が完全解放して居るかどうかを精細に確かめなさい。
たった今していた仕事の引きずりがなければ、『只』していたのだから、只管活動であり、解脱の念だから自己はないのだ。道元禅師の言う、「不思量底、如何が思量せん。非思量」の処だ。脱落の法縁近しじゃ。そのままその物に任せて徹してたらよい。
引きずる余念が有ったら、速やかに切ることだ。自己が立っているから対立し、総てがストレスになるから。切って心を単一にし楽にして、そうしてまた始める。作業に関係のない雑念は、禅定が深まれば、仕事上必要な念と区別されて自然に切れていく。何ら心配には及ばぬ。」
「ものを考えアイデアを練るなどの創造的仕事をする場合、自由で豊かに躍動する観念は必要上のもので、無用な雑念とは違う。より良く利用するのが、その時の法なのだ。考えるときは、考えるのが道だろう。
必要が無くなれば切れて、前後際断しているかどうかである。切れていない間は、次々とイメージの詰まった倉庫の蓋が開かれていく。自動的にスイッチが入っていく状態なので、収拾が付かなくなってしまうぞ。
只管が醇熟していくと、自然に総て落ちていく。とにかく努力することよ。」
これを聞いて深く安堵した。ものを考える行為を止めるのではなく、あくまで作業なら作業そのものに没入することが禅の要諦であったのだ。考える時は考えに徹すればよい。坐禅で雑念を切ったのは、あくまで没入を妨げる障壁の「隔たり」「心の癖」を処理するためであった。一つの念が作用した後は、「ゼロの今」に戻っていなければならない。このような念と念との切断状態を前後際断といい、これを主体に、これを失わないよう作業に没頭すればよいのだ。事実、「今」「瞬間」の世界だから、終わって当たり前なのだ。研究者として最大の疑問が解けて心底ほっとした。
夜十一時から私の満行の祝宴があった。夜坐、終了後である。
少林窟では独参は自由である。老師のもとに何時行ってもよく、疑問がなくなるまで答えてくれる。また食事後には修行に大切な法話がある。これらは大変助けになった。しかし、祝宴はまた格好の機会である。祝宴では、自分の心境を率直に吐露し、リラックスして老師の話が聞けるのである。(食後や祝宴での貴重な法話は、その後、浅田幽雪師が綿密に録音するようになった。浅田師に話をすれば入手できる。)
老師、若いほうの浅田幽雪師、体格の良い友貞祖玄師、老師のご子息閑山さんの面々である。少林窟での私は、お弟子さんの出家の理由はおろか、その名前すら知らないで過ごしてきた。
飲んでも私的な娑婆の話は一切無い。どこまでも修行の話だけであった。お弟子さんは酒席でもほとんど口をきかない。酒宴でも禅定を練っているのだ。友貞師はたまに老師に質問するが、浅田師は半眼で心を虚に置いている。
どこまでも静かで、細心な食事動作は美しく、浅田師の不断の練りを感じさせる。その姿がまた私を刺激する。
(負けぬぞ!)
友貞師は音楽家であったという。浅田幽雪師は京大物理出身、民間会社でレーザー研究をしていた人物。鋭い浅田師、おっとりの友貞師、性格は対照的である。共通しているのはどちらも寡黙。禅僧らしくていい。二人のどちらが先に悟るかは、大いに興味が有る。何となれば、我々に直接関係してくるからだ。或いは、私が先に達して二人を済度するやも知れぬ。負けられない気概、大いに湧く。
老師と私との間でやり取りがあり、二人のお弟子さんは黙ってそばで聞いている。私は質問中毒ではないが、どこまでも無遠慮に聞く。
「一休和尚、良寛和尚の心境はいかがですか。」
「一休、良寛の境界は立派なもの。どれくらいの力量かは自分で確かめなさい。そなた等学人は先師を云々してはならん。ひたすら尊敬し、命がけで努力された、その人の法へのあり方を見習いなさい。
或る高僧は、『一休、良寛の禅は、愛すべきにして学ぶべからず』と言われたが、その真意を確かめるためにも頑張りなさい。
支那に巌頭と言う祖師が居た。徳山下で雪峰と兄弟弟子じゃ。法難の時代だったために打ち首になった。その時、『ああ痛い!』と大声で叫んだそうな。
日本の白隠禅師がそれを不審がった。悟った者がどうしてそんなみっともない事をするのか、と言う訳だ。
白隠禅師は大悟したとき、『巌頭まめだ、まめだ!』と欣喜雀躍して大声を上げたという。
巌頭の『ああ痛い!』と同か非か!
自己が取れた瞬間、巌頭に成りきって躍りだしたのだ。隔たりが無くなれば、その消息は一つだから巌頭が丸見えになるのは当たり前ではないか。
疑うことを忘れたら、本当と邪との区別が曖昧になる。白隠禅師は疑団によって自分で明確にしたのだ。
『ああ痛い!』と『巌頭まめだ、まめだ!』とは、音声も時代も内容も人も総て違う。これを差別という。ところが、隔たりが取れて自己がない働きは、それのみで他に何も無い。本質は同じなのだ。これを平等と言う。同にして同に非ず、別にして別に非ず。本来、同別、平差、自他、迷悟ともに超越しているのだ。
それを解脱と言うのだ。この消息を得んがめの修行だということを間違えては駄目だぞ!」
「伝教大師の、一隅を照らす、とはどういう意味ですか」
「一隅を片隅ととると間違ってしまう。大師にとって一隅は宇宙であり総てでしょう。照らす、とは進む道を明らかにして迷わさない、即ち理想を示すと言うことだ。」
答は間髪を入れず返される。禅機が横溢し、心地よい刺激を全身に浴びる。その時に深い意味まで分かるわけではない。しかし只管の練りが深まるにつれ、あの時の意味はこれだったのか、と気付くことが多い。その都度、ほのかな満足感に包まれる。それは生きていく自信と積極的なエネルギーとなる。結構な味わいである。
これこそが禅教育の特徴であり、何でも詰め込もうとする学校教育とは違う。禅は修行して初めて体得できる世界であり、単なる知識や説明で分かる世界では断じてない。指導者の言葉の響きをどれだけ受けとめられるかが、その時の実力である。師も決して弟子の頭に無理に詰め込もうとはしない。師の言葉を聞き取る実力は、修行が深まるにつれ自然に上がっていく。努力した者には自然に与えられるが、そうでない者には与えられないのである。因果の上で実に公平である。努力による自得こそが、禅の要である。
禅修行の特徴で際だつのは、修行が進めば進むほど知性的となり、科学性が研ぎ澄まされることだ。雑念を切る努力を行うので精神作用が冷静になり、それに随伴して、思考そのものが多面的で深く、かつ純粋になっていく。科学者としてこれは大変有りがたい。
また、感性が作動するに当たって、感性の適性度が高くなる。無駄な喜怒哀楽が無くなり、精神は極めて安定する。
それにしても学者ではないのに、老師のあの明快な分析力は、確かに境涯の力に相違ない。今の私はこの様に言うことが出来る。私も、もっと努力することでさらなる境涯が開けていくのではないか。
「これからは祖録や仏典が分かり始めるので、読むと面白くて止められなくなる。知的満足感をそそられて虜になったら大変だから、読まない方がよい。読んで分かったつもりになることが最も恐ろしいのだ。
分かっても『隔たり』が取れるわけではない。分かっても自己の陶冶に役立つわけではない。
知性は出来るだけ刺激しないように。観念現象は際限のない永久運動だから、一番修行の災いになる。」
「坐禅に向かう力は、いわゆる『資質』と、法を求める『菩提心』の積のようだね。坐禅に対する発心の内容、そして坐禅への取り組み方が皆違う。集中力に違いがあり、目的意識への集約力が違うようだ。
しかし、いくら知性が高く資質があっても、自己を極めたいという気持ち、つまり菩提心が弱いと徹する力が弱い。
やはり菩提心が要なのだよ。」
「はっきりとは断定できないが、坐禅に来る人はやはり精神の文化性が高い。自分の不安定さ、不自然さに対しての自覚から解決への向上心があるということだ。満足するレベルと質と追究心、それに関連した疑問の量や理解度には、知性と密接な関係がある様な気がするが・・・・」
まだまだ示唆に富んだ話が夜更けまで続いた。老師の観察力と分析力を持って、至近距離で、朝から晩まで、箸の上げ下ろしに至るまで、何日も、何人もの各階層の人物を観察した結果うまれた見識である。学者が本から得た知識とは重みが違う。これほど確かな人間性の理解者はいないだろう。
何時の日にか、命がけで修行されたこうした心の専門家の光が、教育や社会や人間の生き方人生観に役立つことであろう。それも一日も早い方が好ましい。それもより公益性の高い立場において。
参禅九日目
いよいよ下山の日である。朝七時に起き、掃除と洗濯。朝食の時、「そのお茶の味はどうか」と聞かれる。
自信をもって、黙ってぐっと飲む。
「まだ分別が入っている」と認められず。確かに分かった上での行為であった。
「それは、分かったという知性がまず働き、その指示によってもたらされたポーズに過ぎない。
まだ頭脳を通すだけ迷いの世界にいるのだぞ。
そのものになっていないと言うことが分かるか?
出発まで四十分ほどある。それまで坐禅してきなさい」
帰る間際に、ぞっとする大きな心のお土産である。当然「隔たりのない瞬間」をどこまでも守りとおさなけばならない。行為の純粋性を守るのである。何事に依らず「成りきる」ことしかない。
老師、祖玄師、幽雪師を初め、すべての修行者が山門まで見送りに来てくれる。合掌して祖玄さん運転の自動車に乗る。
後日、私も見送る人になった。自動車の後ろを、合掌してじっと見守る。やがて往還に出て速度を増し、山の陰に消える。一段と深く低頭して静かに合掌を下ろす。これが少林窟の窟是である。私もこうして法友に見守られていたのかと感慨を新たにしたのだが、この時はそんな勿体ないことなど知る由もない。
人を大切にする気持ちは充分にあっても、果たして行為に表しているであろうか。至って粗雑ではなかろうか。誰に対しても、去って行く人の幸運を心から願う姿が態度に現れる、この事こそ人間完成の条件でもあろう。深く反省した。
いまは少林窟の精神に基づき、新たな参禅者を見送っている。気持ちのいいものである。思う気持ちが素直に行為となる。それが我々人間の基本であり理想である。
ところが精神から肉体へと現象化する時、どうしても狭間が出来てしまう。しなくてはならないと、知的には分かっていても、あんな事が何故出来ないのかと、現実に機能しない自分がもどかしいことがある。端的にかつ明快に作用しないのは、この移行システムが複雑で手間が掛かるからである。雑念・余念や分別が邪魔をするのである。
坐禅修行をすると、その結果として、この狭間が確実に縮まっていく。聞き及んだ多くの法話と自分の体験から考察すれば、無我とは、思考活動と行為との狭間が全く無くなった、心身一体化の事であろう。蓋し、狭間とは、何も無い只の想念等に過ぎず、全く仮想的存在ではある。しかし、このような仮想を人間がもつ限り、それを陶冶する努力が必要となる。修行とは、このような「隔たり」を取る努力である。悟りのメカニズムを考察すれば、このような結論となる。
新幹線が岡山にさしかかる頃、老師を思い感謝の涙また涙であった。まことに禅は涙である。帰宅し体験を妻に語る。思い出してまた感涙に咽ぶ。
その後の参禅
こうして少林窟での初めての参禅を終えたが、只管が体得できたわけでは全くなかった。片鱗を覗いた気はするのだが、どうしても納得できないものがしっかりとある。その後数回の参禅で、やっと念のない状態を坐で再現でき、それからは坐禅が生活となり、ほぼ毎月道場へ来るのが楽しみとなった。確かに一切の心的余物の無い世界が自然で、最も楽で安定している。
つぎに動中の工夫も大きな問題であった。仕事は忙しく坐禅の時間は十分にない。職業人が悟るには、喧噪・欲得・愛憎の現実世界の中で工夫するしかない。しかし日常の生活や仕事の中でどう練ったらよいのか。分かっていても全く手が着けられない状態に陥ることがあった。
その様な時は食事や歩行における工夫から着手した。少林窟道場では経行速度を極度に落とし、足の筋肉一本一本の微細な動きに全神経を集中した。こうして、いつ、いかなる環境下にあっても、直ちに即今底にあらしめることができる着眼点を工夫した。それまでは歩き方さえ見失って、このことのために何カ月も少林窟に通いつめた。
少林窟と日常生活における只管の練りの差も問題であった。少林窟では只管を練ることが出来ても、日常生活では満足に出来なかった。動中と静中の差も問題であった。静中では雑念が切れるが、動中は雑念漬けであった。
こうした問題意識を常に持ちながら、只管の練りに心を砕いている。ある時は菩提心が高揚し、研究室に坐し、大学のキャンパスで必死の只管修行である。またある時は菩提心が弛み、数カ月間を無為に過ごす。
初めての参禅以来、八年間、少林窟道場に通いつづけている。禅は「効用」を求めてするものではない。何らかの目的を掲げて行う坐禅を、「着味の禅」という。正修行は只管打坐であり、只管活動である。つまり何者にも汚されない坐禅そのもの、活動そのものの追求である。しかし只管打坐や只管活動の結果として、禅には確かな効用がある。
坐禅を続けると、自ずから性格が矯正されてくる。誰に教えられたのでもなく、即今底の継続自体が、そうさせてくれるのである。怒り、妬み、執着などがかなり薄らぎ、人格の陶冶を実感する。顔かたちは以前と同じであるが、心の癖が取れるにつれて、喜怒哀楽のあり方は著しく変わってくる。外界への捕らわれが少なくなり、泰然自若を味わえるようにもなってきた。
人間が外界に捕らわれるのは、見るもの、すなわち外境と、人の言葉による。特に人間は人の言葉に動かされやすい。私も人の言葉に翻弄され続ける人間の一人だった。しかし「人の言葉を松風に聞け」との老師の言葉に、どれほど救われたことだろう。今では、かなり人の話を「只」聞けるようにもなっている。
また集中力の強化には驚くべきものがある。仕事を始めるとあっという間に、一時間、二時間経っている。その間、自己を意識することはない。無我の活動状態である。無我の時、無我であることを知るはずがない。ただ、徹しきっていないから、その涯際がはっきりしないとのこと。仕事の多忙さへのイラつきも、大分減っている。
しかし、なんと言ってうれしいのは、「どこにも、もうこれ以上、真理を求める必要はない」という大確信が身に付いたことである。参禅の前に悩んだ、あの「脳潰瘍」状態は完全に消失した。
目や耳が外界の刺激を受容した瞬間には何の想念も生起していない、これを絶対の今という。しかし普通の人間は、外界の刺激によって心が揺さぶられ、想念が生まれる。災いのない想念ばかりなら問題はないであろう。しかし我々普通の人間は、人を見て憎しみを覚え、死を恐れる。このように自己の想念に苦しむのである。こうした苦しみから逃れるには、まず、自己の想念を相手にせず、外界の感覚をそのままにしておく方法を体得し、かつその状態を維持しなければならない。その唯一の方法が禅である。私には手段は得られた。しかし、時として自己の悪知悪覚に苦しむことがある。いわんや完全には逃れてはいない。
禅による「収穫」は、日本の伝統の一端を根底から把握できたことだ。例えば食事中に「只管」を守るとき、伝統的作法が禁じている、どのおかずを取って食べるのか迷う「迷い箸」、箸を嘗める「ねぶり箸」、食器の上に箸を置いて渡す「渡し箸」などは自ずから自然に消失している。お茶を喫するとき、両手が自然に茶碗に添えられているのを発見する。禅は日本の伝統礼法の根底をなしていたのだ。
子供に素直に「はい」と返事させる躾も、「只」をしつけるためである。「理屈を言うな」という頑固親父の言も、禅の原理に照らせば明白である。「小理屈」を言う癖は、結局、その子の将来に禍根を残すのだ。ただし現在では、「はい」も「理屈を言うな」も、その真意義が見失われて久しい。親父はその理由を知らず、感情的なだけである。子供も固陋な習慣として、反発するであろう。
禅宗以外の仏教の宗派の「行」の意味も、禅の原理に照らして明白となってきた。念仏の本質は、即今を守る手段なのである。南無阿弥陀仏と唱える時、雑念の余地は少なくなる。同じ禅宗の臨済宗における無字の公案も同じ機能である。「ムー」と唱えるのも、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」と唱えるのも本質は同じである。
思えば多くの「気づき」があった。心は随分と楽になり救われている。しかし未だ人間としての欠点を数多く残し、今もって決着が付いていない。
菩提心の鈍きを恨みとす。
君、笑い賜え。君の笑いを奮起とするのみ。
修学旅行で観た京都の禅寺の庭園美は深く心に残っている。思えば禅宗は、華道、茶道、書道、絵画、造園、料理、礼法、武道など、日本文化に独特の個性を付与してきた。狩野山楽、小林一茶、太田蜀山人など、多くの文化人は禅要に深く心を潜めた。北条時頼、足利尊氏、上杉謙信、柳生宗矩、大石良雄、勝海舟、山岡鉄舟、西郷隆盛など、禅により心胆を練った枢要の人物は数多い。禅は武家や文化人の素養であった。
我はまた、古道復活のため、只管の綿密さと継続にのみ心がけていく。
古えの人のふみにし古る道も
あれにけるかもゆく人なしに
後記
読者にはすでにお分かりのように、禅はいわゆる「宗教」とは似て非なるものである。先の五項目に示されるように、方法はきわめて簡潔で具体的である。何ら非科学的なものではない。
坐禅中の精神状態の安定は脳波の測定によって明かにされている。脳波とは増幅器を用いて記録された脳細胞の電気的活動であるが、ゆったりと気分の落ち着いたときに発生するアルファ波が坐禅中に現れやすいと言われている。
禅は超自然現象、加持祈祷、迷信、さらには神仏など、我々が知覚できない一切の非合理な世界を対象としない。尊像に礼拝するのは、禅を伝えてきた祖師への尊敬の念からである。像に刻まれたり絵画に描かれる、あの神々しい神仏の現存を信じているわけではない。
禅は「瞑想」とは明確に異なる。瞑想はある種の至福感を心に満たす修行であり、禅は心を空にして一切を捨てる修行である。至福感といえども心に何かを詰め込んだ状態と、空っぽの心とでは、その働きに雲泥の違いが生じるのは当然であろう。
禅は、神人合一などの神秘的霊的体験を目指すものではない。悟りとは身心一如の実証、すなわち行為と知覚の一致の確証を得ることであり、悟りによっていわゆる「超能力」が得られるものではない。
禅は思想や哲学ではなく、生活全般における実践である。禅は教外別伝といわれ、文字や言葉に依存せず、師から弟子へと直接、心から心へ教えを伝えるものと言われている。しかし、禅ほど言葉を多用する饒舌な世界はないのも事実である。祖録には膨大な祖師の言葉が残されている。しかしいくら祖録を読んでも、悟ることはできない。禅は、言葉を究極の拠り所とはしないのである。禅は、ちょうどスポーツの指導者が言葉を使いながら、手を取り足を取ってスポーツ選手を教えるように、師匠が修行者の実際の様子を目で観て始めて指導できる性質のメンタル・トレーニングなのである。同様に教外別伝は、秘密主義に基づくためでもない。秘密主義の要素があるとすれば、それは当人が盲目なるために、別に尊大な世界があるものと、自分の内側に想像された構造物に過ぎない。それを是正するための指導者の言葉を書き残すと、修行者のレベルによっては間違って理解される危険性がある。祖師の慈悲が修行の妨げとなる恐れは、文字に固執する間は避けられない。その事をも慈悲から書かれているので、いよいよ秘密事が有るように思ったとしても仕方がないことである。
禅は科学や科学的知性を否定するものでは全くない。しかし科学的知性によって人間が究極的に救われることはないとするのが、禅の立場である。「禅的知性」は科学的知性を活用するが、それに捕らわれない「超知性」であり、ロゴスを駆使しながらロゴスに捕らわれない「超ロゴス的知性」である。本書に記述した老師の境涯の一端から、推察願いたい。
『老子』(第五六章)に「知る者は言わず、言う者は知らず」とある。禅者がこれを解釈すれば、言う者とは知解・分別を振り回す者であり、知る者とは即今底に安住する者の謂いである。「知る者は言わず」というよりは「知る者は言えず」なのである。確かに即今底や只管などの言葉は人の理解を拒んでいる。しかし禅は神秘思想ではない。正師のもとで修行すれば、十人が十人とも必ず体得できるのである。
『正法眼蔵』弁道話に、「この法は、人々の分上にゆたかにそなわれりといえども、いまだ修せざるにはあらわれず、証せざるにはうることなし。」とある。「すべての人々に豊かに備わっているもの」とは、即今底のことである。しかしこの境地は、坐禅をしないと自覚できない。だがいったんこの境地を自覚すると、即今底は全ての人々が等しく持ち合わせていることを了知するのである。
禅は知解を忌むものである。知解は行動には結びつかず、知的満足に過ぎない。知解は人格陶冶には及びにくいのである。この事は口を酸っぱくしても、決して言い過ぎることはない。
人間には思考と行為という、二律背反的な二つの要素がある。思考と行為は背反する。もっぱら思考に偏る人間は、行動的ではない。行動に偏る人間は、深い思考に及ばない。思考やそれによる言動と行為の統一に最も心を砕いたのは、東洋の英邁な先達たちである。東洋の伝統的な英知は、この矛盾の統一の工夫にあった。この工夫は一般的には修養といわれる。陽明学にいう知行合一はその例である。
現代知性の特徴は、思考と行為の分離にある。一つには戦後教育が知育に偏っているからである。しかし、日本の伝統的はもともとそうではなく、明治期以降にも、その伝統は連綿として存続していた。例えば、幸田露伴は『努力論』の中で、独自の修養論を開陳した。開明的な国際派のクリスチャンであった新渡戸稲造でさえ、「修養」(『新渡戸稲造全集』七巻)の中で、黙思の重要性を説き、「坐禅の妙味」に触れている。下って第二次世界大戦後になると、こうした伝統はだいぶ薄れ、現代知性の特徴である思考と行為の分離の傾向が顕著となる。例えば哲学者・三木 清は「懐疑について」(『人生論ノート』)の中で、「人間的な知性の自由はさしあたり懐疑のうちにある。ーーーー懐疑は知性の徳として人間精神を浄化する。」と述べている。三木の論考は、「懐疑には節度がなければならず、節度のある懐疑のみが真に懐疑の名に値する」に止まり、知性の限界には及んでいない。
私が繰り返し強調したいのは、知と行為を統一する東洋の伝統の想起であり、復活である。「行」による知と行為との統一であり、修養の復活である。近代の知性は、知と行為を分離してきた。近代の知性は、社会学者マックス・ウエーバーに見られるように、知的営為と価値判断の峻別をも要求してきた。こうして二〇世紀には、人間の徳性や情意、営為などと切り放された「知」の放縦があらゆるレベルで発生したのである。二〇世紀科学技術の栄光と悲惨は、少なくとも科学者個人のレベルでは、こうして生じたのではあるまいか。自然環境から社会環境の全てにおいて破壊が進行する中で、人心の荒廃も極大に達している。二一世紀には未曾有の困難が予想される。今世紀を支配したような「知性」で、はたして人類は来世紀を乗り越えられるのであろうか。
本書を読んで、禅を「分かった」と思う方もおられるであろう。これは典型的な知的理解の態度である。砂糖を知らぬ人間に甘味を説明しても、決して伝えられぬように、禅の味わいを言葉で説明できるものではない。人は熱湯に触れて初めて「熱さ」を知る。禅は冷暖自知の世界である。禅を知りたいと欲せば、正師のもとで須く実践あるのみである。繰り返すが、禅は正師のもとでの実践あるのみである。
本書を読んで、読者はさまざまな感想を持たれるに違いない。
人生を振り返る時期にあるビジネスマンは、もう一度自己を鍛えたいと熱望して、自己啓発の道を禅に求めるかもしれない。日夜経営に悩む実業家はその泰然自若に憧れるかもしれない。たわいないレジャーに遊べば遊ぶほど疲れきり、深夜の彷徨を繰り返す髪を染めた若者は、人生の転機を見いだすかもしれない。
授業や昼食時にみられる子供たちのあの喧噪に、将来の悪しき前兆を悪夢する心ある教師たちは示唆を得て、情操・道徳教育に何らかの応用を試みるかもしれない。
子供の振る舞いのいちいちに苛立ちを覚える母親は、子供の天衣無縫こそが、まさに悟れる人の如くであることに、いつの日か気付くかもしれない。そして母親こそが、濃密な接触を通じて、次世代の感性を育む重大な使命をもっていることも。
禅は新たな脳科学を切り開くであろう。脳科学の専門家は、禅のメカニズムを前頭葉の連合野の一部にある「注意の中枢」の機能強化と結びつけて考えるかもしれない。「即今底」の持続は、注意の継続的喚起にあるからである。通常の人間は雑念漬けの状態にある。その原因は言語野のある大脳部分の「暴走」にあるのではなかろうか。禅の修行を、言語野の暴走抑制の人為的訓練と結びつけて考えることも可能であろう。
精神科医は、ノイローゼ患者にタバコの吸殻を拾わせる森田療法の有効性を確信するかもしれない。吸殻拾いの本質は、一点に集中することによる想念の抑制にあるからだ。薬理学者はノイローゼや躁鬱症を抑える薬剤開発へと、想像を巡らすかもしれない。二一世紀は脳の時代である。
注意深く漢籍に親しむ者は、新鮮な驚きを発見するかもしれない。『中庸』にある「喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂う」の「未発の中」とは、まさに「即今底」のことではないかと。
哲学者は本書の含意により、未曾有の困難に直面する二十一世紀を前に、東洋思想の新たな可能性に着目するかもしれない。二元論に対し一つの解答を与えた西田幾多郎のように。
私の現時点における「禅二千六百年の秘密」報告書とは、かくの如きものである。
私の希望は、正師のもとで多くの人に禅を実践してもらうことにある。そしていつの日にか、禅が各家庭の精神的常備薬となることを願っている。禅は正師のもとで行えば、なんらの副作用もない。邪師のもとで行えば、薬効がないのみである。
多方面の学者による科学的解明も、二義的には必要であろう。繰り返すが、科学的理解はその人を根元的に救うものとはなり得ない。しかし禅の科学的解明は、混迷の極にある人間の精神世界に必ずや新たな光を投げかけるであろう。
禅を科学する者は、少なくとも「工夫なき工夫」を体得していなければならず、そのためには最低三年間の必死の修行が必要である。そうでなければ、禅の何たるかを知らず、かつ、その理解はことごとく皮相の見であることを知らなくてはならない。
禅を二十代までに志せば、世界を感化する人となろう。禅の巨匠たちがそうであったように。
禅を三十代で始めれば、いかなる分野においても一流人となろう。
禅を四十代から実践すれば、よき職業人、よき家庭人となろう。
禅を五十代に知れば、心のやすらぎを得るだろう。
小生は四十二才で始めたことを悔いるものである。進歩の遅さに忸怩たるものがある。禅者は行履を看よである。本報告の内容を筆者の行履に照らして明眼の師が点検すれば、実に噴飯たるものがあろう。筆者の見解は、筆者自身が否定する知解の謗りをも免れないのである。禅修行の本質は潜行密用にあり、正師による一対一の指導のもとで、正念相続を密かにかつ自己に偽りなく実践して、師の継続的点検を受ける性質のものである。いわんや決着のついていない者が、禅を語ることは謗法の罪を免れないのである。人を惑わせる恐れがあるからである。(本報告は井上希道老師の校閲を受けていることを付言しておく。)
本報告は実に恥を忍んで公開する実名の手記である。ひとえに正しい禅のあり方を多くの人に知ってもらわんがためである。私自身の行履の未熟さから、禅そのものの価値と意義が貶められぬよう、心より願うものである。 (平成一〇年一月記す)
宇都宮大学教授、東京大学非常勤講師
農学博士、三女の父、四十九才
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